言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

ニヒリズム、それとも何となくニヒリズム

2009年05月31日 16時08分57秒 | 日記・エッセイ・コラム

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発売日:2009-05-29
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 村上春樹氏の待望の新刊が出た。本のフェティシズムといふほどではないが、大事な本は初版で欲しい。三日ほど前から近所の田村書店では売られてゐた。発効日よりも早い売り出しだつたから、初版はもうないかなと思つて昨日書店に行つたが、案の定なかつた。三日前に買つておけばと後悔した(まあ家族の協力で捜してもらへ、結果的に購入できたが、「本のフェチ」も高が知れてゐる)。

海辺のカフカ (下) (新潮文庫) 

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海辺のカフカ (上) (新潮文庫) 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
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発売日:2005-02-28
本はまだ読んでゐない。このあとから読み始めるから、今日はその内容ではなく、前作(長編のである)の『海辺のカフカ』について書く。あの本には何となくニヒリズムが漂つてゐた。村上ワールドとはさういふものだと愛読者なら言ふのかもしれないが、「カフカ」といふ名前がその印象を一層強くした。カフカについての評言として私が気に入つてゐるのが、亡くなつた小説家の倉橋由美子のものである。それは「カフカは消しゴムで字を書いてゐる」といふものだ。作品自体が持つてゐるニヒリズムもさることながら、作家自身の生がニヒリズムに貫かれてゐることを的確にとらへてゐるやうに感じた。何の手ごたへも求めずに、何の成果も期待せずに、生きていくことの虚無感は、本物であると思つた。さういふ言葉を知つた上で村上氏の前作を読んだとき、私は「気分的ニヒリズム」だと思つた。そのタイトルが暗示するやうに、ヨーロッパに厳然として存在した「カフカ」のニヒリズムを日本の「海辺」に立つて村上氏が眺めてゐるだけであるやうに思へた(「メタファーの行方」第20回名古屋文化振興賞佳作)。海辺から見たカフカでしかない。

 さて、今回の作品がそこからどう抜き出てゐるか、作者の関心が私の関心と一致してゐるはずもないから、たぶんその問題はそのままであるだらう。しかし、村上氏は本物のニヒリズムに接近してゐるやうに私は思つてゐる。だから、読んでみたいと思つた。

 自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書)

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それにしても、現代日本の状況を指して、西部邁氏や佐伯啓思氏は「ニヒリズム」と言ふが、果たしてさうだらうか。村上氏のやうに内部に測鉛を降ろして、そこから見える世界を静かに少しづつ紡いでいく作業をしてゐる作家をしても、まだ何かしら現実の手ごたへを期待し、自らはどこか安全なところに避難してゐるやうな感じが否めないのに、絶対者を失ひ、精神の空白を否応なく見せ付けられ、生きていくことの困難を甘んじて生きてゐるやうな日本人がこの現代社会にさうさうゐるとは思へない。無気力と無関心とを単にニヒリズムと名づけたものにすぎず、「何となくニヒリズム」であらう。さうであれば、それと戦ふ「真正の保守主義」といふものも私はいぶかしく思つてゐる。両氏は、思想的対立者をアメリカニズムやらニヒリズムやら市場原理主義やらと名づけるのを得意とするが、さういふ割り切りがいかにも社会科学の専門家らしい表現で、現実をとらへるには少少バイアスがかかつてゐる。イズムと名づけて自分たちの思想を語れるほど、日本人は明瞭な考へ方をしてゐない。そのこと一つを考へてもニヒリズムが日本にあるとは言へまい。不況などの経済的な問題や病気などの健康問題や人間関係のもつれによる閉塞感などによつて苦しんでゐる人のうめき声は聞こえる。しかし、それは決してニヒリズムではない。なぜなら、依然として私たちは何かを信じた体験を持たないし、不信する覚悟を抱いた経験がないからである。いづれも生活の改善で事足りる問題だけだ。

