言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

留守晴夫氏の講演會終はる

2008年03月30日 23時29分12秒 | 日記・エッセイ・コラム

   留守先生の講演會が無事終了。遠くは千葉縣からも來場し、時間を延長しての御講演に聽衆の一人として私も感動して歸路についた。それから、拙ブログを御覽になつて來てくださつた方もいらつしやり、この場を借りて厚く御禮申し上げます。

   以下は、講演の要約ではありません。講演内容や話題の順序など正確なものではありません(私の感想も含まれてゐます)ので、これを根據に何かを論じることは御辭めください。

   最初に話されたのは、ジョージ・スタイナーの言葉だつた。出典は言はれなかつたが、ロレンスの「自分の感情でないものを無理に自分に押付けることをセンチメンタリズムといふのだ」を引かれて、この感傷的な言葉が、言ひ換へれば、きはめて觀念的な、嘘の言葉が、いまは多過ぎる、といふことを話された。嘘の情緒に溺れてゐるといふ意味では保革の差はないのである。

   用意されたレジュメには、さういふ「感傷的な言葉」とは隔絶された二六の言葉が記されてゐて、それを讀むだけで、日常を自省するには十分であつた。

   その一つ目は、ジョージ・スタイナーの言葉。「偉大な作品は全て永遠を求める根強い慾望から生れる。死と鬪ふ精神の嚴しい努力から、創造によつて時間を超越しようといふ希望から生れる」。かういふ精神の構へからうまれた文學こそ、文學なのである。さう言ひ切られた。

   講演に先立つて、私の親しい批評家の論についての意見を交したときには、ばつさり「それは文學ではない」と言はれた。頷けるところもあり沈默するしかなかつた。西洋の思想家や藝術家を立派だと思つて崇めても、彼らと「私」とは違ふと言ふことを心底で知らなければ、單なるセンチメンタリズムである。「自ら行ふを勤めず、好んで無當の大言をなし、聖人となるも、善國となすも、茶漬を食ふが如くに言ふ者多し」(松陰)とは、まさしくさうであらう。さう「書け」ば、さう「なつてゐる」と思ひ込んでしまふのは、文筆家の嚴に戒むべきことである。

  また、保守の思想家の對米論にかかはつて色色なことが言はれるが、アメリカニズムの弊害だけをとらへて反米を口にする人も、日米同盟を米英同盟まで高めよと言つて親米を口にする人も、いづれも「西人は機知の民たるを知りて、徳義の民たるを知らず」(鴎外)であり、日本人と「西人」との違ひを知らな過ぎると兩斷する。彼らには、アテナイとエルサレムといふ精神の二源流が明確にある。私たちには、それがない。その「ない」といふことを知ることが肝心なのに、今日の言論人にはそれがない。しかし、少なくとも士魂をもつた過去の人物には、「西人」の中にある「徳義」を見ることができたのだ(徳義を重んじる人にしか、相手の徳義は理解できないといふことなのだらう)。

   されど、私たちは西洋化して行かざるを得ない。露伴の言葉が印象的に引かれた。「牛肉を食はなかつた昔には戻れない」のである。

  もちろん、「西人」と私たちとの間に逕庭の差があるやうに、士魂の民と私たちの間にもそれはある。そのことの自覺なくして、單なる「偉人傳」を書いても意味はない。留守先生の栗林論が絶えず自省的であるのは、さういふ意識があるからだらう。

  最後の四〇分ほどは、林子平について語られた。『海國兵談』はいまは絶版であるが、何とか手にして一讀をと勸められた。その合理的な精神、嘘を排して、もつぱら實用に徹する言は、士魂の民に共通するものであるやうだ。ただ、愚直の言には悲哀もあつて、「中々に世の行末をおもはずば今日のうきめにあはまじものを」の歌も引いてゐられた。「直情徑行の獨夫なる」子平は、しかしながらそれでも自ら版木を彫り、後の時代に向かつて直言を言ひ續けた。さういふ子平を子平たらしめたのはなにか。調べれば、子平の父がさういふ生き方をしてゐたのであるといふ。また、士族であつたといふことも重要な條件でもあらう。士魂の民の復活は、いますぐにありえまいが、無魂の「私」であることを知ることはできよう。その意味で、士魂の民の書を讀むことは必要なのである。

