言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

ウクライナに祈りを!

2022年02月27日 16時07分57秒 | 日記

 今、ウクライナが十字架につけられてゐる。ウクライナにあるチェルノブイリとはニガヨモギといふ意味である。

  新約聖書のでヨハネの黙示録の第8章10節にかうある。「第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのやうに燃えてゐる大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」と言ひ、水の三分の一が「苦よもぎ」のやうに苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ」

 これは原発事故の預言とも言はれるが、今の状態でもある。今まさに時代の変革期においてウクライナが苦しみに耐えてゐる。

 私たちに出来ることは祈ることであらう。それは誰にでも出来ることであるし、力を持つことである。

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時事評論石川 2022年2月号(第813/14合併号)

2022年02月22日 20時50分58秒 | 告知

今号の紹介です。

 1面の「北潮」は必読。ジョージ・オーウェルの評論選『全体主義の誘惑』についてのコラム。「中国の習近平こそ、オーウェルのいう邪悪な聖者に最も近い人物といえる」とあり、それに同意する。ただ、私は彼が果たして「邪悪」であるのかどうか、それを認めてゐる人は彼を聖者とは言はないし、「聖者」であると認める人は彼を邪悪であるとは思はないのではないかといふ疑問がある。

 現在のウクライナ情勢も含め、世界は全体主義の誘惑に負けようとしてゐるやうに見える。それは米ソの冷戦時代のやうな明確なイデオロギーの誘惑ではなく、現状への不満の解決を一気に解決してくれる人なのではないかといふ期待が広がつてゐる。綺麗に色分けできるやうな対立と緊張で世界は引き裂かれてゐるのでなく、それぞれが期待してゐるものが違ひ、もしかしたらイデオロギーや思考がまつたく違ふ人が隣にゐるといふ不安である。

 全体主義の誘惑とはさういふ時代の気分を極めて正確に描き出してゐるのではないかと思ふ。

 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
            ●   

「ポリコレ・グレタ政権」の実態 バイデン・ハリス・ケリー

  福井県立大学教授 島田洋一

            ●

コラム 北潮(ジョージ・オーウェル『全体主義の誘惑』について)

            ●

ワクチンファシズムに揺れる世界

   危機管理コンサルタント 丸谷元人

            ●

教育隨想  「佐渡金山」、「軍艦島」の二の舞にさせるな(勝)

             ●

忍び寄る全体主義の影

   元中村学園大学教授 青木英實

            ●

コラム 眼光
 何でもありの無定見(慶)
        
 
            ●
コラム
  明日が続くと思って振る舞う(紫)

  「同調圧力」と世論(石壁)

  無思考力者が作る思考力テスト(星)

  子供の「権利」より必要なこと(梓弓)
           

  ● 問ひ合せ     電   話 076-264-1119 

                               ファックス   076-231-7009

   北国銀行金沢市役所普235247

   発行所 北潮社

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白石一文『僕のなかの壊れていない部分』を読む

2022年02月20日 16時44分22秒 | 本と雑誌

 

 

 久しぶりに小説を読む。随分と時間がかかつたが、途中から少しづつペースが上がつていつた。面白いからなのかどうかは分からないが、文章がすーっと頭に入り始めた。

 白石氏の小説には、人生論がちりばめられてゐる。丸谷才一とは違ふけれども、哲学や文学の箴言が主人公の台詞として、あるいはその主人公に影響を与へる人物の台詞として語られるのである。それがうまく行つてゐたのが『一瞬の光』だが、本作は少々鼻につくことが多かつた。作者の中にその言葉が先にあつて、小説にそれを使はうといふ意識が読者に伝はつてしまつたやうに読めたからである。「作者の中にその言葉が先にある」のは当たり前のことで、「小説にそれを使はうといふ意識」があるのも当たり前のことであるが、それが読者に伝はるかどうかは小説の書き方としては大事なことのやうに思ふ。

 私にとつて今作は、それがうまく行つてゐないやうに感じる。だから、その言葉は心に残らなかつた。それよりは、白石氏が書いた地の文がとても沁みてくるやうであつた。

 最後のところで、主人公の男とそのパートナーである女との人生観の衝突がある。ここには現代人の奥底にある意識の生活といふものを感じることができた。

 女は言ふ。「ここよりほかのどこかなんかないのに。天国も地獄も、あの世もこの世も、みんなここなのに。過去も未来も全部ここで起こり、ここでこれから起こるだけ。私もあなたもここにいて、生まれる前も、死んだあともずっとここにいるの。神様も悪魔もきっとここにいて、来る前の場所も帰っていくべき場所も、どこにもないの。みんなここにしかない。私はあなたにいつも言いたかった。あなたは目を凝らして、一体どこを見ようとしているのって。あなたには、いまあなたが立っている場所から、そのあなたの足元からずっとずっとつながっている世界しか見ることができなのに、それでもあなたは一体何を見ようとしているのって。」