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山崎正和の最新論考

2009年05月23日 09時20分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

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 手元の本を探して見つからなかつたが、確か谷沢永一氏だつたと思ふ。国文学者が(文芸評論家も)その業績を無視してゐる人が三人ゐて、その内の一人が山崎正和氏だつた(その他の二人もうすら覚えで申し訳ないが、伊藤整と福田恆存だつたと思ふ)。山崎といふ人はからみづらいといふことなのだらう。御進講もされるし審議会もいくつも参加してゐるし中教審の会長もされるといふ所謂「御用学者」のレッテルが貼られてゐて、敬して遠ざけられてゐるといふことかもしれない。結構きついことを書いたり話したりされるが論争らしい論争はなく、近年も「歴史教育や道徳教育はいらない」と言はれてゐたが、大した反論もなく、黙殺できるほどの「力」を見せつけた。以前は大衆批判を繰り広げる西部邁氏からの批判を受けて論争めいたものもあつたが、それきりとなつた。

 私は、非常に興味をもつて氏の文章を読みつづけてきたし、二十歳代の私の精神生活ではずゐぶんと助けられた。しかし、歴史的仮名遣ひを使つてゐたはずが今は使はなくなつたし、学校は週休三日制、しかも午前中でよいとするなど、違和感も出てきた。近代化といふ時代の流れのなかで、国の個性を主張することはやや控へ目であるべきだといふのが近年の主張のやうだ。

 さうした関心事の移行のなかで、前著『装飾とデザイン』が書かれ(もつと言へばだいぶん前の『演技する精神』もさうだつたかもしれない)、「アステイオン」に「神話と舞踊」の連載が始まつた。

 私は、とても面白く読んでゐる。これまでの哲学の歴史を踏まへて、その成果と課題とをきれいに整理する力量は、どんな哲学研究者よりもお持ちである。頭の良い人かどうかの評価の基準を、私は「総合する力」の有無でするが、山崎氏はその点で群を抜いてゐる。「分析する力」はもちろんあるが、これまでの知を総合して一つの課題を見出していくのはさすがといふしかない。「直観」といふものをあまり認めない点と、神秘的なものへの警戒心は必要以上に強いといふ点が欠点であると思ふが、一人の哲人にすべてを求めるのは、読者として筆者に失礼であらうから、それを求めることはしない。しかしながら、このたびの新稿の連載を私は心から喜んでゐる。

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「ローマ字を国字にせよ」と書いた新聞社が「障碍」だ

2009年05月17日 20時55分56秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先日の産経新聞の「昭和正論座」で文藝評論家の故村松剛の「ローマ字化論の傷あと」といふ文章を読んだ。昭和五十年のものだから今から35年ほど前のものであるが、戦後の後遺症が今も残る私たちの精神には十二分に薬の役割を果たしてくれた。いま全文を要約することはしないが、よければ産経新聞のホームページで読んでみてほしい。

 日本の民主化を遅らせたのは漢字仮名まじり文などといふ難解な表記を使つてゐるからで、いつそローマ字化してしまへといふのが進駐軍の発想であつたことは広く知られてゐる。しかし、それにあの読売新聞も迎合し、次のやうに書いたといふのである。

「漢字を廃止するとき、われわれの脳中に存在する封建意識の掃討が促進され、あのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追随しうるのである」と。

 「封建意識」と言ふことばが出てくるのが時代を感じさせるが、お上がアメリカに代はつただけで、天下の大新聞の社説子の「封建意識」はまつたく「掃討」などされてゐないのがよく分かる。かういふ文章を社説に載せて平気でゐられるといふ意識は、権威主義ゆゑであり、「封建意識」とやらは強まるばかりなのである。かうしたおぞましい根性を内包したまま平気で「民主化を進めよ」などと言へるのは、日本のマスコミが言論をじつにいい加減に扱つてゐたか(いや今日でもさうであらう)の証拠である。お上にたてつくやうに見せかけて、じつはよろしくやつてゐるのである。

