言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『ホムブルク』クライスト

2014年02月25日 17時32分46秒 | インポート

  時事評論の今月号に、留守先生が、クライストの『ホムブルク』を取り上げてゐた。恥づかしながら、このドイツの作家を私は知らず、そしてもちろん読んだこともなく、この記事でその内容を知ることができた。
  「外界の偶然に左右されない確固たる幸福を自己の?面に求めようとする靑年」といふ評価を得てゐた作者クライストの生き方に打たれた。そして、その一方で、「『外界の偶然に左右され』て激しく動搖する男である」クライストの現実の生き方にもなるほどと思つてしまふのである。理想と現実とを簡単に一致させることをもつて人格とするのが、道徳的に全うな人の生き方であるやうに思はれてゐるが、果たしてさうか。

 理想を掲げながらも、さう生きられない現実と闘ひ、それでも理想を捨てずに自己にたち向かうのが誠実であり、道徳的なことなのではないか。

 いかにも留守先生が選ばれた人物である。

 入手するのが困難な書であるが、ドイツ文学の名作であるに違ひない。



同じ作者の小説です。↓

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日韓のこれから

2014年02月24日 22時01分27秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今月の時事評論には、韓国語翻訳家の荒木信子氏が、「日韓これからの行方」といふ注目すべき論文が載つてゐる。


 

 韓国の前大統領李明博氏が竹島に上陸し、天皇陛下の謝罪を求めたことから、日本に韓国を擁護する論調がなくなつたと見る。そして、それと同じ時期に、いはゆる韓流ブームも終はり、日本人の韓国びいきは下火になつてしまつたとも言ふ。
  そして、現在の朴槿惠大統領が「被害者の葛藤は100年経つても変化することができない」と語るに及んで、日韓関係は平行線を決定づけられてしまつた。
  さうなれば、韓国は中国との関係を深めていかざるを得ず、日韓関係は疎遠になる。それがまたアメリカによる東アジア戦略を破壊する中国の意図にも合致する。となれば、中国は、韓国を引きこむためにも反日政策を推し進める。

 かういふ構図は、分かりすぎるほど明瞭だ。だから、結論は、日韓関係を再構築する必要がある。しかし、それは無理ではないか。そのためには、荒木氏は「日本の力が東アジアにおいて圧倒的に強くなる」以外にないと主張する。さうすれば、「韓国は日本に寄って来る」はずだといふのだ。しかし、それは無理であらう。荒木氏ももちろんさうお考へのはずである。

  このままいけば、中国の思ふ壺だ。アメリカを仲保者として日韓の関係を結び直すしかないのであるが、オバマ大統領にはそれは期待できない。大統領個人の資質は、私には分からないが、どんどん今、アメリカが内向きになつてゐることが心配だ。さうであれば、手掛かりになるのは北朝鮮であらう。北の解放を目指すために日本・韓国・アメリカ・ロシアの四か国が北朝鮮への開発援助を指し出すことによつて、東アジアの中国包囲網も作り上げることが重要になる。日本と韓国が二国間だけで良好な関係を作り上げられるとはとても思へない。しかし、このままでは中国を利するだけだ。彼の国は共産主義国家である。そのことを踏まへない日韓離反肯定論を私は否定する。

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時事評論 最新號

2014年02月22日 12時48分04秒 | 告知

○時事評論の最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)

                 ●

    2月號が発刊された。今年最初の號である。

 4面に「菊」子のコラムがない。今年の初めに、その筆者遠藤浩一先生が亡くなられたからである。私にとつて師と呼べる数少ない人の一人であつた。追悼文を書かせていただき、少しは心の整理がつくかと思つたが、その寂しさは今もまだ漂つてゐる。3月1日にお別れの会が企画されることになり、上京するつもりであるが、区切りがつくといふものでもない。この喪失感は、決して私一人ではないはずだ。それほどの人物の早逝を悔やむばかりである。

 

 

              ☆        ☆    ☆

メディアと学者のもたれ合いを糺す

NHK『軍師官兵衛』そして靖国批判

        国士舘大学特別研究員    山本昌弘

● 

日韓これからの行方

  日本の弱体化を狙う中国     

        韓国語翻訳家   荒木信子

教育隨想       

  安倍首相の靖国参拝で、孤立したのは中韓だ (勝)

追悼 遠藤浩一先生
     
――召された魂――
     文藝評論家 前田嘉則

この世が舞臺

     『ホムブルク』クライスト                              

                            圭書房主宰    留守晴夫

コラム

     技術あってこそ (紫)

     追悼マーク・ピーティー (石壁)

     「理想」としてのアジア(星)

     新自由主義のまぼろし(騎士)   

