小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

天皇陛下の「生前退位」のご意向について

2016年07月14日 15時01分01秒 | 政治



 天皇陛下が「生前退位」のご意向を示されたというニュースが流れました。報道によれば、五年前から内々にそのご意向を示されていたとのことです。
 私見を述べます。
 このご意向は、陛下のご高齢と、背負いきれないほどの公務の数々とに鑑みて、きわめて賢明なご判断だと思います。しかも、陛下は、宮内庁が提言してきた公務の削減を潔しとしないがゆえに、このご意向を示されたそうです。ここには、公務に対する陛下の責任感の強さと誠実さがはっきりと示されています。崩御しなければ退位は認められないという現行の皇室典範の規定を超えても天皇としての役割を正しく継承したいという強いご意志が感じられるからです。よって、このご意向に国民の側からお答えするために、特別立法措置によって速やかな実現をはかるべきだというのが私の考えです。
 さて政府や知識人の間には、これを実現するためには、皇室典範の改正が必要になってくるという意見が大勢を占めているようですが、私は反対です。
 たしかに皇室典範には、生前退位に関する規定がないので、皇室典範によってそれを定めなくてはならないという前提に立つなら、改正は必定ということになるでしょう。しかし、皇室典範の改正は、たいへんな時間と評定を要しますし、仮に陛下ご在世のうちにそれが成ったとしても、その新しい規定の法的な拘束力が将来にまで及ぶことが考えられるため、将来の天皇が違うご意向をお示しになった時にはまた変更を余儀なくされるだろうからです。
 また、摂政を置くことにすればよいという意見も散見されます。
 しかし皇室典範第16条2項によれば、「天皇が、精神もしくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為を自らすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」となっています。今上陛下の現在のご状態がこの規定に当てはまるとは思えません。
 問題の要点は、今上陛下がそのようなご意向をお示しになった以上、立憲君主国(法治国家)の原則として、何らかの法的な措置(全国民の合意)が必要であろうということ、そして皇室典範改正も摂政を置くことも時宜を得た措置ではないのだとすれば、特別立法を選ぶほかはないだろうということです。
 この場合、皇室典範にその規定がないことを「欠陥」とか「欠落」とか考える必要は何らなく、この法を一種のネガティブリストによるものと見なせばよいのです。言い換えると、条文に規定がないのだから、そのほかの(想定外の)案件に関しては、簡単に立法措置が可能だと考えればよい。
 今回のご意向が、まさしく公務の大切さを何よりも尊重されるお心から出たものであることは、火を見るより明らかです。それは、これまで幾多の災害や戦没者に対して取ってこられた両陛下の、お心を尽くしたご振舞を拝見しても十分すぎるほど納得のできることです。
 陛下のご意向をできるだけ速やかに叶えさせて差し上げることが、あれだけ国民に愛情を注いでこられた両陛下のお気持ちに対して、今度は国民の側から両陛下への愛情によって報いる最良の手立てなのではないかと愚考する次第です。
 大上段に「すわ一大事」とばかり、これから皇室典範の改正論議を始めなくては、などと騒いでいる政府関係者や知識人は、陛下のご一身に対する温かい愛情が不足しているのです。それでは皇室と日本国民との心情の一体性は望めないでしょう。またいたずらに小田原評定をして大騒ぎすることは、一般庶民の皇室および今上両陛下への思いとの間にギャップを生み出す結果にもつながります。
 陛下は、日本国の神主の長としての職分を見事にまっとうされてきました。もし今回のご意向が速やかに実現した暁には、そのご振舞と重ね合わされることで、将来、美智子皇后とともに、まれなる名君、名妃として称えられることでしょう。

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英国のEU離脱決定は正しかったか

2016年07月13日 01時36分59秒 | 政治
      





 英国のEU離脱決定から20日近く経ちました。キャメロン元首相辞任後、ずいぶんと世間が騒がしかったようですが、新首相就任が決まったメイ新保守党党首は、国民投票の結果について「国民は離脱を決めている」として、国内を混乱させる可能性のある2度目の国民投票や、EU離脱後の再加盟の可能性をきっぱり否定しました。これによって国論を二分した激しい対立は、少し落ち着きを取り戻したようです。
 離脱決定騒ぎは、世界中に波及しました。世界の金融経済がいっそう混乱するだの、円高株安に拍車がかかるだの、投票やり直しの訴えに数百万票の書名が集まっただの、進出していた日本企業はさっそく鞍替えを考えなくてはならないだの、英国の凋落は計り知れないだの、後戻りのきかない失敗に踏み込んだだの、感情的なポピュリズムに流されただの、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの独立機運の高まりの結果、連合王国は崩壊するだの、英国の中国依存はいっそう強まるだの・・・・・いやはやにぎやかでした。
 これらの論評のなかには、短期的には当たっているものもありますし、長期的な意味で深刻な懸念に値するものもあります。しかし、概して大げさなものが多い。円高株安など一時的にはその兆候もありましたが、以前からのトレンドをさらに悪化させることにはならず、早くも持ち直しています。
 これらの論評には、そもそもなぜ英国民の多数が離脱を選んだのか、そこにはどんな必然性があったのかという根本問題に触れたものがほとんどなく、なにか英国のEUからの離脱決定が想定外の悪い結果をもたらしたかのような論調が目立ちました。ここには、EU統合の秩序を攪乱することは致命的に拙いことだという根拠のない先入観が支配していたように思われます。この先入観には、EUという組織がもともとどんな無理をはらんだ連合体であるかという認識が欠落しています(このことにきちんと触れた論評は、私の知る限り、佐伯啓思氏の「英EU離脱はアベノミクスへの逆風となるのか」だけでした)。
http://www.sankei.com/world/news/160704/wor1607040007-n1.html

 余談ですが、私はある知人と、残留か離脱かをめぐって小さな賭けをしました。国民投票ですからもちろん結果に確信を持っていたわけではありません。ただ一種の希望的観測も含めて、離脱に動く可能性は十分にあると踏んだにすぎません。結果、私は賭けに勝ち、スコッチの「ホワイト・ホース」を獲得しました。本当はマッカラムがほしかったのですが、ちょっと高くて相手に悪いので我慢しました。残留派が多かったスコットランドから一本奪い取った、というのは、まあ冗談です。
 閑話休題。
 この問題について多少とも本質的に論じるには、最低限、次の三つのことに言及する必要があります。

①EUと統一通貨ユーロ圏との間にはかなりずれがあります。言うまでもなく英国はユーロ圏ではなく、自国通貨ポンドをキープしています。
 また1990年にはヨーロッパの単一市場成立を表す欧州為替相場メカニズム(ERM)に加入していますが、わずか2年でERMを脱退しています。
 さらにEU創設を謳った92年のマーストリヒト条約(欧州連合条約)には、当時の首相サッチャーはしぶしぶ調印してはいますが、彼女は終始反対の立場を取っており、93年に貴族院で反乱を起こし、マーストリヒト条約を批准するかどうかを国民投票にかけるよう要求しています。彼女は経済には暗かったようですが、グレートブリテン王国の国家主権(尊厳)が脅かされることに敏感だったのです。
 さらに、2010年、保守党が政権に返り咲き、その翌年には、EU離脱を問う国民投票を求める10万名の署名が提出されています。
 また域内移動の自由を保証するシェンゲン協定(1997年発効)には、英国はその一部にしか参加していません。
 このように、英国では、残留・離脱の議論は今に始まったわけではなく、EU発足時からああでもない、こうでもないとやっており、したがって、英国ははじめから独、仏、伊など大陸のEU主要諸国とは一定の距離を保ってきたのです。つまり今回の決定は、国民国家・英国としてのスタンスという観点から見れば、そんなに驚くべきことではないのです。

②次に、すでに触れたように、EUという連合体には、初めから構造的な欠陥があります。これは、大ざっぱに言えば、金融政策と財政政策との分離独立です。前者はEUが握り後者は一応各国の裁量に任されています。するとどうなるか。
 統一通貨ユーロによって資本の移動の自由は完全に認められています(関税、為替障壁などないので)。しかし人や職業の移動はシェンゲン協定が許しているほどには現実には起きません。ドイツ人がいきなりイタリア人になるわけではないのです。当然、国情によって格差が拡大します。その時、負け組の国民は、自国の財政政策を非難するので、結果として政情の不安定を招くでしょう。こうして、自国の責任ではないはずの格差や貧困の問題を、負け組の国は背負い込まなくてはならないことになります。
 この典型的な例がギリシャです。ギリシャ政府は返済不能な借金を抱え、これを自国通貨ならぬユーロで決済しなくてはなりませんでした。EUは、返済期限の延長や新たな融資を承認するために、ギリシャに対して厳しい緊縮財政の条件をつけます。すでに負け組である上に緊縮財政を強いられた国の国民生活はさらなるデフレ不況に苦しむことになります。国民の不満を解消すべく緊縮財政破棄を謳って首相になったツィプラス氏がEUとの長い折衝を続けたものの、結局国民との約束を守れなかったのは、記憶に新しいところです。
 このように、財政政策は各国に任されているとはいっても、不況に突入すると、その財政政策すらも思うままにならず、EUの圧政に甘んじなくてはならないわけで、しかも国政担当者は国民の批判をまともにかぶることになるのです。
 この構造は、かつて帝国主義国が弱小国を植民地化していった関係の構造とそっくりです。そう、EUとはまさしく経済的な帝国主義であり、その主権者は、言うまでもなく、独り勝ちのドイツです。
 英国民の多数がこの仕組みをどこまで理解して離脱に票を投じたのかわかりませんが、結果的にこの構造からの脱却へと一歩を踏み出すことになったのであり、経済的主権を回復する道がさらに開かれたということができます。それができたのも、英国がもともとEUに対して懐疑的な姿勢を崩さなかったからでしょう。

③最後に、離脱に票を投じた一般庶民の動機を考えてみましょう。
 思惑は社会的立場によっていろいろだったでしょうが、何といっても最大の要因は、移民・難民問題です。英国の場合は、主として東欧からの労働移民を受け入れてきました。この政策が引き起こす第一の問題は、低賃金の単純労働者の受け入れによって、本国人も低賃金競争に巻き込まれ、中間層がしだいに脱落していく現実と、それに対する不安の増大です。
 そこへもってきて、2015年にヨーロッパに怒涛のように押し寄せたシリア、イラク、アフガニスタン、北アフリカなどからの難民です。この「椿事」がヨーロッパの本国人に与えた驚きと恐怖と不安は、日本に住んでいる私たちの想像を絶しています。ドイツのケルンで昨年末に起きた大規模な婦女暴行事件は本国人を震撼させましたし、テロリストが難民の中に紛れ込んでいる危険も盛んに指摘されています。また域内、域外を自由に移動するホームグロウンの過激なムスリムたちが引き起こすテロ事件も後を絶ちません。
 先ほども述べたように、英国はシェンゲン協定にはごく一部しか参加していませんし、島国の利点もあり、難民が大量に押し寄せているわけではありません。また難民はEU域内で最初に入国した国が引き受けるという「ダブリン協定」は、イギリスの場合、かえって有利に働いているという面もあります(ちなみにこれらの協定は、昨年来、事実上無意味化していますが)。
 しかし目と鼻の先で起きた大陸の「椿事」が、英国民に大きな心理的効果を与えないはずがありません。大陸とは一線を画すというのが英国の伝統的な精神で、イギリス人は自分たちをヨーロッパ人とは思っていないと言われています。もともとそういう独立心と自尊心の旺盛な国民性が、危機を意識した時に防衛の感覚に強く囚われたとしても少しも不思議ではありません。英国民の多数が離脱を選んだ大きな理由はここにあるでしょう。

 ところで「椿事」と言いましたが、じつはこれらの事態は、EUというグローバリズムが自ら招きよせたものなのです。先ほど述べたように、ヨーロッパ・グローバリズムは、そのモデルが帝国主義と植民地との関係と同じです。選挙で選ばれたのでもない欧州委員会のエリートたち(選挙による「欧州議会」は事実上機能していません)は、一種の独裁者といってもよい。二度の大戦のトラウマから、空想的な理念――欧州は一つ、ヒト、モノ、カネの移動はすべて自由――を掲げて、少しでもナショナリズムや民族主義を匂わせるような傾向に対しては、極端にタブー視する。バランスと人性をわきまえないこの理想主義が、かえって一般の人々の間に被抑圧感情を鬱積させ、国民意識を覚醒させます。つまり、EUのイデオロギーは、ナチス・ドイツのような極端なショーヴィニズムや民族主義の反転した鏡にほかなりません。
 アメリカのトランプ現象も同じですが、グローバリズムの理念それ自体が、民衆生活のそれぞれの場面で反グローバリズムを育てるのです。現に欧州諸国では、移民に対する規制を訴える政党が次々に力を蓄えています。どのメディアもこれらの政党を「極右」と呼んでいますが、むしろこれはごく自然な成り行きで、自分たちの土地や生活を自分たちで守ろうというバランサーが作用した結果なのです。
 アメリカでは、トランプ氏だけではなく、社会民主主義者のサンダース氏も大健闘を示しました。彼は「左」と位置付けられるはずなのに(だからこそ、というべきかもしれませんが)、グローバリズムが生み出した極端な格差社会に対する民衆の怒りを取り込もうとしている点ではトランプ氏と共通しているのです。つまりいずれも反グローバリズムという意味において。
 なぜなら、民衆の現実生活レベルでは、低賃金への下方圧力や解決困難な文化摩擦が絶え間なく起きているからです。EUエリートたちは、この現実を見て見ないふりをし、あたかもいまだに超国家的な統一理念の実現が可能であるかのように装っています。でも実際には、この試みはとうに破綻しているのです。英国の選択は、多少の痛みを伴うかもしれませんが、長い目で見れば賢明なものだったことがやがてわかるでしょう。
 わが国も周回遅れで移民政策を取ろうとしていますが、じつにバカげています。世界のグローバル化現象自体は、ある程度やむを得ない流れですが、それを積極的に良しとするようなグローバリズム・イデオロギーにけっして踊らされてはなりません。いま政治思想、社会思想、経済思想の対立軸は、右か左かにあるのではなく、グローバリズムか反グローバリズムかに収斂するのです。英国民の多数の選択は、まさにその事実を教えてくれたものとして理解すべきです。
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『八月の鯨』について

