言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語132

2007年01月31日 22時26分24秒 | 福田恆存

 川端康成の『雪國』の冒頭にある「夜の底が白くなつた」はまぎれもなく文體であつて、「夜が底の白くなつた」は文體はおろかもはや言葉ですらない。「が」と「の」といふ「語彙」の選擇は、文體がもたらすのではなく、文法がもたらすものである。

 文法に從ひながら、そのなかで個人の趣向や言語感覺がかもしだすのが文體である。どこかの外國人が話すやうな「夜底白い」で意味が通じるのだから、「の」や「が」といふ助詞は重要ではないと石川氏が言ふのは言ひがかりである。それでも、この助詞の使ひ分け(つまり文法)が「二義的」なものであるといふのならば、もう少し精緻で説得力のある檢討が必要である。

 斷言は、明確な根據がなければ單なる啖呵を切つてゐるに過ぎない(もちろん、私は文法といふものが演繹的にアプリオリに存在してゐるなどといふことを言つてゐるのではない。言葉の誕生つまり音聲と意味との聯合が少しづつ「言葉」を作り出していく過程のなかで、文法が生まれたのであり、そしてまたその文法が新たな言葉を作り出していくといふ相互作用を認めてゐるものである。ししかしながら、時代が下るにしたがつて、文法と言葉との關係は少しづつ變化し、前者が後者を壓倒する傾向が強まつてゐると言ひたいのである)。

 石川氏は、東アジアを書字中心言語地帶として位置付け(『二重言語』五二頁)、ヨーロッパの音聲中心言語の文化と對比する。このこと自體には何の問題も見出せないが、石川氏の念頭にある文字は、いつでも「漢字」である。より正確に言へば、秦始皇帝による文字のことである。それ以前は「象徴記号的古代宗教文字」(同書五一頁)であり、始皇帝による「政治的字画文字」こそ「書字中心言語地帯」として「東アジアの歴史と文化を形成しつづけ」たと見る。

 たしかに現在、古代宗教文字はすべて滅び、いはゆる「漢字」が東アジアの文明を基礎づけてゐるやうに見える。しかし、先に津田の言でも触れたやうに、アジアは一つではない。漢字以前にそれぞれの文化を持ち、私たちの日本においても、漢字によつて記録は生まれたが、漢字によつて日本文化が生まれたといふ勇気ある結論は、石川九楊氏以外には見当たらない。

 それどころか、漢字と言つても、現支那で使用してゐるのは簡體字であるし、台灣では繁體字(正漢字)である。韓半島では、ハングル文字が主流であり、國民のほとんどは漢字を書けない。北の方では、あの有名な「主體思想」によつて外來文字である漢字は使用を禁じられてさへゐる。自文化中心主義(エスノセントリズム)の極致があの「主體思想」である。

 日本はどうか。常用漢字なるものが流通し、畫數を減らすことを目的として意味のつながりを無視したまつたく異樣な漢字が使はれてゐる。「摸索」の「摸」が「常用漢字」にないから、「模索」にすると言つた類である。漢字の文明どころではない、宛字なのであるから。

  かうしてみると、東アジアの國々の人々同士では、筆談さへもほとんどかなはないといふのが、實態ではないだらうか。假想の「漢字文明圈」である。

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言葉の救はれ――宿命の國語131

2007年01月28日 13時08分54秒 | 福田恆存

また、支那と日本との文字についても、津田左右吉は、次のやうに明確にその差異を述べてゐる。

「全體として日本語から成立つ日本文であれば、支那の文字のもつ役割はさほど重いものではない。日本語化した支那語の如きは、カナで書いてもロオマ字で書いても差支へは無い。だから、支那の文字が日本で或る程度に用ゐられてゐるといふことから、二國は同文であるといふのは、大なる誤である。」

                               『支那思想と日本』一七二頁

文中の「同文」とは、「同じ文字を用ゐるといふこと」と津田は書いてゐる。つまり、日本語の中の漢字は、支那語ではなく、すでに日本語なのであり、漢字があるから日本語は支那の影響下にあるなどと考へる必要はないと言つてゐるのである。

