今年も暮れようとしてゐる。12月は仕事が立て込み、ブログを開くことさへできなかつた。
いはゆる通知表といふものに生徒一人ひとりへのコメントを書くのも時間を要することがらである。文章を書くことは一向に苦ではないが、わづか300字くらゐの文章の中で何か自分でもしつくりとくるやうな一句を見出すことがとても困難であるからだ。もちろん、自分がさういふ一句を見出したと思つてもそれを読む生徒にとつては「しつくりとはこない」といふことだつて十分ある。いやそれの方がむしろ多いんぢやないかと思ふ。これまでの教員暦のなかで、通知表の文章について話題に出たことはほとんどない。それでも、私にとつては手の抜けない一大行事である。
そして、三者面談。これもまたたいへんな仕事である。お医者さんは、このやうな面談を一日に100組もこなす日もあるのだらう。それをいつも思ふ。たいへんなお仕事である。私は、それほどではないが、一日に7組をこなす。1組一時間。日曜日はそれに当てる。かつては一日15組の面談をしたことがあつたが、だんだん誰に何を話したのか、誰からどんな話を聞いたのかも分からなくなつてくる。これは問題だと思つてから、最大7組と決めてゐる。面談の質を維持するための最大組数である。面談の合間を縫つて調査書の発行。書類を作るといふこと自体はたいへんなことではないが、それを全く違ふ仕事をしながら進めていくといふのは存外に気を遣ふことで、その辺りを現場を離れた人や未経験の人には分かつてもらへないところで、やれやれといふところである。
そして、冬期講習。そして2回の入学試験と採点。その間には、採用面談や試験などもあつた。昨日は、終日お世話になつた予備校や出版社の方にお礼のご挨拶。浪人生も含めて、いろいろな方にお世話になつてゐることを感じた一日であつた。
今日からやうやく休みに入つた。
左膝が10月から痛み始めてゐたので、午前中通院。触診や問診でだいたいの目星をつけていただいた上で、レントゲン撮影。さらに詳細な説明があつたが、確定するためにMRIを撮るといふことになり、後日また通院。リハビリを受けて筋肉の硬化を指摘された。まつたくその通りである。運動不足もその通りである。これまた「参つたな」といふところである。
忙しかつた12月にもかかはらず原稿依頼が来た。寝る時間を削つて書いたのが、「謝罪会見への違和感」である。原題は「そんな謝罪で赦されると思ふのか」である。テーマは編集部から示されたもの。是非ご一読いただきたい。そして感想を編集部宛にメールでも葉書きでも送つていただければ幸ひである。
今年の最大の事件は、今上陛下のご退位が決まつたことである。ついに天皇といふ神事も職能になつてしまつたといふことである。定年制度といふのは職能において成り立つ事柄である。天皇といふ神事さへ職能として認められ、国民もそれを良しとする時代である。これでは何が大事なことであるのか、ますます分からなくなつてしまふ。
昭和天皇は、病床にありながらも天皇でありつづけた。そして国民もそれを静かに耐えつづけた。過剰な自粛が問題になつた。それは問題である。しかし、一人の方の病状を国民が日々心配し、祈り、心を鎮めるといふ行事は、天皇がそれまで国民にほどこされてきた慈愛にふさはしい返礼である。それなしに次の御世を迎へてもカレンダーをめくるほどの意味も感慨もなくなつてしまふのではないか。私はさう思ふ。
何が大事なことなのか。
それがいよいよ分かりにくくなつて来る。来年はさらにそれが広まつていくのだらう。教育を巡る事柄においても然りである。心して新年を迎へねばと感じてゐる。
いはゆる通知表といふものに生徒一人ひとりへのコメントを書くのも時間を要することがらである。文章を書くことは一向に苦ではないが、わづか300字くらゐの文章の中で何か自分でもしつくりとくるやうな一句を見出すことがとても困難であるからだ。もちろん、自分がさういふ一句を見出したと思つてもそれを読む生徒にとつては「しつくりとはこない」といふことだつて十分ある。いやそれの方がむしろ多いんぢやないかと思ふ。これまでの教員暦のなかで、通知表の文章について話題に出たことはほとんどない。それでも、私にとつては手の抜けない一大行事である。
そして、三者面談。これもまたたいへんな仕事である。お医者さんは、このやうな面談を一日に100組もこなす日もあるのだらう。それをいつも思ふ。たいへんなお仕事である。私は、それほどではないが、一日に7組をこなす。1組一時間。日曜日はそれに当てる。かつては一日15組の面談をしたことがあつたが、だんだん誰に何を話したのか、誰からどんな話を聞いたのかも分からなくなつてくる。これは問題だと思つてから、最大7組と決めてゐる。面談の質を維持するための最大組数である。面談の合間を縫つて調査書の発行。書類を作るといふこと自体はたいへんなことではないが、それを全く違ふ仕事をしながら進めていくといふのは存外に気を遣ふことで、その辺りを現場を離れた人や未経験の人には分かつてもらへないところで、やれやれといふところである。
そして、冬期講習。そして2回の入学試験と採点。その間には、採用面談や試験などもあつた。昨日は、終日お世話になつた予備校や出版社の方にお礼のご挨拶。浪人生も含めて、いろいろな方にお世話になつてゐることを感じた一日であつた。
今日からやうやく休みに入つた。
左膝が10月から痛み始めてゐたので、午前中通院。触診や問診でだいたいの目星をつけていただいた上で、レントゲン撮影。さらに詳細な説明があつたが、確定するためにMRIを撮るといふことになり、後日また通院。リハビリを受けて筋肉の硬化を指摘された。まつたくその通りである。運動不足もその通りである。これまた「参つたな」といふところである。
忙しかつた12月にもかかはらず原稿依頼が来た。寝る時間を削つて書いたのが、「謝罪会見への違和感」である。原題は「そんな謝罪で赦されると思ふのか」である。テーマは編集部から示されたもの。是非ご一読いただきたい。そして感想を編集部宛にメールでも葉書きでも送つていただければ幸ひである。
正論2018年2月号 | |
日本工業新聞社 | |
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今年の最大の事件は、今上陛下のご退位が決まつたことである。ついに天皇といふ神事も職能になつてしまつたといふことである。定年制度といふのは職能において成り立つ事柄である。天皇といふ神事さへ職能として認められ、国民もそれを良しとする時代である。これでは何が大事なことであるのか、ますます分からなくなつてしまふ。
昭和天皇は、病床にありながらも天皇でありつづけた。そして国民もそれを静かに耐えつづけた。過剰な自粛が問題になつた。それは問題である。しかし、一人の方の病状を国民が日々心配し、祈り、心を鎮めるといふ行事は、天皇がそれまで国民にほどこされてきた慈愛にふさはしい返礼である。それなしに次の御世を迎へてもカレンダーをめくるほどの意味も感慨もなくなつてしまふのではないか。私はさう思ふ。
何が大事なことなのか。
それがいよいよ分かりにくくなつて来る。来年はさらにそれが広まつていくのだらう。教育を巡る事柄においても然りである。心して新年を迎へねばと感じてゐる。