   なほ、松原正氏の『夏目漱石 下卷』はすでに書き上がつたとのこと。そして、松原先生の文章をまとめる計畫を御持ちであるとのことでした。

   餘談――福田恆存は、「日本は國ではなく島だよ」と言はれたと言ふことをうかゞつた。海に圍まれて他國と接してゐないだけであつて、國の體をなしてゐないといふことである。さうであるか。

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言葉の救はれ――宿命の國語253

2008年03月28日 08時39分16秒 | 福田恆存

(承前)

  私たちの國語は、本來五十音圖を基本として運行してきた。これは文法的な活用といふことにとどまらず、身體的な發聲や口の動かし方もさうである。アイウエオといふ母音を發聲するときの口の形をみても、大→中→小→中といふ自然な動きをしてゐる。

ところが、戰後の國語改革はその五十音圖を破壞してしまつたのである。ヤ行やワ行は無殘な蟲喰ひ状態である。

「『現代かなづかい』は、表音主義をとりながら、助詞の『は』『へ』『を』はそのままとし、また『ぢ・じ』『づ・ず』の書き分けには正かなづかひの原理を一部残すといふ、一貫性のない中途半端な代物である。そのため、日本語の語法の説明ができなくなつてしまつた。国文法は『五十音図』をよりどころにして、語の活用や音便などが説明される。ところが、『現代かなづかい』に切り替へられてから、この重要な『五十音図』は軽視され、不用なものとされ、その結果、戦後の一時期、小学校の国語教科書に『穴あき五十音図』が出現することになつた。それによると『ヤ行』には『や、ゆ、よ』の三字、『ワ行』には「わ、を」の二字しかない。

 そればかりではない。戦後の学校教育では『五十音図』をろくに教へないらしい。それで、大学生にもなつて、五十音図を満足に書けないわけである。しかし、国語の成立ちや、文法を学ぶ上から『五十音』を正しく理解することは極めて重要なことである。」

(林武『国語の建設』七五・七六頁)

 ちなみに、この林氏は洋畫家であるが、林圀雄、甕雄、甕臣と受け繼がれた國學者の血筋で、國語問題へも深い關心をもつてゐた。國語問題協議會會長も務められた方である。昭和五十(一九七五)年に沒してゐる。

  ところで、この五十音圖であるが、いつごろ出來たのかは諸説がある。そして、梵語(サンスクリッド語)の影響によつて成立したとも言はれてゐる。ただ、宣長も「五十連音(いづらのおと)」と書いてゐるので、近代になつて明治政府が作り出したものではないことは明らかである。

  神社の狛犬や、東大寺南大門の金剛力士像も「ア」と「ン」といふ口の形をしてをり、最初かと最後の音を示すことで全ての人を救ふといふことを意味してゐる。といふことは、この音圖は單なる「表」ではなく、文法の基本であると同時に、私たちの文化と深く結びついてゐるものであると考へられる。アルファベットの順序がどういふ根據によるのかは分からないが、それらとは根本的に違ふ言語の秩序感覺が示されてゐるのである。

  では、この五十音圖と文法との關係について考へてみよう。例へば、「話す」のやうな動詞をサ行四段活用と言ひ、「食べる」のやうな動詞をバ行下一段と現代口語文法では言ふ。行・段といふ發想があるのだ。中學校で學習することになつてゐるので、讀者の方も大方は御存じであらう。これがあるからこそ、動詞の秩序だつた活用といふ現象が維持されて來たのである。

  もちろん、それは歴史的假名遣ひにおいてできたものである。現代口語文法は、文語文法なしには生まれなかつたのは自明である。

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言葉の救はれ――宿命の國語252

2008年03月26日 21時13分04秒 | 福田恆存

(承前)

 福田恆存は、前囘引用した『私の國語教室』の中で、「歴史的かなづかひの態度はあくまで現實主義的です」とも書いてゐる。しかし、多くの人はさうは考へまい。歴史的假名遣ひを使ふことを、何か特權を見せつけてゐるやうだといふほとんど噴飯物の勘違ひを見せるといふ體たらくである。

 さういふ言論を見るまでもなく、物事を現實的に見てゐないといふのが、もう一つの私たちの宿痾であらう。歴史的假名遣ひは時代錯誤であつて、「現代かなづかい」を使ふのが現實的であるといふのである。その場合の「現實」とは何か。それは國語とはどうあるべきかといふ現實論から出た發言ではなく、自分はそれを使つて來たといふ現状の表明にすぎない。言葉は歴史性を持つてゐるから言葉なのであるといふ現實を見ずに、一個の人間の道具としての言葉の現實を見てゐるにすぎないのである。

