言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語125

2006年12月28日 10時09分02秒 | 福田恆存

前囘御紹介した文章(全集第三卷「覺書」)を、福田恆存が記したのは、昭和六十二年の春頃だらうか。だとすれば、七十六歳である。その年の一月には「東海大學大磯病院に一週間入院」と年譜にある。さう思つて讀むと、國語について思ひをめぐらす福田の感慨が滲み出て來るのを感じる。國語がいろいろな時代のいろいろな人々によつて使はれながら亂れてしまひがちになるが、そのたびに「言葉の法」がそれらを防ぎ、國語の傳統を守つてきた。國語の傳統とは、「言葉は生き物である」などといふ俗耳に入りやすい言葉で表現されるやうな勝手氣ままな人々の生活の果てに出來上がるものではなく、心ある人々の努力と意識と、そして何よりも言葉の法の力とが築き上げたものなのである、そのことを福田恆存は改めて感じ取つてゐるやうに思はれる。

「僕がいかに粗忽といへども、學問の衰頽と漢字の制限とをそのまま同一視しようとするものではない。(中略)また山本有三氏の思ひつきにしたがつて、かなばかりを珍重するにはおよばない。かなが假名でないごとく漢字かならずしも支那の文字ではない。それほど『漢』の一字にこだはらずにゐられぬとならば、――僕はさういふ形式主義者をこころからあはれむものであるが――『肝』とでも『勘』とでもあらためたらよいのである。(中略)文章の世界においてはことばは單なる傳達の具ではないことをくりかへし強調したい。/「水を呉れ」と「水をくれ」と「みづをくれ」ではちがふのである。「山嶺」と書くべきときもあり、『やまのいただき』と書きたいときもある」

「漢字恐怖症を排す」と題された論文の一節である。昭和十七年の「新文學」八月號に書かれた本文は、全集にして七頁ほど(二段組であるが)のものである。福田の初期の文章は、氏自身も囘想するやうに、どうにも論理が複雜言ふ必要をあまり感じない展開が記されてゐてかへつて主張がぼやけてしまふきらひがある。いろいろと言ひたいことがあつて、それらをすべて書くには紙幅が足りず、かと言つて書きたい事柄を減らすこともできず、あちこちと寄り道しながら、目的を目指すといつた感じである。

 いま引用した文章の「中略」のところは、私には「味はひ」があるが、それを省いたのは以上のやうな理由である。もちろん急いで附言するが、私の讀解力を棚にあげたうへでの話である。

  ところで、「かなが假名でない」と福田が書いてゐることについては捕捉しておかう。福田が歴史的假名遣ひとは書かず歴史的かなづかひと書くことについてである。

「かな」は私たちの固有の言語であつて、決してそれは假の文字といふやうな意味でも漢字に藉りた文字といふ意味でもないといふことである。「かな」と言はれてゐるものがあつて、それを「かな」と呼んでゐるにすぎない。それは支那の字といふ意味を假に「漢字」と呼んでゐるのと同じことである。たとへて言へば、きれいに咲いてゐる植物の生殖器を「はな」と言ふのであるから「花」と書いても「葉菜」と書いても實體に變化がない、したがつて文字は適當で良いといふふうにはなりますまい、それが福田恆存の主張である。

  所詮、文字は假りのものであるのだから、だからこそその意味と用法とに十分な配慮と工夫とが必要だと言つてゐるのである。

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言葉の救はれ――宿命の國語124

2006年12月25日 22時31分58秒 | 福田恆存

無理矢理つれて行くといふ意味の「rachi」といふ言葉は、「拉」「致」「ら」「ち」「ラ」「チ」といふ文字=表現媒體を使つて表すしかないが、それよりも先にそれを「拉致」とするか「ら致」とするかあるいは「らち」「ラチ」とするかといふ表現方法がまづある。そしてその後で一つひとつの文字が選ばれるといふのが正確な表現行動の現象學的分析である。つまり、文字だけでは言葉にはならない。

第一に、書かれた文字の次に何が來るかは、それを書く主體の選擇によるものであり、第二に、その主體もまた勝手な自由意志によつてのみ文字を選擇してゐるのではない。つまり、廣い意味の「文法」といふものに依らなければならないのである。

文章は、人格が判斷した文字の順列組み合せである文體を生み出すが、同時に社會に流通しなければならない宿命を持つてゐるのであるから、文法といふものに自づから從つてゐるのである。詩人の谷川俊太郎氏は「文章は個人によって生まれながら、個人を超えたものを指し示す」と言つたが、その意味はまさにこれである。

  日本語が、「てにをは」を漢語と漢語との間に挾んだのは、さういふ風に表現したいといふ言語主體の意志があつたからである。それがなければ、なぜ中國語のやうな漢字だけの表現をとらなかつたのかといふことを説明できない。

