言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

松原正先生の講演會について

2006年09月24日 21時10分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

  講演會にいらしてゐた木村さんが、御自身のブログ(http://kimura39.txt-nifty.com/)に、講演會の要約を書かれてゐる。まつたくうまく要約されるものだと思ふ。私もさう聽いた。

  しかし、松原先生はやはり知識人に語り、知識人に書くべきだらうとも思つた。さういふ媒體がない不幸をあらためて感じた。先生の言動には空しさが漂つてゐた。

  松原先生を信奉する人人とそんな話をしたが、彼らは、「空しいとは先生自身もおつしやるが、その一方で語り續け書き續けてゐる。空しいと言つてもそれを文字通り受け取つてはいけない」と語つてゐた。そんなことは私でも百も承知である。しかし、その空しさは、福田恆存の言つた「言論の空しさ」とは違ふ。松原先生は、知識人の批判しかしないが、福田恆存は知識人のみには語らない。『私の國語教室』のはじめに書かれてゐるやうに、誰に語つても通用するものを書いた。そして芝居を書いて庶民を相手にした。しかし、松原先生は、知識人しか相手にしない。

  知的怠惰を問はれるのは、第一義的には知識人である。しかし、昨日來てゐた人人は市井の人人である。さういう人人に、知識人の欺瞞を言つてどうするのだらうか。漱石の研究者に對して言へば、それは決して空しいものではないだらう。現在の漱石研究の水準を私は知らないが、反論であれ賞讚であれ研究者は反應してくれるだらう。しかし、研究者でも出版社の編輯者でもない私たちに、漱石の誤讀のされやうを批難してもあまり生産的ではない。誠實に生きてゐる人人を勇氣附ける(それは「いやし」などといふ卑しい言葉ではない)言葉があつても良いではないか。「庶民よ胸を張れ」さういふ言葉こそ、保守の言葉だらう。

  福田恆存は、庶民に語り、庶民に書いたものが多い。庶民は、「知」だけで生きてゐない。だから、知的誠實よりも、優先するものを持つてゐる。どこかで福田恆存が書いてゐたが、列車の中で、福田が待つてゐる友人のための空席に帽子をおいてゐると、だれかが來て、その席を讓れと言つた。そのとき確か「この民主主義の世の中で」云云と言つたといふ話があつた。まさにインテリかぶれの人間である。それに對して、大學など行つてゐない御婆さんが何氣ない會話をしてゐる姿に教養を感じた、そんな話であつたと思ふ。

  庶民は、正しさよりも、愛を求めてゐる。生活の中で悲しみを抱へた人人である。さういふ庶民に福田恆存の言葉は屆いてゐた。もちろん、弟子を紹介する松原正先生の姿は、やはり愛の人であつた。となれば、市井の人人へ語る言葉にも、松原正先生の思想を展開してほしかつた。知的誠實と、正義を、大學教授でもない私たちが、自分の職場や家族に對して展開しても、それは不幸になるだけである。

  いみじくも、今囘は漱石の「こゝろ」を論じて、夫婦の愛を道義的に論つてゐた。明治の妻の立場を、平成の夫婦のあり方から語るのは、どうだらうか。

  産經新聞の「正論」の筆者は、政治しか論じない。それに對して松原先生は「人は政治のみに生きるにあらず」と批判した。しかし、「人は知的誠實のみに生きるにあらず」でもある。愛によつて生まれ、愛によつて育ち、愛を殘して死んでゆくのである。先生が愛を語ることはないだらうが。

  「カエザルの物はカエザルに、神の物は神に」といふ聖句をしばしば松原先生は引用するが、先生の言葉はそのどちらなのだらうか。知的誠實といふのは、カエザルのものなのか。それが明確でないから、結局、自我の芯だけで言論を語り、空しくなつていらつしやるのではないか。松原先生の信奉者に言ひたかつたのは、そのことである。

以上、私の松原正論の註である。

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松原正先生の講演會終了

2006年09月23日 21時20分49秒 | 日記・エッセイ・コラム

松原正先生の講演會が、終了した。本當にこれで大阪講演は最後のやうです。常連の方方は、御名殘惜しさうでした。「遺言」といふ言葉を何度も口に出されてゐたのが印象的でした。

漱石の「こゝろ」への批判は、いづれ『夏目漱石 下卷』で讀めることになるでせうが、その中心は、「先生」が自殺の理由を奧さんに傳へなかつたことへの道徳的な問題である。どうして書生などに手紙で自殺の理由を長長と書きながら、最愛の妻へは無言で死んでしまふのか、それは道義不在である。そしてまた、それを指摘しない日本の文學研究者、知識人の知的怠惰、それらを斬つてゐた。

それはそれで面白かつた。だが、妻に語れずに死んだのは、妻を愛する氣持ちからでもあらう。その愛がどうやら一人よがりであつたのかもしれないといふことはあるかもしれないが、道義不在といふのはどうだらうなとも感じました。