 さういふ言語觀が大勢を占める現状にあつて、福田の歴史的假名遣ひ論は、理解し難いだらう。

 更に言へば、福田の言葉の矢は、歴史的假名遣ひを主張する人人にも向けられてゐる。表音主義といふ理想を現實化することが學者の誠意(じつは御爲ごかしに過ぎないが)であると信じる「現代かなづかい」論者を、歴史的假名遣ひ論者は批判するが、表音性といふ理想をも含む現實を見ずに假名遣ひをかたくなに表意文字としてのみ考へる思考をも批判してゐるのである。

 かういふ私も、このあたりの福田恆存の自由な思考、柔かい思考を十二分に理解して自家藥籠中のものにしてゐるとは、とても言へない。福田恆存とは「ふくだつねあり」と讀むが、「ふくざつなり」と揶揄されることがあつたと御本人がどこかで書いてゐた通り、「ふくざつ」なのである。それは何も易しいことを難しく言つてゐるといふことではなく、安易な形式主義、硬直化した原理主義に陷らない柔軟な思考がもたらした結果なのである。「抽象的な、あるいは本質的な思考に不慣れな」私たち、いや私には逕庭の差があつて、どうにも埋め難い。

ちなみに言へば、かつて福田恆存は「日米兩國民に訴へる」(昭和四九年)の中で、かう書いてゐた。

「人は相手を理解したと思つた瞬間から、自分の貧弱な理解力の中に相手を閉ぢ籠めてしまひ、それ以上に相手を理解しようとする努力を怠るばかりか、それからはみ出した相手の姿をみたがらなくなる」と。

そして、その際必要なのは「理解でも理解力でもない。理解の材料としての知識、情報である」と書いてゐた。

しかし、現在では不足してゐるのが「知識、情報」だけでもないだらう。そもそも關心がないのである。國語への無關心、かういふ事態を見ると、ますます状況は惡くなつてゐると思はれる。硬直化した思考、不自由な發想、現代人の私たちは、人間存在を規定する言葉そのものへの關心すらないと言ふことかもしれないのである。

閑話休題。

吉川の論文の誤謬について具體的に丸谷才一氏は、かう書いてゐる。

「音便は発音をそのまま写すのが日本語標記法の特徴であることの證拠だ、と吉川は言ふが、これは大事なことを見落とした暴論にすぎない。歴史的かなづかひによる音便の表記は、綴字的性格を保つたまま発音をも示すための工夫なのである。ムカヒテが mukote と発音するやうに改まつたとき、ムコウテと書いたのでは動詞の語幹がかくれて、意味の標示がおろそかになり、五十音図による活用も乱れるけれど、ムカウテならば、その心配はないからである。」

(『桜もさよならも日本語』一五〇~一五一頁)

「語に隨ふ」とは、かういふことである。表記が「音に隨ふ」のであれば、それは發音記號である。丸谷氏の言ふやうに五十音圖の體系を崩すことなく、國語を表記するとなれば、歴史的假名遣ひといふものにならざるをえない。これが理の當然である。

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留守先生の講演會近附く

2008年03月23日 12時45分40秒 | 告知
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一昨年、クリントイーストウッド監督、渡辺謙主演の映画「硫黄島からの手紙」で名を知られるやうになつた、栗林忠道を10年ほど前から書き續けられてゐた留守晴夫先生を大阪にお招きしての講演會が、いよいよ今週末
3月30日(日)に開催される。テーマは「昔を今になすよしもがな―士魂の昔、無魂の今」。吉田松陰や栗林忠道の「士魂」、さらには海防思想家の林子平に觸れられるとのこと、是非ご参加ください。
 ★以下は、以前のものを再掲。
講師・留守晴夫先生の紹介
 早稲田大学文学部で教鞭を執られる側ら、「月曜評論」誌上などで言論・執筆活動を展開してこられました。一昨年、上梓された「常に諸子の先頭に在り―陸軍中将栗林忠道と硫黄島」(慧文社)は、栗林忠道中将が世間からまつたく黙殺されてゐた頃から、栗林中将について論じてきたものをまとめたものです。出版当時、西村眞悟氏や評論家の潮匡人氏が推薦の書評をされています。専攻はアメリカ文学。
 今回の講演も、昔と今、日本とアメリカを対比して、かつて「なんとも見事な日本人が居た」ことを語りつつ、現代日本人の直面する課題を浮き彫りにされることでせう。
 時間、場所、演題は下記の通りです。奮つてのご参加をお待ち申し上げます。 
 
