言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

吉田好克先生の新著出来『続・言問ふ葦』

2021年03月29日 12時49分50秒 | 評論・評伝

 

 

「時事評論石川」の常連執筆者であり、今月まで宮崎大学の准教授をされてゐた吉田先生の新著が出た。前著の『言問ふ葦』に載せられなかつたものや、それ以後のものをまとめられたもので、その舌鋒は相変はらず鋭い。

 まづ取り上げられたのが、戦後の占領政策WGIP(戦争犯罪刷り込み政策)である。戦争の責任を一方的に日本人に着せ、その世界観を日本人に植ゑ付けるあらゆる分野の計画である。もちろん、日本国憲法制定はその端緒であるから、吉田先生もその成立過程やそこに込められた誤つた認識について徹底的に批判する。そのことについては文章に書かれただけでなく宮崎県内で30回以上講演をされたともいふ。素直な県民性だから、真実を聞けばなるほどと理解をしてくれる。まさに、教育が反日本人をつくり、教育がそれを正常化する。教育の力を見せつける逸話でもある。

 ところどころに彼我の賢人の言葉が差し込まれる。フランス文学が御専門の吉田先生だけに、特にパスカルの言葉が箴言のやうに響いてきた。また、私にも馴染みのある福田恆存や松原正の言葉も何度となく引用されるが、なるほどそんなことを書いてゐたなだとか、さういふことを意味してゐたのかといふ感慨があつて、吉田先生の読みの深さに圧倒された。

 また、発表時の文章にはすべて「付記」が寄せられてをり、中には「付記の付記」」さらには「付記の付記の付記」まであつて、現在の心境やらその時の背景やら、後日談やらが書かれてゐて面白い。

 かういふ先生の授業が面白くないはずはなく、宮崎大学には残念に思ふ学生も多いだらう。そして何より県民はかういふオピニオンリーダーが県を代表する国立大学から去つてしまふことを残念に思ふに違ひない。地元紙「宮崎日日新聞」は、地元情報には溢れてゐるが、どう見ても左向きであり、体制批判をすることがジャーナリズムだと考へる旧態依然のジャーナリズム観で凝り固まつてゐる。そんな中で吉田先生の発言がとても貴重であつた。元県民であり、家内の家が今でもそこにあり、そして何より天孫降臨の地である宮崎にあつて吉田先生の存在は貴重であると私は思つてゐる。

 これからもコラムは書かれるだらうから、時に県民の正論を支へてくれるだらうが、今後は全国的な発言から県民への刺戟をし続けてもらひたい。

 お疲れさまでした。そして、ありがたうございました。

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時事評論石川 2021年3月号

2021年03月24日 09時31分32秒 | 告知

今号の紹介です。

 2面の小滝秀氏の中国分析が面白い。今、起きてゐること、そして今後起きること、1949年の中共誕生から70年間が的確に示されてゐる。特にウィグル民族へのジェノサイドには注意が必要だ。また毛沢東はそもそも地方独立論を掲げてゐたといふ指摘も初耳で、浅学非才を知らされた。

 3面の留守先生の名作紹介は、いつもながら読ませる。今回はエリオットの『寺院の殺人』。「生きながら死んでゐる」あるいは「うつろに生きてゐる」私たちには、キリスト教の神を信じる人々の「己が宿命を全うせんとする鞏固な決意を抱き」得ぬのかといふ留守先生の問ひは、異教の地である私たちへの深い問ひかけであるが、その問ひの声さへ届かないであらう。それほどに「うつろ」なのである。

 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
                     ●   

韓国ははやり中国についていくのか

  韓国問題研究家  荒木信子

            ●

コラム 北潮   (森鴎外の16歳の時の文章が見つかつたさうだ。)

            ●
習中国による少数民族同化、消滅政策

  作家 小滝秀 
            ●
教育隨想  歪んだ「公教育」、歪んだ「公共放送」(勝)

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森氏辞任の検証「空気」支配の言論空間に危機感を

  ジャーナリスト 伊藤達美

            ●

「この世が舞台」
 『寺院の殺人』T・S・エリオット
        早稲田大学元教授 留守晴夫
 
            ●
コラム
  映画「めぐみへの誓い」を観て(紫)

  ”傍論”が生む“暴論”(石壁)

  苦痛は苦痛を和らげるためにある(星)

  女の敵は女(梓弓)
           

  ● 問ひ合せ     電   話 076-264-1119 

                               ファックス   076-231-7009

   北国銀行金沢市役所普235247

   発行所 北潮社

 

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「空母いぶき」を観る

2021年03月14日 19時41分04秒 | 映画

 

 

 PRIME VIDEOでの視聴。ふと見ると無料で観られるやうになつてゐた。映画館で見ようと思つてゐたが、いつの間にか終はつてゐたので、いつか見よう思つてゐた映画だ。今日は久しぶりの休日で、電車で街に出かけて昼を外食で済まし、そのまま買物をしてきて、ゆつたりとした気分で帰宅して夕方から見始めた。

 架空の共和国から我が邦の島が占拠されるところから話は始まる。偵察に行つた戦闘機は撃墜。2名の死者が出る。しかし、政府は動かない。防衛出動を出す事態とは認定しないのである。ただし、国民には知らされぬまま自衛隊は出動し、空母いぶきを中心とした防衛艦隊が島に急行する。そのうちに敵国からの攻撃が始まる。敵にも死者が出る。が、一気に敵を倒すことはしない。攻撃は、戦闘艦を轟沈させることよりも戦力を封じ込めるものに限られる。なぜか。「我が国は二度と戦争をしないことを誓つた」からだ。佐藤浩市演じる総理大臣は、極めて優柔不断でよく言へば内省的な振る舞ひであるが、その台詞だけは語気を強めて発せられた。監督の思想がそれを求めたのだらうが、専守防衛に徹するといふことは、なるほどこのやうに自制的であるといふことなのかと、リアルに感じられた。

 いろいろと戦闘シーンが続くが、最後は安保理の常任理事国である五か国の潜水艦が国連軍の旗を掲げて、両軍の制止に入る。そして、戦争に至らず平和が保たれた。

 かういふ映画が人々に求められ、そして作られたといふことの意味は何か。

 私たちの現在は、これほどに戦争への忌避が強いといふことであらう。相手を中国ではなく、架空の共和国にしたのはなぜか。それは中国にしてしまへば、その最後のシーンを描くことはできないし、人々も空想に浸つて平和を感じることができなくなるからである。思考停止を続けるためには、相手が架空の共和国でなければならないのである。

 となれば、この時代にこの映画が作られた意味は、さらに深いところにある。それは私たちの戦争への強い忌避を示すには、思考停止が必要であるといふことである。戦争をしないといふ決意は、もはや架空の世界でしか成り立たないといふことをじつは示してしまつたのである。

 それはきつと監督も意識できなかつたことであらう。平和主義に貫かれた、現実的な日本人の戦闘行為の経緯を示したのであるが、その最初のところで架空の共和国を設定したといふところですでに、その崇高な理想は破綻を来たしてゐたのである。

 残念な映画であるが、逆にそれは日本の平和主義者の能天気ぶりを示してゐて有為でもあつた。

 痛快ではないが、時間の無駄ではなかつた。

 

 作者 かわぐちかいじ   監督 若松節朗

 原作では敵国は中国となつてをり、尖閣諸島への侵攻が端緒となつてゐる。それを架空の国にし、物語を平和主義に染め上げたのは監督の思想である。

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