言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『夢なし先生の進路指導』を読む

2023年09月27日 20時06分32秒 | 評論・評伝
 
 中等教育を担ふ中学校高等学校には分掌といふ教員の役割分担がある。生徒達には「生徒指導部の先生」といふのはイメージしやすからうが、教務部や進路指導部といふのはなかなか分かりづらい仕事の割り振りであらう。かく言ふ私も分掌といふ言葉を教員になるまでは知らなかつた。
 教員といふのは、教科を教へる仕事がもちろん第一であるが、学校が組織であり、教育が教科の伝達と完全にイコールでないと知るならば、やはり教員の仕事にはそれ以外のことがあるのは当然である。しかも、それは言はば教科を教へる仕事を支へる根つこのやうなものであり、見えない仕事でむしろあるべきとさへ思へる。カリキュラムの熟成やライフキャリアを考へる資質を養ふことは、縁の下の力持ちである。
 私の所属してゐる分掌は、そのキャリアデザインの担当である。これまでの学校の歴史では長らく進路指導部と呼ばれてゐた分掌であるが、六年ほど前に私自身再考する機会があつた。指導の主語は教員であるが、デザインの主語は生徒である。教員しか職業経験を持つたことのない存在が進路指導できるのは大学受験ぐらゐである。果たしてそれで良いか、ずゐぶんと考へた。そして本をたくさん読んだ。そこで出会つたのが、法政大学のキャリアデザイン学部の児美川孝一郎先生の『キャリア教育のウソ』(筑摩書房)である。この本のことは以前書いたが、キャリア教育についてこれほど私に影響を与へてくれた本はない。といふより正確に言へば、少々生意気な言ひ方であるが、私のモヤモヤに明瞭な言葉を与へてくれた本はないといふことである。職場体験や職業紹介に終始するイベント中心の俗流キャリア教育に疑問を持つてゐたが、それらの疑問にはつきりと「そんなのはキャリア教育ではない」と答へてくれた。キャリアとはワークキャリアのことではない。職場体験や職業紹介は、キャリアをワークキャリアのことだと思つてゐる極めて人生を見くびつた考へ方である。むしろライフキャリアの中にワークキャリアが含まれるのであつて、「いかに生きるか」の中にこそ「いかに働くか」が含まれてゐるのである。そんなことは当たり前ではないか。しかし、それが分からない人がじつに多いのである。そこでとりあへず「キャリアデザイン部」と名称を変更してもらつた。

 さて、本書は「進路指導」といふ名称がついてゐるが、本質は担当教員に「夢なし」といふあだ名がつけられてゐることにある。「夢とは呪ひである」といふ主人公の教員が語る言葉は名言である。そして、そもそも夢とは寝台に乗る人が悪夢にうなされてゐる姿の形象であつてみれば、正統な理解であるとも言へる。
 まだ第一巻であるが、大いに勇気づけられた。私も「夢なし先生」でありたいと思ふ。理想と夢を混同するな。夢を目標とするから人生が狂はされるのである。理想は現実にないからこそ、人生の迷ひ道に役立つのである。それは北極星のやうにである。自らの位置を知り、行くべき方向を見出す時に価値を持つ。ところが夢を目標にすれば、その道も方向も確かめることもできず、ひたすら目を瞑つて歩くやうなものである。あとどれぐらゐ歩けばいいのか、この方向でよいのか、現実世界に存在しない夢を現実のものだと思へば、それは何も教へてくれない。その結果人生は破壊されてしまふ。このコミックは、そのことを少々どぎつく描いてゐる。それは悲劇であるが、諦めることを知らない登場人物のひたすら人生を狂はされてゐる姿は夢に取り憑かれた生徒の真実の姿であらう。まさに夢が現実を破壊してゐたのである。「夢」などといふ言葉に価値を与へてはならない。夢とは悪夢の言ひである。悪夢に何か役割があるとすれば、予知であり、戒めである。さう知らせるには「夢なし先生」が必要である。
 