2016年06月22日 00時31分40秒 | 映画



 ふた月に一度くらいの割合で、仲間どうし集まって映画鑑賞会をやっています。題して「シネクラブ黄昏」。別に高齢者が多いからこの名をつけているわけではありません。ウィリアム・ワイラーの名作にちなんだのと、黄昏時に上映するという二つの理由からです。特定の一人が持ってきたDVDやVHSをみんなで鑑賞し、終わってからあれこれ語り合います。
 この会には、規則というほどのことはありませんが、一応次のような取り決めがあります。
①上映担当者は事前に何を上映するかを知らせてはいけない。
メンバーは当日まで知らないので、見たことのある映画を見させられるかもしれませんが、昔見た映画をもう一度見ると、また違った感興を味わえるので、けっこういいものです。
②上映者は、なぜこの映画を持ってきたのか、その思いをみんなの前で語る。一分でも三十分でもOK。
③上映者には、次回の上映者を指名する権利が与えられる。

 さて、前回たまたま私が上映者となり、リンゼイ・アンダースン監督、リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス主演の『八月の鯨』(1987年)を上映しました。この作品は、日本では昔岩波ホール創立20周年記念の時に公開され、異例のロングランを続けたそうです。私はずいぶん後になってからたまたまテレビで見て、すぐにVHSを買いました。
 これまで何度か見ていますが、このたび改めて鑑賞し、その傑作ぶりを再確認しました。メンバーの中にも昔見て、いま見ると感慨がひとしおだと言ってくれた人がいました。
 二人の主演女優は、ご存じのとおり、往年のハリウッド名女優です。作品ではリリアンが妹サラ、ベティが姉リビーを演じるのですが、ベティはこの時79歳、リリアンはなんと93歳です。14歳も年が違って、しかも姉妹関係が逆なのですね。無声映画時代からのスターだったリリアンの演じるサラは、なんと表情豊かでかわいいこと。そして悪女から女王、愛らしい女、つつましい女まで多彩な役柄でハリウッド女優界を席巻してきたベティが、この映画では、死におびえるいじけた老女を演じます。
 じつはこの会を始めてからもう7、8年になるでしょうか。最初の会にも私が上映者だったのですが、その時、あの恐ろしい『何がジェーンに起こったか』を上映したのです。この映画でジェーンを演じたベティ(54歳)の残酷さに戦慄した人なら、『八月の鯨』でのその変貌ぶりに驚かされるでしょう。大女優というのはすごいものですね。

 見ていない人のためにあらすじを紹介しておきます。この映画は、ネタバレしたからと言って、けっして観る価値が減るわけではありません。

 希望にあふれた娘時代、メイン州の美しい海岸を臨む叔母の別荘に滞在したリビーとサラの姉妹は、友だちのティシャから沖合に鯨がやってきた知らせを受けて急いで近くの断崖にまで走り、夢中になって双眼鏡でそれを見ます。
 ほどなく二人はそれぞれ結婚しますが、サラは第一次大戦で早くに夫を失い、リビー夫妻の下に15年間御厄介になります。やがてリビーの夫も亡くなりますが、彼女は娘とはウマが合わず、結局姉妹は二人で暮らすことになります。冬はフィラデルフィア、夏になると、今ではサラが所有者である別荘で過ごす生活が15年続いています。白内障ですでに失明しているリビーはサラに生活の面倒を見てもらっています。リビーは身辺が不如意なためわがままが高じてきて、このごろは死のことをしきりに口にするようになっており、サラの心にいっそう暗い影を落としています。
 ガサツな音をたてて大きな声を出す修理工のヨシュアが、別荘からじかに美しい海岸が見られるようにと、大きな見晴らし窓を作るようにしきりに勧めるのですが、サラにはその気があるのに、リビーは首を縦に振りません。
 近所の数少ない知り合いの中にロシアからの亡命貴族である高齢男性のミスター・マラノフがいます。彼はアメリカの市民権がないため人の家に居候しながら転々として暮らしています。つい先日、居候先の女性が亡くなったばかりです。サラは彼の釣った魚を料理してもらうことを条件にディナーに招きます。サラはこの紳士に好感を抱いていますが、リビーは、「ドブで釣った魚など食べたくない」と嫌味を言い、ディナーの時間が近づいてくるのになかなか着替えようとしません。
 やがてマラノフが正装して訪れ、料理をしつらえます。サラは入念にお化粧し髪をアップに整え、とっておきのドレスをまとってマラノフの前に現れます。「どうかしら」と可愛いポーズを取るサラに対して、マラノフは「ラヴリー、ラヴリー! とても素敵ですよ」と褒めたたえます。リビーがようやく着替えを終えて部屋から出てきます。きれいな白いテーブルクロスの上に二本の燭台。料理が運ばれて食事が始まります。
 マラノフが、亡命生活の話をいろいろと聞かせるのですが、話がつい先ごろ亡くなった居候先の女性のことに及んだ時、リビーが、自分たちのところに身を寄せようとしているマラノフの魂胆を見抜き、それは断るとはっきり言って、せっかくのディナーの雰囲気をぶち壊してしまいます。月が波間をキラキラと照らしているベランダで、サラとマラノフとがしばしの時を過ごした後、マラノフは寂しそうに去っていきます。
 その日は奇しくもサラの結婚記念日だったのでした。マラノフが去った後、サラは夫の遺影を前にしながら、ワイングラスを二つ置いて、ひとりだけの結婚記念日を祝い、短かった結婚生活を偲びます。でもリビーのことがどうしても気がかりです。
 そのときリビーが悪夢にうなされ、部屋から出てきて「私たちには死神がついている」と言って彼女に縋りつきます。サラはうんざりです。
 翌朝になり、リビーは昨日のことを謝りますが、二人のこじれた仲はほぐれず、別居の話になります。サラは冬もここに残ると言い、リビーは娘のところに身を寄せると。
 しばらくしてティシャが親切のつもりで不動産屋を連れてきます。勝手に別荘の値踏みをさせるのですが、サラはここを売る気はないときっぱりと断ります。ティシャと不動産屋が帰った後、リビーが部屋から出てきて、いまのは誰かと聞くと、サラは一部始終を話します。リビーの心が次第にほぐれてくるのがわかります。修理工のヨシュアが道具を忘れたと言って訪ねてきた時、リビーが突然、見晴らし窓は今からなら二週間後の労働者祭までにできるかと聞きます。びっくりするサラ。ヨシュアがいぶかしそうな顔で「できることはできるけど、作らないと言っていたじゃないですか」と聞くと、リビーは、二人で相談して決めたのだと答えます。サラは黙ってうれしそうに微笑みます。
 やがて二人は、仲良くあの鯨が見えるかもしれない岬まで散歩にでかけます。断崖から海を臨みながら、リビーが「あれは来るかしらね」と聞くと、サラが「もうみんな行ってしまったわよ」と答えます。リビーは「それを言ってはダメよ、わからないわよ(You can never tell it.)」と繰り返します。鯨が姉妹にとってずっと生きる希望のメタファーだったことを観客に悟らせて静かに作品の幕が閉じられます。

 この映画では、カメラはほとんどが別荘のリビングに固定され、上で述べた二人の数十年のいきさつは、すべて語りの中で行われます。話はわずか一夜をはさんだ二日間の淡々とした流れを追いかけているだけなのですが、非常に緻密で繊細な心のドラマが展開されていることがわかります。英語も大変わかりやすく、一つ一つのセリフが詩句のように綴られています。最後のリビーの決めゼリフによって、全体が締めくくられ、観たものの心に文学的・哲学的感動が深く沁みとおってくる仕組みになっています。死におびえていたリビーは、サラとの仲直りによって心穏やかとなり、二人でこれからも生きつづけていくことにかすかな希望を見いだすのですね。短い映画ですが、ここには平凡な人生のすべてが折りたたまれているという感じがしみじみと伝わってきます。
 筆者がこの映画を見て印象に残るーンはいくつもあるのですが、一つだけここで紹介します。それは、あの三人で食事を始める場面です。白いテーブルクロスとろうそくの光。正面にミスター・マラノフ、右にリビー、左にサラ。同じ日の朝、サラはマラノフに会っており、気安く会話したにもかかわらず、ディナーの時間には三人はきちんと正装して食事に臨むのですね。これを見て、古き良き欧米社会には、フォーマルなパーティーを通して男女が出会う機会を作る文化伝統があったのだなあと強く思いました。華やかな舞踏会から、小人数の社交パーティまで。
『八月の鯨』に描かれたような、こんなささやかなディナーでもその伝統が活かされていることが読み取れます。筆者は「ではのかみ」が嫌いですが、こういう所にはとても羨ましさを感じました。
 これに対して、日本では、男文化と女文化が分断されているように思えます。居酒屋でおだを挙げて日ごろの憂さを晴らす男たちと、レストランでランチしながら子どもの教育談議に花を咲かせる女たち。お互いに元気なうちはそれでもかまいませんが、居酒屋仲間がいなくなり、子どもが育ってしまえば、この分断文化の弱点が露出するのではないでしょうか。日本では、男女の何かの集まりには、読書会だの歴史散歩だの山登りだのといった何らかの口実が必要ですね。合コンがあるじゃないかという反論があるかもしれませんが、あれは若い人たち専用で、お見合い文化が廃れた代償として発生したものです。歴史も浅く、文化とはとても言えません。
 もし男と女をつなぐ(ほとんどそれだけを目的とした)文化が命脈を保っていれば、たとえどんなに老いても、そういう機会を自然に設けることができます。そうすればいま日本ではやりの孤独死(ほとんどが高齢独身男性で大都市に多い)も、少しは避けられるのではないでしょうか。高齢者の経済の安定や健康維持も大切な課題ですが、この高齢社会では、日常にときおり華やぎをもたらすような「男女縁結び文化」を新たに創り上げることがぜひ必要に思えるのです。


八月の鯨



*「シネクラブ黄昏」に興味を抱かれた方は、kohamaitsuo@gmail.comまでご連絡ください。ご案内を差し上げます。


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トランプ=サンダース現象の意味するもの

2016年06月19日 09時33分24秒 | 政治
      






 米大統領選挙では、トランプ氏が共和党の正式候補に決まり、民主党では予定通りクリントン氏が確定しました。11月の本戦では、両者の一騎打ちということになったわけですが、この間の予備選挙期間を通じて際立ったのは、なんといってもトランプ現象でしょう。それに加えてクリントン氏の対抗馬であり社会民主主義者のサンダース氏の大健闘ぶりも見逃せません。
 わが国でははじめ、トランプ氏の数々のいわゆる「暴言」を対岸の火事のように考える向きが多かったようです。しかし、正式候補と認められるや、もし彼が本当に大統領になったら核保有までも含めた自主防衛を強いられることになりそうなので、にわかにうろたえる雰囲気が出てきました。自主防衛の覚悟と準備はできているのかといった論調が目立ちます。
 もちろんこういうシミュレーションは大事ですが、ここでは少し日本への影響という視点を離れて、このたびの大統領選が持つ意味を、アメリカの内政問題として考えてみましょう。

 まずトランプ氏の「暴言」は、初めからけっして暴言ではなく、アメリカの国内事情を考えるかぎり、多くの米国民の本音を代表するものです。
 たとえばメキシコからの不法移民の大量の流入に対して「万里の長城を築く」と言ったのは、実際にそう言っておかしくないほど国境を接する州での治安の乱れがひどく、麻薬の売買や強盗の頻発は半端ではないようです。しかも侵入する新たなヒスパニックは、ホワイトをターゲットにするよりも、むしろすでに米国籍を持っているヒスパニックに狙いを定めているそうです。ですからトランプ氏は、プア・ホワイトに支持されているだけではなく、在米ヒスパニックにも支持されています。
 またイスラム教徒に対する非寛容な態度も、人種差別撤廃という理想からすれば、一見忌むべき排他主義のように感じられます。しかし、ISに共感したホームグロウンによる相次ぐテロ事件などの実態が米国民にもたらしている衝撃のことを考えれば、その発言の出どころには十分な根拠があると言えます。もちろん、民族や宗教に対して一括して非寛容な態度を取るのは、理性的とは言えませんが。
 しかしテロは戦争の一種であって、戦争がそうであるように、テロ遂行者を道徳的に非難すれば片づく問題ではありません。少なくとも、ヨーロッパ(特にドイツやフランス)のように、域内にイスラム教徒との深刻な摩擦を抱えながら明確な解決策も打ち出せないままにきれいごとを言い続ける欺瞞性に比べれば、トランプ氏の主張は、ずっと正直だとも言えます。
 さらに韓国や日本に対して安全保障上の対等な関係を求め、同盟関係の見直しを迫る発言にしても、損得勘定を最も重んじるビジネスマン的な感覚からすれば、ごく自然なものと言ってよいでしょう。トランプ氏はたしかに国家運営を企業経営と混同しているきらいがあります。それにしても、彼の発言は、「アメリカは世界の警察官ではない」というオバマ大統領の発言を現実面で受け継ごうとしているという見方も成り立つわけです。
 アメリカは、覇権後退を自ら認め、シェールガス革命のおかげで、もはや中東の石油にも必要性を感じなくなりました。好戦的である理由が消滅したのです。人的資源や物的資源の浪費をできるだけ避けようとするのは当然です。トランプ発言は、内政問題を重視するモンロー主義に引きこもろうとしている現在のアメリカ全体のムードをよく象徴しています。
 以上のように、トランプ旋風には、それなりの必然性があるのです。

 さて一方、社会民主主義者のサンダース氏は、アメリカ国内の超格差の実態、ごく一部の富裕層に富が集中し、中間層が貧困化して一般国民に医療や福祉がほとんど行き渡らない社会構造そのものを問題にしています。これは株主資本主義や金融資本主義を野放しにしてきたアメリカの経済政策の根幹に触れる問題であって、きわめてまっとうな主張と言えましょう(日本もアメリカの規制改革要求を受け入れていく限り。その二の舞になることは目にみえています)。
 トランプ氏が現在のアメリカが抱える政治面(心理面)を突き、サンダース氏が同じくその経済面(生活面)を突いていると考えれば、両者は、同じ現実を違った仕方で告発しているだけのことで、そのねらい目には大きな共通点があるのです。これを、右左の両極端は相接するなどという聞いた風なレトリックで言い括ってみても、両者の人気が表している本当の意味を押し隠すだけで、ただ空しいばかりです。

