「時事評論石川」11月号のお知らせ。
今月号の内容は次の通り。 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。
1部200圓、年間では2000圓です。
(いちばん下に、問合はせ先があります。)
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総選挙が終はり、この間に起きた政治的な出来事の意味を識者が解説してゐる。なるほどと思ふことばかりで、頭が整理される。是非ご一読を。
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国難突破内閣――安倍政権最後の課題は何か
評論家 三浦小太郎
(いはゆる今日の保守的傾向もポピュリズムであるといふのは慧眼だ。私もまた片足ポピュリズムに突つ込んでゐるやうにさへ感じた。)
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衆院選を振り返る『甘やかされた子供たち』
宮崎大学准教授 吉田好克
(枝野、細野、若狭、小池、かういふ御仁の主張が主張になつてゐない。はないちもんめの掛け合ひでしかないやうな言葉を見てゐてほんたうに情けなくなる。この間の動きはなんだつたのか、とても整理された。)
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教育隨想
慰安婦「世界の記憶」、登録は見送られる!(勝)
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建てられる像、撤去される像
「像」をめぐる東西の歴史認識問題と解決への道
国士舘大学特任研究員 山本 昌弘
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「この世が舞台」
『ボリス・ゴドゥノフ』プーシキン
(人は「ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上でみえを切つたり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えて」行く、「哀れな役者」、それが任である、なるほどさうだと年々自覚させられてゐる。)
早稲田大学元教授 留守晴夫
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コラム
父が入院して思ったこと (紫)
(社会は人々に支へられて成り立つてゐる。そのことを改めて知らされるいいコラムでした。)
生き残れる政治家の条件(石壁)
哀しみがこみあげてくる(星)
文化は政治では守れない(騎士)
(7月号では「政治は道徳に干渉するな」と書いてゐましたが、政治の力とは強いのでせうか、弱いのでせうか。それから「文化は国境を越える」と書いてゐますが、本当でせうか。)
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問ひ合せ
電話076-264-1119
ファックス 076-231-7009
京都大学の現代文の過去問演習を続けてゐる。
2016年の文系2番は、小説家黒井千次の『聖産業週間』であつた。小説と言つても劇的な展開があるものではなく随筆のやうなもので、フィクション、ノンフィクションかどうかによつて解答が変はるといふものではなく、そこに出てゐる人物の心理や表現を分かりやすく説明すればよいといふスタイルである。とは言へ東京大学(4番は似てゐるやうな問題もあるが)ではまづ出さないだらう出題形式は、京大らしい。唯一無二のスタイルではある。
この問題、難しかつただらうなと思ふ。実際高校三年生の十月では解かせてもなかなかできるものではなかつた。中でも問二は難問。
「手すりは切れた」に傍線が引かれ、どういうことか4行(120字程度)で書けといふのである。
「手すり」などそれ以前にはまつたく出てこない。自分の人生の課題を息子の姿に見て、怒りを抱いてしまつてゐる「私」の様子を描いてゐる途中で、いきなり「手すりは切れた」である。その直後に
「最早、自らの身体を、自らの力で支えて進む他はない」とあるので、なるほど「手すり」とは、転落防止の装置であり、自分の人生において安全性を確保してくれてゐたものやことの比喩であるといふことなのだらう。比喩の具体化とはいかにも京大らしい出題ではあるが、ここに気づく生徒はじつは少ない。これが第一の関門である。次の関門はなぜ手すりが無くなったのかといふ理由を書くといふことである。具体化記述は理由記述に転換せよと言つて来てゐるが、その「なぜ」をどこに突つ込むかは訓練が必要である。これがうまくできないと4行のボリュームを埋めることができない。
私の解答は、「最もさう在りたいものに熱中して時を過ごさねばならないといふ心の渇望を抱きながらも人生を誤魔化してきたが、我が子の誤魔化しへの怒りがそのまま自分自身に対する怒りに転化し、賭けることを避け、熱中を逃げることをやめなけれならなくなつたといふこと。」である。ちやうど120字である。
さて、この「手すり」の比喩がどうして出て来たのか。そんなことが気になつてゐた。そして、今日たまたまDVDで「ハンナ・アーレント」を観てゐたら、その監督のインタヴューの中に「手すりなき思考」といふ言葉が出てきた。
ハンナ・アーレント [DVD] | |
バルバラ・スコヴァ,アクセル・ミルベルク,ジャネット・マクティア,ユリア・イェンチ,ウルリッヒ・ノエテン | |
ポニーキャニオン |
なるほど、自分で考へるといふことこそが自立であり、それは「手すりなし」にといふことである。アーレントにとつて悪とは浅慮のことであり、善とは考へ抜くことであつた。したがつて悪は本質的に浅いものであり、手すりを使つてゐる状態とも言へる。
この辺りのことは、次の書に詳しいやうだ。私は未読。今後も読むことはないと思ふが、なるほど悪について西洋人は今も考へ、橋渡しをしてゐるといふことに畏怖を覚えた。かういふ思想家が私たちにゐるのかどうか無学だから分からない。
手すりなき思考―現代思想の倫理‐政治的地平 | |
Richard J. Bernstein,谷 徹,谷 優 | |
産業図書 |
なるほど倫理学である。
しゃぼん玉 [Blu-ray] | |
林遣都,市原悦子,藤井美菜,相島一之,綿引勝彦 | |
ギャガ |
しゃぼん玉 (新潮文庫) | |
乃南 アサ | |
新潮社 |
たまたま雑誌でこの映画のことを知り、どうしても見たくなつた。
宮崎県椎葉村の話である。宮崎県出身の家内が教へてくれたのであるが、今月DVDになつたといふのでツタヤで借りて観ることにした。私も宮崎県で六年間働いてゐたので、愛着がある。椎葉村には行つたことはないが、山の中の風景を懐かしいと感じるほどのその土地への知識とその土地について話した記憶とがある。
出演は、市原悦子と林遣都。市原の声は「漫画日本昔話」の声のやうでもあり、山村の中にはまつてゐる。「坊はいい子や」と繰り返す言葉が、親に捨てられ傷つき犯罪を繰り返す青年(林遣都)の良心を呼び覚ます。林の演技は素晴らしかつた。
内容は、しゃぼん玉をご覧ください。
青年の葛藤を、掻きむしられ、苛立ちささくれ立つ内心を正確に描いた作品が好きである。それを観ることで多くの人が生きる支へを感じられると思ふからである。もちろん、解決などない。しかし、さう分かつた上で、生きていくことの力を与へられる、さういふ経験は悪くない。
「しゃぼん玉」といふ少々メルヘンチックな表象がこの映画のタイトルにふさはしいかどうかは分からないが、すぐに弾けてしまふ危うい存在の隠喩としてはとても良いとは思ふ。
108分である。いい時間であつた。
翌日もまだ余韻が残つてゐる。