言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

福田恆存――「政治に先行する」領域を示した人

2009年11月23日 11時35分40秒 | 福田恆存

エリオット評論選集 エリオット評論選集
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2001-02
 11月21日、東京の靖国会館で福田恆存の通訳を務めた経験をお持ちの早稲田大学名誉教授の臼井善隆氏の講演を聞きに出かけた。前日の11月20日は福田恆存の御命日でもあり、福田恆存について一日中考へる日を作つてもいいだらうと思ひ、出かけることにした。

 福田恆存は、「学校の教師と医者以外は先生とは呼ばない」とおつしやつてゐたといふことで、福田恆存先生とは呼びません、といふ言葉から始められた。「福田さん」と呼ばれるその言ひ方がなんともうらやましい邂逅を果たした人だけが持つ語り口であつた。途中、何かを思ひ出されて声を詰まらせる沈黙の場面もあり、きはめて貴重な時間をいただいたやうな気持ちがした。アメリカ人のその無茶苦茶な発言を福田恆存がひとつひとつ反駁してしていく過程のなかで、顔を赤らめて激昂する福田さんの姿を見たのはそのときが初めてだつたと語られた直後のことである。

 もつとお話を聞きたかつたが、時間切れで終はつてしまつたのが残念だつた。

 福田恆存の生き方を要約するやうな形で、エリオットの「保守主義と政治」を引用されたが、それはこんな言葉である。

「さほど希望を持たず、目下の情勢の成り行きを変えたいという野心も持たず、そして結果として何も起こらないように思われる時でも意気消沈したり挫けたりすることなく、ひたすら問題の核心を見抜くこと、真理に達しそれを説こうと努めることに専念する数少ない作家が必ずいなければならない」

 さういふことをずつと続けてゐたのが、福田恆存であり、「政治に先行する」領域を問ひ続けた批評家であるといふことだ。

 もちろん、エリオットにはキリスト教がある。それは保守するべき価値である。しかし、日本には「政治に先行する」領域が果たしてあるのかどうか。そんな中で「政治に先行する」領域が「あるかのやうに」(森鴎外)に演じながら、批評をしていくことが求められる。その点で二重の困難を抱へていかなければならなかつたといふことであらう。消しゴムで字を書くといふ比喩を私は好んで用ゐるが、その困難の性質もさういふものだらうと思ふ。

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「常なるものを見失つた」

2009年11月16日 11時22分37秒 | 日記・エッセイ・コラム

小林秀雄全作品〈14〉無常という事 小林秀雄全作品〈14〉無常という事
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2003-11
 小林秀雄が「無常といふ事」を書いたのが、昭和17年である。雑誌『文學界』の七月号に載せたものであるが、まさに戦中のできことである。

 その終はりは「現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常といふことがわかつてゐない。常なるものを見失つたからである」である。戦争中の常なるものには、國体だとか天皇制だとか、いろいろとうるさいことがあつただらう。そのときに「常なるものを見失つた」と書いた小林秀雄の真意はどこにあるのか。また、人人はこれをどう読んだのか、気になるところである。

 いまの理解では「常なるもの」とは神仏のことである。さうであれば、「天皇制」の下に一元化される戦時体制への批判はもちろんあつたであらう。しかし、それが天皇への非難にならないところに、小林秀雄の精神の筆法があつた。戦時体制のやうに「常なるものを見失つた」権威主義的風潮に、我慢がならない自由な精神が書かせたのが「無常といふ事」なのである。

 森鴎外は「かのやうに」を書いて、絶対者のゐない國の天皇の存立基盤の脆弱性を静かに指摘したが、小林秀雄は、それと違ふところにゐた。常なるものでないことを指摘しつつ、常なるものとならうとされてゐる天皇を救はうとされてゐた。一人の日本人として当然の行ひとしてそれを行はうとしてゐたのである。

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piece mealといふこと。

2009年11月13日 11時52分12秒 | 日記・エッセイ・コラム

 社会が変はらうとしてゐる。相変はらず「日本人が」変へようとしてゐるとは書けないのでは、変はつてはゐないのかもしれが、変化の途上にはあるやうだ。

 しかし、どうにもせつかちな私たちは、「維新」のやうな変化を求めてもゐる。政治のことだけではない。子どもの成長にも部下の成長にも、あるいは上司の成長をもせつかちに求めすぎてゐるやうにも思ふ(いやいや自分の成長に一番苛立つてゐるのではないか!)。もつともこれは現代日本人だけの特徴ではなく、世界共通の傾向のやうにも思ふ。最近「2012年」といふ映画が話題になつてゐるが、地球崩壊といふ終末思想はどうも私たち日本人だけの精神世界でもないやうだ。映画は見てゐないので、結論はどうなるのか分からないが、変化を求める、それも激変を求めるのは、案外疲れてゐる証拠でもある。待ちくたびれたといふ言葉が暗示してくれるのは、待つ行為にくたびれたのではなく、待たうとする精神が「くたびれた」といふことではないかと思はれる。