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時事評論石川 2023年9月20日(第832・33)号

2023年09月20日 08時19分56秒 | 評論・評伝
今号の紹介です。
 
 一面に記事を書かせていただいた。安倍元総理への思ひを書いてほしいとの依頼であつた。今年のゴールデンウィークに、安倍氏が銃弾に倒れた場所に行つてみた。そこはすでに道路になつてをり、その脇には芝生の小さな公園が出来てゐて、そこに高校生と思しき若者が飲み物を片手に寝そべつて談笑してゐた。道路の脇で寝そべるといふのも私の感覚とは大いに異なるが、その場所がどういふ場所かを知つてゐながらの行為であつてみれば、個人の感覚の相違を越えて、どうにも整理をつけようがないほどの悲しみが湧いてきた。冷静になつて考へてみれば、なるほどこれが今の私たちの国のマジョリティーの感覚であり、東大法学部の教授をはじめ安倍批判のインテリゲンチャ―の思潮である。これは言はば、「日本の自殺」なのである。民主主義とは、かういふやうに堕落し、貧しくなり、国が壊れていくのである。安倍氏追悼を記しながら、かうした現状を唯々諾々と受け入れるしかないといふ断念と現状に抗つてしまふ日々の思ひを書くことになつた。
 ご関心がありましたら御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
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民主主義の貧困
安倍元総理終焉の地で観たこと考へたことども
          文藝評論家 前田嘉則
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コラム 北潮(E・H・カーについて)
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〝国防〟と〝皇室〟が、野党にとっての政権への踏み絵だ
    尚美学園大学名誉教授 梅澤昇平
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教育隨想  NHKは軍艦島「捏造」の事実を認めよ(勝)
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知っておきたい宇田・醍醐両天皇の即位事情
  一臣籍から天皇に立つた国史の先例
    麗澤大学国際問題研究センター客員教授 勝岡寛次
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コラム 眼光
   岸田政権のアキレス腱(慶)
        
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  福島処理水、これ以上中国に利用させるな(紫)
  死人に〝価値あり〟・プリゴジンと芹沢鴨(石壁)
  『動物農場』の「私」(星)
  またもや失政 岸田内閣(梓弓)
           
  ● 問ひ合せ     電   話 076-264-1119    ファックス   076-231-7009
   北国銀行金沢市役所普235247
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『沈黙の艦隊』を読む。

2023年09月10日 19時28分08秒 | 評論・評伝
 
『怪物』を観に行つたときだつただらうか。本編の開始の前の予告の上映のときに、『沈黙の艦隊』が映画化されることを知つた。昔から海の映像は苦手で、恐怖が先立つ上に、潜水艦の映像であるともつと怖さがまさるかもしれないとの不安もあるが、この映画は観たいとの思ひがあつて、急いで漫画の文庫コミック16巻を取り寄せて夏休みに一日一巻づつ読んだ。
 漫画といふものを読むといふ習慣がこれまでになかつたので、始めは苦労した。コマ割りがどのやうに続くのか分からないし、老眼には文庫版のふきだし内の文字は読みづらい。しかも、日米で開発した原子力潜水艦が独立国を宣言するといふ想定が果たしてどの程度リアリティがあるのかも分からない。その上、主人公の艦長がこれまたあまりにも見事に指揮命令を発し、その国家観や人間観が日本人とは思へないものであつた。吉田松陰を思ひ出してつい「留魂録」を読んでしまふといふ付録までつけてしまつた。
「映画を観る前に読まない方がいいわよ」と家内には言はれ、さういふ予感もしない訳ではないが、この夏の個人的な憂さを晴らすには随分といい読書にはなつた。
 映画を観てなにかあれば書かうと思ふ。

 討たれたる我をあはれと見ん人は君を崇めて夷(えびす)を払へよ 吉田松陰 
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