言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語278

2008年06月30日 07時40分20秒 | 福田恆存

(承前)

 私たちの國語を取り卷く状況は、前囘見た通り悲慘な状況であるが、それにはこれ以上は觸れない。考へたいのは、梅棹氏が考へる「國語問題」である。

 引き續き、引用をする。

「日本にとって悲劇的であったのは、この漢字という魅力あふれる文字体系が、中国語という日本語とは構造的にまったくことなる言語と、かきあらわすために発達したものであったことである。よくしられているように、中国語はもともとつよい単音節的名性質をもつ。その単音節に漢字一字が対応しているのである。そこでは、漢字の列は音声の列とみごとに対応する。そしてそれは、意味の列でもある。ところが日本語には、そういう性質はない。日本語は、基本的に多音節的である。漢字は日本語においては、いっぽうでは万葉仮名にみられるように表音文字的にもちいられ、いっぽうでは表音文字として日本語の単語にあてはめられた。しかも日本語における漢字には、もとの中国語の発音にちかい音よみと、日本語の意味にあてた訓よみと二とおりのよみかたが発生したのである。その結果、おなじ文字がいくとおりにもよまれるという事態が発生した。

(中略)

 もともと中国語をかきあらわすために発達した漢字というシステムを、言語構造のまったくことなる日本語に適用したものだから、こういうことになった。それは日本語に対して、やっかいきわまる荷物を背おわせたのである。しかし、日本人はいまだにこの漢字という文字体系の魅力にとりつかれたまま、この荷物をすてさることはできないでいる。漢字文明文明圏の諸民族のなかでも、ひときわめんどうな課題を背おっているのが、日本語である。

 日本語の表記法は、どうなってゆくであろうか。」

           (『日本語と日本文明』六一頁~六二頁)

 隨分と長い引用になつてしまつた。が、梅棹氏が私たちの國語をどう考へてゐるかが分かる部分なので躊躇せずに引いた。

 まづ最後のところの「漢字文明圈」といふことについて。さういふものが存在するのか否かは、それぞれの立場で考へても良いだらう。私自身は本稿の最初のところで津田左右吉や山崎正和などを參考にしながら、明確に否定した。しかし、梅棹氏がそれをあるとするなら、まあそれで良い。しかし、さう考へる理由を説明する必要はある。民俗學や比較文明論が御專門であるのなら、かうした先入觀をまづ疑つてみるべきで、漢字文明なるものがあつても、これは中國國内においての話であつて、日本や朝鮮半島では少なくともそれはないのではないか――さう疑つてみるのが學問的な誠實さである。文法は全く異るし、漢字の字形は中國、日本、臺灣では異つてゐる。それどころか、現在の韓半島では全く使はれなくなつてしまつた。

 したがつて、日本語が「ひときわめんどうな課題をせおっている」といふことの根據も薄らいで來てゐるのである。

 そして、この梅棹氏の認識によつて、日本語の表記の問題とされてゐることについても、疑問を持たざるを得ない。

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言葉の救はれ――宿命の國語277

2008年06月26日 07時19分24秒 | 福田恆存

(承前)

  近代化とは、西洋文明の移入そのものを意味するといふよりは、西洋文明の移入の仕方(如何に受け容れたのか)において表れてくるものである。

  考へてみれば、そもそも西洋における「近代化」自體、どこからかやつて來たものではなく、ルネッサンスと宗教改革による自我の發見と、産業革命による社會や經濟の仕組の大變革によつてなされたきたのである。もちろん、支那文明がイスラム圈に傳はり、さらにそれらの複合的な文明が西洋に傳はつたといふ側面もないことはない、しかし、たとへさういふ面があるとしても、産業革命はイギリスにおいて始まつたといふことは否定できない事實である。そして、ヨーロッパ大陸において五百年の長きにわたる年月を經てなされたものであるといふことも事實である。

さうであれば、それを受け繼ぐ他地域においては、形式を尊重しつつ、近代化を生み出した精神をその都度確認し、理解していく必要があるはずだ。その意味で、私たちの近代化は移入に懸命になるあまり確認と理解の作業を怠りすぎた。その意味で拙速であつたといふことへの批判は免れられないし、少なくともその急拵への缺點については自覺的であるべきだ。今日でも、その自覺は乏しいと言はざるを得ない。言はゆるインターネットをきつかけとする犯罪などは、機械的な技術革新を急ぐあまり、さうした新しい技術を統御する精神の技術の養成を蔑ろにしてきたつけである。和魂はとつくに洋才に、食ひ千切られてゐるのである。

  漱石が書いた『それから』の嘆きは、まつたく正統なものである。

「日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない國だ。それでゐて、一等國を以て任じてゐる。さうして、むりにも一等國の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向つて、奧行を削つて、一等國大の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲慘なものだ。牛と竸爭をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我我個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の壓迫を受けてゐる國民は、頭に餘裕がないから、碌な仕事は出來ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神經衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲勞してゐるんだから仕方がない。精神の困憊と、身體の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に來てゐる。日本國中何所を見渡したつて、輝いてる斷面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。」

  これが書かれたのは、明治四十二年である。

  どうだらう。新聞を擴げてみても、カタカナ語は氾濫してゐる。「美しい國へ」を標榜した前首相の最重要課題が教育問題と共に「再チャレンジ」支援策であつたが、何だらうこの「再チャレンジ」とは。ハローワークだ、ホワイトカラー・イグゼンプションだ、まつたく日本語になつてゐない。その内容はひとまづ措くとしても、職業といふものを私たちはどう考へてきたのか、そしてほとんどの國民は今もどう考へてゐるのかといふことを一顧だにしない命名である。

  言葉が文化の基本であるとすれば、それを顧みることが急務である。

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言葉の救はれ――宿命の國語276

2008年06月24日 07時05分28秒 | 福田恆存

(承前)

「現代日本語のなやみの大部分は」、梅棹氏が考へるやうに、漢字を使はず「かながき」すれば解決できるなどといふことを、福田恆存はそもそも考へない。そして今となつてはそんなことを考へる人の方が少ないだらう。漢字の使用をやめよ、漢字の數を制限せよなどといふことはしたがつて、福田恆存は言はない。ましてや梅棹氏のやうに「かながき」をすべきなどといふことなど全く考へもつかない。もしこれを政策課題などにすれば愚策中の愚策である。しかしながら、今やさういふことは言はない。あの朝日新聞でさへ、今日では正漢字を使はうとする時代である。

 さて、「ネオ漢語」(この言葉は國語學ではあまり使はないやうであるが)とは、西洋の文明で生まれたものを近代になつて飜譯した漢語のことである。そこに本來的にはあつた語源的な意味合ひは取り除かれ、ある意味のうちの特定の意味だけが限定的に譯されてしまふといふことになつた。

  たとへば、民主主義といふ言葉である。はじめは、大正デモクラシー期の思想家吉野作造による譯語「民本主義」が使はれてゐたが、その漢語にしても「主義」といふ言葉が使はれてゐるやうに、本來の意味からは逸脱してゐる。言つて良ければ「誤解」を招き、その後の日本社會に惡い影響を殘してしまつた。デモクラシーとは、古代ギリシャ語のデモス(demos、人民)とクラティア(kratia、権力・支配)を合せたデモクラティア(democratia)が語源である。「民衆による支配」「人民による支配」といふことであり、單に制度を意味するに過ぎない。ところが、ネオ漢語の民主主義には、制度であるといふニュアンスはなく、一つにイデオロギーに、いやもつと率直に言へば、政治の理想的なモデルとしてのニュアンスを與へられてしまつたのである。

  もちろん、このことは外來語を飜譯することにおいては少なからずいつでも起きる問題であつて、すべてを否定することもできない。何となれば、今説明した「民主主義」の「民」といふ字もそれが生まれた當時の支那において、本來的に持つてゐた意味も私たちには屆けられなかつたからである。それは何か。「民」とは、目に矢が當つてゐる人の象形であり、眼の見えない人を意味する。そこから「愚かな人」を意味する言葉となつた。また、白川靜の説によればかうである。通説とは違つてゐるが、その意味も私たちには知られてゐない。

「象形。目を刺している形。金文の字形は眼睛(ひとみ)を突き刺している形で、視力を失わせることをいう。視力を失った人を民といい、神への奉仕者とされた。臣ももと視力を失った神への奉仕者であり、合わせて臣民(君主に従属する者としての人民)という。民は神に仕える者の意味であったが、のちに『たみ・ひと』の意味に用いる。」

(『常用字解』六〇五頁)

 飜譯語にはかういふ「ズレ」があるとすれば、私たちはその使用にあたつては愼重の上にも愼重に扱はなければならないのである。漢字ですら「ズレ」があるとすれば、西洋出自の外來語にはよほど注意を拂ふ必要がある。そして和語が飜譯語の造語能力を持たない以上、私たちは外來語である漢語によつて西洋語を飜譯するといふ手續をしなければならない。かういふ複雜な手順を通じてしか近代化を通過できない宿命が私たちにはあるのである。もちろん、漢語があるといふことも僥倖なのであり、あながち悲觀ばかりすべきことでもない。

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アクセス7万――懇談會盛會

2008年06月22日 08時24分48秒 | 日記・エッセイ・コラム

 しばらく、國語問題協議會の京都懇談會の準備でこのブログを見る餘裕もなかつたが、昨日、それも盛會のうちに終り、今朝覗くと、アクセス數が7萬件を越えてゐた。ありがたいことだ。のべ數とは言へ、決して大衆うけするやうな文章ではないのに、これだけの數の方に御高覽いただけるのは、ほんたうに嬉しいかぎり。改めて感謝いたします。ありがたうございました。

 さて、昨日の京都での懇談會、たいへんな盛況だつた。Img_0703 講師の若井勳夫先生(京都産業大學教授)が懇親會で御話しくださつたが、「言葉は人間そのものだから、それぞれの人の人生がかかつてゐる。これほど熱意をもつて一人一人が語るのは、なによりの證據だ」とおつしやつたのには、その通りだと思つた。

  また、講演で早川聞多先生(國際日本文化研究センター教授)Img_0704 は、「日本人ぐらゐでせう。これが他國の文化だつたら飛付いて絶讚するやうな豐かな文化なのに、自國のものであるととたんに卑下してしまふといふのは」と指摘してをられたが、それもまつたくその通りだと思つた。

 近畿地區での初めての試み、まづは成功で安堵してゐる。愛知縣からも多く來ていただいたし、學生も來た。それから飛び入りの方も數人ゐらして、この對應には參つたが、それでも多くの人の熱情が國語問題に注がれることを喜びたいと素直に思ふ。

 御越し頂いた皆樣、有難うございました。

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國語問題協議會京都懇話會の開催(再掲)

2008年06月19日 07時08分57秒 | 告知

この度、東京以外では初の試みとして會員相互の懇談會を、下記の要領で開催することと致しました。近畿地区に御住ひの會員相互の親睦を圖りながら、今後の活動について話し合ふ機會になればと考へてをります。一人でも多くの會員(オブザーバーでの御参加も可)の御參集を御願ひ申し上げます。

平成二十年五月二十八日 

國語問題協議會  評議員         若井勳夫

            評議         早川聞多

            事務局長     谷田貝常夫

一、時   平成二十年六月二十一日(土)午後二時より午後五時まで

    (受付は、午後一時半より)

一、所   キャンパスプラザ京都(京都駅前)

 電話 〇七五‐三五三‐九一一一

一、次第

  一 開催にあたつての挨拶    谷田貝常夫事務局長

  二 講  演    京都産業大学教授 若井勳夫 先生

                日文研 教授    早川聞多 先生

  四 本部の活動状況の報告      松岡隆範 理事

    會員の自己紹介

一、參加費   千円(學生會員は無料)

(ただし、總會終了後別會場にて懇親會を行ひます。)

※聯絡先  〇七二‐七四三‐一四七七  前田嘉則

      maheda65@mist.ocn.ne.jp

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