 近年、関岡英之といふ方が『拒否できない日本――アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書)を書かれた。大方の読者がアメリカ非難の書として取りあげてゐたが、「日本改造が進んでいる」のではなく、それを言ふのなら戦後60年も続いてきたのであり、「拒否できない日本」のあり方を見るならペリー以来の150年変はつてゐない。問題なのは「拒否できない日本」のあり方なのである。

 障碍はじつは日本である。「外発的」で「権威主義的」な権力者こそ近代化を迎へてゐないのだ。

 ところで、今月14日の朝日新聞の小さな記事に、今後選定される「新常用漢字表(仮称)」にたいする一般の人の意見が載せられてゐた。追加して欲しいといふ字は全部で302字。中でも「鷹」と「碍」とが際立つて多かつたといふ。「鷹」は、東京の三鷹市もあるし、「鷹揚(おうよう)」といふことばも日常的に使はれる。また、「碍」は、障碍の「碍」である。これまでは「障害者」などと書いてゐたが、「害」への違和感から「障がい者」などと書くことも増えてきたやうであるが、あれではをかしい。だいいち読みにくい。正字で「障碍」と書けばいい。庶民の国語感覚の方がまともといふことであらう。手放しで喜んではゐないが、うれしいニュースではあつた。

 権力を持てば人はそれを維持しようとする。政治家は第一権力、マスコミは第四権力である。せめてさういふ自覚をもつて権力を使へば正常化の道はあるが、いづれも自分達は非力であると思つてゐる。自己欺瞞といへばこれほどの自己欺瞞はない。障碍となつてゐるのは彼ら自身である。さういふ自覚なき権力はいづれ自分で自分の首を絞めることになる。

 どうしてかうなのだらう。

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平岡敏夫先生の新著2冊

2009年05月09日 07時15分58秒 | 日記・エッセイ・コラム
北村透谷―没後百年のメルクマール 北村透谷―没後百年のメルクマール
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発売日:2009-05
北村透谷と国木田独歩 北村透谷と国木田独歩
価格:¥ 2,940(税込)
発売日:2009-05

 平岡敏夫氏から新著2冊をいただいた。透谷研究会の元会長である先生とは研究会でお会ひする度に驚かされる。まるで透谷の年譜が頭に入つてゐるかのやうで、だれかが曖昧な説明をすると、「いやそのとき透谷はそこにはゐない」と断言し、すぐさま「正統なる解釈」をしてみせてくれる。御歳八十歳だが、その頭は冴え渡つてゐる。

 来月にも神戸で研究会があるが、またお会ひできるのを楽しみにしてゐる。私にはこの本の書評をできるほどの学識もないので、御礼を言ふばかりにならうが、まづは読むことから始めたい。

 私の透谷論は、「絶対平和の端緒」といふものである(『北村透谷―《批評》の誕生』新保祐司編・至文堂・平成十八年)が、それにかかはる文章が載せられてゐた。私は参加しなかつたが、その本が刊行された年の春の全国大会でのスケッチである。富岡幸一郎氏の講演に対し、「暴力を平和の問題として肯定するかに見えるのは、逆説としてもなかなか困難であると思う」と指摘するあたり、刺戟的であつた。正面からの論難といふものではないが、明らかに批判的である。さういう思ひを抱きながら平岡先生は、新保祐司氏の閉会の辞をお聞きになつたやうに思はれる。そこでは「『平和』を批判する透谷」といふ発言を新保氏がしたやうだが、富岡・新保両氏は平岡氏からすると息子の世代である。「もはや戦後ではない」世代の透谷像は、平岡氏などの透谷研究第一世代と違つて明らかに異なつてゐる。それはそれでよいものであると思ふ(私の立場も富岡・新保両氏に近い)。さうであれば、このあたりのことについて、両氏ともまとまつた形での論文を読みたいものである。

 文藝評論家の桶谷秀昭氏(透谷研究第一世代)は、「所詮、透谷は青年の思想家。二十五歳で死んだ思想家を買ひかぶつてはいけない」としばしば言はれるが、その思想家に一生をかける平岡氏の態度は全否定されるものかと言へばさうでもあるまい。その意味で「没後百年のメルクマール」とは言ひえて妙である。

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