言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語295

2008年09月27日 07時02分25秒 | 福田恆存

(承前)295

 近年の流行思想に、ポストコロニアリズムといふものがある。植民地主義のすさまじい暴力にさらされてきた人人の視点から西歐近代の歴史をとらへ直し、現在に及ぶその影響について批判的に考察する思想といふのがその定義らしい。平たく言へば、近代化を、それを強いられた側から檢討するといふ思想である。「その後の植民地主義」とは、今もなほ植民地主義は續いてゐるといふ含みであるし、それぞれの文化を認めよといふ意味で文化相對主義の異名でもある。しかし、私には、結局のところ、それもまた西洋への度し難いコムプレックスとしか映らない。それは、その思想を言ひ出したのが、アメリカの批評家エドワード・サイードであつたといふ出自が問題だからではない。例へば歴史的假名遣ひを尊重せよといふことを、どうして他國の思想を用ゐずに言へないのか。保守の立場から、傳統の立場から、自國の文化を守れといふのではなく、「ポストコロニアリズム」などといふ樣樣なる意匠を再び借りてしか、自國の傳統を守れないといふ心根に不審を抱いてゐるからにほかならない。

また、かういふ學者たちもゐる。現代思想を專門にする學者たちは、あれほどに自國の言葉に固執し、他國の言語を内心蔑視してゐるフランスの思想を學びながら、どうして日本語の傳統である歴史的假名遣ひに差別的でありうるのであらうか。傳統を保守する國の言葉で書かれた思想なのに、それに心醉してゐる學者たちが傳統を保守しようとしないのはなぜなのか。笑ひ話のやうであるが、論語讀みの論語知らずは今も現代思想の分野にはたくさんゐる。デリダといふ思想家はあの頑なフランス語で音聲中心主義批判を書き主張してゐた。それなのに、彼らは歴史的假名遣ひは主張しない。デリダの飜譯を歴史的假名遣ひでするぐらゐの餘裕が欲しい。それが學問の誠實といふものであらう。

閑話休題。私たちは、近代のいい文章を讀ませると共に、その思想にたいしても全面的に反駁してゆく必要がある。

「どうでもよい」といふ思想と、自國蔑視の思想を共に克服できる思想と言語生活とを提示することが求められるのである。

  ちなみに『「国語」という思想』についての率直の感想を言へば、決して讀みやすい本ではなかつた。明治以降の「國語學」「言語學」の流れを、著者「獨特」の視點で概觀したもので、次から次へと説明は移り、網羅的でカタログの域を出てゐないところもある。それでも社會言語學が專門であるだけに、言語政策についての記述は周到で、日本近代の「國語」は、思想として語らなければならないほど異常なものであつたといふことがよくよく傳はつて來た。

一般に母語と言はれるやうな、母親が使つてゐた言葉を子供が使ふ當り前の言葉ならば、あへて「思想」と言ふ必要はない。それが「思想」として語られなければならないところに、厄介な事情があつた、さういふことである。

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戦争と平和と

2008年09月24日 08時11分43秒 | 日記・エッセイ・コラム

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先日、修学旅行の事前学習の一環で「戦争と平和とを考へる」といふテーマで五分ほど話をすることになつた。私の勤める学校は、高校二年生で沖縄に行くことにしてゐる。三泊四日で、観光をしつつ「平和教育」を兼ねるのがこれまでのかたちであつた。私は赴任して五年目なので、本校の修学旅行は初めてである。したがつて従来の指導のしかたについてはつまびらかではない。ただ、いはゆる「平和教育」といふことには抵抗があつた。平和といふ言葉が「戦争のない状態」といふ意味しか持たないとしたら、それでは平和を守ることはできないと思ふし、その程度の認識で「教育」はできないと考へるからである。したがつて、何らかの「理念」を持つべきだが、それを果たして自分にできるかどうかも心もとない。ただ、『北村透谷《批評の誕生》』(共著・平成十八年、至文堂)に載せた「絶対平和の端緒」には、少しくそのことを述べた。いま一言で要約すれば、平和を言ふなら「平和のためには戦争も辞さず」といふ覚悟が必要であり、その覚悟を持つためには「正しい愛のあり方」を示すべきだといふことになる。今回の事前学習は期せずしてそのことを具体的に示すかたちとなつた。