  このことについて、福田恆存は、かういふ言ひ方で書いてゐる。

「私は文法といふものが初めに話し言葉があつて、それから出て來た『言葉の法』だとは思ひたくない、『初めに法ありき』といふ觀念論の方を信じたくなる。普段使つてゐる話し言葉はその法を目指し、法に引きずられながら、法に合はぬ道をふみ迷ふ惡戰苦鬪の姿なのではないか」

『福田恆存全集』第三卷 覺書三 六〇七頁

  この文章は、全集を編む段になつて、自身の言語や國語に關する論考を精讀したあとに、ふともらした感慨であらう。控へ目に「信じたくなる」と表現してゐるが、實際に氏の言語(國語)に關する文章を振り返つてみれば、その信念に貫かれてゐるし、「確信」と言つて良いであらう。福田は、終始「假名遣ひ」といふ「書き方」を問題にしたのであるし、「いかに」書くかのうちに「何を」書くかは包攝されてゐると見るから、書き方に筋が通つてゐなければ書いたものに筋が通るはずがないと考へてゐたのである(もちろん、歴史的假名遣ひで文章を書けば、文章がりつぱになるわけではない。そんなことは言つてゐない)。

  そして、「漢字は正漢字であるべし」と主張してゐたが、それも「正漢字」を使ふことのなかに、當用漢字あるいはその後の常用漢字によつて分斷されてはしまつたけれども、かつては保たれてゐた漢字の世界をよみがへらせる可能性を見てゐたから、さう主張してゐたのである。

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福田恆存論のあれこれ

2006年12月24日 15時18分42秒 | 福田恆存

    今まで、私が讀んで來た「福田恆存論」を一擧に掲載する。これまでにも何囘かに分けて掲載したが、これが今年のクリマスプレゼントです。これがプレゼントに思へる讀者はどれぐらゐゐるのか心許ないが、一人でも喜んで下さる方がゐれば、幸ひです。

   なほ、轉載する場合は、御一報を。

    聖夜に寄せて。

西尾幹二

「福田恆存」『悲劇人の姿勢』(昭和四十六年・新潮社)

「福田恆存」『知恵の凋落』(平成元年・福武書店)

「現実を動かした強靭な精神」『朝日新聞』(平成六年十一月二十二日夕刊)『自由の恐怖』(平成七年・文藝春秋)に収録

「福田恆存・人と作品」『昭和文学全集 第二十七巻』解説(平成元年。小学館) 

『自由と宿命・西尾幹二との対話』(平成十三年・洋泉新書・池田俊二氏と、三島事件によって、福田恆存が精彩を欠くやうになつたと発言)

山本健吉

「現代文學覺え書(二)―詩劇について―」(新潮 昭和三〇・五)『現代文學覺え書』(昭和三二年新潮社)

「現代文學覺書(七)―詩劇のための條件―」(新潮 昭和三一・一〇)同右

田中美知太郎

「最悪にして最上の時代」『時代と私』(昭和四十六年・文藝春秋)

富岡幸一郎

「『近代の超克』とポストモダン――福田恆存と現在」『批評と現在』(平成三年・構想社)

「福田恆存と戦後 日本という『家』 アメリカニズムと文学」『発言者』(平成七年一月号)

「戦後日本人の悲喜劇 福田恆存の戯曲を通して」『言葉 言葉 言葉』(平成十一年・秀明出版会)

桶谷秀昭

「花田清輝と福田恆存」『昭和文学全集 第二十七巻』月報(平成元年・小学館)

「福田恆存論」『明治の精神 昭和の心』(平成二年・學藝書林)

「占領の延長としての戦後」『天の河うつつの花』(平成九年・発行:北冬舎、発売:王国社)

「近代精神に殉じた人」『新潮』追悼福田恆存(平成七年二月号・新潮社)

「福田恒存『現代の悪魔』書評」『増補改訂 芸術の自己革命』(昭和四十五年・国文社)

西部 邁

「福田恆存論 保守の真髄をもとめて」『幻像の保守へ』(昭和六十年・文藝春秋) 

「福田恆存氏の逝去を悼む」『産経新聞』(平成六年十一月二十一日)

「福田恆存――その構えはつねに物事の『論じ方』を正すことにあった」『学問』

(平成十六年四月・講談社)

谷沢永一

「ローレンスについて」『読書巷談 縦横無尽』一七三頁、向井敏氏との共著(昭

和五十五年・日本経済新聞社)

坪内祐三

「『保守反動』と呼ばれた正論家」写真共『諸君!』(平成八年七月号・文藝春秋)

「一九九七年の福田恆存」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)

「福田氏の残した『遺言』とは?」『古くさいぞ私は』(平成十二年・晶文社)

「生き方としての保守と主義としての保守――福田恆存と江藤淳」『後ろ向きで前

へ進む』(平成十四年・晶文社。初出は、『諸君!』平成十一年十月号)

「一九八二年の『福田恆存論』」(同右。初出は、昭和五十七年度早稲田大学第一文学部卒業論文)

