言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

久しぶりの『文學界』

2011年08月24日 20時57分53秒 | 日記・エッセイ・コラム

  『文學界』を久しぶりに買つた。新聞には毎月七日だつたか、一齊に書籍廣告欄に文藝雜誌の廣告が出る。面白さうだなと思ふときもしばしばあるが、いさ書店に行つて立ち讀みすると、あまり讀みたいといふ思ひにならず、そつと書棚に戻すといふことが多い。

  だから、今囘もさうだらうと思つたが、表紙には載つてゐない小谷野敦の小説「グンはバスでウプサラへ行く」を讀んだら面白くて買つてしまつた。四方田犬彦の「先生と私」のやうな感じと言へば、いいだらうか。學生間の話題だから、「友達と私」といふ方がいいかもしれないが、いづれも東京大學とはどういふところかといふところが感じられて勉強になつた(?)

  それから、短いエッセイの諏訪哲史「どうすれば小説が書けるのですか?」も面白かつた。この小説家がこんなにも讀書家だつたとはと驚いた。作品からはまつたく感じられない印象である。河野多惠子と吉田修一との對談も收穫である。吉田の低姿勢が少少鼻につくが、それはこちらがゲスな人種だからかもしれない。興味深い言葉のやりとりがとても深い味はひを持たせてくれた。それから傑作なのが、池澤夏樹の「ぼくの芥川賞採點表」。この度銓衡委員をやめた池澤が、自分の意見が銓衡委員のメインストリームになつてきたから辭めることにしたといふのは、笑止である。歸りの電車の中で讀んだのだが、思はず笑ひが出てしまつた。氏の評言は絶えずトンチンカンで、そのことはこの欄でも、芥川賞が發表されるたびに書いて來たことだ。最後までトンチンカンであつたなと分かつてをかしくなつてしまつた。

   ちなみに、氏は沖繩に住んでゐるものとばかり思つてゐたが、今は北海道にゐるといふ。へえ、これから寒くなるだらうなと少し心が動いた。

  つかこうへいの遺作「鯖街道」はまだ讀んでゐない。たぶん讀まないだらう。

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断捨離とブリコラージュ

2011年08月21日 13時57分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

 ウィキペディアによれば、

 フランスの文化人類学者のクロード・レヴィ・ストロースは、著書 『野生の思考』(1962)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降のエンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。

 「残り物で料理を作る法」と言へば、ずゐぶんその價値を貶しめてしまふかもしれないが、さういふことだらう(もちろん、殘り物も食べ物であるから、「本來の用途と關係なく」といふのとはズレがあるが)。かういふ方法からすれば、斷捨離はあまりに合理的な方法で、エンジリアニングの發想に近い。二年間使はないものは處分する。今必要のないものは捨ててしまふといふのは、極めて合理的な發想である。

  もちろん、兩者の兼合ひが實際の生活の場面では行はれてゐるはずである。「もう着ないから捨てよう」と「まだ着る機會があるかかしれない」や「これは車を拭く時に使はう」との間に私たちは生きてゐる。となれば、斷捨離を捨てる時の大義名分に、ブリコラージュを保存する時の大義名分に使ふのがよくないのである(そんな人は私だけか!)。

  本を整理したこの夏の私にとつて、  「もつたいない」の發想の方が馴染み易い。因みに先日、ブックオフから聯絡があり、持つて行つてもらつた書籍150册ほどの値段は、なんと900圓だつた。これにはびつくり。そのショックがブリコラージュといふ言葉を引き寄せたのかも知れない。

  補足

  ブックオフの値段の付方は、發行日と大衆性があるかないかで決めるものであるから、この値付けは相當なのでせう。それは百も承知で、專門古書店に持つていけば四五千圓にはなつたと思ふ。けれども、今囘はとにかく早く持つて行つてもらひたかつた。仕方あるまいよ。

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阿久悠 「コクリコ坂から」 夏目漱石 ――終戰記念日

2011年08月16日 14時40分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

   昨日は、終戰記念日。曇りがちの一日だつた。午前中に二時間。午後に二時間半、新聞の切拔きの整理に追はれた。すぐに片附くと思つてゐたが、豫想以上に手間取り、四時間半かかつて五分の四が終了。あと一袋分が殘つてしまつた。