同僚が探してきてくれたDVDを生徒に見せる前の話である。『悲しいほど海は青く~沖縄戦最後の県知事 島田叡~』といふものであるが、これがじつにすばらしい作品で、島田叡の生き方には誰もが感動する。しかし、それを同情や畏敬といふものだけにとどめるのではなく、私たちの生き方につながるものにしたかつた。さうすることが「正しい愛のあり方」につながると考へたのである。

 私は、言葉の問題から話し始めた。以下は、そのときの原稿である。

国語の教師ですから、言葉の問題から今日のテーマについて考えてみようと思ひます。言葉づかひの問題が結構大事であるといふことに気づいてもらへればと思ひます。

 それは、「犠牲」といふ言葉です。今、台風が近づいてゐますが、NHKのニュースでも「台風の犠牲者が」といふ言葉を使つてゐます。しかし、それは正しい言葉づかひではありません。「犠牲」は「牛編」になつてゐるやうに、天への供へ物であるといふことが背景にあります。手元の辞書によれば「大きな目的のために大切なものを投げうつて尽くすこと」とありました。しかし、台風の犠牲者や交通事故の犠牲者は何の目的のために命を投げうつたのでせうか。家族に生命保険を遺すためといふのは冗談だとしても、それは言葉の本来の意味からすれば、「被害者」あるいは「被害による死者」といふのが適切でせう。

「犠牲者」   「被害者」

(これらを大書した紙を二枚、生徒に示した)

では、戦争によつて命を失つた人は、どちらでせうか。もちろん、犠牲者です。だからこそ、私たちは修学旅行で訪ねて行くのです。列車脱線事故で多くの被害者を出した場所や、飛行機事故で多くの人が亡くなつた場所に、遺族や友人でなければ私たちは行きません。そこには行かずになぜ沖縄に行くのでせうか。それは、そこが「犠牲」の場所だからです。

 では彼らは何の目的のために犠牲になつたのでせうか――ここが問題です。考へてください。それは、国を守り人々の命を守るためです。先年、硫黄島での激戦を題材にした映画や本が話題になりました。その司令官として戦つた栗林中将の言葉に私は引きつけられました。それは「本土にゐる子どもたちを一分一秒でも生きながらへさせたい」といふ言葉でした。硫黄島で栗林中将率ゐる守備隊は、死闘を繰り広げたのです。もちろん、眼の前の敵に負けないやうに戦つたのですが、そのことはそのまま本土にゐた私たちの先祖を守るための戦ひでもあつたのです。本土決戦を一日でも遅らせようとの思ひが彼らを戦闘に向かはせたのです。平和を唱へるだけで平和は訪れるはずはありません。修学旅行の最終日に君たちが訪ねる「ひめゆりの塔」のすぐ横に「ひめゆり記念館」があります。私は昨年末そこを訪ねました。生存者のビデオを三〇分ほど見てゐましたが、傷ついた兵士の看護をしてゐた当時の女子高生たちもまた懸命にほんたうに懸命に闘つてゐるのでした。そして、このあとのDVDに出てくる当時の島田叡(しまだ・あきら)知事もさうでした。家族の反対を押し切つて、私たちのために闘ひ、犠牲となつたのです。

さて、さうであれば、私たちが彼女らを含んだ沖縄の先人に接するときの心情としてどのやうにすればよいのでせうか。今日の話の結論です。私たちのために言葉の真の意味で犠牲になつた人々にどう接すればよいのか、です。考へてみてください。私は、鎮魂の祈りを捧げ、慰霊に尽くす態度こそ相応しいものであると考へます。言ひ換へれば、感謝です。単に被害にあつた人への同情や憐れみではなく、犠牲者への鎮魂と慰霊です。

 犠牲といふ言葉、鎮魂や慰霊といふ言葉を念頭におきつつ、見てもらひたいと思ひます。

話は、この通りはできなかつた。自身の話題にふれてしまつたり、筋をとばしてしまつたりすることもあつた。興奮や緊張のせいであり、お粗末なことである。「自身の話題」とは、私の父の従兄弟が鹿児島の知覧から特攻隊の一員として飛び立ち、亡くなつてゐることで、これは言ふ必要もなかつた。「筋をとばした」のは、慰霊の態度についての話である。犠牲者といふことを強調するあまり、慰霊や鎮魂といふことをあまり強調しなかつたやうに感じてゐる。

「大きな目的のために大切なものを投げうつて尽くすこと」こそ、「正しい愛のあり方」である。ところで、私たちの生命は、「生まれる」ものであつて、自分の意志ではない。といふことは、「生」そのものは受け身であり、与へられたものである。私たちは何かによつて生まれたのである。父母の愛であるか、あるいはもつと根源的なものであるかは別として、その愛に報いることこそ私たちの生の意味である。人権といふことが言へるとすれば、その姿勢がある場合においてのみである。そのことを問はないで、無条件に与へられるものであるとするならば、同じやうに無条件に奪はれてもしかたあるまい。義務なき権利は権力者のおこぼれにすぎないからである。

 平和といふものも同じである。何らのコストを払はずに無条件に与へられるものであるとすれば、それは奪はれても文句は言へまい。八月十五日「終戦」を決めた日の直後にソ連は北方領土に侵攻した。それを見れば分からう。

 平和の理念とは何か――「恩に報いる」といふことである。今の私はさう考へてゐる。

 「恩に報いる」とは分かりにくいが、いつかまた稿を改めて書ければと思ふ。

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言葉の救はれ――宿命の國語294

2008年09月22日 18時01分55秒 | 福田恆存

(承前)

明治の文學を讀むことによつて、私たちの意識の内に母語への、あるいは母國への誇りが芽生えてくるはずである。私は今、唐突に「誇り」などといふことを書いたが、それは、私たち日本人が、自分の母語にたいして、どうやらかなりの引け目を感じてゐるやうだからである。

私は、平成十六年の夏に、歴史的假名遣ひ論者からは評判の惡いイ・ヨンスク女史の『「国語」の思想』を讀んだ。ずゐぶん前に手に入れてはゐたものの、食はず嫌ひで讀むのはやめてゐたが、國語問題協議會發行の『國語國字』に書評を書くことになつて初めて讀んでみた。同じやうな論者に安田敏朗氏といふ學者がゐて、『植民地のなかの国語学』や『帝国日本の言語編制』など大部の學術書を書いてゐるが、それと同じくポストコロニアリズムによる著述で、善意の衣を著た惡意のいや憎惡の國語論かと思つたが、意外にもさうでもなく至極穩當な國語論であつた。

筆者のイ女史は、社會言語學の田中克彦氏の門下である。韓國出身の「國語」學者ならではの植民地經營下での「國語」論には讀むべきものがあつた。もちろん瑕疵を認めざるを得ないところもある。たとへば、時枝誠記への批評は全く不當である。詳しくはここでは觸れられないが、時枝の言語論を「保守派」と一括りして片附ける(あるいは片附けたつもりでゐる)のは、あまりに圖式的であり、研究者の理解といふよりジャーナリストの紋切型のリード文である。

さて、そのイ女史の著作が間接的に示したやうに、私たちの近代(近代人や近代社會)は、西洋への憧れの強さに比例する、自國の文化への蔑視感情を相當にもつてゐたやうだ。逆説めくが、植民地下における日本同化政策は、その西歐に適應した日本を眞似することなくしては、植民化した國を守り、アジアを守ることは出來ないのだぞといふ無言の威壓と愛情(かなり愼重に使はなければならないことばであるが)の表はれである。ずゐぶんと複雜な心理があるやうだが、歐米化への適應異常が、非歐米諸國(日本の舊植民地)に對する高壓的な態度に表はれたといふのは、敵國の軍門に下つた敗殘兵が捕虜になつて後から著た友軍の兵士にたいして居丈高に振る舞ふ姿と酷似してゐよう。その根柢にはコムプレックスといふ嫌な心理が働いてゐる。

そして、今日、どうして私たちの社會では歴史的假名遣ひを使はなくなつたのかといふことの背景にも、「どうでもいい」といふ氣分と共に、西歐への度し難い差、言つてよければ畏れを感じてゐるといふことがあるのではないか。小學生での英語必修化や英語第二公用語論などといふことが言はれ、今もまだ止まないのを見ると、またぞろ拜外思想かと言ひたくなる。

ポストコロニアリズムといふ思想を、なぜ今日の「歴史的假名遣ひ反對論者」は、言ひ出したのか。それは、そのコムプレックスを蔽ひ隱すためである。今もなほ、西歐への度し難い憧れを抱いてゐるのである。今の時代、さういふことはまさかないであらう、と御思ひになる讀者も多からうと思ふが、さにあらずここそこにゐる。