 本当の意味とは何か。
 リベラルな姿勢を尊重しながらも、どちらかといえば人権や平等の実現のために政府の法的関与を重んじる民主党と、何よりも自由競争の精神を尊び、小さな政府と自己責任を理念とする共和党。この二極構造がバランスを保つことによって支えられてきたアメリカン・スピリッツの伝統が、いま音をたてて崩壊しようとしているのです。
 その理由は、言うまでもなく、ウォール街を中心とした金融資本主義の極度の発展にあります。そのイデオロギー的核心は、グローバリズムを率先して推進してきた新自由主義です。このアメリカン・グローバリズムは、国際的に大きな悪影響を与えてきただけでなく、いまアメリカ国民経済という足元に火をつけつつあります。結果として、「1%対99%」問題に憤りを表明することを通して、大多数のアメリカ国民が既成の二極構造にノンを突き付けました。それが、トランプ=サンダース現象の本質なのです。
 新自由主義をあからさまに支持しているのは、表向きは共和党ですが、それがもたらした超格差社会の現状に対して、民主党も何ら有効な解決策を打ち出すことができませんでした。リーマンショックを受けて立ったオバマ大統領も、福祉政策の目玉であったオバマケアを骨抜きにされてしまいました。レイムダックと化したオバマ氏は、今やあまり実効性のない理想主義を吹いて回り、自分の政策をかろうじて受け継いでくれそうな経験豊かな実力者・クリントン氏を仕方なく応援しているといった按配です。
 今回の大統領選は、最終的には国民の保守感情が勝って、クリントン氏に落ち着くのかもしれません。しかしそれは大した問題ではありません。最近の意識調査によって、クリントン氏とトランプ氏は、歴代大統領選挙を通じて最も人気のない候補であるという結果が明るみに出ました。この事実は、アメリカにとって歴史的に大きな意味を持つでしょう。いまや民主・共和の二大政党制は、根本的な変革を迫られています。
 アメリカはどこへ行くのか。答えは容易には見つかりませんが、たしかなことは、金融資本の過度に自由な移動と富の極端な遍在に何らかの規制を強力にかけるのでなければ、アメリカを中心とした資本主義体制の未来はない、ということです。

 



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舛添騒動に見る日本人の愚かさ

2016年06月16日 18時47分48秒 | 経済
      






 昨日(2016年6月15日)、都議会での舛添知事の最後の言明をテレビで観たばかりです。いまさらこういうタイトルの記事を書いても「遅きに失す」かもしれませんが、やはりこの際自分の考えを表明しておこうと思います。あの決着場面を見るずっと前から、私はこの問題について周囲に同じようなことを言っていたので、けっして「炎上」を恐れて表明を控えていたわけではありません。単に他のことにかまけ、タイミングを逸したにすぎないのです。もっとも私などが書いても「炎上」などには至らないでしょうが。
 はっきり言って私は、辞任という決着に至るまで延々と続いた舛添いじめの「逆らい得ない」空気の流れを終始不愉快に感じていました。このいやな空気の流れはいったい何を意味しているのか。私の不愉快感覚は何に由来しているのか。
 誤解のないように断っておきますが、私は個人的に舛添要一という人が好きではありませんし、今回指摘された知事としての振る舞いをいいとも思っていません。この人はもともと自己顕示欲が異様に強く、元国際政治学者の肩書よろしく、海外向けには不必要としか思えない派手な行動が目立ち、権力欲もすこぶる旺盛です。また「都市外交」と称して中央政治の頭越しに朴槿恵大統領と会い、都立高校跡地を韓国学校にすると口約束した件も、日韓の現状を考えるかぎり、どう見ても失政というべきでしょう。
 しかしあらゆる大マスコミがこの間、あたかも日本国の一大問題であるかのように連日このニュースで紙面や画面を埋め尽くし、舛添問題以外に国家としての重要問題がないかのような印象を与え続けたのはいかがなものでしょうか。私は、この現象を民主政が衆愚政治化しつつある典型と見なします。そして大局的に見た場合、そこに日本の民主政が全体主義へと転落してゆくきわめて危険な兆候を見出さざるを得ません。

 告発された舛添氏の「罪状」の主たるものは、要するに公金流用という公私混同問題です。その内容を見ると、海外出張でのファーストクラス使用や一流ホテル宿泊など、通算8回(9回?)で総額3億円(2億円?)の出張費、美術品購入額900万円、湯河原の別荘近くの回転寿司屋や自宅近くの飲食店などでの食事代30万円以上、会議の名目で家族旅行総額37万円、湯河原別荘への公用車使用など、ということになります。
 初めの海外出張費については、たしかに高すぎるし、都政上果たして必要かどうかに疑問が残ります。しかし石原慎太郎元都知事もこれに近い金額で同じようなことをやっていたのに、長年の「オーラ」のおかげか、ほとんど問題にされたことがありません。しかも彼の場合、ろくに都庁に登庁せず、必要な執務をしなかったそうです。サラブレッドは得ですね。
 これに対して舛添氏の場合、あまり裕福とはいえない生家の前に、川を隔てて八幡製鉄所の重役の家がでんと構えていて、少年時代にそれを睨みながら、「よーし、今に見ていろ」と思ったそうです。こういう激しい上昇志向欲と成功へのギラギラした野望があのエネルギッシュな活動と深く結びついているわけですが、そうした「成り上がり者」性を、民衆は鋭敏に嗅ぎ分けて好んで叩きたがるものです。その雰囲気が、活躍期の舛添氏には確かににじみ出ていましたね。自分とたいして変わらない出自なのに成り上がりやがってけしからんというわけでしょう。人は手の届かない高みにあるものにはあこがれ、逆にちょっと自分より優位にあるものを引きずりおろそうとするのです。これは一種の差別感情と言ってもいい。人間の醜い一面ですね。よってたかって私生活のあることないことまでも噂し、書きたて、本人をじわじわと追い込んでいきます。
 美術品購入に関しては、都政運営上必要な部分と、単なる趣味としての私的流用でしかない部分とに分かれるでしょうが、明確な線を引くことは困難です。それ以外の行跡は、金額もきわめて低く、まことにチンケな問題だというほかありません。昔の政治家はこんなこと平気でやっていました。脛に疵を持たない政治家などいるわけがなく、叩けばみなほこりが出るのはこの世界の常識です(だからいいと言っているわけではありません)。
 また、意味が違うとはいえ、どの企業経営者や事業主でも、税金逃れのためにいろんなことをやっています。大規模なレベルで言えば、メガバンクやグローバル企業の巨額の法人税逃れ、タックスヘイヴンへの資金流入が平然と行われていますね。こちらのほうがよっぽど問題です。日本人はほとんどそのことを忘れてしまっています。
 そうした大きな問題を大マスコミは真面目に取り上げもせず、その代わり、聖人君子ぶりを気取ってひとりの公人を徹底的にスケープゴートに仕立てるための世論操作に奔走しました。いつものやり口といえばやり口ですが、「なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て」(ヨハネ伝8章7節)というイエスの言葉でも少しは噛みしめたらどうでしょうか。
 この世論操作に見事に呼応して踊らされたのが愚民化した大衆で、その群衆心理の出どころは言うまでもなく下品なルサンチマンそのものです。ただでさえデフレ不況で欲求不満がたまっているので、公務員が安定した高給取りにみえる。そこへもってきてアクが強く反感を買いやすいキャラが、ザル法と言われる政治資金規正法をいいことに、つい調子に乗って公私混同を犯した。こんないいガス抜きショーはないですね。しつこく、しつこく「人民裁判」が続きました。これは血祭りという見世物以外の何ものでもありません

 今回の追及で、完全に抜け落ちているのが、舛添氏の知事としての行政手腕や執務実態、実績などについての評価です。この点についてマスコミはほとんど問題にせず、ただ大したことのない使い込みを非難し続けただけでした。これはいかにも片手落ちです。私は舛添氏の行政手腕や実績がどんなものか知りませんが、それをも取り上げて判断材料にするのでなければ、本当にひとりの政治家を公正に判断したことにはなりません。だれもそういう所に目が及ばず、道徳的・人格的な非難ばかり浴びせる。いかにも日本人的です。
 さらに、こうした追及をしてきた人々は、彼が辞任した場合、だれが後任として適切なのかについての展望をまったく欠落させています。長期戦略が何もなく、ただ目前の「敵」を引きずりおろしさえすれば、「あとはどうにかきゃあなろたい」とばかり、ひたすら感情的に騒ぎ立てるだけなのですね。これもたいへん日本的です。この前の戦争の失敗の底に潜む心性と共通しています。

 さてその後任候補ですが、下馬評でいろいろな名前が取りざたされています。しかしさまざまなメディアが行なったアンケートで、必ず上位にランクされる人に橋下徹元大阪市長がいます。本人はいまのところ出馬を否定しているようですが、この人は「2万%ない」などとウソばかりついてきた前歴があるので、現時点での言辞は全然当てになりません。橋下氏が仮に出馬した場合のことを考えると、それこそは日本が全体主義への道をひた走ることになる、と私は恐れるのです。すでに都民の中には、「やっぱりあの人しかいないんじゃないの」などという声がいくつも聞かれます。
 たかが都知事というなかれ。彼が都知事になれば、次は総理大臣を狙うに決まっています。安全保障で頭をいっぱいにしている安倍首相と妙に相性がいいのも不気味です。また、東京都民は大阪市民と違うというなかれ。彼は一種の天才詐欺師ですから、大阪市民には大坂モード、東京都民には東京モードと使い分けるなどお茶の子さいさいです。現にいまテレビのバラエティー番組で、しきりに好感度を高めていますね。
 彼は「大阪都構想」なるものをぶち上げた時、議会が否決したにもかかわらず、住民投票にかけるというルール違反を平然とやってのけました。そうして、危ういところでこの構想は実現しかけたのです。それをかろうじて防いだのは、藤井聡京都大学院教授を中心とした学識者同盟の必死の努力があったからです。
 ちなみに「大阪都構想」とは、次のようなインチキだらけの構想です。

①大阪市と大阪府が合併しても、国会で法律を通さなければ、「都」にはならないのに、東京と張り合いたい大阪市民の夢をくすぐった。
②二重行政解消という触れ込みで実現するのは、わずか二億円の節約にすぎない(そんな金額よりも、合併手続きのほうがよほどお金がかかります)のに、いかにも市の発展に寄与するような幻想を振りまいた。
③大阪府の財政は危機状態で、借金ができず、法的に「禁治産者」のような位置にあるので、合併すると大阪市から二千億円以上の金が府の借金返済に使われてしまう実態をひた隠しにしていた。
④大阪市は市としての権限を失い、東京都の行政区のようにほとんど何の権力もない区に分割されてしまうだけなのに、そのことをまったく伝えなかった。


 まだまだあったようですが、とにかくこの構想は、大阪市民を騙して市の地盤沈下を一層促進する以外の何ものでもありません。住民投票で敗れた橋下氏は、記者の前に爽やかな顔で出てきて、政治から手を引くと嘯き、その実、大阪維新の会の顧問役に就きました。自らは黒幕にとどまり、市長任期切れを機に同じ大阪維新の会から吉村洋文氏を擁立して、この選挙には勝利したのです。大阪市民は、また騙されました。
 二〇一二年に橋下人気で華々しく立ち上がった日本維新の会は、もともと大阪維新の会をその前身としています。ところでこの年の総選挙の際、日本維新の会がどんな公約を掲げていたか憶えておいででしょうか。いちいち論評すると長くなりますので、手短に行きます。

①首相公選制――代議政治の意義をわきまえないポピュリズムの典型です。直接民主制はイメージや空気で選んでしまう国民の特性を利用したもので、全体主義者にとって一番の早道です。ちなみにアメリカの大統領選挙は、複雑な仕組みによって間接民主制を担保しています。
②参議院の廃止――当時のねじれ状態における決まらない政治へのいらだちから出た提案でしょうが、すぐに決まってしまう政治はもっと危険です。
③衆議院議員定数の半減と議員歳費の三割カット――めちゃくちゃです。日本の議員数の人口比は世界で最も少ない部類に属します。日本人の好きな倹約の美徳を利用して、公務員の身を切らせることで国民のルサンチマンを和らげようというつもりでしょうが、一億三千万の人口を抱える大国の政治をわずか二百四十人の国会議員で取り仕切ることができるでしょうか。つまりは独裁政治への道を開いておこうという魂胆なのです。
④消費税の地方税化と地方交付税の廃止、道州制――地域の自主自立という美名のもとに考えられた政策ですが、これをやると、もともと地域格差のある地方と地方とで競争しなくてはならず、優勝劣敗が露骨にまかり通ってさらに格差が拡大し、地方の過疎化と東京一極集中がいっそうすすみます。税収の公平な配分の観点からも均衡ある経済発展の観点からも防災の観点からも、けっしてとってはならない政策です。

 以上でお分かりのように、橋下氏という人は、大衆の心理を読むのにじつに長けた人で、その「才能」をフルに活用して最高権力を奪取する機会を虎視眈々と狙っているのです。そう、ドイツに登場した「あの人」にとてもよく似ていますね。ちがいは、あの人のように経済復活のための腕力が不足していること、日本にユダヤ人憎悪のような根深い歴史的事情が存在しないこと、くらいでしょうか。
 でも、もしこれからの日本がデフレ脱却できず、国民の不満がいよいよ高まって行った場合、その時こそが、この人の出番です。政治とは、ある意味では、人民の無知をとことん利用して、いかに自分の思い通りに国を動かすかという操作術のことだからです。悪い芽は早く摘まなくてはなりません。橋下氏がもし都知事選に立候補したら、けっして彼に投票しないようにしましょう。彼よりはいくらかだらしない人のほうがまだマシです。
 今回の舛添騒動では、まさに大マスコミが、何の未来展望もないままにつまらない煽動を繰り返し、曲がりなりにも保たれていた既成の秩序を破壊しました。そうして権力の空白を作り出して人々を不安に陥れ、全体主義に向かう道の露払いを見事に果たしてくれたのです


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追悼 柳家喜多八

2016年06月14日 23時29分40秒 | 経済
      





 落語好きです。といってもハマりだしたのはわずか四年ほど前のあるきっかけからです。そのころたまたま柳家喜多八師匠を聴いたのですが、いっぺんで気に入ってしまいました。この人の芸風は、初めやる気のないような調子で話し始め、徐々に盛り上げていき、後半に至ってその熱演ぶりで聴衆を一気に魅了するタイプです。滑舌はあんまりよくないが、それはテンポのいいべらんめえ調と表裏一体。渋い、という言葉はこの人のためにあるようなものです。
 その喜多八師匠が、今年5月17日に66歳の若さで亡くなりました。落語界で60代といえば、旬と言ってもいい年齢です。まだまだこれからという時に惜しい人をなくし、残念でなりません。
 師匠の噺を最後に聴いたのは、2月23日でした。幕が開くと最初から高座に座っています。もともと小柄な人ですが、この時は痩せてずいぶん小さく見えました。すでにがんに深く侵されていたのでしょう。もはや立って歩くことができず、車椅子を使って、弟子に助けてもらって高座に上ったものと思われます。しかしそんな 姿をお客さんに見せちゃあ、噺家の名が廃るってもんだ、てなことをよくよく周りにふくめたんでしょうな。
それでもトリで演じたのは、あのたいへんな精力を要する「らくだ」でした。半次が大家を脅す場面、屑屋が半次に勧められた酒を重ねるうちに豹変していき、ついに立場を逆転させる場面など、病気とは思えない味と迫力でした。まさか死の3か月前とは知る由もありませんが、痛々しい印象はぬぐえなかったので、一流芸人の筋金入りのすごさに舌を巻いたものです。
 今となってみると、あれを見ておいてよかったと思っています。記録によりますと、死の8日前、5月9日まで演じていたそうですから、その芸人根性にはただただ頭が下がります。舞台や高座の上で死ぬのが一生を芸に託した者の本望だとはよく言われることですが、そういう意味では、師匠の死も限りなく本望に近いものだったと断じて、けっして誤りではないでしょう。
 じつは昨年(2015年)八月の暑いさかりに、新宿のRyu's Bar(道楽亭)という所で四十人余りの観客を相手に「喜多八連続六夜」というのがあり、それに一夜だけ出かけました。隣席の客と話が通じて聞いてみると、全夜通しで来ているとのこと。まあ、よくもと思ったので、あんたの人生、もうおしまいなんじゃないのとからかってやりたくなりました(言いませんでしたが)。贔屓というのは恐ろしいものですね。師匠はこうした玄人筋にすこぶる人気があったようです。
 その時のこと、会場前に立ち並んでいると、やがて普段着の小さなおじさんが出てきて私たちを招き入れてくれます。はじめ気づかなかったのですが、師匠自らドアボーイをやってくれていたのですね。思わず声をかけたくなり、「連日の出演で疲れませんか」と聞くと、師匠、淡々と「いや、演じていて疲れるということはないです」。
 もちろんまだこの時は、彼が重い病にかかっていることは知りませんでしたから、なるほどそういうものかと単純に感心してしまったのですが、あとから考えてみると、「演じていて疲れることはない」という言い方の中には、病気が進行しているから衰えは感じるが、というニュアンスが暗に込められていたのですね。この短い会話が、師匠と交わした最初で最後の会話でした。
 さて開演間際になると、身動きもできないような狭い片隅にいて、羽織袴に着替えていきます。さえないドアボーイのおじさんが、一流の師匠に忽然と変身してゆく。その見事な早業がとても印象に残りました。
 私は昔から職人芸にあこがれてきました。ドアボーイをやったそのままの延長上で高座に上って脱力気味に話し始めながら、最後は聴衆を笑いと興奮の世界に連れて行ってしまう喜多八師匠。私も死が間近に迫ってきてなお書くことを続けていられたら、さりげなく言ってみたいものです――「いや、書いていて疲れるということはないです。」
 遅ればせながら、合掌。










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マイクロソフト君、アップグレードの押しつけは犯罪行為ですよ(追記)

2016年06月04日 20時58分02秒 | 社会評論
      





先に表題の記事を書きましたが、私の知人で、いきなりシャットダウン時と同じ画面になり、「アップグレードしています。何%終了」と告知され、手の施しようがなく、あわてて電源を切った人がいました。その後怖くて再起動することができず、当方に相談してきましたので、こちらのPCを立ち上げて、「ウィンドウズ10 勝手にアップグレード開始 対策」と打ち込んで検索したところ、以下のURLを見つけ、防止策を知ることができました。
http://www.lowlowlow.link/entry/2016/03/17/123508

お困りの方、このサイトに行ってみてください。とてもわかりやすく防止方法が書かれています。

しかし、ここには、防止策だけではなく、次のような恐るべきことが書かれていました。

Win10にはバックドアが仕掛けられていて・・・全ての情報はマイクロソフトとアメリカ政府に筒抜けになることも明らかになっています。(テロ対策という意味もある)
中国やソ連ではWindows10は使うなという命令が出ているほどなのですね。日本でも官公庁や大手企業では情報が流出する可能性が高いことからWindows10へのアップグレードは禁止するお達しが出ています。


サイバー攻撃戦争が熾烈を極めていることはニュースで知っていましたが、公的なやりとりに限定されているのだろうと思っていました。ところが上に書かれていることがもし本当だとすると、一般の民間人の情報交換もアメリカ政府に筒抜けであることになります。これは単にマイクロソフトという私企業の悪徳商法であるだけではなく、明らかにアメリカ政府による言論統制です。そういう目論見があるからこそ、あんなにしつこく、強引に10に更新させてしまうのかと思うと、得心がいきます。
「言論の自由」を謳い続けてきたあのアメリカがこんなことをしているとしたら、聞いてあきれます。テロ対策のためにやっているという建前があるからと言って、これを黙って受け入れることはけっしてできません。なぜなら、この強制的なアップグレードの背景には、情報戦争のために、なりふりかまわずプライバシーの侵害を行っている国家対国家の焦りの姿が彷彿と見えてくるからです。その点ではアメリカも中共と変わりません。いえ、反政府的な情報を露骨に遮断する中共よりも、アメリカのほうがより巧妙なのだと言えます。これは「テロ対策」という名のサイバー・テロなのだ考えたほうがよい。
もちろん、筒抜けになっても大して困らないという人が圧倒的多数なのかもしれません。しかし問題はそういうことではなく、「より進化したシステムに無料でアップしてあげます」という民間企業の誘い文句(しかもじつは大して進化していず、トラブルを起こすことの方が多い)を通して、じつはアメリカ政府が民間人のプライバシーを平気で侵害するという、その形式一般なのです。それを自由や人権を最も尊重すると標榜しているはずの国家がやっているということ、その驚くべき欺瞞性こそが問題なのです。
グローバリゼーションの嵐に見舞われている国家が国家としての体裁を保つためには、どんな血迷ったことでもする。ことほどさようにグローバリズムは人倫を蝕んでいるということなのでしょう。私たちは、10へのアップグレードを拒絶して、この流れにどこまでも抵抗しなくてはなりません。その抵抗を、マイクロソフトを通じて行うというのも皮肉な話ですが。
それにつけても、日本のマスコミの情けなさがここでも際立ちます。先の引用が事実とすれば、堂々と報道すべきではないでしょうか。NHKはユーザーの不満の声についてしか報じていませんでしたね。ノーテンキで気づいていないのか、それとも知っていながらいつもの属国根性でわざと隠しているのか。


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タックスヘイヴンとグローバル資本主義のゆくえ(その1)

2016年06月02日 18時44分31秒 | 経済
      



2016年4月、ロンドンで行われた、反緊縮財政デモ。10万人が参加したと伝えられる。


以下の文章は、パナマ文書のリークによってにわかに世界的話題となったタックスヘイヴン問題をめぐって、フェイスブック上で美津島明氏との間に交わしたやりとりを転載したものです。まず私が4月25日、パナマ文書に関する新 恭氏の「日本政府がタックスヘイブン対策に消極的な理由」という論考http://www.mag2.com/p/news/181248?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_0425 をめぐって、次のようなコメントを投稿しました。

タックスヘイヴンについての新恭(あらた・きょう)氏の以下の記事は、実態をよくとらえており、消費増税などによる国民へのしわ寄せを批判している点で、基本的に共感できるものですが、次の引用部分に関しては、抽象的で納得がいきません。タックスヘイヴンにため込まれている資金は単なる内部留保であり、何ら生産活動に寄与していないのですから、これに対して一国の政府が自国企業の所得や資産として課税を強化することが、どうして「世界経済戦争にのぞむ自国の企業の不利」に結びつくのかよく理解できないのです。どなたか経済に明るい方、この人の指摘が正しいかどうか、教えていただけないでしょうか。
【以下、新恭氏の論文からの引用】
「節税でも脱税でもなく、いわばグレーゾーンにある租税回避は、いまやグローバル資本主義になくてはならないものとして組み込まれている。それだけに、各国政府としても、税収奪還を厳しくやれば世界経済戦争にのぞむ自国の企業に不利というジレンマに悩んでいるのが実情だろう。」

それに対して美津島氏から、次のようなコメントをいただきました。その後、氏との間でパナマ文書やタックスヘイヴンをめぐるやり取りが続きました。美津島氏が私にバトンタッチしたところで中断していますが、これは、論題が、行き着くところまで進んだグローバル資本主義のゆくえという大変大きな世界史的テーマに及び、よくよく考えた上でないとヘタなことは言えないという感想を私が抱いたからです。とりあえず、現段階までをここに掲載することにいたします。

●美津島→小浜
別に、経済にそれほど明るいわけではないのですが、小浜さんの疑問に関して自分なりに分かっていることを申し上げます。まず、「内部留保」の解釈について。これは、会計学上のいわば俗称のようなもので、貸借対照表(いわゆるバランスシート)の借方の「資産」から貸方の「負債」を差し引いた「資本」から税金・出資者への配当金・役員賞与など外部に支払われる金額を控除した残高を「内部留保」と言っています。単なる計算上の数値ですから、とても抽象的な概念なのです。別に企業の金庫にそれだけの金額が貯め込まれている、というわけではないのです。それゆえ「内部留保」が、具体的に資産としてどう運用されているかは、特定のしようがないわけです。つまり、現金預金として貯め込まれているのか、有価証券に化けているのか、設備投資に回ったのか、あるいは、タックスヘイヴンでぬくぬくと太っているのか、特定のしようがないわけです。だから、小浜さんがおっしゃるように「何ら生産活動に寄与していない」とは言い切れないというか、もともとそういう言い方となじむ概念ではない、と言えるでしょう。長くなりそうなので、まずここまでよろしいでしょうか。腑に落ちない点があれば、なんでもおっしゃってください。

●小浜→美津島
ご回答ありがとうございます。なるほど、「内部留保」が設備投資などのかたちで生産活動に寄与している可能性があることは理解できました。もしその部分が大きいことが確証されるなら、グローバル競争に直接関与していることも考えられるわけですね。しかし、依然として、一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化することが、そのまま自国企業の海外での敗北に結びつくという論理がすっきりと理解できません。国際競争に勝つために大切なのは、あくまで世界の需要に応えるべく、良い品やサービスを安く提供するための生産活動そのものだからです。一国だけ突出して課税強化に手を付けると企業の資本が逃げてしまうと「何となく」「みんなが」思っているために、思い込みが常識となって力をふるっているのではないでしょうか。考え方によっては、他国(この場合はタックスヘイヴン)の法人税と自国のそれとに差がないならば、企業は海外展開にそれほどうまみを感じなくなって、国内需要のために生産拠点を自国に移そうとするというシナリオも想定できるように思うのですが、ちがうでしょうか。もっとも、タックスヘイヴンに合わせて自国の法人税を無条件に下げるというのでは、かえって法人税低下競争が起こり、よけい税収を確保できなくなるわけですが。重ねてご教示いただければ幸いです。

●美津島→小浜
ご返事、ありがとうございます。「依然として、一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化することが、そのまま自国企業の海外での敗北に結びつくという論理がすっきりと理解できません」。小浜さんのこの疑問を意識しつつも、しばし遠回りをすることをご容赦ください。というのは、ここには現代資本主義の行く末を考える上でとても大きな問題が潜んでいるような気がするからです。端的な物言いをして溜飲を下げてみてもしょうがないと思うのですね。さて、内部留保の抽象的な性格については、ご理解いただけたものとして、次に、グローバル企業の内部留保が拡大傾向にあることについて、どう理解すべきかを考えてみたいのです。内部留保の拡大とは、マルクス経済学の用語を使えば、「資本の自己増殖運動」そのものです。マルクス(あるいは、宇野経済学の目を通してみたマルクス)は、資本主義の本質は、労働力の商品化によって剰余価値を獲得する「資本の自己増殖運動」であると述べています。その指摘が正しいとするならば(私は正しいと思っています)、内部留保の拡大は、資本主義の本質がむき出しになったものであると言っていいでしょう。分かりやすく擬人法を使えば、内部留保の拡大は、資本主義の本能の表れである。で、そのような資本主義の本能の露出を許したものは、1980年代からの、デフレの招来を不可避的に伴う規制緩和という名のグローバリズムである。と、ここで生徒が来てしまいました。とりあえずここまでで投稿してしまいます。なにかあれば遠慮なくおしゃってください。

(ここで、一日、間が空きます)

