言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

阿部和重『グランド・フィナーレ』について

2005年02月27日 19時43分15秒 | 日記・エッセイ・コラム
 第132回芥川賞受賞作を讀んだ。讀ませる力量はずゐぶんあると思つたが、それしかなかつた。最後の終はり方は、何か不自然で、ビデオテープがぷつりと切られてしまつたやうな印象がある。小説の終はり方は、確かにむづかしいのだらう。大團圓の終末を期待出來る程、現代人の生活は劇的でもないし、劇的な生活を期待する程、今日の小説の讀者の生活に活力はない。したがつて、かういふ「ぷつり」といふ終はり方がふさはしいのだらうとも思ふ。
 だが、どうにも好きになれないのは、文章に味はひがないことである。それは、別に自分の娘に「少女愛」を感じてしまふ變態性への違和によるのではない。いつたいに譬喩が下手なのである。
「自分の兩腕に、小鳥の餌にする粟玉でも附着させたみたいに鳥肌が立っているのが判った。」
「とうとう咳をするたびに、躰中のあちこちをミシン針で突っつかれたみたいな鋭利な惡寒が走るようになり、とても辛くてならなかったが、かといって立上がりたくもなかったから、ソファに身を預けたままわたしはただぐったりしていた。」
「わたしは迷わずモスコミュールを指差した――目の前にいる、自分より一〇歳ちかくも年下の友人たちを天使みたいに感じながら。」
 もういくらでも見つけることができる。阿部氏は、「みたいに」といふ言葉がずゐぶんと御好きらしい。そして、この言ひ種は、今日の若者の言葉「○○みたいな」と一脈も二脈も通じてゐるのだらう。安易なこの種の譬喩を、私は良い文章とは思はない。
 選評のなかで、村上龍は「大事な部分が書かれていない中途半端な小説」としつつも評價してゐたが、それ以前にこの種の書き方では「大事な部分」に至れないといふことをこそ言ふべきだらう。わたしは石原愼太郎氏とは別の意味で「全く評價出來なかった」。

 芥川賞とはかういふ賞であると諦めれば良いのであるが、では他の現代文學には讀むべきものがあるのかと言へば、ただちに「ある」と斷言できないところに、私たちの現代の不幸を思ふのである。
 意識的か無意識的には知らないが、こんなにも虚しい文學を赤裸裸に表現することによつて、不毛な現代を表現するしかない作家たちに、同情はしなければなるまい。
 私には、それに附合はうといふ氣持が未だあるやうだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉の救はれ――宿命の國語12

2005年02月24日 16時39分12秒 | 福田恆存
 福田恆存がその設立に關はつた國語問題協議會の設立の宣言文には、「傳統と未來とにかかはる國語國字を、内閣訓令、内閣國字をもつて輕々に左右しうる現在の在り方を改めること」と「内閣に對して」書いてゐるが、まつたくその通りである。國語の運命を、政治家が決めるといふことは、政治の越權である。殊に現在のことしか考へないやうな政治家が國語について「輕々に」かかはることは、嚴に愼むべきことである。
この宣言文には、現在の國語の状況について、次のやうに書いてゐる。
  
  國語は危機にある。
  その原因は、國語そのもののうちにあるのではない。戰後、國語表記の矛楯と混亂とを解決するためと稱して行はれた「現 代かなづかい」「當用漢字」「音訓整理」「新送りがな」等、一連の國語政策のもたらした矛楯と混亂とこそ、その原因である。 それらの政策は、事實上抗しがたい強制力をともなつて行はれたばかりでなく、單純な便宜主義の立場から國語の本質を  無視し、性急に國語表記の簡略化を計らうとしたものである。當然その方向はローマ字、あるいはかな文字による表音文字 化を志向する。
  (中略)
  戰後の國語政策は、國語そのものの性格に對する認識を缺き、十分な調査研究を經ずしてひたすら簡略化を事とした。し かも、そのために生じた矛楯は、簡略化の美名におほはれて、そのまま容認されてゐる。のみならず、それがあたかも、わ  が國語國字のまぬかれがたい性格に基くものであるかのやうに宣傳されてきたため、遂に國民の間には、國語國字を輕視 し、時には、嫌惡するかのごとき風潮が起り、又その矛楯からのがれるためには、表音主義に徹するほかはないと考へるも のさへ生じつつある。このまま推移すれば、人々は國語國字について何が正しいかといふ言語意識を失ひ、 矛楯や不合理 に反發する健康な語感の痲痺を、ひいては思考力、表現力の低下を招くに至るであらう。これをわれわれは國語の危機と呼 ぶ。(後略)

