言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語201

2007年09月28日 22時27分27秒 | 福田恆存

(承前)

國語學の世界では「權威」である金田一京助は、批評家の福田恆存などの「門外漢」による自説の否定を受けると、居丈高になる。前囘まではその「第一の不滿解消」について觸れたが、今囘は「第二の不満解消」についてである。

結論を先に言へば、全くその言語感覺を疑ひたくなる代物である。

例へば、「疑ふ」といふ動詞を例に考へてみよう。「疑ふ」の「活用語尾の変化」を考へてみれば、もともと「はひふへ」の四段に活用してゐたものを、「わいうえお」といふ不可思議な活用にさせてしまつたのが「現代かなづかい」である。これを「ことさらにそういう小さい点」とするのは、いかがなものであらうか。こんな根本的な問題を指摘されても「そんなことは、末梢的なことで、私にしては、あの場合どうでもいいことで、何と言われても、痛くも痒くもないから、言う人に言わしておくだけの所である」と言へるとしたら、もう國語の專門家の看板は降ろした方が良い。もちろん鬼籍に入つた方に申し上げても仕方ないことではあるが、今日までの影響を考へると、やはりその責任は重いと言はざるを得ない。何度も書いたが、「わいうえお」といふのは「わ」と「いうえお」に分かれ、ワ行とア行との二つの行をまたいだ活用をするといふ、國語史上例を見ない非「末梢的な」事件なのである。「どうでもいいことで」あるはずはない。

  さて、私から見た金田一批判はこれぐらゐにして、福田恆存の反論を擧げてゆくことにする。

『知性』昭和三十一年二月號に掲載された「再び『國語改良論』に猛省をうながす」がそれである。福田の讀者ならずとも、純粹に論理を樂しむことのできる人ならば、ロジックとレトリックの妙なる運びに覺えず膝をうちたくなるやうな氣持ちにさせてくれる文章である。快哉をあげる。こんな文章家を相手にして金田一は大變な論爭を引き受けたものだと同情の念すら抱くのである。以下には福田恆存の文章をできるだけ引用し、直接その文章の味はひを感じていただきたい。

  先に擧げた六つについて、かう書いてゐる。

「その一」については、かうだ。

「今日の英國人が書いてゐる英語を、無條件に近世英語の表記法と速斷することは、『学的論拠』から、私にはできません。」

まつたくその通りである。論據なしに結論を出すことをドグマと言ふのであり、結論をはじめから持つてゐて、都合のいいやうに例を擧げていくといふ論證の仕方は、學問的詐術である。ちなみにいふが、金田一の『知性』發表時の文章では、「英語には、古代英語(アングロサクソン)、中世英語、近世英語とあって、現代人の毎日書いたり読んだりしている実用の英語は、その中の近代英語である」となつてゐた。これを受けて、福田が「近世英語」「近代英語」と同じ文の中での言葉の違ひを指摘してゐるが、しかし、後年の『金田一京助全集』では、いづれも「近代英語」と改變してをり、この變更は誰によるものなのか、あるいはもともと原稿はさうなつてゐたのを、印刷に囘した時に誤植が生じたのかは不明であるが、校正の段階で見つけられないのはあまり「学問的」ではない。

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言葉の救はれ――宿命の國語200

2007年09月25日 22時12分32秒 | 福田恆存

(承前)

二、平安中期人が、歴史的假名遣ひで發音してゐたかどうか、それは分からない。「てふてふ」と文字どほり發音してゐたとどうやつて證明さなるおつもりなのだらうか。分かるのはせいぜい近世人の發音である。ポルトガル人がローマ字で書いた發音(『日葡辭書』)しか分からない。

三、一と同樣、だからどうだと言ふのか。千年前の表記を使つてはいけないといふことの根據を英語といふ外國語で決めるといふ國語學者の姿勢が不埒である。

  金田一は、かう書いてゐる。

「漢語に、良さは確かにある。けれどもそのよさに溺れて、国語をこう邪路に導いて無自覚にいると、本国のおとなりの方が、どしどしわれわれのやっている通りの漢字制限をやり出し、ローマ字運動さえ盛んになって来る。うかうかするとおいてけぼりになろうとします。」

「おいてけぼりになろうとします」――これである。語るに落ちるとはこのことである。彼の意圖は、彼が勝手に描く「文明の流れ」においてけぼりをくふことへの危機意識なのである。そかし、それがまつたく的外れであることは、當の支那人が「論語」を讀めなくなり、古代の文化とのつながりを斷つことによつて失つた文化的損失を考へれば、明らかであらう。外國を基準にし、我が國の傳統をいい加減にあつかひ、一方的に簡略化、單純化していく姿勢は、批判されるべきである。

四、「變態」とはゆゆしき言葉である。綴りが千年前と同じであることがどうして問題なのか、全く分からない。

五、六はまとめて反論する。そして、ここが問題である。金田一が擧げた例は、ほとんどが字音假名遣ひである。動詞で擧げられたのは、「添ふ」「問ふ」のみ。まづは、動詞についてから。

「添ふ」「問ふ」はハ行四段活用の動詞で、今日ではワア行五段活用の動詞と呼ばれてゐるものである。ワ行とア行と二つの行にまたがつて活用するなどといふ名稱が暗示してゐるやうに、まつたく不自然なもので、これこそ「變態」である。「はひふふへへ」と四段で活用してゐるものをそのまま蹈襲すれば良いものを、「一番、発音に近い一つに統一して書いて」いかうなどといふ不出來な發想で國語をいぢるからこんな不細工なものが出來上つたのである。「添ふ」と書いて「そう」と讀む。「原」はどんな辭書にも「はら」と讀み假名を書いてあるのに、私たちは「藤原」を「ふじわら」と讀む。「私は」と書いて「わたしわ」と讀む。このことに問題を感じる人はゐない。

  字音語については、以前にも述べた。これらについては現代音で良い。繰り返すが歴史的假名遣ひは日本語の表記であつて、支那の發音が基である字音の表記については、當時のものを墨守する必要はない。現實的には、漢字で書けば良いことである。字音と用言の假名遣ひとを同列に論じる金田一の議論の進め方は、詐術であり、一般の讀者を馬鹿にしたものである。もちろん、福田恆存にはそんなことは御見通しで、かへつて稚拙に映つただらう。

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言葉の救はれ――宿命の國語199

2007年09月24日 08時22分05秒 | 福田恆存

(承前)

 前囘に引き續き、金田一の福田恆存の主張に對する「第一の不満」について引用する。

四 世界じゅうに千年前の綴りで今日書いたり読んだりしている国は他にないですが、日本だけそうやっている変態を異としませんか、当り前だと認めますか。

五 江戸時代の初頭から日本語の上に、字音にも国訓にも、通じて次の発音変化が整然として起りました。

 きょう・きゃう・けう・けふの類が、みなキョーの発音になって、今日と同様区別なくなり、

 しょう・しゃう・せう・せふの類が、みなショーの発音になって、今日と同様区別が無くなり、

 ちょう・ちゃう・てう・てふの類が、みなチョーの発音になって今日同様、区別が無くなった。

 その他、各行ともみなこのような発音変化があった。

拗音のみならず、直音の上にも同様だった。

 こう(公)・かう(孝)・こふ(劫)・かふ(甲)は、みな、コーとなり、

 そう(曾)・さう(相)・そふ(添ふ)・さふ(挿)は、みなソーとなり、

 とう(登)・たう(刀)・とふ(問ふ)・たふ(答ふ)は、みなトーとなり、

 以下各行も同様の発音変化が生じました。

 こうやって日本の近代語が、出来上ったのは、日本語史上、一時期を画する大きな変化だったことが認められますか、認められませんか。

六 こんな大きな変化が起ってしまった現在、なお、一々元の区別して書かなければ正しくありませんか、ここらでもう区別のなくなったのは、一番、発音に近い一つに統一して書いていけませんか。

 

 續いて「第二の不満」だが、その内容は「表音的でないと言ったとか、言わないとか、音訓整理に合うとか合わぬとか、そんなことは、末梢的なことで、私にしては、あの場合どうでもいいことで、何と言われても、痛くも痒くもないから、言う人に言わしておくだけの所である」といふことである。

具体的には、次のやうだ。

自分は「決して一々表音的につづらせようとはしていない」。「無論、かな文字は表音文字だから、語音を書いて行く。けれど、音にばかり忠実に書くと、目に抵抗が多くて、大衆が付いて来れない――実行がむずかしい、机上の空論になってしまう。そこを考慮して、実行可能な案とするために、表音に徹せずに、適当に旧かなづかいをも取り込むのが実際的な案である」。「こんどの新かなづかいは、そういう実際的な案であり、決して理想に馳せた表音式一途の案ではない。」「そういう意味で言ったことを、言葉尻のみに執して、真意を理解してくれない所から、くどくど数百言が費やされてる。歯がゆいったらない」。

  以上が、金田一の不滿解消の言である。ここから福田恆存の反論を述べようと思ふが、その前に、私のレベルの反論をしておく。

  まづ「第一の不満解消」の言についての反論から。

一、現代の英米人が話す言葉が近代英語であると認める。しかし、だから何だといふのか。歴史的假名遣ひを使ふ私もまた「思ふ」と書いて「思う」と發音する。綴りと發音とは違ふのは當たり前ではないか。それは近代英語も同じことである。

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言葉の救はれ――宿命の國語198

2007年09月21日 21時55分10秒 | 福田恆存

(承前)

また金田一京助といふ方には、「へ」と「に」の使ひ方に獨特の癖がある。

「なるたけそれへ合せさしている」

「世間へ發表する」

「二三の新聞へ目を馳せて」

「相手へ心を伝える」

などは「に」とすべきだ。このことに關しては、金田一の友人である太田行藏が的確に註してゐるので、引用する。

「君には『に』と『へ』の区別ができない。君の文を見ると『石川君へ話した』『相手へ話した』などという例がいくらでも出てくる『どこへ行くか』と『どこに行くか』とでは感じがちがう。すこし気のきいた国語の教師のいる学校なら中学一年生でも卒業している問題の一つじゃないか。この『に』と『へ』との区別のできないような言語感覚の持主たちが集まって、助詞の『へ』は『え』でよいなどというオキテを作ろうとしている日本の現状は、その点だけではまさに無知――無恥、何とも言いようのないなさけなさだ」。

(太田行藏『日本語を愛する人に』)

誤解しないでもらひたいのは、今日でも助詞の「へ」を「に」に變へる愚は起きてゐない。ただ、さういふ話があつたといふことは知らなければならないし、それを主導した本人の「へ」と「に」の使ひ方に混亂が見られ、さういふ國語觀から主張されたものであるといふことは更に知らなければならないことである。太田の主張は『日本語を愛する人に』といふ本に書かれてゐるが、これが決して『日本語を愛する人へ』ではなかつた。

これを補足すれば、「日本語を愛する人□向けたエッセイ」とした場合、□の中にどういふ助詞を入れるだらうか。「へ」でも意味は通じる、だから「へ」でも「に」でも良いではないか、といふのであれば、子供の理屈である。歌人であつた太田には我慢のならない言葉遣ひだつたのだらう。ひらがな一字を變へるといふのは、さういふことである。食べやすいやうに(死んだ)魚の骨を取るやうに、生きた魚の骨を一本でも拔けば死んでしまふのである。言葉が生きてゐるとはさういふことである。

閑話休題。『知性』昭和三十年十二月號に掲載された「かなづかい問題について」である。金田一は、福田恆存の反論にたいして、二つの「不満」を述べるのであるが、これがまた實に執念深く、じくじくとして陰濕である。以前にその慇懃無禮さを指摘したが、ここでの印象も同樣で、とても學者の文章とは思へないほど品の無さを感じる。言つてよければ、幼稚なのである。

まづは、「第一の不満」を解消するために、金田一は六つの質問を投げかける。長いが引用する。

 英語には、古代英語(アングロサクソン)、中世英語、近代英語とあって、現代人の毎日書いたり読んだりしている実用の英語は、その中の近代英語であることを認めますか、認めませんか。

二 旧かなづかいは、紫式部や清少納言たち、今から千年前の人たちが、その頃の発音に基づいて書き下ろした綴り方であることを認めますか、認めませんか。

三 千年前の綴りというと、英語なら、古代英語アングロサクソンの綴りにあたることを認めますか、認めませんか。(以下次號)

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言葉の救はれ――宿命の國語197

2007年09月20日 12時54分56秒 | 福田恆存

(承前)

  ここからは私の推測であるが、「發音に從ふ」――それで良いではないか、それ以上の考へを御持ちでないから、具體的に歴史的假名遣ひを議論の俎上に載せられないのである。文學の徒において、言葉は生命であらう。少なくともそれによつて自らを形造らうとする道具ではあるはずだ。その道具に對して具體的に論じる道を閉ざして、相手の態度のせいにして、「私は答えない」といふのは、「賢明」ではない。福田のレトリックが嫌だといふのなら、そんなものに構はず堂堂と主張を開陳すれば良い。評價を下すのは、論爭相手だけではなく、讀者でもあるはずだ。いかにも主義があるかのやうな書き振りで、論爭をしかけておきながら、レトリックが氣に入らないからやめるといふのはあまりにも逃げ口上である。讀者はこれでは試合抛棄と見て、福田恆存の勝ちと見る。實際、兩者の文章を讀むと、桑原の主張には全く分がない。いかにも近代主義者らしく、能率だけを考へる桑原の主張は、「歴史的」意味はあつても(日本近代史思想史の流れを理解する上で)、現代的意味はない。流行思想でしかなかつたことは、皮肉にも歴史が證明してゐるわけだ。讀者の皆さんにも、この「私は答えない」の全文を讀んでもらひたい。破廉恥振りを直に知つて欲しいからだ。しかしながら、この文章はどうやら全集にも輯録はされてゐないやうだ。桑原にもその程度の羞恥心はあるのならしい。

 掲載誌の『知性』は、もはや手に入らないだらう。可能性としては、これもかなり低いが、文藝春秋新社から出た『この人々』(昭和三十三年三月)を古書點で探してもらふしかない。私もまたそれで讀んだ。

  ここで、再び金田一の反論を讀んでみよう。

『知性』昭和三十年十二月號に掲載された「かなづかい問題について」である。

  金田一は福田恆存の主張に二つの不滿があると言ふ。一つは、福田が「現代かなづかい」の國語史上の學的論據、妥當性、必要性について「ちっともそこを衝いては来られないこと」である。二つは、「現代かなづかいは表音的かなづかいではない」と金田一は言つてゐないのに、それを前提として福田の反論が組立てられてゐるといふことである。金田一はかう書いてゐる。

「無論、かな文字は表音文字だから、語音を書いて行く。けれど音にばかり忠実に書くと、目に抵抗が多くて、大衆が付いて来れない――実行がむずかしい。机上の空論になってしまう。そこを考慮して、実行可能な案とするために、表音に徹せずに、適当に旧いかなづかいをも取り込むのが実際的な案である。」

 もうこの段階で言ひたいことがたくさんある。一つだけでとどめておく。それはいはゆる「ら拔き言葉」である。「来れない」といふ言ひ方である。すぐその前で引用した時には「来られない」としてゐたのに、ほんの數頁後では「ら」を拔いて平氣でゐる。ここ以外にも、この論文には「ら拔」が散見される。

  その他、言葉遣ひは隨分ぞんざいで、小泉信三氏にたいしての慇懃ぶりとは對照的である。人によつてかうも文章の書きぶりを變へるといふのもあまり良い印象はない。

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