さらに、別の處では、かうも記してゐる。

「東洋といふ呼稱のあてはめられる地域をどれだけのものとするにせよ、文化的意義に於いてはそれが一つの世界として昔から成立つてゐたことが無く、東洋史といふ一つの歴史も存在せず、從つて東洋文化といふ一つの文化があるといふことは、本來、考へられないことである、といふのである。」

                                           同右 一七八頁

 近代化は西洋化である。私たちは背廣を著、スカートを著、靴下をはき、靴をはいてゐる。しかし、私たちは西洋人ではない。英語を學び、大學の入學試驗で國語の科目がなくとも英語の試驗はあるやうな國であるが、私たちは一向に英語が巧くならない。紛れもなく日本語の國である。つまり、日本は西洋ではない。また、日本は支那ではない。かと言つて、東洋などといふ大雑把な理解の範疇に留めても、新しく見えてくるものはないのだ。

その意味で、津田の「支那の文字のもつ役割はさほど重いものではない」といふのは、本當だらう。日本語の文法を見ても、あの國の文法とは全く違ふ。

 石川九楊氏は『二重言語論』で「文字は発声・音韻や文法の構造にまで入り込むのであって、その考察を欠いた言語論は滑稽とさえ言える」(三一頁)と思ひきつた發言をしてゐるが、むしろ、その言の方が「滑稽」ではないだらうか。それは助詞のない支那語の側から、日本語を見た場合の幻想であり、虚像である。現実よりも大きく見えてしまふのがその特徴である。

 そして、同じ頁の中で、「言語にとって重要なのは語彙の質と量と、その語彙を引き出す力であると同時にその語彙を成立せしめる力である文体、つまり語彙と文体であり、文法は二義的なのである」と言ふのは、矛楯ではないだらうか。文體とは文法があつてはじめて成立するものであつて、文體が文法に優先するとなれば、それはもはや言語でなくなつてしまふ。

私は、個性と日本人らしさについて考へるとき、この文體と文法との關係を使ふが、私たちの道徳觀や生活習慣を否定して、自分勝手な振舞ひを「個性」とは言ふまい。醫者は醫者らしくあつた上に個性がある、それならば良い。しかし、目茶苦茶な醫療をして患者を殺してしまふやうではそれを醫者の個性とは言はないのと同じことである。福田恆存は、かうした「個性」を「野性」と言つた。言葉においても同樣である。文法があつて文體がある。

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安田氏の新著を讀む――その4

2007年01月23日 10時24分48秒 | 福田恆存

「国語学の国家主義的な、政治的な側面」といふのが「強調されている」のが、「近年の研究」である。田中克彦氏の一連の著作、イ・ヨンスク氏の『「国語」という思想』や、安田氏自身の研究は、すべてさういふ視点で書かれてゐる。ここで、安田氏が「ただし書き」をしようとしまいと、これまでの研究がその色に國語學を染めようとしてきた事實は消えない。
  さうであれば、國語の傳統を保守するとしても、その政治性をも含んで保守するのかどうかといふことは、歴史的假名遣ひを主張する保守派は答へなければならない。
  端的に言へば、方言を弱體化させ、植民地において日本語教育をしてきた歴史を、歴史的假名遣ひは背負つてゐるといふ事實である。スペイン語やポルトガル語、あるいは英語やフランス語が背負つた歴史を考へてみれば、それらはあまりにナイーブな議論なのかもしれないが、個人的にはこのことについて考へておく必要性を感じるのである。
  アフリカでフランス語が、インドで英語が、南米でスペイン語やポルトガル語が話されることを思へば、日本語教育など大した問題ではないとも言へる。しかし、「歴史的」と名附ける假名遣ひが、その歴史性を「大した問題ではない」といふ時には、假名遣ひの歴史性も「大した問題ではない」と言はれても論理的に反論することは難しいといふことになる。したがつて、「歴史的」と名附ける假名遣ひを使ふことは、そもそも大きなジレンマを抱へてゐるといふことなのである。