続きです。前回申し上げたことをまとめると、規制緩和という名のグローバリズムは、宇野経済学の用語を借りれば、「資本主義の純粋化」をもたらす。すなわち、資本の自己増殖運動という資本主義の本質を鮮明化する。言い換えれば、資本主義の本能を解き放つ。以上です。ここで、タックスヘイヴンにご登場ねがいましょう。グローバル企業は、タックスヘイヴンの守秘法域という性格と避税機能とを活用することによって、資本の自己増殖過程への国家権力の介入を能う限り遠ざけることができます。そうすることで、グローバル企業は、グローバリズムの「意思」を体現することになる。で、グローバル企業間の競争の本質を、「資本の自己増殖の度合いの競い合い」ととらえるならば、「一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化すること」は、明らかに、国家権力による資本の増殖過程への介入を意味し、資本の自己増殖の度合いの競い合いというゲームに興じているグローバル企業の足をひっぱることになるのは間違いない、ということになります。一国が、グローバリズムを国是としているかぎり、そういう事態は避けるべきもの、危惧すべきものである。そのような「グローバル国家」が、法人への課税強化を「自国企業の海外での敗北に結びつく」と認識したとして何の不思議もありません。で、国家権力を担う政党は、グローバル企業がタックスヘイヴンを活用して資本の自己増殖ゲームに興じるのを認めるかわりに、巨額の政治献金を受け取ることに甘んじる、というスタンスに落ち着くことになりましょう(日本を含む欧米諸国の有力政党は、左右を問わず、そうなっているようです)。勢い、法人が払わなくなった税金は、消費増税という形で、一般国民からせしめる。本当のことを言ってしまうと国民が暴れだすので、あの手この手でだまくらかして、消費増税をしぶしぶ認めさせる。おおむね、そういうことになっているのではないでしょうか。そうして、行きつく先には、ハイテックなスーパー人頭税国家が待っている。それが、グローバル企業バンザイの新自由主義者が夢に描いている国家の未来像のようです。その場合、国家権力は、グローバル企業のために、一般国民に重税を課す大番頭のようなものに成り下がることになります。マルクス経済学において、労働者は、産業資本と契約を結ぶことで自分の労働力を搾取の対象とされることを余儀なくされます。でも、一応「契約」が介在しているわけです。しかし人頭税国家において、一般国民は「契約」の手続き抜きに、国家権力という大番頭を介して、グローバル企業から税金を搾取されることになるのですね。21世紀の純粋化された資本主義が、19世紀の産業資本主義の退廃形態という一面を有するゆえんです。

●小浜→美津島
恐ろしいシナリオをまことに「生き生きと」描き出していただきました。「資本主義の本能」にそのまま添うかぎり、国民国家としての防壁(民主主義もその重要な要素)は次々に崩され、国家はグローバリズムの奴隷と化していくわけですね。これは、柴山桂太氏が『静かなる大恐慌』(集英社新書)の中で紹介していた、ダニ・ロドリック教授のいう「国家主権、グローバリズム、民主政治」のトリレンマのうち、前二者が最後のものを駆逐してしまう状況を意味しています。タックスヘイヴンについては興味本位の陰謀論が飛び交っているようですが、ことの本質は、国家権力がグローバリズムに全面的に加担し、格差を極大化して中間層、一般庶民を奈落に突き落としてゆく、その過程にどのようにブレーキをかけるかという問題です。これは近著『デタラメが世界を動かしている』(PHP研究所)でも触れたのですが、世界の富裕層80人の資産が世界人口の半分、36億人のそれに匹敵するそうです。さてどうするか。マルクスの剰余労働価値説は私も正しいと思いますし、彼の分析した資本主義の末期症状が今まさに当てはまる状態になってきたと考えられます。しかし彼は私有財産の否定と暴力革命の肯定とを二つの大きな思想理念としていましたから、現在これをそのまま受け入れるわけにはいきません。彼は生まれてくるのが早すぎた思想家だったと言えるでしょう。資本主義と法治主義を守りながら不当な格差の問題をどのように解決するか。私たちの時代の難問はここにあります。トマ・ピケティ氏が提案した富裕層への累進課税率の引き上げも、彼自身が実現困難と認めています。多極化した現在の世界で「せ~の!」でやるわけにはいかないからですね。グローバリズムに対抗するには、まさにグローバリゼーションそのものへの規制ルール、特に資本移動の過度の自由を規制するルールを、問題意識を共有する有力国家群が一致協力して決める以外にはないと思います。ところで、4月30日放送の「チャンネル桜」で、高橋洋一氏が大蔵官僚としてのかつての経験を踏まえて、合法的である租税回避を摘発することはたいへん難しく、訴訟になるとかえって国が負けてしまい、何千億も取られてしまうと語っているのが印象的でした。節税と脱税の間に線を引くのは困難で、しかも大企業や顧問弁護士は自分を守るために何百億もかけて必死で抵抗するからだというのです。これはおそらく正しいでしょうね。感想も含め、お返事いただければ幸い。
http://www.nicovideo.jp/watch/1461917084
1/3【討論!】パナマ文書と世界経済の行方[桜H28/4/30]
◆パナマ文書と世界経済の行方パネリスト: 有本香(ジャーナリスト) 川上高司(拓殖大学海外事情...

●美津島→小浜
上記の討論会を拝見しました。元大蔵官僚の高橋氏の話は、おっしゃるとおり、現場感覚にあふれていて大変参考になりますね。タックスヘイヴンを利用した、大企業や富裕層の避税に関して、金融機関や会計事務所や弁護士が知恵を絞っているので、いくら疑わしくても、裁判で勝訴して税金をぶんどるのは極めてむずかしいというお話など、なかなか説得力がありますね。しかし、討論の全体的な印象としては、パナマ文書をめぐってのアメリカの陰謀説、アメリカによる中共政府叩き、などに話が偏っていて、パースペクティヴがやや狭いという感じがしました。そこで、と言っては何ですが、『アングラマネー』や『世界経済の支配機構が崩壊する』などの著者・藤井厳喜氏の、タックスヘイブンをめぐってのロング・インタビューがあり、それがタックス・ヘイヴン問題をめぐっての見通しの良いパースペクティヴを与えてくれるよう気がしますので、その写しを小浜さんにお送りし、情報の共有を図ったうえで、改めてお話しを続けるというのでいかがでしょうか。

(以上の手続きを経たうえで)

話しを続けましょう。藤井氏によれば、タックスヘイヴンは、米ソ冷戦のはざまで生まれました。石油・天然ガス・金・材木などの一次産品を売った代金としてのドルを(国家間の貿易は通常ドル建てで行われます)、当時のソ連は、アメリカに預けていました。しかし、冷戦が先鋭化するにしたがって、ソ連は、それをアメリカから凍結される危惧を抱くようになりました。それで、そのお金をロンドンのシティに持っていきました。それが当時は、正体不明のユーロ・ダラーと呼ばれました(昔、新聞記事に登場するユーロ・ダラーなるものがよく分からなくて苦慮したのを覚えています)。シティは、もともと歴史的に治外法権の地で、女王陛下でさえも当地区に入る場合、シティの市長の許可を得なければならないほどです。その特権をフル活用して、シティは、ユーロ・ダラーをイギリス国内法の規制を逃れるものにしてしまいました。イングランド銀行もそれを黙認するほかはありませんでした。で、シティは、イギリス王室属領(ジャージー島など)・英国海外領(ケイマン諸島など)・旧英国植民地(香港など)を取り込んで複雑化な蜘蛛の巣状のタックスヘイヴン・ネットワークを構築しました。アメリカは、それを後追いした形なのです。つまり、イギリスは、タックスヘイヴン先進国であり、タックスヘイヴン立国であるといえるでしょう(これは大きなポイントです)。タックスヘイヴン問題の転機が訪れたのは、2001年の9.11事件です。アメリカは、当事件をきっかけにテロ対策に本腰を入れ始めたのです。テロを撲滅するには、その資金源を断たねばなりません。そこでアメリカ政府は、アルカイダなどのテロ組織の資金源としてのアングラマネーを追跡し、それをロンダリングするタックスヘイヴンに着目することになります。ところが、タックスヘイヴンには、テロ組織のみならず、名だたるグローバル企業や大富豪の巨額のマネーが行き来していることが判明したのです。それは、1980年代以来の規制緩和の敢行によって、日本を含む欧米のグローバル企業が「資本主義の本能」を解き放たれ、資本の自己増殖過程を貫いた結果である、と言っても過言ではないでしょう。で、アメリカは、タックスヘイヴンそれ自体を規制の対象にし、その縮小を図ることでテロ資金の撲滅を実現しようとしてきたし、している。その延長上にFATCA(ファトカ)があり、さらには、パナマ文書流出問題がある。これが、一番大きな文脈でパナマ問題をとらえた言い方なのではないかと思われます。その場合、まっさきに追い詰められつつあるのは、テロ組織は当然のこととして、タックスヘイブン立国のイギリスなのではないかと思われます。アメリカ主導でタックスヘイヴンの規制が進めば進むほど、イギリスは行き場を失くし、危険な賭けに出る危険が高まる。その現れが、人民元帝国構想の一環としてのAIIBへの参加であり、ウクライナ紛争への資金供与である。藤井氏の論にしたがえば、そんな風にとらえることができるのではないでしょうか。

●小浜→美津島
藤井厳喜氏のインタビュー記事、ありがとうございます。たいへん参考になりました。ここで言われていることは、おおむねそのとおりと思いますが、FATCAに対する期待感が少し楽観的に過ぎるのではないかと感じました。というのは、FATCAは明らかにアメリカ政府が自分の国益のために設立して他国(スイス、ロンドンのシティなど)の合意を半ば無理やり取り付けたもので、これが真の意味の公共精神に根差しているとは思えないからです。FATCAの場合、アメリカ本土以外のタックスヘイヴンに対しては、たしかに守秘法域と租税回避を解除させるために、企業名や金額を教えないとアメリカに投資させないという脅しをかけ(これは一定程度成功したようですね)、また「教えてくれればウチに投資しているお宅の企業情報も知らせてあげるよ」という交換条件で各国政府に協力を呼びかけたわけですが、これが果たして税の公正な徴収や貧富の格差の是正に結びつくのかどうか。というのは、ご存じのとおり、第一に、パナマ文書は、アメリカの政治家やグローバル企業の名前が今のところ発表されていません。第二に、アメリカ国内には、すでにサウスダコタ州、ワイオミング州、デラウェア州などにタックスヘイヴンが存在すると言われています。以上の事実を素直に受け取るなら、アメリカ政府のFATCA実施の目的は、行き過ぎた資本移動の自由やその結果としての極端な貧富の格差に規制をかける所にあるというよりは、むしろ他国に流れている資本を本国に呼び戻す所にあると考えられます。これはたとえて言えば、横に広がっているものを自分中心の縦軸に集めるということです。そうすることによって経済的覇権を取り戻すわけです。もしそうだとすると、美津島さんがいみじくも「グローバル国家」と呼んだ(私の知るかぎり、グローバリズムと国家とを対立項としてでなく一つに結合して見せたのは美津島さんが初めてではないかと思います)事態がまさにアメリカという超大国において実現しつつあることになるわけで、政府はグローバリズム資本と癒着して国家はグローバリズムの奴隷(つまり「大番頭」)になり下がるわけですね。そこでは官許アングラマネーもさぞかし跋扈することでしょう。OECDの建前上の努力も、しょせん先進国政府と国際金融資本によっていいように操られるのではないでしょうか。国際金融資本は世界に冷戦や紛争などの不安定要素を作り出すことによって利益を生み出すというのは、今日ほぼ常識となっていますから、彼らが金の力にものを言わせるかぎり、当分世界平和の維持や公正な所得の実現などは夢のまた夢。産業資本主義時代に生きたマルクスの、「生産力と生産関係の矛盾が極限に達して桎梏に変じた時、必然的に矛盾の止揚としての革命に発展する」という予言は、この金融資本主義の時代においてこそ不気味なリアリティを持ってきます。アメリカ大統領予備選でトランプ氏が共和党候補として確定し、サンダース氏が大健闘しているのも、この経済的矛盾を最も体現しているのがアメリカだからと言えそうです。どちらもウォール街に反感を持つ貧困層の圧倒的な支持を受けているからです。今後もし革命が起きるとしたら、まずはアメリカか、はたまた中国か。

●美津島→小浜
興味深い論点をたくさん提示していただきながら、すぐに返事ができなかったことをお詫びいたします。さて、一点目。パナマ文書がアメリカの国益を体現する勢力によって漏えいされたと仮定したうえで、その目的は「他国に流れている資本をアメリカ本国に呼び戻す所にある」のかどうか。小浜さんは、そうではないかとおっしゃっていますね。私としても、格別それに異を唱える理由はありません。というより大いにありえることでしょう。なぜか。その理由の核心は、国際関係ジャーナリスト・北野幸伯氏が言うように「いまのアメリカの最大の課題は、いかにして低下しつつある覇権国の地位を維持するかである」ということに深く関わります。覇権を維持するうえでの最大のポイントは、なんでしょうか。世界最強の軍事力を維持することはもちろんでしょうが、そのためにも、ドルは基軸通貨(国際通貨)であり続けなければなりません。ドルが基軸通貨であるかぎり、アメリカは、いくら双子の赤字で苦しもうとも、いくらでもドルを刷って他国から好きなだけ物品を輸入することができます。つまり最強の経済力を維持することができます。で、逆に、ドルが基軸通貨でなくなれば、双子の赤字は、いまのギリシャのように、アメリカ経済の首根っこを締め付けることになり、GDPは激減を続け、アメリカは覇権国家の地位から陥落することになるでしょう。では、いかにしてドル基軸通貨体制を維持するか。それは、世界の金融資本地図においていまだに大きな(隠然たる)力を保有し続けているイギリスはロンドン・シティの世界大のタックスヘイブン網を潰し、そこに滞留している巨額のドルを自国内のタックスヘイヴンに流入させることによってでしょう。つまり、イギリスから金融立国の地位を奪い、ウォール街を世界金融資本の唯一の中枢にすることによって、ドル基軸体制はとりあえず保たれる。アメリカの権力中枢がそう考え、ウォール街がそれに加担したとしてもなんの不思議もありません。それは、中共に傾斜し経済における事実上の同盟関係を築きつつある英国の国力を衰退させ、英中の絆を分断することで、中共をけん制する、という安全保障面からも理にかなった考え方でしょう。米中新冷戦時代において筋道の通った意思決定であるといえるでしょうね。しかし他方で、5月10日の「ヴォイス」にコメンテーターとして出演した藤井厳喜氏によれば、オバマは、デラウェア州・ワイオミング州・サウスダコタ州などの国内タックスヘイヴンに介入すると言明してもいます。https://www.youtube.com/watch?v=MFieATtz5X4&app=desktop タックスヘイブン情報を他国と共有・交換するFATCAの実施に至る、アメリカのタックスヘイヴンとの長い闘いのきっかけが、2001年9.11事件にあることを思い起こせば、それもむべなるかなと思われます。もしも、覇権国維持のためにアメリカが世界で唯一のタックスヘイヴン国家になってしまうと、アメリカは、イスラム原理主義のテロ勢力にタックスヘイヴンを通じて巨額の軍資金を与える最有力・テロ支援国家になってしまうわけです。それは困る、というわけで、オバマは「国内タックスヘイヴンに介入する」と言明するのでしょう。ここには、明らかに矛盾があります。つまり、アメリカは、衰退する覇権国であるがゆえの大きな矛盾を、タックスヘイヴンをめぐって抱えこんでしまっている。この矛盾をどう昇華するか、という問題は、おそらく、今後の世界史に大きな影響を与えてしまうことでしょう。ここをもう少し引き延ばすと、小浜さんの「今後もし革命が起きるとしたら、まずはアメリカか、はたまた中国か」というもうひとつの論点につながるような気もします。しかし、ひとつの論点をめぐって、字数をたくさん費やしてしまいました。とりあえずここまでで、バトンタッチします。
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マイクロソフト君、アップグレードの押しつけは犯罪行為ですよ

2016年05月24日 00時17分51秒 | 社会評論
      





 世界中でもうたくさんの人が経験しているでしょうが、ここのところ数か月、ずっと、マイクロソフト社のOS「ウィンドウズ」のユーザーに対して、「ウィンドウズ10へのアップグレードが無料でできます」というメッセージが画面を占領し、何度×をつけてもしつこく繰り返されてきました。それが次第にエスカレートし、今では日を指定して勝手にアップグレードしてしまうようになっています。その日付も画面上では気づきにくく、しかもPCを開いていなければ気づきようがありません。朝起きてみたらいつの間にか10に変わっていたといった声も多く聞かれます。今日(5月23日)のNHKニュースウェブでも取り上げられていましたね。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160519/k10010527561000.html

 私の場合、8.1を使っているのですが、つい先日、いきなり画面を占領され、一方的に「アップグレードします」と宣告されました。その画面が出ている間、他の画面への移行がまったくできません。しかし「拒否しますか?」というボタンがあるので、もちろんそれを押しました。するともう一度「ほんとうに拒否しますか?」と出たので、やはりそれを押しました。そうしたら起動時の画面に変わり、「数回の再起動が必要です」と出ました。そしてインターネットとの接続が断たれたのです。ちょうど数あるメールを読み込んでいる最中でした。(このあたり、あまりPCに強くないので、このとおりの経過ではなかったかもしれません。)
 これまでもアップグレードのメッセージが出るたびにけっこうイライラしていたのですが、ネットにつながらないとあってはそのイライラもいっそう募ります。いくら再起動を繰り返してもつながらないので、電話で知人に尋ねたところ、画面右下のタスクバーに、PCそのものがネットとの連結を断たれていることを示す「インターネットアクセス」というアイコンが出ているからそこをクリックしてつなぎ直す必要があると教えてくれました。で、その通りにすると、右側から「ネットワーク」の画面が出ます。接続環境を示すいくつかの記号が並んでいます。これは自分が直接使用しているものだけでなく、近所で使われているものまで拾ってしまうそうですね。私はWifiを使っているので、それに適合する記号を記憶の中から何とか呼び出し、それをクリックしました。すると今度は、「セキュリティキー」を打ち込まなくてはならなくなりました。セキュリティキー、セキュリティキー、ええっとどこに記録してあったんだっけ。Wifiをいじくりまわしてもなかなか出ません。説明書にノートしておかなかったっけ? 引っ越しの際にどこかに紛れていくら探しても出てこない(イライラ絶頂)。
 あれこれやっているうちに、ようやくWifiの中に記録されている場所を見つけました。これでようやくネットにつなげることができたのです。見つけてみると「なあんだ」という話なのですが、しかし日ごろこの種の操作をやりつけていないと、すぐにはわからないですよね。おまけに私はPCを始めたのも遅く、しかも高齢者です。私のような人も世の中にはわんさかいるはず。とにかくマイクロ君の押し売りまがい、ストーカーまがいの行為のせいで悪戦苦闘すること2時間、これだけの労働時間をマイクロ君に収奪されたわけです。
 慣れている人なら、こんな悪戦苦闘はお笑いに属するのかもしれません。しかしユーザーの誰もがそんなに慣れているわけはない。困っている人、怒っている人もたくさんいるでしょう。
 ともかく私は、このあこぎなやり方が頭にきたので、多くの被害者がいるに違いないと思い、ネットで調べ、人にも聞いてみました。そうしたら案の定、出てくるわ、出てくるわ。ネットからは一つだけ不満が満載されているサイトを紹介しておきます。
http://togetter.com/li/976577

 人から聞いた話をまとめます。

①古いパソコンを使っていたが、10に変えたらまったく操作不能になり、近所の電気屋さんで調べてもらったら、修復不能と言われ、新しいのに買い替えなくてはならなかった。
②あまり勧誘がしつこいのでつい10に変えたら、使い勝手が違い、慣れることができず変えたことを後悔している。
③7や8.1との互換性が低く、これまで使っていた周辺機器との接続ができなくなった。
④同じく、これまで使えたソフトが使えなくなった。


 私などはまだまだ軽傷で済みました。いずれにしても、これは悪徳商法であり犯罪行為です。いくら無料といっても現に取り返しのつかない被害をこんなに広汎に及ぼしているのですから。
 コンピュータをめぐるトラブルはこれまで数限りなくありましたね。「ヘルプ」などは全然役に立たず、用語からして素人にはわからない。ITに詳しい若い知人・友人がいればいいけれど、いない人はどうすればいいのか。また仮にいたとしても、相手も忙しかったり、時間帯が遅かったりしたら、そうそう気安く人に相談するわけにもいかないでしょう。SEに頼んだら大金を取られるでしょうし、頼んでもなかなか来てくれない。締め切りのある仕事を抱えている人がごまんといるのに、いったいこの体制の不備は何なんだと。
 それでもユーザーは、涙ぐましい苦労を重ねた上で何とか乗り切ってきたのです。複数のベテラン・ユーザーから、「コンピュータは欠陥商品です」というのを聞いたことがあります。安くないお金をかけて買ったのにどう使いこなしてよいかなかなかわからず、ごく普通の消費者に大きな努力を強いたり、いたずらに神経を消耗させるような商品は、明らかに欠陥商品ですね。にもかかわらず、必要上やむを得ないということで、私たちは我慢に我慢を重ね、やっとそこそこ使いこなせるようになったのです。
 それにしても、マイクロ君のこのたびのやり口は度を越しています。こういうことをやって平然としているマイクロ君は、商いというものの基本精神がまったくわかっていません。先述のNHKニュースウェブには、当のマイクロソフト社の担当者の弁が出てきます。

今回の騒動について、日本マイクロソフトの担当者は、無償期間の終了が迫っていることから、通知画面を変更したことが理由ではないかと話しています。
通知画面は5月13日に変更されました。この変更によって画面には「Windows10はこのPCで推奨される更新プログラムです。このPCは次の予定でアップグレードされます」などと表示され、併せてアップグレードが実行される日時が示されるようになりました。
最近この画面を見た人も多いのではないでしょうか。中には、あとでアップグレードしようと思い、右上の「×」印をクリックして表示を消した人もいるかもしれません。
しかし、マイクロソフトによりますと、この操作だけでは、通知画面が消えただけで、予定をキャンセルしたことにはならないということです。そのため、利用者の思わぬ形でアップグレードされるという事態が起きているというのです。


 本当にこのとおりだとしたら、開いた口が塞がりません。これではまるで、いいものを勧めてやっているんだから、きちんと認知して理解しないお前らのほうが悪いと言っているようではありませんか。こういうことを平然と言い放つ担当者は、傲慢そのものです。商品を売る人が顧客に対してわきまえるべき反省点が何も備わっていないのです。反省点とは、
①10が果たして普通のユーザーにとって本当にいい商品なのかをまったく疑っていない。
②自分で勝手に通知画面を変更しておきながら、「理由ではないか」とは何事か。まず不手際を詫びるべきではないか。
③「この操作だけでは、予定をキャンセルしたことにはならない」などと澄まして説明する前に、「宣伝に行き過ぎた点がありました」と頭を下げるべきではないか。
④アップグレードへの誘導をどんどんエスカレートさせて強制的なところにまでたどり着いた結果として混乱した事態が起きているのに、その点について何も触れていず、まるで他人事のように、×をつけたユーザーの理解不十分が混乱の原因だと言っているかのようである。

 車や家電製品に少しでも欠陥が見つかれば直ちにリコールになり、しかもその企業は一気に評判を落とすのに、電子情報産業には、こうした顧客第一を考える商習慣がまったく身についていないようです。誰か訴訟を起こしてもよさそうな事態なのに、受ける側も、とにかく新しい世界なので「自分がマスターできていないのが悪い」と殊勝にも考えてしまうのでしょうか。しかし我慢せずに憤りを率直に表現すべきだと思います。
 ところで、マイクロ君はなぜこんな強引な商法に打って出たのか。以下の資料によると、これまでのいくつものヴァージョンで成功と失敗を繰り返してきたマイクロ君は、7が成功したのに8で失敗したために、7の次世代版を狙って10で起死回生を試みようとしているということのようです。ところが7の人気は根強く今でも約半分のシェアを占めるのに、10はせいぜい15%、そこで期限付き(2016年7月まで)無料アップグレードを続けることで一気にシェアを拡大させようという魂胆らしい。しかし無料期間が終わったら果たして多くのユーザーが更新するかどうかは未知数だと、この資料の著者も言っています。
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1456187443/

 何よりも、こういう調子でユーザーの意向を無視したくるくる変える強引な商法を続けていく限り、遠からぬうちに7や8の対応商品はもう打ち切りですということにするに決まっています。「技術革新」という信仰に取りつかれて、多様な顧客の気持ちに配慮することを忘れてしまったマイクロ君。君には職業倫理というものがないのか。「三方よし」の近江商人をちっとは見習うといい。
 とにかくこんなことを続けていると、そのうち愛想を尽かされて、じゃあいっそアップルに変えようという人が大量に出てくる可能性がありますよ。特に日本では私のような高齢者のユーザーがこれからますます増えるでしょうから、若い人だけをターゲットにしたこんな変化のスピードにはもうとてもついていけないと感じるようになるでしょう。悪徳商法から早く足を洗った方が身のためだと思いますけれどね。少なくとも私は、使い慣れた今のOSを変える気はまったくありません。

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日本人よ、国連信仰から脱却せよ(その2)

2016年04月29日 17時58分33秒 | 政治

      



(その2)を書く気はなかったのですが、短い間に情勢が変化したので、追加します。
 4月23日付の当ブログ「日本人よ、国連信仰から脱却せよ」の冒頭部分で、筆者は次のように書きました。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/eb32263d8947a1441f600f23425f0fa5

 2016年4月19日、国連人権理事会の特別報告者、デービッド・ケイなる人物が記者会見し、「>日本の報道の独立性は(政府の圧力によって)重大な脅威にさらされている」と述べました(産経新聞4月23日付)。この人物は、国会議員や報道機関関係者、NGO関係者らの話を聞いてこう判断したそうですが、いったい誰に聞いたんでしょうね。だいたい想像はつきますが、それにしても、この発言の、実態とのあまりの乖離ぶりと、その質の低さには思わずのけぞってしまいます。日本ほど言論や報道の自由が許されている国が世界のどこにありましょうか。

 しかしその後、ケイ氏が記者会見で、単に政府の圧力による報道機関の危機を訴えただけではなく、日本のマスコミの政府からの非自立的な姿勢を批判し、記者クラブの廃止や報道監視のための独立機関の設立をを提案していることを知りました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160426-00057026/
 このケイ氏の提案に関しては、それが報道関係者の責任をより強く自覚させる効果を持つことを保証するものであるかぎりにおいて、ほぼ支持することができます。日本のマスコミは、たしかに右から左まで、だらしない御用マスコミと化している側面(たとえば消費増税肯定、大本営発表的な景気判断の垂れ流し、TPPや規制緩和路線に対する無批判、財務省発「国の借金一千兆円」説のデマのしつこい流布)を否定できず、インターネット上においてたびたびその姿勢を批判されているからです。しかもこの部分は、大部分のマスコミが意図的に報道しなかったようですが、それは事実報道を使命とする報道機関として許されてはならないことです。
 以上の点について、上記引用部分には、産経新聞の記事を鵜呑みにして論じた筆者の軽率ぶりがうかがえます。すでに公開した記事なので削除はしませんが、この場で新たに、引用部分のように安易には決めつけられないことを表明し、読者のみなさまにお詫び申し上げます。

 そのうえで、国連の人権理事会その他機関のこの種の日本への干渉が最近とみに目立ち、その背景に中共、韓国、および日本の反日勢力の存在があるに違いないという筆者の確信に関しては、ここで改めて強調しておきたいと思います。たとえば先の記者会見記事によると、ケイ氏は同時に放送法第四条の廃止を提案していますが、この提案は、明らかに度を越した内政干渉(余計なおせっかい)であり、国家主権を脅かすものです。なぜならば、放送法第四条は誰が読んでも、この国の秩序と平和を維持するために、放送機関が持つべき当然の責任と倫理を課したものであり、憲法第12条後段の「又、国民は、これ(国民の自由及び権利――引用者注)を濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という規定を放送機関にそのまま適用したものだからです。

放送法第四条第一項:
放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 こういう倫理規範が国家の名で謳われていることは非常に大切であるにもかかわらず、その廃止をなぜケイ氏は主張するのか。ここからは筆者の想像になりますが、国連人権理事会なる機関が、おおむね三つの力学のアマルガムをその中核の精神としているからだと思われます。
 一つは、個人や民間組織の自由・権利を至高のものとして掲げる欧米的な理念の力、二つ目は、マイノリティ尊重という建前に立った多文化主義の力、そして三つ目は、これらをひそかに利用して日本の統治を弱体化させようとする中、韓、国内反日勢力です。最後のものについては、前期記事で詳しく述べたとおりです。第一と第二の力だけを国連の理想として崇めると、そこに第三の力が強力にはたらいていることが見えなくなり、お人好しニッポンはじわじわと自分の国の主権を侵害されていくのを拱手傍観していることになるわけです。
 次のような情報に接しました。これもネット上で大きく話題にされているようです。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/27/united-nation-okinawa-native_n_9791804.html

これまでに国連の人種差別撤廃委員会などは、沖縄の人々を先住民族として認め、土地や天然資源に対する権利を保障するよう日本政府に法改正を求めている。2014年8月には「沖縄の人々は先住民族」として、その権利を保護するよう勧告する「最終見解」を採択した。
これについて宮崎氏(自民党議員――引用者注)は「国益に関わる大きなリスクだ。尖閣諸島を含む沖縄の土地や天然資源が、どこに帰属するのかを問題にされかねない話だ」と批判。「多くの沖縄県民は先住民族だと思っていません。誠に失礼な話だと思う。民族分断工作と言ってもいいようなことを放置しないでほしい」と政府への対応を求めた。
外務省の飯島俊郎参事官は「政府として先住民族として認識しているのは、アイヌの人々以外には存在いたしません。これら(国連の)委員会による最終見解や勧告などによって、日本の立場が変更されたということはございません」と答弁した。
また木原・外務副大臣は、沖縄県・豊見城市議会が国連勧告撤回を求める意見書を採択したことに触れ「政府の立場と異なる勧告や、実情を反映していない意見については、事実上の撤回や修正をするよう働きかけていきたい」と述べた。


 いかがですか。ここで宮崎議員が「民族分断工作」と述べているその主体がだれ(どこの国)を指しているかは言うまでもないでしょう。国連は、明らかにこの勢力に加担しているのです。その国が尖閣のみならず、次なる目標として沖縄の領有を狙っていることは、しきりに問題にされています。真偽のほどは定かではありませんが、その国の外務省から流出したとされる地図を以下に掲げておきましょう。これもネットで評判になっていますね。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-4980.html
【中国2050年の戦略地図】



 それにしても、外務省の答弁も一応優等生的に答えてはいるものの、本当にやる気があるのかどうか、この官庁のこれまでの姿勢から推して、はなはだ心もとないと言わざるを得ません。なぜ「働きかけていきたい」などと弱腰の表現で済ませて、「断固撤回するよう、強く要求していく」と言えないのでしょうか。
 以上によって、国連が「ちょろい」日本をいかに舐めてかかっているか、そうしてその姿勢を利用する反日勢力がいかに狡猾に「戦勝国包囲網」を作り上げようとしているかが明らかになったと思います。繰り返しますが、私たちは、偉そうな「上から目線」で日本にあれこれ提案したり要求したりしてくる国連の言うことを、けっしてまともに受け入れてはなりません。臨機応変につきあっておく必要はあるでしょうが、わが国の国益は国連の勧告などより常に先立つのだということをよくよく肝に銘じましょう。






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ケント・ギルバート氏と対談しました

2016年04月25日 14時25分45秒 | お知らせ
ケント・ギルバート氏と東アジアの安全保障について対談しました。

全文を以下のURLで読むことができます。
http://shuchi.php.co.jp/voice/detail/2980

以下の本にも収録されています。

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日本人よ、国連信仰から脱却せよ

2016年04月23日 22時46分39秒 | 政治

        



 2016年4月19日、国連人権理事会の特別報告者、デービッド・ケイなる人物が記者会見し、「>日本の報道の独立性は(政府の圧力によって)重大な脅威にさらされている」と述べました(産経新聞4月23日付)。この人物は、国会議員や報道機関関係者、NGO関係者らの話を聞いてこう判断したそうですが、いったい誰に聞いたんでしょうね。だいたい想像はつきますが、それにしても、この発言の、実態とのあまりの乖離ぶりと、その質の低さには思わずのけぞってしまいます。日本ほど言論や報道の自由が許されている国が世界のどこにありましょうか。許され過ぎて、まさに反日パヨクによる偏向言論や偏向報道が思うざまのさばっているではありませんか。
 申すまでもなく、これは2016年2月に高市早苗総務相が国会で、放送法第四条と電波法第七六条に関わる発言をして物議をかもしたことに関わっています。反日左派メディアはいっせいにこの発言を歪曲して伝え、岸井成格氏、鳥越俊太郎氏、田原総一郎氏ら「有名」ジャーナリストが大慌てで記者会見を開き、高市発言は報道の自由を侵すものだと騒ぎ立てました。この人たちは、しょっちゅう偏向報道をやってきたくせに、その反省もなく、自分たちの活動に少しばかり言及されると、たちまちわがままなガキみたいに被害妄想ぶりを発揮します。まさにマスメディアの腐敗の象徴です。
 ところで、実際の高市氏の発言を議事録で読むと(http://theplatnews.com/p=1011
)、民主党(当時)議員のしつこい誘導尋問に対して、「行政が何度要請してもまったく改善しない放送局に、何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性がまったくないとは言えない」と答えているだけで、公正中立を守るべきだという電波法の当然の原則に忠実に従ったものにすぎません。これがどうして「報道の独立性は重大な脅威にさらされている」ことになるのか。
 国連人権理事会はいったい何を狙っているのでしょう。当然背後には中共の影が彷彿とします。蟹は己れの甲羅に似せて穴を掘ると言います。「重大な脅威にさらされ」つづけてきたのはもちろん中共政府に批判的なジャーナリストですから、ケイ氏はおそらく中共政府筋からの何らかの圧力のもとに、中共の実態と日本の実態とを意識的に一緒くたにしているのでしょう。そうではなくて、もし自主的にそうしたのだとしたら、日本の現実を何も知らないアホとしか言いようがありません。

 ところで、この間の国連の日本に対する言いがかりの連発には、目に余るものがありますね。列挙してみましょう。

①いわゆる「南京大虐殺」資料のユネスコ記憶遺産登録。
②女子差別撤廃委員会が、慰安婦問題に対して金銭賠償や公式謝罪を含む「完全かつ効果的な賠償」を求めたこと。
③同委員会が2016年3月7日の最終報告において、日本の最高裁が下した「夫婦同姓は合憲」判決に対して、女性差別であるとの見解を表明したこと。
④同委員会が同じく最終報告で、「女性は離婚後六か月間再婚できない」という民法の規定に最高裁が下した「百日を超えて再婚を禁止するのは違憲」なる緩和判断に対して、これも女性差別であるとの見解を表明したこと。
⑤同委員会の最終報告案に、皇位継承権が男系男子だけにあるのは女性差別であるとの見解が含まれていたこと
(日本側の抗議により削除)。

 これらについての詳しい説明と批判については拙著『デタラメが世界を動かしている』(PHP研究所)をお読みください。
 さて何よりも問題なのは、国連という機関が、その世界普遍性の装いを傘に着て、言いたい放題をやっていること、そうしてそれに対して日本(特に外務省)が何も有効な反撃対策を打っていないことです。こういう問題に時間と金を費やすことは、中共などの情報戦・歴史戦に対抗して国家主権を守るために非常に大切なのですが、外(害)務省は一貫して事なかれ主義を決め込んでいます。
 しかし事態をよく見れば(よく見なくても)、ここのところ、国連という組織の「人権派」が、世界に対して、「人権の尊重されていない国・日本」「歴史修正主義者・安倍に支配されている国」というイメージをことあるごとにアピールしようとしていることは歴然としています。
 それもそのはず、国際連合(United Nations)とはもともと第二次世界大戦の戦勝国である連合国を意味する言葉であり、「国際(International)」という意味合いは入っていません。そこに大戦後、中国内戦で蒋介石の中華民国を破った毛沢東の中華人民共和国がただ乗りして、自分たちも日本に対する戦勝国であると詐称しているわけです。
 また国連憲章にはいまだに第53条と第107条の「敵国条項」というのが残されています。死文化しているという人もいますが、けっしてそうではありません。情勢次第で、これは大いに利用できるのです。たとえば53条によれば、「敵国」日本が覇権主義を再現することがあると判断された場合には、安保理の決定を待たずして制裁戦争を起こすことができます。さらに107条は戦後の過渡的期間に行なった占領統治などの措置についての規定ですが、「過渡的期間」がいつまでを指すのかあいまいで、見方によっては永久にそう見なすこともできるのです。
 そこで、たとえば中共が、日本を覇権主義国家と決めつけて制裁戦争の名目で侵略することもできるわけですし、その過程で日本を制覇すれば、元から軍国主義国家だった日本を占領統治すると称して、その「過渡的期間」をアメリカに代わってずっと続けるという想定も成り立つわけです。覇権を後退させて中共と本気で闘う気のないアメリカが、「うん、それじゃ日本は君に任せるよ、東アジアで仲良くやってね」と言い出さないとも限りません。こういうことをやくざ国家・中共は必ず考慮に入れていると私は思います。
 ですから、外務省はまずこの「敵国条項」の削除を真っ先に国連に要求すべきなのですが、そういうはたらきかけをしている気配は一向にありません。

 外務省はまさに国際社会に対する日本人の外向きの顔を象徴しています。大方の日本人は「何となく」、国際連合というのは国家よりも上位にあって、どんな場合にも中立的な立場から国際紛争を調停する機関だと考えているようですが、それは大きな間違いです。その何よりの証拠に、これだけの大国になっている日本やドイツはいまだに常任理事国入りを許されていませんね。
 国連は、世界平和を実現するという建前を取っていながら、じつは戦勝国(詐称している中共や、戦中まで日本の一部であったはずの韓国も含む)の国益に叶うならいくらでも利用されうるし、彼らが国益に叶わないとみなすなら何の意味もない無力な機関です。韓国人である潘基文事務総長自身が、国連は別に中立的な機関ではないと言明しているのです。
 その国連に日本は膨大な金を払っています。それなのに、ユネスコ、人権理事会、その傘下にある女性差別撤廃委員会など、国連の重要機関に勝手なことをさせておいてよいのでしょうか。これらは、国家の上位にある組織でも何でもなく、ただ特定の野心をもった国々にとって利用価値のある単なる圧力団体にすぎません。今回の一連の日本非難をきっかけとして、日本人はそのことをはっきりと悟るべきなのです。
 私は、あの松岡洋右のように、そんな腐敗した敵対的な組織ならさっさと脱退してしまえなどと短気なことを勧めているのではありません。孤立はかえってよくない。お金をたくさん払っている以上、株主と同じように大きな発言権を持つのは当然です。わが国に対して不当なことをしている中共、韓国、それを許しているアメリカをはじめとした先進各国に、その不当さを大きな声で訴えていくべきだと言いたいのです。
 他の国が普通にやっているように、何であれ利用価値のある国際組織や国際機関は大いに利用すべきです。それは、仮想敵国・中共の露骨な膨張主義を抑止するために、それを警戒している同盟国アメリカや、外交のもっていきかた次第でこちらになびく可能性もあるロシアをうまく利用すべきであるのと同じです。
 日本人よ、国連が国際紛争を解決し、世界平和を希求する理想的な機関だなどという幻想から一刻も早く目覚め、その実態を正しく値踏みするようにしましょう。



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『デタラメが世界を動かしている』もうすぐ発売!

2016年04月19日 21時17分53秒 | お知らせ
拙著『デタラメが世界を動かしている』(PHP研究所)が、23日に発売になります。
全国書店、ネット書店で予約受付中。 定価1700円(本体) 384ページ


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【内容紹介】
ここ数年、いや、この半年だけを振り返ってみても、国内外の政治、経済、社会の動きには、どうにも解せないものが多い。それらの事象に対するメディアや知識人の「解説」にいたっては、なおさらの感がある。
2015年末に突如として発表された「日韓合意」、国連が日本に仕掛ける情報戦(歴史戦)、「グローバリズム」「国際平和」への妄信、海外要因にもかかわらず下がり続ける日経平均株価、不透明なTPP、既成事実であるかのように語られる消費増税、労働者派遣法改革、英語公用語化、発送電分離、くすぶる反原発ムード……。
かくも数多くのデタラメが現実に進行しているわけだが、それをただ愚劣だと笑って済ませるわけにはいかない。これらが愚劣どころか、日本国民にいかなる災難をもたらしかねないかを、客観的なデータを用いながら、「国民目線」でわかりやすく解説する。ケント・ギルバート氏とのガチンコ対談「日本外交というデタラメ」も収録!


【目次】
    はじめに 
    第一章 歴史認識というデタラメ
    第二章 アベノミクスというデタラメ
    第三章 グローバリズムというデタラメ
    第四章 国際平和というデタラメ
    第五章 デモクラシー(民衆支配)というデタラメ
    第六章 反原発というデタラメ
    第七章 戦後知識人というデタラメ
    第八章 日本外交というデタラメ(ケント・ギルバート氏とのガチンコ対談)
    終 章 絶望の中をそれでも生きる――あとがきに代えて


【「はじめに」より抜粋】

  いま一般の日本人の多くは、「何となく」次のように信じているのではないでしょうか。

  ①「日韓合意」はまあよかった。
  ②「南京大虐殺」はほぼ史実に近い。
  ③生活は苦しくなっているが、ほかに代わりがいないから安倍政権を支持するしかない。
  ④このままだと国の借金がかさんで日本は財政破綻するから消費増税はやむを得ない。
  ⑤日本はこれから人口減だしモノがあり余っているから、需要はもう伸びないだろう。
  ⑥景気の波は天候の変化のようなものだから、日和を待つしかない。
  ⑦金融緩和とマイナス金利政策を続けていれば、いつかデフレから脱却できる。
  ⑧女性も男性とまったく平等に社会で活躍すべきだ。
  ⑨TPPに代表される自由貿易の拡大はよいことだ。
  ⑩自由競争を阻害する規制は壊すべきだ。
  ⑪失業率が下がっているようだから雇用はかなり改善されつつある。
  ⑫人口減で人手不足なら労働移民拡大もやむを得ない。
  ⑬日本の農業は補助金漬けだ。農協をつぶして農業を新しくビジネスとしてとらえ直すべきだ。
  ⑭英語教育を強化しないとグローバル社会の競争に勝てない。
  ⑮電力自由化は避けられない流れだ。
  ⑯EUはこれからもそのまま存続するだろうし、存続させるべきだ。
  ⑰テロは絶対に許されない。
  ⑱自由、平等、博愛という近代的価値は普遍的だ
  ⑲貧富の格差は資本主義社会である以上、仕方がない。
  ⑳中国と日本は、対話を通して仲良くすべきだ。
  ㉑中国の市場は巨大で魅力がある。
  ㉒国会議員の定数は削減すべきだ。
  ㉓一票の格差は是正されるべきだ。
  ㉔日本の民主主義はまあ安定している。
  ㉕婚外子にも平等な相続権がある。
  ㉖原発は危険だから、再生可能エネルギーに転換していくべきだ。
  ㉗知識人は学識があるのだから、彼らの言うことはまあ信用しておこう。

  この本では、これらがすべて誤りであるか、または浅薄な考えであることを明らかにします。なお、なに
 ぶん問題が多岐に渡っていますので、すべてを読み通すのがかったるいと感じられた方は、関心のある章を
 選んで読んでいただいてもけっこうです。
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パナマ文書問題を論じて「新々三本の矢」を提案す(その2)

2016年04月15日 14時02分31秒 | 経済

        




 前回、陰謀論合戦がこの稿の目的ではないと述べました。今回は初めに、陰謀論合戦にはあまり意味がないと私が感じているその理由について簡単に述べます。推理小説ファンやスパイ小説ファンの方には申し訳ありませんが。
 まず私には、どういう力がどのように作用してこうした結果を生んだのかということについて、たしかなことを言えるインテリジェンスの持ち合わせがありません。
 それに、そもそも陰謀論は、一つの明確な目的意識を持った有力な人物や組織や勢力がその目的を達するためにあることを目論んで、そのとおりの結果を生み出したという前提に立っていますが、この前提自体が疑わしい。
 世界の動きは、恐ろしく多元的な作用の交錯によって一つの結果を生むので、本当は、私たちの一元的な因果的思考(の組み合わせ)を超えているところがあります。陰謀を仕組んでもその実現のプロセスで思わぬ作用が入り込んできて反対の結果になってしまったとか、思わぬ方向に展開してしまったいうような例は、歴史上いくらもあるでしょう。
 ところで今回の騒ぎで危惧されるのは、アメリカ(や日本)以外の著名な政治家の名前がこれだけ出ることによって、世界の関心が、この驚くべきスキャンダルに対する関係者の直接的な対処や、分析家の謎解きや、各国の感情的一時的な反政府デモなどに集中してしまうことです。なぜなら、そういうことに関心が終始することによって、本当の問題への目がそらされてしまいかねないからです。
 本当の問題とは何か。
 言うまでもなく、世界のグローバル資本が想像も絶するほどの巨額の資金をタックスヘイヴンにプールして税金逃れをやっているというわかりやすい事実です。これは明らかに、国家の財布を貧しくして、そのツケを増税や福祉削減などのかたちで、富裕層でない一般国民に押し付けていることを意味します。グローバル資本は自国の国益のことなどまったく考えていませんから、この歯止めの利かない流れが続く限り、近代国家の防壁と秩序は崩され、貧富の格差はますます開き、大多数の国民は貧困化していくでしょう。
 今回のパナマ文書には、日本の一部上場企業時価総額上位五十社のうち、四十五社までが記載されているという情報もあります。電通、ユニクロ、ソフトバンク、楽天、バンダイ、三菱商事、三井物産、三井住友FG、みずほFG……。これ自体は、どうやらガセネタの可能性が高いようですが、ICIJは五月に日本の企業名も発表すると言っているそうなので、いずれ真偽のほどは明らかとなるでしょう。しかしいずれにしても、火のない所に煙は立たぬ、タックスヘイヴンは、何もパナマやヴァージン諸島だけではなく、世界中にいくらでもありますから、日本のグローバル企業がこれを大いに利用していないはずはありません。
 井上伸氏の次のブログに書かれていることは、かなり信頼がおけます。ここには、タックスヘイヴンとして有名なケイマン諸島における日本企業の投資総額についてのグラフ、および、これに正しく課税すれば消費税が不必要になる事実についての記述があります。ケイマン諸島への投資額については、日本銀行の「直接投資・証券投資等残高地域別統計」という公式サイトに掲載されている数字にもとづいています。
http://editor.fem.jp/blog/?p=1969(井上伸ブログ)
【グラフ】


(ポインターを当ててクリックすると拡大できます。)

【記述】
 このケイマン諸島で税金逃れした60兆9280億円に、現時点の法人税率23.9%を課すとすると、14兆5617億円の税収が生まれることになります(中略)。増税前の消費税率5%のときは、消費税の税収は10兆円程度でした。消費税率8%になって直近の2016年度予算で消費税の税収は17兆1850億円です。これに対して、大企業のケイマン諸島のみで14兆5617億円の税収が生まれるので、これに加えて、ケイマン諸島での富裕層の税逃れと、ケイマン諸島以外での大企業と富裕層のタックスヘイブンでの税逃れ(中略)を加えれば、現在の消費税率8%の税収をも上回ると考えられるのではないでしょうか?
 そうだとすると、庶民には到底活用など不可能なタックスヘイブンにおける大企業・富裕層の税逃れをなくすだけで、消費税そのものを廃止することができるのです。これが当たり前の「公正な社会」ではないでしょうか?


日本銀行【直接投資・証券投資等残高地域別統計】
https://www.boj.or.jp/statistics/br/bop/index.htm/

 おまけに、経団連など財界は、政府に、自分たちがろくに払ってもいない法人税の減税を要求しています。これは減税すれば日本で生産してやるという条件提示と、外資を呼び込みやすくする規制緩和との二つの意味がありますが、前者は当てにならない単なる脅しであり、デフレ脱却ができていない現在では、実際には浮いた部分、内部留保を増やすだけでしょう。また後者は、TPPと同じように、日本の農業、医療、保険など、国民生活にとってなくてはならない分野の安全保障を根底から脅かすことになります。
 こうしてタックスヘイヴン問題は、じつはナショナリズム(国民主義)に対するグローバリズムの経済的な侵略以外の何ものでもないのです。
 タックスヘイヴンは一応合法的ですから、個々の企業を道徳的に非難してもあまり意味はありません。要は法制度の問題です。財務省が一般国民を苦しめる消費増税に固執することをやめ、政策の矛先をタックスヘイヴンに対する厳しい規制に向けかえればよいのです。先述のように、二〇一四年七月から米政府のFATCAが実施に移されているので、日本もこれに積極的に協力して、グローバル企業からの徴税の道筋をぜひともつけるべきです。
 これによって、国民の消費性向は強まり内需が高まりますから、企業もデフレマインドから目覚めて国内向けの投資を増やすようになるでしょう。そうすればGDPの成長率は期待どおり伸び、税収も余裕で確保できます。
 もちろん、企業の国内投資を牽引するために、政府が新幹線網、高速道路網などのインフラ整備を中心とした大幅な財政出動をすべきであることは論を俟ちません。これは三橋貴明氏や藤井聡氏らが繰り返し説いているように、首都一極集中を避け、防災体制を固め、生産性を向上させ、疲弊した地方を甦らせることにも貢献します。
 アベノミクス三本の矢のうち、第一の矢である「大胆な金融政策」は、黒田バズーカとマイナス金利政策によって、もう十分すぎるくらい行われました。いま貸し出されない資金がすでにジャブジャブあり、長期国債の金利までがマイナスとなりました。政府はまさに財政出動に打って出るチャンスを手にしているのです。
 ちなみに、「新三本の矢」なるものは、安倍政権の経済政策の失敗を糊塗するためのものです。目的を掲げただけで、それを達成するための具体的な手段をなんら提示できていません。的と矢をはき違えているのですね。
 そこで、ここに真にデフレ脱却を果たすための「アベノミクス新々三本の矢」を提案します。

①消費増税の廃止、または5%への減税、最低でも凍結
②20兆円規模の建設国債の発行によるインフラの整備
③タックスヘイヴンへの投資の規制による適正な税の徴収

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パナマ文書問題を論じて「新々三本の矢」を提案す(その1)

2016年04月12日 19時24分56秒 | 政治

      




 中米パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」の内部文書が流出し、その中に世界の政府要人の関係者が含まれていたことで、大騒ぎになっていますね。キャメロン首相の亡父、プーチン大統領の友人、習近平国家主席の親族、ウクライナのポロシェンコ大統領自身、シリアのアサド大統領のいとこ、アルゼンチンのマクリ大統領自身、ブラジルの七つの政党の政治家、マレーシアのナシフ首相の息子等々、みんなみんなヴァージン諸島やパナマにペーパーカンパニーを作って「タックスヘイヴン」の利用者だったと。いやはやにぎやかなスキャンダルです。アイスランドの首相の辞任騒ぎまで起きました。
 この問題、これからも相当複雑な形で尾を引くことでしょう。
 ところですでにあちこちで言われていますが、これらの要人の中に米政府関係者や米国大企業主の名が一つも入っていない事実がまず疑問点として浮かび上がります。パナマやカリブ海諸国といえばアメリカの裏庭であり、米政府関係者やそれに近い大企業が最も数多く含まれていて当然と考えられるからです。事実、産経新聞二〇一六年四月七日付の記事によれば、「米メディアによると、問題の法律事務所は米国内(ネバダ州やワイオミング州)で千社以上の設立に関与していた。文書にはテロ資金に関わっている可能性もある会社も含まれ、司法当局は調査に着手した」とあります。
 これについては、当然、次のような推測が成り立ちます。すなわち、米政府筋はこの情報をリークした国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)に初めから深く関与しており、それを利用して米国に敵対的または不服従的な国の威信を失墜させ、自国の覇権を回復する戦略的目的があったのだ、と。しかし、ロシア、中共、シリア、イスラム教国のマレーシアについてなら、そういう推測が成り立つ余地があることはわからないでもありませんが、ウクライナ(ポロシェンコ政権はアメリカが作ったようなものです)やアイスランドやブラジルやアルゼンチン、同盟国のイギリスまでが入っているとなると、首をかしげざるを得ません。もっとも、最近、イギリスは米国の言うことを聞かずに中共にばかりすり寄っているのは確かですが。
 とはいえ米国は、国内にすでにマネー・ロンダリングや租税回避のための地域をいくらも抱えており、わざわざパナマの地にペーパーカンパニーを作る必要はないのだという説もあります。
http://www.afpbb.com/articles/-/3083379?pid=0
 しかしこの説はにわかには信じ難い。たとえばタックスヘイヴンとして有名なケイマン諸島には、アメリカ企業が集中していて、世界第一位の巨額な資金をここにプールしています。アメリカ企業がパナマだけをはずす理由はありません。
 また社会分析家の高島康司氏によると、今から16か月前、パナマ文書はすでに独立系メディア「VICE」にその怪しい内情が報じられていましたが、一年前にある匿名の人物から南ドイツ新聞に21万4000社のリストが持ち込まれました。これとICIJとの協力によって、このたびのリークに至ったそうです。またICIJは、今後アメリカ企業の名も出てくるが政治家の名前は含まれていないと答えているそうです。
 氏はまた、ICIJの上部組織・アメリカの非営利の調査報道団体「センター・フォー・パブリック・インテグリティ(CPI)」による「組織犯罪と汚職の報告プロジェクト」の資金源を調べてみると、共和党や米国務省と深いつながりのある次のような提供者がはっきり記載されていると述べています。

フォード・ファウンデーション
カーネギー財団
ロックフェラー家財団
WKケロッグ・ファウンデーション
オープンソサエティー(ジョージ・ソロス設立)


 さらに、CPIは、米政府の海外援助を実施する合衆国国際開発庁(USAID)から直接資金の提供を受けているそうです。
http://www.mag2.com/p/money/9580
 アメリカは外交政策のためにさまざまなNGOを利用しており、たとえば「カラー革命」や「アラブの春」を引き起こすことに貢献したフリーダムハウスというNGOは、その活動資金を上記の団体から得ていたというのです。
 こうした事情から高島氏は、このたびのリークにも米政府の外交政策という目的が絡んでおり、その外交政策とは、ロシアと中共を牽制することによって、日米韓同盟による北朝鮮への攻撃を正当化することではないかと推定しています。
 この推定には一定の説得力があります。というのは、第一にアメリカは中東から手を引き、「リバランス」政策によってアジアの安全保障にその力をシフトさせることを建前上表明していますし、第二に、北朝鮮の相次ぐ暴発を、国連常任理事国や六か国協議によって消し止めることは、中共やロシアがいるかぎり不可能に近いからです。
 また、北朝鮮が新たなタックスヘイヴンになっているという情報もあります。
http://www.realinsight.tv/nishi/episode_3_rzcf4bq5/
 今回のリークは、二〇一四年七月から実施されているFATCA(外国口座税務コンプライアンス法)によって租税回避を抑え込もうとする米政府の意志との間に整合性があるという見方も成り立ちます。外交面・経済政策面でほぼアメリカのいいなりになっている日本政府が、この騒ぎに対して口をつぐみ、文書を調査することは「考えていない」(菅官房長官)と表明していることも、高島説の妥当性を匂わせます。
 しかしここで疑問が湧いてきます。高島氏の説は、プーチン大統領が言っているのとだいたい同じ米政府陰謀論ということになりますが、それにしては、リークのされ方がナイーブすぎないでしょうか。というのは、現時点でアメリカ企業やアメリカ政治家の名前が一つも出ていないという状態に対しては、誰もが疑問を抱くに決まっているからです(現に抱かれています)。そうしてその疑問に対する答えも単純で、それは、米政府が自分の国のことは棚に上げてこの陰謀を仕組んだに違いないからだというものでしょう。
 しかしもし私が米政府の立場に立って陰謀を企むとしたら、権力中枢に致命的なダメージが及ばない限りで、アメリカの有力企業や有力政治家の名前をわざと公表させるでしょう。その方が、事実の公正な発表だという体裁が保てるからです。
 そこで、あえて別の陰謀論的仮説を出すなら、「ある匿名の人物」と南ドイツ新聞という左派系のメディア、およびICIJ(これも思想的には左派リベラルと考えていいでしょう)とが、いかにも米政府の陰謀らしく見せるような陰謀を仕組んだという見方も成り立つわけです。または、ここには、アメリカの政治的影響を排除したいドイツ(あるいはほぼ同じことですがEU)の思惑が何らかの形で絡んでいるとか。
 しかしじつは、この稿を起こした目的は、こうした陰謀論合戦をするところにあるのではありません。その本来の目的については次回に譲りましょう。
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