  十二時のサイレンが鳴ると思つてゐたら、不思議なことに八月十五日の終戰特輯の記事の束が出て來た。こんなこともあるのだな、と思ひながら默祷。六十六年目の夏に祈りを捧げた。

  二〇〇二年八月一六日の「正論」に書かれた阿久悠の文章「きはめて個人的な八月十五日觀」を讀んだ。終戰時、阿久は八歳。その當時を振り返つて、かういふしを作つたことがあるといふ。

   戰爭といふ洪水のあと

   水たまりが殘つた

   水たまりのぼうふらは

   泥水の息苦しさよりも

   見上げる彼方の

   青い青い空を思つた

   戰爭といふ夜のあと

   子どもの朝が訪れた

  「そんなぼうふらに似た八歳の子どもは、今年六十五歳になつた。そして、意識の誕生日としての八月十五日を迎へた。ぼくがこの日を機に考へることは、五十七年の間で積上げて來た歴史觀や倫理ではなく、大膽に率直に八歳の時點に戻り、いくらか迂闊に輕率に始まつてしまつたスタート點の、あらためての檢證を始めることだと思つてゐる。」

  そんな阿久はもうゐない。生きてゐれば、七十四歳である。自身を戰後の第一走者と名附け、その當時の若者を第五走者と書いてゐる。その傳でいけば、今の若者は第六走者であらうか。いよいよスタート點がどこにあつたのかが分からずにゐる。もはや歩いてゐるのか、止まつてゐるのか、スタートとは何のことかも分からなくなつてゐる。今日見てきた「コクリコ坂から」はたいへんいい映畫であつたが、自分の出自を知り、古い建物を遺すといふことに登場人物達が幸福を見出して終はつてしまふものであつた。もはや「坂の上の雲」を見るでもなく、坂の上から景色を眺めてゐることしかできないといふ手詰り感をじつによく示してくれてゐた。この映畫の評判の惡さや、映畫館で子どもが眠たさうに觀てゐる姿を見ても、彼等には「スタート點」といふ發想がないことゆゑであると考へると、あつさり納得される。もはや現代の私たちには走つてゐる感覺も歩いてもゐる感覺もないのである、ましてや「第六走者」などといふやうに、バトンを受けとつた感覺はないのだらう(それにしても「コクリコ坂から」の主題歌が「上を向いて歩かう」とは何といふ皮肉か。バトンは受けとれないし、そもそも上を向いたら歩けない!  どこへ向かへばいいのか)。現状に滿足しきつてゐるのである。この映畫が面白いと思へる人は、何かこの社會のなかに大事なものがあつて、變へてはいけないものがあるといふことを感じてゐる人であらう。

   話を元に戻す。

  片付をしてゐると、漱石の『道草』について書かれた切拔きを見つけた。

  二〇〇四年六月十二日の記事である。有名な一節「世の中に片附くなんてものは殆どありあしない。一遍起こつた事は何時までも續くのさ」と題された朝日新聞編輯部の浜田奈美さんといふ方の文章である。『道草』は、漱石唯一の自傳小説だから、主人公は漱石だと思つていい。この小説の執筆にも、漱石は相等苦しんだやうで、その時の書き損じた原稿が東北大學の漱石文庫に二百枚近く保存されてゐるといふ。その寫眞が新聞には掲載されてゐるが、それを見ると、インクの飛び散つたあとが血しぶきのやうに見える。「人生は本當に片附くものではないのだらうか」と思つた浜田さんは、『道草』を愛讀する、當時の文化廳長官だつた河合隼雄氏を訪ねて行つた(この人すごいですね。當代隨一の心理學者にカウンセリングを受けに行くのですから。肩書で仕事をしてゐますね)。するとかう答へられたといふ。「そりあ、片附きつこない。ひと山越えてもその先がある。ぼくはよく相談者にさう言ひますよ」。

  漱石にも、河合隼雄にも、走者といふ意識はある。しかし、この若い新聞記者にはないのであらう。この浜田さんに、この記事を書かれてから七年が經つて、今讀まれてどう思はれるかといふことと「コクリコ坂から」を觀てゐらしたらその感想とを訊いてみたい。

   

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部分と全體――福田恆存の演劇觀・人生觀

2011年08月15日 07時54分51秒 | 福田恆存

   福田恆存の「演劇と文學」より。

   私は、最初から部分のうちに全體が含まれてゐなければ、いくら部分を集めても全體を構成しないと考へるものです。椀とその蓋とは、それぞれ部分ですが、椀はすでに蓋を豫想し、蓋は椀を豫想してゐるといふ意味で、はじめから全體の構想をそれぞれのうちにもつてゐるものです。夫と妻も同樣です。それぞれ獨立しながら、同時に他を必要とする。そのアイロニーによつて、人間の生は成りたつてゐるのです。

  私は殘念ながら、福田恆存が演出した芝居を觀たことがない。地方の住人(貧乏學生であればなほさら)にとつては當り前のことであるが、何をおいても見に行きたいと思ふほど新劇とは馴染のある存在ではなかつた。じつに殘念なことであるが、今となつてはどうしやうもない。ただ、昨年、早稻田大學の演劇資料館に保存されてゐた福田恆存が演出してゐる場面を撮影したビデオを觀たのが面白かつた。小池朝雄などの姿も若若しかつた。福田恆存が評論に書かれてゐるやうな言葉で役者に話し、それを眞劍に聽いてゐる(やうに演じてゐた?)のが清清しかつた。

   福田恆存の演出舞臺を觀たことがない私が、以上の言葉を福田恆存の實際の舞臺の印象として言ふことはできない。また、福田恆存の人生を評言する材料を持ち合せてゐないのであるから、實際にどう生きたのかは分からない。ただ、福田恆存が芝居とはどういふものであるべきかと考へ、人生とはどうあるべきかと考へたかは分かる。上の言葉は、さういふことを示してくれてゐる。このやうな觀念的な視點がなく、場當り的で思ひつきな言動が多い私たちには、これだけで十分魅力的である。

   これから、またトランクルームに片付に行く。今日は、新聞の切拔きの整理である。もうかれこれ十年分はあるだらうか。

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受驗生の夏

2011年08月14日 07時33分23秒 | 日記・エッセイ・コラム

   大學受驗を前にした高校三年生や浪人生にとつて、夏はとても厄介だ。自由な時間があればあるほど、その時間をもてあましてうまくいかないと、焦りがうまれて更にうまくいかなくなる。本が讀みたくなる、晝寢がしたくなる、別の教科がしたくなる、こんなことでいいのだらうかと考へ出してしまふ、友達は何をしてゐるだらうかと考へてしまふ、ああもう半分終つてしまつた、何もできなかつた、摸擬試驗が近づいてきた、どんどんどんどん焦りだしていく。

   もちろん、以上は誰にも經驗があること、いやはつきりと言へば自分の經驗だ。ではそれを克服出來たか、それもあつさりと言へば、出來なかつた。

   そこから私が得た教訓は、次のことである。これは受驗で得た譯ではないが、それほどに私の少年時代は賢くなかつた(今もかな)。

  惡循環にあるときは(落込んでゐるときは)、考へない。考へてもその思考は、捨てて置く。

  氣分が落込んだり、焦つたり、怒りにふるえてゐたりするやうな時の思考は、決していいものではない。それでも思考は勝手に發動してしまふものだから、それを無理やりに消さうとするのではなく(消せる人は羨ましい)、その思考はそのまま置いておくことにしてゐる。時間が過ぎ、私の身體が別のところに移動すれば、その思考はいつしか離れてゐることに氣附く。

   そもそも、夏は勉強し難いから「休み」になつてゐるんだよ、ぐらゐの圖太い神經で夏を乘り越えてほしいですね。うまくいかなければ次のチャンスを待てよ。必ず巡つて來ますから。

   ただし、朝はきつちり起きること、夜は早目に休むこと。睡眠はたつぷりととること。これらは守つてほしいですね。

   誰に向かつて書いてゐるのか分からないけれど、朝、ある本を讀んでゐて、かういふ思ひになつた。

  今年の夏も暑いね。

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