 男は言ふ。「ここでは、たとえどんなに自分以外のものに対して懸命につとめ、自らを虚しくしたとしても、その本当の価値が認められることがないのだ。そうした行為は、この世界とは異なる世界へと飛び立つときに初めて、前途を照らす灯火となり、僕たちを運ぶ翼となってくれるものだからだ。幸福も不幸もこの世界だけのもののはずはない。それは次の世界へ、さらにはその次の世界へと果てしなくつづいていく。僕たちは決して自分のためだけの喜びや悲しみ、憎しみに足元をすくわれてはならない。」

 この二つは、共に現実と理想との逆説をはらんでゐながら、その二つは矛盾しないで両立してゐる。

「あなたは、頭が悪いけど顔がいいわ。」「いや、俺は顔はいいが頭が悪いんだ。」と言つてゐるのと同じと言へば、怒られてしまふかもしれないが、この小説の男と女とは、やはり人の生の二側面であらう。

 かういふ人間像を描く小説が現代にあるといふことは、それは幸せなことである。もう少し、この話題を二人が深めてほしいところだが、残念ながらこの男の台詞のすぐ後で、この小説は終はつてしまふ。それ以上深められる場面をこの現代日本社会に探しえなかつたといふことであらう。その判断に私は納得するが、なるほど私たちの現代とはさういふ時代であるといふことを知らされて忸怩たる思ひもある。

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このところ本ばかり買つてゐる

2022年02月06日 11時10分46秒 | 評論・評伝

 すごい勢ひで本を買つてゐる。

 昨日までの1週間に購入した本は、次の通り。

『どう考えるか 文明の懐疑・ニヒリズム』山内恭彦ほか 1974年 二玄社

『マンガでわかる認知行動療法』大野比呂氏 2020年 池田書店

『一億総ガキ社会』片田珠美 2010年 光文社新書

『アランの幸福論』2007年 ディスカヴァー

『アステイオン 095』2021年 サントリー文化財団

『コロナ後の世界を生きる』村上陽一郎編 2020年 岩波新書

『寄宿生テルレスの混乱』ムージル 2008年 光文社古典新訳文庫

『大論争! 哲学バトル』畠山創 2016年 株式会社KADOKAWA

『名作をいじる』阿部公彦 2017年 立東舎

『ことばの危機』阿部公彦ほか 2020年 集英社新書

『21世紀の道徳』ベンジャミン・クリッツァー 2021年 晶文社

『デジタル馬鹿』ミシェル・デミュルジェ 2021年 花伝社

 古い本は、古書店やネットで買ひ求めた。最後の2つは、その前の週の読売新聞の書評論や解説記事のなかで紹介されてゐて、関心があつて購入した。

 アランの『幸福論』は別に2種類のものを持つてゐるが(肝心の岩波文庫版は持つてゐない)、どうも堅苦しい訳であるし、さらりと読むには長すぎるし、そもそも『幸福論』などといふタイトルが好きではないので、ツンドクで誤魔化してゐたが、故あつて少々気持ちが参つてゐるのであらう、とても読みやすい抜粋版を古書店で見つけて手に入れた。

 そもそもが読めるわけもないこれほどの大量の本を買つてしまふ状況といふのが、今の私の状況なのである。なんだか心に穴が開いてゐて、それを埋めるのに本が必要なのである。もちろん、それは読むことによつて埋まるのであるが、その前の段階の「読むべき本は何か」を探つてゐるうちに、どんどん本だけが増えていつたといふことである。受験勉強をしようと思つてあれこれと参考書を探してゐるうちに時間だけが過ぎていつた、そんな懐かしい40年前と同じで、ああ人間は変はらないなと自戒してゐるばかりである。

 読むこともなくツンドクだけが増えていく。

 ちなみに今読んでゐるのは、白石一文『僕のなかの壊れていない部分』と石原慎太郎『わが人生の時の人々』である。後者は冬休みから読み始めて三分の二ほどで止まつてゐるが、今回の訃報に接して感慨と後悔とがある。

 読書量は増えない。そして、嫌なことがあると、ますます読めなくなる。本を読むのは結構エネルギーがいるのである。

 

 

 

 

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