言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『2020年6月30日にまたここで会おう』は実現しなかつた。瀧本哲史著作群を読む

2020年06月28日 21時06分05秒 | 本と雑誌

 昨年の8月10日にこの著者は47歳の若さで亡くなつた。それを知つたのは少し経つてからだと思ふが、この著者の存在が気になり本は買つてゐた。本は大分前に買つてゐたが読んでゐなかつた。読んでゐれば、きつと何かを書いてゐたと思ふ。

 

 

 最初に手にした本は、『君に友だちはいらない』だ。購入日を書く習慣があるので、それを見ると2013年12月8日とある。発行日がその年の11月15日となつてゐるので、割合早い時期に買つてゐることになる。しかし、読んだのは今年の6月。つい先日だ。そして、今4冊読み終はつた。正直に言へば、どの本も同じやうなことが書かれてゐる。エンジェル投資家と自称するこの著者は、絶えず若者を激励する。そして、その激励は応援歌を謳ひ上げるのではなく、具体的な武器を与へるスタイルである。それは交渉術であつたり、戦術であつたり、教養の重要性だつたりと言葉の武器だ。何度も何度も学生たちを前に語つてゐた。京都大学や東京大学で教鞭を取り、学生からは絶大な支持があつたやうだ。それはさうだらう。その文章からも熱い励ましが感じられるからである。

 

 

 

 表題に掲げた本は、2012年に東京大学での講義を活字化したものである。2020年ごろには日本の将来はある程度見えてゐるだらうから、8年後の同じ日(6月30日の火曜日)に会ひませうといふ言葉で終はつてゐる。講義の最後のスライドには「Do Your Homework」と書かれてゐたといふ。つまり、今後8年間各自の課題を果たして再会しようといふことのやうだ。

 その日が明後日に迫つた。ご本人はまつたく予想もしてゐなかつただらうが、もう彼はゐない。しかし、きつと東京大学にはその時の受講生が集まるのだらう。そして、彼からもらつた武器を使つて得た戦利品の報告をし合ふに違ひない。

 まれに見る扇動家であり、伝道師であり、事業家である。麻布中学出身であるといふのがなるほどと思つてしまふが、やはり自由な気風の中でしかかういふ人物は現れて来ないのだらう。いやいやかういふ人物だから麻布を選んだのかもしれない。それほどに革命家の養分がそこには蓄積されてゐるのだらう。

 彼の言葉で知つたのは、時代の変革は世代交代でしか起きないといふ峻厳なる事実である。ガリレオの地動説も彼の時代には受け入れられなかつた。カトリック教会が反対しただけではなく、天動説を信じてゐた人たちが生きてゐる間には、「真実」は真実にはならなかつたからである。

 武器が社会を変へるには、はやり時間がかかるといふことなのだ。瀧本氏の死はあまりにも早すぎるが、まさか自らの死を以て世代交代を早めようとしたなどとは思ふまい。あまりに惜しい早逝である。合掌。

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時事評論 2020年6月号

2020年06月19日 10時44分44秒 | 告知

 6月号の紹介です。

 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
                     ●    
習近平独裁体制打破あるのみ

 文明対ファシズムの闘いが雌雄を決するとき

     福井県立大学教授 島田洋一

            ●
あまりに喜劇的な光景
     宮崎大学准教授 吉田好克
            ●
教育隨想  再論・自由社教科書「一発不合格」問題(勝)

             ●

元慰安婦の告発

 韓国、正義連をめぐる騒動勃発

     韓国問題研究家 荒木信子

            ●

「この世が舞台」
 『コリオレイナス』 シェイクスピア
        早稲田大学元教授 留守晴夫
 
            ●
コラム
  反日は共産主義者のせいなのか?(紫)

  人材を捨てる覚悟(石壁)

  危機を遠ざけてゐるだけでは(星)

  『正論』よ、お前もか!(白刃)
           

  ● 問ひ合せ 電話076-264-1119  ファックス 076-231-7009

   北国銀行金沢市役所普235247

   発行所 北潮社

 

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明治90年の福田恆存

2020年06月08日 22時03分24秒 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は一日本の整理。床にも広がる本の山をなんとかしようと悪戦苦闘。朝8時から夜7時まで何とか片づけたのが段ボール箱ひと箱。埒が明かない。自由論などバーリンの著作群や、日帝時代の国語政策についての書籍数冊、中島義道の本もエイヤーで箱に入れた。そこにできた隙間に床にあつた本を差し込んだが、まだ余る。古本屋に持つていくまで一カ月ほどあるから、迷ひが出てくる可能性もある。

 本は次々に増えていく。今日も注文した本が5冊届いた。溜息をつきながらも注文リストは増えていく。

 そんな中、福田恆存と亀井勝一郎、そして和歌森太郎の鼎談を見つけてしまつた。和歌森と言へば私には左翼歴史家といふ印象だが、この三人が鼎談をするといふのは驚きだ。タイトルが「明治九十年」。昭和三十二年の『文藝春秋』に載つたもので、その時点で近代を振り返るといふ趣向のやうだ。それでつい読んでしまつた。以前も読んだ形跡があるから、記憶の喪失にまた驚いた。福田の発言はそれほど多くないが、面白いコメントもあつたので、それを拾つてみる。

「明治の風俗というものは関東大震災で、ぜんぶ御破算になつたという感じがするのですがね。政治ばかりでなく、すべてですね。情緒にしてもだ。」

「(明治九十年の日本を振り返れば)やはり指導理念がないということだね。(キリスト教と共産主義とは)両方ともたいしたことはなかつたね」

「(明治から今日と比べて新劇は)よくなつていると思う。あと五十年経てばいいだろうと思うのですね。」

 最後の新劇についてのコメントは、今福田が生きてゐたら、その予想は当たつたと言へるだらうか。まさにその日から50年後が今現在である。若手の人気俳優を主役に抜擢して照明や音響や奇抜な大道具で「見せる」芝居は客を集めてゐるが、脚本を磨いて「聴かせる」芝居が都会に行けばいつでもやつてゐるといふ状況ではないだらう。私は詳しくは分からないので、詳しい方があれば教へてもらひたい。

 さて、この鼎談は坪内祐三が編集した『文藝春秋 八十年傑作選』といふ書籍である。その巻末には編者の言葉が載つてゐる。自分の好みで選んだものなので、内容に片寄りがあるのは承知してゐると述べた最後に、「ではまた次は百周年の時に再会を期して。よろしく」とあつた。これが編まれたのは平成15年だから、百周年は平成35年である。今年は平成32年。あと三年後には実現してゐるのかもしれないが、すでに坪内はゐない。あとがきを読みながら、時間といふものを感じ心が少し軋むやうだつた。

 

 

 

 

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今更ながら『七人の侍』を鑑賞

2020年06月05日 21時41分52秒 | 映画

 『七人の侍』を観た。久しぶりのお休みで、前々から観たいと思つてゐたこの映画を観ることができた。じつは、これまでにも二回ほど観る機会があつたが、三時間超の大作にしり込みして最初の侍を勧誘するところで二回とも挫折してゐた。

 しかし、今日は意を決して観ることにしてゐたから迷ふことなく最後まで観た。

 感想は、いつか書けたら書かうと思ふが、今は志村喬の演技に打ちのめされてそれ以上のものはない。三船敏郎はがなり声が聞き取れなくて途中から字幕にして観たが、演技としてはこれでいいのだらうか。飄飄とした人物像はよく伝はつてきたのだが。

 いい映画である。志村のやうな役者はゐない。加東大介もゐない。これではいい映画はできないのかもしれない。

 

 

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