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安田氏の新著を讀む――その3

2007年01月21日 13時51分14秒 | 福田恆存

 そこで、まづはこの著者が、「國語」をどう捉へてゐるかを見ていくことにする。

「実務的に国家の諸制度を担うと同時に、同じことばを昔からともに話しつづけてきた、という点での国民統合を象徴する役割も担ってはじめて『国語』が完成する。
 このことは、空間的均質性だけではなく時間的同一性をも再構成してはじめて――つまりその時空間を現在に軸足を置いて整理することではじめて――国民国家が誕生するということと相似している。
 このように国民国家の制度を担うという人為的な機能と同時に、『歴史』『伝統』『文化』『民族性』という精神的な要素が盛り込まれたものを、本書では『国語』ととらえる。」(五一頁)

 また、かうも書いてゐる。

「近年の研究では、国語学の国家主義的な、政治的な側面が強調されている。たしかに国民国家形成と『国語』の確立とは密接不可分な関係にあり、そこに学問としての国語学が関与したことは否定できない。ただ、上田万年が一九世紀末に国語愛を強調して国民国家日本への無私の愛を説き、『国語』をつくりあげることに尽力した一方で、まっとうな学問・科学として国語学を定着させようと努力していたことも強調してよい。」(七九、八〇頁)

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言葉の救はれ――宿命の國語130

2007年01月20日 08時50分39秒 | 福田恆存

前囘見た石川九楊氏の發言中、「政治文字が決定づけた」といふのは、それが古代ならばさうだとも言へよう。つまり、「秦始皇帝が統一し、制定した篆書体という政治文字」なら、文字が「文明、文化」を「決定づけた」とは、言へるだらう。しかし、その當時の關係が(始皇帝による支配が)今もつづいてゐるといふ發想には、度を越えた飛躍がある。もちろん、氏は東洋の言葉は、書字中心言語で、書くことにその本質があるとし、それにたいして西洋の言語は、聲中心言語で、話すことにその本質があるという性質が「決定づけられた」と言ひたいのであらう。しかし、その結論を出すには、より精緻な分析が必要である。
 文字といふものに過大な評價を與へてゐるからである。明らかに中國語の文法と日本語の文法とは違つてゐるではないか。文法とは、書き言葉によつて生まれたものではなく、文字が生まれる以前の話し言葉の中にすでにあつたものである。
 たとへば、現代中國語の「我是學生」と日本語の「我は學生です」とは、「我」や「學生」といふ言葉は同じであり、「我」「學生」といふ単語の順序は同じで、日本語は中國語の壓倒的な影響力の下にあると言へなくもない。が、「我は學生である」「我は學生ではない」、あるいは同じやうに「この花は美しい」「この花は美しくない」、「問題を考へる」「問題を考へない」など、日本語の文意の決定は文末でなされるといふ常識を思ひ出せば(中國語は英語と同じで、動詞の前に否定語をつける)、中國語とはまつたく隔絶したところにある言語であるといふことになるではないか。壓倒的な影響力は、漢字の文字においてはあつても、文の構成においてあるとは到底言へない。
 また、石川氏は、アジアといふ言葉で一括りして論じる癖があるが、それも中國語を重視するゆゑの誤謬である。アジアといふ地域は、一括りできるものではない。次の文をお讀みいただきたい。

「何よりも明白なのは、日本人の生活と支那人のそれとがすべての點に於いて違つてゐる、といふことである。家族制度も社會組織も政治形態も又は風俗も習慣も、日本人と支那人とに共通なものは殆ど無いといつてよい。道徳や趣味や又は生活の氣分といふやうなものが全く違つてゐることは、いふまでもなからう。日本人と支那人との間に意志の疏通を缺くことが多く、互に他を知ることが困難であつて感情の疎隔が生じがちであり、國交が常に紛糾してゐるのも、その根本はこゝにある。これは民族が違ひ、生活の地盤もしくは環境としての地理的形態や風土が違ひ、さうしてまた全く違つた別々の歴史を有つてゐるからのことである。民族の違ふことは言語が全く違つてゐる一事から見ても明白であつて、それはむしろ人種の違ひといふべきである。」
                                           津田左右吉『支那思想と日本』一五二頁

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