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時事評論 石川 最新号

2008年09月21日 10時11分56秒 | 告知

○最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。編輯長は、長く「月曜評論」の編輯長を務めてをられた中澤さんです。「諸君!」「正論」では取上げられない話題と、鋭い視點を毎號讀者に提示する得難い新聞です。1部200圓、年間では2000圓です。

自民党総裁選、その先の波乱

    ――総裁選と総選挙は連動するか?――

                  拓殖大学教授 遠藤浩一

メ日韓の保守が連携すべき理由

  ロウソクデモは、北の核は、中国軍の存在は、歴史認識は・・・・・・

                   評論家  潮 匡人

奔流            

福田政治が問われたもの

  ―保守層の離反を招いた理由―    ジャーナリスト 花岡宣昭

コラム

        「上げ潮派対財政再建派」の虚構  (菊)

        『社論確立』の錯覚 (柴田裕三)

          大野晋の逝去を悼む(前田嘉則)

        処罰と人事の三大噺(蝶)            

  問ひ合せ

電話076-264-1119    ファックス  076-231-7009

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言葉の救はれ――宿命の國語293

2008年09月16日 15時38分55秒 | 福田恆存

(承前)293

 前囘引用した「文學者の文學的責任」の別のところで福田恆存は、「人間はなにものかに協力しなければ――自己以外のもの、自己より大いなるものにつながらなければ――生きていけるものではない」と書き、永井荷風が戰時體制にたいして「つねに頑強な非協力者でありましたが、じつは日本の文章の傳統といふものに協力してゐるのであります。かれは傳統にささへられてゐる。よかれあしかれ、文學者の最後の據りどころはそこにあります」と書いた。つまり、國家といふ相對的な存在には從はないことも可能であるが、何らかの絶對的な存在なくしては誰も生きることはできないのである。

 さうしてかういふ考へ方は、福田恆存の人間觀そのものであつて、『人間・この劇的なるもの』にはかうあつた。

「私たちが眞に求めてゐるものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起つてゐるといふことだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさなければならぬことをしてゐるといふ實感だ。」

「私たちが個人の全體性を恢復する唯一の道は、自分が部分にすぎぬことを覺悟し、意識的に部分としての自己を味はひつくすこと、その味はひの過程において、全體感が象徴的に甦る。」

「信じるにたる自己とは、なにかに支へられた自己である。私たちは、そのなにものかを信じてゐるからこそ、それに支へられた自己を信じるのだ。」

「私たちは、自分を滅ぼすものを信頼することによつてしか生きられない。」

「個人が個人の手で生きかたを探求すれば、それはただ全體的な生きかたへの叛逆に終るだけのことだ。」

 私たちが、歴史的假名遣ひを再び蘇らせるためには、先に述べたやうに現代の危機といふことへの自覺と、自己を越えたものへの畏敬の念を持つことが必要である。

 では具體的にはどうすれば良いのか(これが私の今最も關心のあるところである。この長い連載を書いてきて、理屈を越えて訴へたいことである)。

 答へは簡單だ。歴史的假名遣ひで書かれた文章を讀むこと。これ以外に方法はない。何だそんなことかと言ひ給ふな。その道がどれほど尊いものであるかを多くの人は知らない。そして、その道だけが、私たち日本に生まれ、生き、育ち、死んでゆく者の通るべき道であることをほとんどの人は知らない。平たく言へば、漱石や露伴を原文で讀む人が今どれぐらゐゐるだらうか。私にはさういふ人物の顏がすぐには思ひ浮ばない。

歴史的假名遣ひの復活といふことを叫び、その正統性を訴へるだけでは、解決が不可能なところにまで、状況が來てしまつた。出版社にも新聞社にも歴史的假名遣ひの校正をきちんとできる人材はもはやゐないだらうし、といふことは歴史的假名遣ひの本が出版されにくいといふ事態になつたといふことである。負の再生産が進められてゐるといふことである。

となれば、「いい文章」や「人間の未來について」「大切な」文學を生活に取り戻すことなしには、近代のやり直しどころか、「戰後の文化の荒廢」は防げないのである。

 なるほど『私の國語教室』では、假名遣ひの習得法が示されたが、それと共に必要なのは、まづ明治の文學を、それも第一級の文學を原文で讀むといふことなのである。

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