開 始 3月30日(日) 1:30開演(受付は1時から)                 
場 所 大阪市中央卸売市場本場業務管理棟16階ホール
     (大阪市福島區野田1-1-86)
     地下鐵千日前線玉川驛下車 徒歩12分
     JR大阪環状線野田驛下車 徒歩12分

演 題 「昔を今になすよしもがな―士魂の昔、無魂の今」
参加費 2000円(当日受付で)
終 了 3:30頃予定(その後会場近くのお店で懇親会)
懇親会 参加ご希望の方は、森田までご一報をください。会食費(3~4千円)は当日幹事にお支払いください。
問合せ 森田0729-58-7301または鎌田090-9163-3802までお問合せください           
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言葉の救はれ――宿命の國語251

2008年03月22日 13時38分13秒 | 福田恆存

(承前)

 福田恆存が、言葉において何が大事なのかを示した次の文章をお讀みいただきたい。一讀諒解といふ譯にはいかないだらうが、何度でもお讀みいただきたい。大事な、本當に大事なことである。

「たとへ表音文字を用ゐても、私たちの内部には、語としての表意性への志向ともいふべきものが、ほとんど本能的に働いてゐるといふことです。單なる聲音では同じ表記法を許されず、表音性を脱したとき始めて語としての自律性を認められ、正規の表記法を與へられるといふわけです。この表音性からの脱却と語としての自律性といふこと、それこそ私たちの語意識の中核をなすものでありますが、それがすなはち歴史的かなづかひの大原則たる『語に隨ふ』といふことにほかなりません。(中略)最も大事なものは、既に言つたやうに、語の自律性といふことであります。それを確立するために、私たちは時代を通じての歴史的一貫性や直ちに識別しうる明確性を求めるのです。定家の傳統主義はその前者に通じるものであり契冲の規範主義は後者に通じるものでありませう。が、二人とも、抽象的な、あるいは本質的な思考に不慣れな過去の日本人として、本質と現象との次元の差を考へ分けることが出來なかつたのは當然と言へます。そのため、無意識のうちに語の自律性といふ本質を求めながら、その本質を志向する一現象に過ぎぬものを、すなはち一貫性や明確性を、それぞれに本質そのものと混同してしまつたのであります。文字は、あるいは表記といふ行爲は、表意、表語を目的とします。語の自律性を志向し、語に仕へようとします。歴史的かなかづかひは、そのための手段として一貫性や明確性を欲するのです。が、逆に、一貫性や明確性の樹立を目的とし、言葉や文字をそのための手段と考へてはをりません。一貫性、明確性に都合のいい言葉や文字を探したり造つたりしようといふのではなく、既に與へられてある國語國字がなるべく一貫性、明確性を用うるやうにと考へてゐるだけのことです。そればかりではない。語に仕へる手段の一つとして、一貫性、明確性のほかに表音性といふことさへ認めてをります。歴史的かなづかひの態度はあくまで現實主義的です。頭の中には本質、すなはち表意觀念があつても、手の中にあるものは表音文字だといふことを忘れてはゐませんし、それを卻けようともしてはをりません。また、頭と手の機能を混同する愚を犯しもしません。」

(『私の國語教室』六三~六六頁)

  福田恆存は、歴史的假名遣ひ原理主義ではない。定家と契冲のそれぞれの誤りも明確に示した上で、「二人とも、抽象的な、あるいは本質的な思考に不慣れな過去の日本人」としてゐるが、もちろん私たち「現代人」も「抽象的な、あるいは本質的な思考に不慣れな」日本人であらう。現象と本質を混同するなどといふ誤りは、枚擧に暇がない。一つ一つを例に擧げる紙幅もないが、經濟活動と單なる金儲けとを混同するやうな拜金主義的現象などを見れば、もはや私たち日本人の(あるいは現代人の)宿痾ではないかと言ひたくなるほどの體たらくである。

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