大事なことを書き忘れた。
論理は、なぜ嘘に結びつくか。結論は簡潔で、正直でないからである。そのことを書かなければならない。
嘘とは正直でないことを言ふのであるから、トートロジー(同語反復)だと思はれるかもしれないが、さうではない。正直に話さうとすれば論理はいらなくなるのである。
嘘とは自己保身が目的であり、正直は自己否定の結果である。したがつて自己否定を目的としては正直にはならない。つまり、自己否定を目的としても嘘になるといふことだ。それを自己欺瞞と言ふ。少し分かりにくいかもしれないが、自己否定を公言し他者を意識して正直を演じてしまへば自己欺瞞である。それは更なる嘘であり、悪質である。偽善である。
嘘はいけない。しかし、嘘をついてしまつたのに、それに気づかないのはもつといけない。卑怯である。
理性の私的利用をカントは否定したが、まさにそのことである。論理の正否は、誠実不実とはなんの関係もない。論理的思考力の養成などといふことを聞くと、本当に腹が立つ。そんなものはどうでもいいことだ。正直であること。そして自分がさう生きられないこと。その二つを心して生きよ。それことが大事なことである。
ちよつと道徳臭いですが。