言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

三宅博先生のご葬儀

2017年04月30日 15時24分34秒 | 日記

 

  三宅博先生のご葬儀についてのご報告が寄せられました。コメント欄にご記入いただいたものですが、ブログ本体にも掲載いたします。

  仕事の関係でうかがへなかつた私としてもありがたいお知らせでした。ありがたうございました。

(以下引用)


  27日・28日に営まれました三宅博先生の通夜・告別式について、ご遺族のご了解を得ましたので、少し長くなりますが、以下の通りご報告申し上げます。

  27日(木)の通夜には、900人以上の来場があり、会場の外にまで長く列が続きました。そして、28日(金)の告別式も、平日の昼間であるにもかかわらず400人以上の方のご参列がありました。地元の政界、経済界、後援会の方のみならず、宗教界、教育界、芸能界、マスコミ関係からも多数の方のご参列を頂きました。受付で私がお見かけした限り、有本明弘様(拉致被害者家族)、増元照明様(拉致被害者家族)、西村真悟様(元衆議院議員)、田母神俊雄様(元航空自衛隊幕僚長)、一色正春様(元海上保安官)、荒木和博様(特定失踪者問題調査会代表)、春野恵子様(浪曲師)、水島総様(チャンネル桜代表)、山川友基様(読売TV報道記者)など、著名人の方もご参列でした。

  弔辞は、八尾市議会議員時代から親しく交流のあった加地伸行様(大阪大学名誉教授)と平岡宏一様(清風学園専務理事・清風高校校長)が、いずれもお心の籠った格調の高い追悼の辞を述べられました。それぞれのご専門をふまえ、加地先生は中国の詩人である韓愈の詩を、平岡先生はチベット仏教の古典と法華経を引用されて、三宅先生への思いを語られました。

  ご葬儀については、周囲に迷惑をかけないという三宅先生の意向もあって、ご遺族は初め家族葬を考えておられましたが、三宅先生が後事を託された親友の山本勝彦様(八尾ロータリークラブ会員、河内国民文化研究会代表幹事)ら地元八尾の友人有志の方々の説得もあって、公に通夜・葬儀を営むこととなりました。ご遺族の方も、告知して葬儀を営んだことで、これほどまでに多くの方が三宅博の死を悼んでくださることが分かって本当に良かった、故人も喜んでいると思う、とおっしゃっておられました。三宅先生を追悼する場を作って頂いたことについて、ご遺族および山本様はじめ地元有志の皆様に深く感謝申し上げます。

  最後にご遺族から伺ったお話をご紹介します。通夜の後、ご子息の三宅信徳氏が葬儀場の玄関辺りにたまたま立っていた時に、玄関前に中学生か高校生の男子二人が来て自転車を降り、式場に向かって合掌をしている姿を見かけたそうです。その時に生徒の一人が「俺はこの三宅博さんを尊敬してたんや」ともう一人に語っていたそうです。票にはならなかったけれども、三宅さんが地元で蒔いた種は確実に芽を出していました。

  合掌 南無阿弥陀仏

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「やりたいこと」「やれること」、そして「やるべきこと」

2017年04月29日 10時26分14秒 | 日記

 何事であれ、「やりたいこと」と現実にしてゐることとの間には乖離がある。

 適性の問題もあるし、能力の問題もある。つまりは、「やれること」以外のところに「やりたいこと」を設定しても現実化はしない。

 それは分かる。

 しかし、それとは別の次元で「やるべきこと」といふ視点も持ち合はせないと、やりたいこと(欲望)×やれること(能力・適正)だけで、生きがひを想定することになる。それでは問題がある。

 社会が自己実現の場であるといふ考へ方は、それはそれで身のある話になるかもしれないが、それだけでは貧しい社会であるとも言へる。自己の欲望の集積が社会ではなく、自己の欲望の抑制もまた社会であるといふのでなければ、豊かとは言へまい。

 そこで考へたいのが「やるべきこと」といふことである。社会に対する自分自身の役割意識をもたなければ、自己の欲望に忠実なだけJOB型人間が量産されることになる。しかし、社会はそれだけでは成り立たない。全体最適化を考へて行動する「篤志家」がゐなければならない。したがつて、やりたいこと×やれること×やるべきことの総合で自己像を作らなければならない。全体最適化を考へる人間はmembership型の人間像である。一緒にゐたいなと思へる人間になれるかどうか、結構大事な問題である。

 

 

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三宅博先生の御逝去を悼む

2017年04月26日 09時10分08秒 | 日記

 前衆議院議員の三宅博さんが、4月24日に肝臓がんのため逝去された。67歳だつた。

 八尾市議の頃から共通の友人を通じてお知り合ひになつた。先月の清風高校の卒業式の日、式典前の待合室で旧交を温め、一連の大阪での某学園騒ぎの背景をうかがつた。そして勉強会を再開されたとうかがつたので、そこへの参加をお約束してお別れした。思へば、儒学者の加地伸行先生の講演も三宅さんの会だつた。