 この宣言文が發表されたのが、昭和三十四(一九五九)年十二月十七日である。今から四十年以上も前のものであるが、「國語政策の矛楯と混亂」「國語の輕視」「健康な言語觀の痲痺」は變はつてゐない。「言葉は通じれば良い」、これ以上の言語觀はない。大人も子どもも同樣である。
 しかし、「言葉は通じれば良い」はそのまま「通じないやつとは話さない」へと容易に轉化しやすい。「人に迷惑をかけなければ良い」といふ戰後社會の最高水準の倫理が、容易に「人と關はりを持つのはよさう」といふことになり、その結果「人に迷惑をかける者」が出てきても見て見ぬふりをする風潮が蔓延することになつたのと同じである。さらに言へば、「平和が良い」といふ國是が「平和なんていらない。自國の利益のためには戰爭も辭さず」といふ國が出てきた時に何の抵抗もできず、平和が侵されるといふ事態を容易に招くといふことにもつながる。すべてに通底してゐるのは、孤立化であり、安直な自己中心主義の誤謬である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉の救はれ――宿命の國語11

2005年02月05日 21時23分21秒 | 福田恆存
 同じ時(昭和二十一年十一月十六日)に、吉田茂の名で出された「内閣告示第三十二號」には、「現代國語を書きあらわすために、日常使用する漢字の範囲を、次の表のように定める」として、「この表は、法令・公用文書・新聞・雜誌および一般社會で、使用する漢字の範圍を示したものである」や「この表は、今日の國民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものである」などの前書の後に、いくつかの細則が示されてゐる。
 つまり、前囘記した「内閣訓令第七號 各官廳(當用漢字表の實施に關する件)」に示された「從來、わが國において用いられる漢字は、その數がはなはだ多く、その用いかたも複雜であるために、教育上また社會生活上、多くの不便があつた」といふ認識に基く「當用漢字表」のことである。しかし、その「内閣訓令第七號」の認識は、當を得てゐるだらうか。確かにカナモジカイやローマ字會などの動きは戰前よりあつた。
 がしかし、いづれも國民の心を捉へることことなく、受入れられることはなかつた。それがこの時期に一氣に力を得たのは、占領軍が國語を排除したかつたからである。それを慮つて自ら漢字を制限し、假名遣ひを表音式に改めたまでのことである。
 だからこそ、「當用漢字表」の前書きの五つ目に「字體と音訓との整理については、調査中である」などといふ本末顛倒な細目が出されるのである。「調査中」であるなら、どうして表が出來上がつてゐるのか。常識の立場から言へば、これは考へられないことである。
 入學者を選拔するための學力試驗をしようとしてゐるときに、同じ場所ですでに合格發表をしてゐるのと同じである。これほどの愚行が入學試驗でさへ起きないのに、文化の根幹たる言葉について、方針を決めてから「調査する」のは、暴擧としか言ふべきことがない。どう遠慮がちに言つても「はじめに目的ありき」と思はれても仕方のないことであらう。かういふ手法を、一般には誘導といふのではなかつたか。
 いつたいに、言葉の表記について、國が決めるといふことも愚かなことである。言葉は國家のものですらない。なぜなら、國家が出來る以前から、あるものであり、私たちの生き方に直結してゐるものである。それを一片の通達で、それも單なる思付きのものによつて變更するとは、由々しき事柄である。それも占領軍に強制されたならまだしも、自ら進んで行つたといふのは、どうにもやりきれない。
 時は、かういふ「誤解」と「欺瞞」との時代である。漢字の制限、假名遣ひの表音化、これを進めて、はたして日本は良くなつたのか。精神の不在と時代迎合との風潮は、「言葉」といふ人間精神の本質に亙る次元で呼込まれたとすれば、その後、決して良くなるはずはない。言葉の輕視は、そのまま文化の、人間の輕視であり、生き方の輕視である。
 良心の聲を聽くことのできる人々の心が痛まないはずはない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする