テレビドラマを久しぶりに楽しんでゐる。
フジテレビは視聴率低迷といふけれど、好調なテレビ局とは果たしてどこなのだらう。先日、ある人からこんな話を聞いた。「テレビでの映画放映では、最近ホラー映画を扱はないことになつてゐるらしい。なぜなら、放映するとクレームが来るからだ」と言ふ。親御さんからうちの子供に見せたくない。どうしてそんな映画を放映するのかと非難の電話がかかつてくれば、テレビ局としても厄介だからもうやめようといふことになつてゐるのらしい。
こんな調子でやつてゐて、テレビ局が活力を取り戻すはずがない。言つておきますが、私は金輪際ホラー映画など観ません。あんなもの無くていいと思つてゐます。でも、それとこれとは別の話。かつて福田恆存が言つたやうに、「テレビにはスヰツチがある」のだから、何も見せたくなければ番組を変へるか、消せばいいだけの話。その手間と子供を説得する労力気力を惜しむからテレビ局に文句を言つてゐるのだらう。もちろん、テレビ局はテレビ局で、「お宅のテレビにはスヰツチがありませんか」と皮肉の一つも言つてあげる度胸と覚悟があればいいのだが、それもない。すべては、他人任せの堂堂巡り。その結果、家族の会話がなくなり、テレビ局の活力が失はれる。いいことなんて何にもない。
その点で、今活力溢れる番組が、表題の「若者たち2014」といふドラマである。とにかく言葉の応酬が激しい。兄弟5人のそれはそれは情理つくした台詞のやりとりがぐさりぐさりと相手の心に突き刺さり、それでゐてへこたれずに、さらにやり返す。新劇を見てゐるやうな演劇的なドラマに感動してゐる。でも、きつと視聴率低いだらうなと思つてゐたら、案の定低いらしい。
私のブログなど決してドラマ制作者は見ないでせうが、視聴率なんて気にしないでいいですよ。これはもう名作に違ひないのだから、このまま突つ走つてくれればいい。活力のない無責任な家庭になんか支持されないドラマこそ、真のドラマにふさはしい。言葉の応酬を楽しむためには、観る側に力が必要とされる。その力のないことを示すには、かういふドラマがどういふ扱ひを巷で受けるかが試金石になる。
テレビ評では、厳しい評価を受けてゐるやうだ。それでいいと思ふ。その厳しさが、厳しいことから逃げるといふ現代社会の特徴の正確な表現だらうと思ふからだ。
ただ、途中で打ち切りといふのは残念ではあるが。
次のやうなことを考へるのが現代の「おやじ」たちであるのだから、若者たちが、かういふ言葉過剰なドラマを好むはずもないか。
フリーラーター 永江朗(56歳) 東京新聞掲載「『まじめ』は恐ろしい」より
「<不良のための>という言葉にこだわってきたのは、常識や権威の力とは無縁でいたかったから。<まじめな人はこわい>と鶴見俊輔さんは言います。人間は放っておくといい人になり、いい人はまじめに懸命になるけど、彼らが間違えるとその影響力や被害は計りしれない。集団的自衛権も犯罪防止も、いま実にまじめに議論をされていますが、何か末恐ろしい」
まじめに考へて、誠実な成果を挙げたことがないから、「まじめ=恐ろしい」と短絡してしまふのでせうね。かういふ短絡が許されるのは、日本の近代が恵まれてゐたからだといふことを忘れてゐるからでせう。どんなにまじめに努力しても報はれない時代を生きた人々からすれば、かういふ甘い感慨は持てないはずだ。