 ずゐぶんとお痩せになられマスクをされてゐたので、「どうなさいましたか」と尋ねたが、「インフルエンザで休んでゐた」とおつしやつてゐたが、気になつてゐた。昨日、三宅さんの逝去を知らせてくれた友人によると、その時には既にご自身の病気について知つてをられたさうだ。さうであれば、病気を押して出席くださり、親しくお話ができたのもありがたく思ふ。清風学園への思ひをその折にも話されてゐた。ありがたい方を失つた。

 熱情家であり、実直であり、問題の本質に向かつて突き進む矢のやうな方だつた。それでゐて物腰は柔らかく、初対面の折から旧友のやうに接してくださる、温かい方だつた。西村真悟氏と共に「言葉の人」である。時代を超えて遠くの方から、いつも言葉を投げかけてくる人であつた。だから、当然ながら(この「当然だから」といふのが本当に問題で、それが三宅先生の闘ひの対象だつた)今生きてゐる人からは評判が悪くなる。しかし、言はねばならなぬことは言ふ、さういふ覚悟があるから「言葉の人」になつた。衆議院議員の当選は一回だけだが、それでも三宅先生が衆議院議員に一度でもなれたといふことは、私たちの国も捨てたものではない。直言を正確に聞きとめて評価できるといふ府民の層、国民の層を築きあげたのも、氏の功績である。

 とは言へ67歳とは若すぎる。残念でならない。――かういふ言葉で語るにはあまりにも悔しい痛恨の一事である。

 今はまだ心を収められないが、先生の御冥福を祈ることに執したい。

 先生、お疲れ様でした。合掌。

 

 

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アメリカは島国。

2017年04月23日 08時04分20秒 | 日記

  昨日、私の勤める学校で講演会があつた。一時間ほどで、そのうちの大半は近代に至る世界の歴史についてのものだつた。

 中で印象的だつたのが、表題の言葉。アメリカの政治学者の言葉とのことだつたが、名前を失念してしまつた。

  その意味は、陸続きで敵対国と接してゐない国は海洋国家であるといふことだ。なるほどアメリには敵がゐない。

   しかもメルヴィルの『白鯨』のやうな海洋小説がある。一方、私たちの国は海洋国家でありながら、海洋小説と呼べるやうなものはない。

  彼我の差はどこに由来するのか?

  自由を求めて西進して西進して太平洋を横断したのは、海洋国家であるイギリス人の血があつたからであらう。

  日本は西進したくとも西には行けず、東進して痛い目に遭つて海洋国家になり損ねた。確かに造船技術も高いのだらうが、海は「隔たり」の意味しかない。自由の場所といふより、自由の限界を示してゐるやうに感じる。

  津波が英語に取り入れられたのも、日本が地震国であるといふ理由だけではあるまい。海洋国家になることをどこかで拒まれてゐるそれが私たちの国であるやうに思ふ。

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追悼 渡部昇一先生

2017年04月19日 10時40分51秒 | 日記

 4月17日、渡部昇一先生が亡くなられた。86歳であつた。

 偶然であるが、ここのところ毎晩ユーチューブで渡部先生の書斎を訪問して本について語る『書痴の楽園』といふ番組を見てゐた。一日一つづつ。30分の番組である。だいぶん痩せられてゐるなと思ひ、心配になつてゐたところでこの訃報に接し何とも言葉がない。

 私には面識がなく、何かの集会に来られて「チャンドラボース」の話を聞いたことが一度あるぐらゐである。日曜日にやつてゐた時事放談のやうな番組は時折見てゐたし、本は何冊か読んだ。今でも10冊ぐらゐはすぐに探せるところにある。最近見てゐた上記の番組では、著書は600冊以上あるといふから多作家である。

 何より私にとつての渡部氏は、大学生のときに読んだ『知的生活の方法』『歴史の読み方』の著者である。保守派の大論客であることは氏を紹介するのに必要な大きな事柄であるが、私にとつては生活者として教養人がどう生きるかといふことを具体的に教へてくれる人物であつた。書斎の作り方、家の建て方、さういふものを具体的に図面で示してあり、夢のやうな話であるが、それを見て空想できる楽しい時間であつた。

 その後、英語学の大権威であり、書くべきものを若くして書いてしまつたが故に才能を浪費してゐるのではないかといふことを信頼する友人から聞き、なるほどさういふものかと思つた。

 山形の同窓であつた井上ひさしは、渡部を嫌つてをり文章のなかで揶揄してゐたことがあつたが、さういふ嫌味なところが劇作家には必要なのかもしれないが、井上の下卑た言動の方が悪い印象として残つてゐる。渡部には井上ひさしを揶揄したものはないと思ふ。

 また福田恆存は渡部をくさしたところもあつたし、その通りと私も思ふが、それを読んでゐるはずの渡部の福田恆存への批判を寡聞にして私は聞いたことがない。

 一冊2000万円以上する初版の『カンタベリー物語』などを含む、15万冊以上の貴重な書物に囲まれて亡くなられた。渡部先生の御冥福を祈る。

 その御学恩に感謝します。ありがたうござました。

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