「私小説とは何か」(「新しい福田恆存論を語る必要を感じてゐる」旨の発言が最

後にある。同右。初出は、『文學界』平成十三年十月号)

『福田恆存文藝論集』解説(平成十六年五月・講談社文藝文庫)

鷲田小彌太

「『人間不在の防衛論議』福田恆存 『体制派』批判の国防存在根拠」『書評の同

時代史』(昭和五十七年・三一書房)

「『福田恆存全集』」『書物の戦場』(平成元年・三一書房)

「二十一世紀を拓く思考――戦後思想の目録 2デモクラシー――大西巨人と福田

恆存」『日本資本主義の生命力』(平成五年・青弓社)

大岡昇平

「隣人・福田恆存」『文壇論争術』(昭和三十七年・雪華社)

「芥川龍之介を弁護する」『現代小説作法』(レグセス文庫・昭和四十七年・第三文明社)

粕谷一希

「レトリックについて――花田清輝と福田恆存」『対比列伝・戦後人物像を再構築する』(昭和五十七年・新潮社)

「反語と逆説」『諸君!』(平成七年一月号・文藝春秋)

「福田恆存の正統と逆説」『戦後思潮 知識人たちの肖像』(昭和五十六年・日本経済新聞社) -->

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言葉の救はれ――宿命の國語123

2006年12月21日 22時00分56秒 | 福田恆存

福田恆存は、確かに文字(と言ふよりもより正確には「假名遣ひ」であり、筆の運び方といふ意味ではない「文字の書き表し方」のことである)を重視した。假名遣ひといふものを文字の書き表し方といふ側面だけでとらへると、石川氏のやうな理解つまり「文字重視」と混同されかねない。しかしながら、福田は、次のやうに明言してゐる。文明の理解を、文字からのみ見ることは斷じて福田の理解ではない。

「それにしても話にならないのは、近代化といふ複雜な社會問題を、言葉や文字といふ唯一の鍵で説きさらうといふ愚かしさです。よく刑事にはあらゆる人間が泥棒に見えると言ひますが、國語屋の職業意識過剩はその比ではありません。日本が江戸時代三百餘年を封建制度のうちに太平を貪りえたのも、またその半面、それから長く脱しえなかつたのも、その理由の大半は島國といふ地理的條件に歸せられませう。漢語漢字の難しさなどといふことは、たとへそれが事實としても、近代化阻害の理由の一割にもなりますまい。同時に、明治以後、それが近代化に役立つたといつても、他の要因にくらべれば、高が知れてゐるといふべく、やはり、いや、この益の方は二三割になりませうか、急激な近代化の最大の原因は、近代化を遲らせてゐた原因と同じ島國といふことでせう。他國から恩惠を受けにくいかはりに、損害も受けにくいといふわけです。」

                                 『私の國語教室』二六八頁

  文明における文字の役割を過大評價する石川氏は、大陸の文明の影響力を大と見、日本は中國文明の支配下にあると捉へる。

「近代化といふ複雜な社會問題を、言葉や文字といふ唯一の鍵で説きさらうといふ」ことに「愚かしさ」を感じる福田恆存は、影響を「受けにくい」と見る。

果してどちらが正しいか。問題は、さういふことである。福田は當時の「國語屋の職業意識過剩」を見たが、私は石川氏に「書家の職業意識過剩」を見る。このことの當否は、讀者におまかせする。

  さて、かうした問題とは別に、文字と言葉との關係も述べておかなければならない。文字と言葉といふものの違ひなどまつたく考へることなく兩者は同じものの二つの言ひ方であるなどといふ理解で暮してゐても、一般の人々は何も困らない。新聞が「北朝鮮にら致された」と書かうが「拉致された」と書かうが一向に困らない。「rachi」といふ音が「無理矢理つれて行くこと」といふ言葉の意味を表してゐると分れば良いのである。しかしながら、國語の問題を論じようとするときに、その理解では困る。

  ありていに言へば、文字は言葉そのものではない。そして、言葉は文字によつて生まれたものではない。言葉の表し方(表現方法)が、文字(表現媒體)に優先するのである。もちろん、これらの關係は兩議的であつて、前者だけでは書くことができない。

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時事評論石川――12月號

2006年12月17日 12時55分25秒 | 告知

○最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がおありでしたら、御購讀ください。1部200圓です。年間では2000圓です。

格差大国中国が抱える矛盾と問題

    ――「和諧(調和)社会」の構築と治安問題――

                       平成国際大学助教授      徳岡 仁

日教組の犯した六つの大罪

       彼らが教育現場でやって来たことを検証する

        明星大学戦後史教育研究センター         勝岡寛次

文學の效用――時事寸言

                                      前田嘉則

コラム

             自民党の敵・中川幹事長               (菊)

             朝日の『訂正』と『是正』           (柴田裕三)

             アメリカ経済の行方           (佐中明雄)

             「朝日と」「小沢民主党」は「反自民」で共通 (蝶)            

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