   ●      

  問ひ合せ

電話076-264-1119     ファックス  076-231-7009

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お料理に挑戦する―とは言はない。

2014年02月06日 22時54分12秒 | 日記・エッセイ・コラム

 竹西寛子氏のエッセイを久しぶりに讀んだ。幼児、父親に言葉遣ひをきつく躾けられたといふ。もつともその父親は、「言葉遣ひ」とは言はずに、もつぱら「物言ひ」といふ言葉で言つたさうであるが。

 その竹西さんは、昨今の政府要人の「戦略」や「矢」といふ言葉の多用、「完全に」「積極的」「しつかり」「きつちり」「はつきり」といつた「不明の余地を残さぬ断定」が気になるといふ。さういふ言語感覚からすれば、「お料理に挑戦する」といふ「物言い」も気に入らないやうだ。何と言ふのかは定かではない。が、想像するに「お料理を習ふ」といふことであらうか。

「私は、文化の基本はお金ではなく言葉だと思っている。(中略)詩人や作家誕生のためではなく、お互いをより不幸にしない社会人としての共存、そのための国語教育の大事を思う。国際人として生きるのに、という英語教育の義務化に反対する理由はないけれど、その前に大事なのが、国語の基礎教育の徹底だと言いたい。」

 その通りである。しかし、この言葉の中にも「基本は〇〇だ」「徹底だと言いたい」といふ「不明の余地を残さぬ断定」があることにお気づきだらうか。私は、むしろ、さういふ「断定」こそが今大切なのではないかと思つてゐる。竹西寛子といふ個人名で、この「断定」がなされるから、私はその言説に註文をつけることができる。そして竹西寛子さんは、政府要人が個人名で「戦略」やら「積極的」やらを使ふからそれに批判をすることができた。これでいいのではないか。

 問題は、誰が言ひ出したのかも分からないやうにして、しかも「不明の余地をたくさん残した曖昧な言辞」が流通することにあると思ふ。そこをいい加減にすることによつて、却つて主張を通さうとする姑息な精神こそ、この戦後の空気を造り出した元凶である。

 竹西さんほどの文学者をしても、かういふ認識であるとすれば、戦後の「物言ひ」の状況はいよいよ深刻であると言へよう。

 かういふ状況を食ひ止める国語教育とは果たして可能なのか。私はやはり題材を選ぶべきと思ふ。国語教育に思想を扱ふ気概がないことが問題である。

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朗読の妙、そして教育改革

2014年02月04日 17時46分44秒 | 日記・エッセイ・コラム

 職業がら、発声についてはたいへんに気になつてゐる。こんな鼻に抜けたやうな声では技法もへつたくれもあるまいと開き直つてもゐるが、自信がないのも本当で、やはり発声・発話はたいへんに関心がある。

 有名な話であるが、小山内薫の『芝居入門』には次のやうな文章があるといふ。以下は、『なっとく「国語科教育法」講義』からの孫引きである。

   ポーランドの有名な女優・モヂェスカ夫人が、ニューヨークの宴会に招かれた。ポーランド語で、なにか暗唱をやってくれという。人々のたっての願いに、モヂェスカは部屋の一隅に立った。そして、不思議に調子のいい文章を語りはじめた。句が切れるたびに同じ音の言葉が出てくるのはわかったけれど、セリフの意味は、まったくわからない。ポーランド語ですからね。

   初めは単純な問答のように、次第に情熱的に、そして、何かひどく悲しそうに、むせび泣くような調子で、涙を流さんばかりのところで、ぷつりと途切れた。一同、大感激。ただ一人、ポーランド語のわかるご主人だけが、席に耐えられないほどにおかしがっていた。なんと、女優が情熱的に朗唱したのは、掛け算の九九だったのです。

 この後ろには、イタリアの悲劇俳優ロッシイの話があつて、テーブルのメニューを朗読するのを周囲の人が聴いて「魂がたいへんな苦痛に突き刺されたかのように、ぶるぶる震えはじめた」とあり、そちらの方が記憶に残っていた。宴会とメニューとの話がくつついてしまつたやうだ。

  それにしても、二人の俳優の朗読術には、驚かされる。もちろん、訓練の賜物だらうし、天才だつて助けになつてゐたはずである。私などは、どちらも欠けてゐるのだから、ないものねだりかもしれないが、関心は消えない。

  学校の教員の免許状が作られるといふ。運転免許証のやうなものを作れば、更新の時期を忘れないからといふのがその理由のやうだが、それよりも更新の時期に受ける大学の授業を何とかしてほしい。大学への経済的な支援策としか思へない、強制講習は一利も無しである。教員が何を求めてゐるのか、そして大学が何を出来るのか、そのマッチングが大事であるはずなのに、更新制度ありきでは何も改善はない。

  昨今の教育改革に期待ができないのは、さういふ現実策がないからである。

 

 

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