 そこで、piece mealである。この言葉は、何かのシンポジウムで社会学者の加藤秀俊氏から聞いた言葉である。山崎正和氏が「パッチワーク」といふ表現で、現代の諸問題の解決策を説明された時にそれを受けての発言である。もちろん、山崎氏がその言葉を知らないはずはなく、我々聴衆のレベルに合はせて「パッチワーク」と言つたことを知つてか知らずか、わざわざ専門用語で説明し直すとは、加藤氏も意地が悪いと思つた。

 piece mealとは、「切れ切れに」とか、「少しづつ」とかいつた意味だが、さういふ待ち続ける精神力が本当に必要なのだらう。しかし、実行は難しい――さう思ふ。

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人を呪はば穴二つ

2009年11月11日 23時17分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

「人を呪はば穴二つ」といふ諺がある。「穴」はもちろん墓穴のことで、人を呪ふと、相手と自分の二つの墓穴を掘ることになるといふのである。

   昨今の民主黨の政權運營を見てゐると、どうにもこの言葉を聯想してしまふ。郵政民營化への反動や、米軍の核持込への批難は、何をしたいのかは不明であるが、個人の恨みを晴らしたいといふことが動機になつてゐるやうな氣がしてならない。私は何もそれを單純に否定してゐるのではない。恨みを晴らす手段が、意趣返しといふ形のものしかないのであれば、仕方がない。小泉元總理が郵政民營化の際にやつたあの刺客騷動自體が異常であつたし、刺客を送られた方が恨み骨髓になるのは致し方ない。これは惡いことではある。しかし、さういふ思ひを抱いた人に、「赦してあげませう」と言へるほどの高潔さも持ち合はせてはゐない。恨みを持つてしまつた人が恨みを晴らさうとする。これが今起きてゐる出來事の内情なのではないか。これでまた政治は混迷するのであらう。しかし、さういふ怨念政治が今の私たちの國民性の等身大の姿なのであつてみれば、まづは我が振り直せと自戒して靜觀するのも成熟の道なのではないか(何をのんきなことを、と怒られさうだが、失はれた百四十年を思へば、十年ぐらゐどうつてことはない!?)。

   少少、國民は威張りすぎである。政治家を聖人であるべきだと思ひすぎである。もつとすぐれた政治家が出て來てほしいとは思ふが、威張りすぎの國民からは、高尚な政治家は出て來ないのも當然である。

  福田恆存は晩年「行くところまで行け」とあるインタヴューで語つてゐたが、その眞意がどこにあるかはつまびらかではないが、「正論」で片をつけることはできない、經驗でしか分からないことがあるといふ意味も含まれてゐるのではないかと思つてゐる。

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ブロック化する世界

2009年11月09日 22時16分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 24歳の時だつたと思ふ。ある雑誌の取材で、当時の東海銀行の調査室の伊藤某さんのところに出かけた。経済についてはまつたく分からないから、別の紙の経済専門の記者の方に御同行を願ひ「ブラックマンデーはまた来るか」といふことについてうかがつた。

 詳細は忘れてしまつたが(ここら辺りがいかにも経済オンチ)、中で「世界経済は今後ブロック化するだらう」といふことを明言されてゐたことは忘れられない。あれから20年、ヨーロッパのEUは通貨統合まで行つた。東アジア共同体などといふことは現実的ではないと思ふが、総理大臣が国連や国会の議場で堂堂と言ふ時代になつた。ドルが弱くなつたがゆゑだとも言はれるが、市場のグローバル化への警戒感がきつとその背景にはあるだらう。先ほどの伊藤某さんは世界が一つの市場になる前段階としてといふ文脈でおつしやつてゐたが、現実はむしろそれを警戒する動きの中で出てきたブロック化である。

 西部邁氏が、『中央公論』五月号で、「ブロッキズム」と名づけて、それを主張し、1930年代の閉鎖的なものとは違ひ、半分開放・半分閉鎖といふゆるやかブロック化と定義してゐた。その上で今後の日本のとるべき進路としては、「離米」「経欧」「接亜」「帰日」があると言つてゐる。もちろん、保守主義者西部邁氏は、最後の「帰日」に重点を置いてゐるやうであつた。

 反米であることの非を私は以前から書いてゐるから、西部邁氏の主張を直ちに肯んずることはできないが、方向性を明確に示す保守主義者といふのは貴重でもある。マンネリ化した最近の西部氏の主張の中では傾聴すべき論説であつた。

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