來年からは、留守晴夫先生の單獨講演會といふことになるやうです。世代交代、そんな印象でした。

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講演會當日の案内

2006年09月23日 08時41分40秒 | 告知

本日、松原正先生、留守晴夫先生の講演會です。松原先生は、漱石論を久しぶりにされるやうです。「こゝろ」を題材に、漱石がなぜこんな愚作を書いたのか――さういふことを語るつもりだと昨日語つてをられました。

留守先生は、「今、なぜ栗林中將なのか」といふことを御話されるやうです。つい先日増刷も決まつたさうで、多くの讀者を得ることを、私も願ひます。

 演 題  松原正先生 「感想」

              留守晴夫先生「今、なぜ栗林中將なのか」

 日 時  9月23日(土)秋分の日   1:00開演 4:00終演

      ※講演終了後、懇親會があります。
 
 場 所  大阪市中央卸賣市場本場業務管理棟16階 大ホール
      (大阪市福島區野田1-1-86)         
      地下鐵千日前線玉川驛下車 徒歩12分
      JR大阪環状線野田驛下車 徒歩12分
      ※常連の方は、御分かりの通り、「いつもの場所」です。

 參加費  2000圓

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言葉の救はれ――宿命の國語108

2006年09月21日 22時12分38秒 | 福田恆存

舟橋の論の卓越したところは、アメリカニズムによる國語の改惡を非難する自分の姿から、かつての日本の植民地で行つた言語の破壞や収奪を振り返るところである。つまり、かつての我が国がやつた植民地での言語政策を省みるといふことである。論文の最後のところで、ちやうどその頃開かれたアジアアフリカ會議で發表された龜井勝一郎の文章を引用して、舟橋はかう記してゐる。

「殘忍な植民地主義に悩まされ、ことに自国の言語・国字を破壊されたことの訴えがあったとすれば、私もこれに同感を惜しまない」。

 

現在、學問の世界ではポストコロニアリズムといふものが流行してゐる。流行思想といふのはいつもさうだが、その名称を日本語で言はない。日本語で言へば「新しい植民地主義」あるいは「後期植民地主義」とでも言ふのだらうか。カタカナ書きするところが、なにやら意味あり氣だが、その中身はかつての植民地政策の見直しでしかない。「見直し」といつてもその中心は、帝國主義國家日本の政策を批判することが目的であつて、植民地の人々への同情は隱れ蓑にすぎない。しかも、その批判は薄つぺらいものでしかなく、現在の見方から過去の事實を裁断する程度のものである。今日にも續く、「政治と文学」あるいは「政治と國語」といふ、次元の違ふことの混同といふ大問題には目をつぶり(いや氣附かずに)、事實の解釋に新奇を爭つてゐるだけである。

しかも、日本の言語政策を批判する彼らは、その批判によつて傷つくことはない。當時の政策立案者は亡くなつてゐるので、批判しても反論も出てこないから傷つくこともないし、返り血を浴びることもない。まつたく安全な言説なのである。朝鮮半島や台灣の人々からは歡迎され、日本人の良心を示す學問として脚光を浴びる。しかし、かういふ態度はいかがなものか。ここは、歴史観を云々する場所ではないからあまり觸れないが、今日の流行思想を振りかざして、かつての政策を批判するといふのはあまり趣味の良い学問とは言へまい。

「言語編制」といふ造語まで驅使して『帝国日本の言語編制』(世織書房・平成九年)なる著書を出し、帝國主義の歴史性をまつたく無視した安田敏明氏の主張は、ことにひどい。植民地にした國の人々にたいして、ではどこの國の言葉で話し説明し、教育すれば良かつたのか、その代案をまつたく示すことがない。現在、インド人やフィリピン人が英語を話し、ブラジル人がポルトガル語を話すのは、なぜなのか。彼らにそもそも言葉がなかつたからなのか。そのことへの言及なく、日本の言語政策を批判するのは、學問としても未熟と言へる。植民地での言語政策がどうあるべきなのか、そのことを一顧だにせず、ただ日本の過去を斷罪するのは、あまりにも稚拙である。もちろん、すべてが正しかつたと私は言つてゐるのではない。「正しいわけではない」といふことと「間違つてゐる」との間には距離があるといふ論理学の初歩を言つてゐるだけのことである。

 ある國が、他の國を植民地化した。そのことは事實である。そこでは不幸にも言葉が道具として使はれた。言語とはそもそもさういふものなのであらうか。このことは研究に値するものだと考へる。方言にたいする標準語の性格、我が國の義務教育における英語教育の性格、などに見る言語の持つ普遍的な帝國主義的性格を云々する、それは正当な學問であらう。

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書評の改訂

2006年09月20日 21時36分02秒 | 日記・エッセイ・コラム

留守晴夫氏著『常に諸子の先頭に在り――陸軍中將栗林忠道と硫黄島戰』の書評を、先日書きましたが、校正が不十分でしたので(今囘もまた不十分なのかもしれませんが)、一部改訂しました。今、閲覽できるものは、その改定版です。

よろしければ、御一讀ください。

留守晴夫先生の講演會、今週の土曜日23日に迫りました。

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