言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「昧爽」最新號

2005年12月31日 10時11分12秒 | 告知

文藝同人誌『昧爽』  最新號  目次

特輯◎わが愛誦の詩歌

心の眼     岩崎文子

橋田邦彦先生の歌  薮井竹庵

『沖繩の歳月』        宮里立士

前田夕暮素描 山本直人

敗戰國の詩人たち 中村一仁

わらべ小説「雲の綿菓子」井川一久

劇評「山崎正和作『芝居――朱鷺雄の城』を觀て」前田嘉則

報告「福田恆存との『四度の出會ひ』囘顧」佐伯彰一氏講演   

報告「三島由紀夫歿後三十五周年『憂國忌』」

購讀申込

nahoto@wf7.so-net.ne.jp

來年度の發行計畫

  2月  音響の誘惑

  5月  西歐憧憬

  9月  グラウンド・ゼロ

 12月  言葉言葉言葉

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

時事評論石川――12月號

2005年12月30日 16時52分50秒 | 告知

時事評論石川の最新號  目次

亞細亞の霸權をめぐる前哨戰――6ヵ國協議の本質

                 國際問題アナリスト  細谷茂樹

「前原ガンバレ」――出てきた自・民大聯立への期待

                 ジャーナリスト  山際澄夫

失はれた規範――小學女兒殺人事件の背後にあるもの

                 明星大學戰後教育史研究センター

                           勝岡寛次

「教育隨想」皇統に關する國民の啓蒙が先だ      (勝)

「奔流」公的支援は妥當なのか――耐震僞裝マンション問題 (花)

「コラム」報道の自由の影            柴田裕三

購読申し込みは、 FAX  076(231)7009  北潮社まで

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

小川洋子『博士の愛した数式』を讀んで

2005年12月25日 21時52分53秒 | 日記・エッセイ・コラム

賣れてゐる。第1囘本屋大賞受賞作品とある。來春には映畫にもなるといふ。讀みやすい。

數學の大家は、不幸にも事故でそれ以降の記憶は80分しかもたないことになつた。そこに家政婦が通ふ。息子もそのうちその家に出入りすることになる。博士はなぜか子供に對する愛情だけは、記憶を越えたところで育まれてゐた。阪神タイガースの江夏のファンである博士と、その時代を知らない息子、しかし彼もタイガースファンである。江夏の背番號28は、完全數(自分以外の約數を全部足すとそれ自身になる數のこと)なのであつた。

作者は、この作品を書くにあたり、お茶の水大學の數學の先生である藤原正彦氏を訪ねたといふ。藤原氏は、文庫の「解説」で「數學者としてごく當たり前のことしか言わなかった」と書いてゐる。ただし、作者の意識に相當な刺戟を與へたことは事實のやうで、讀んで數學の魅力をずゐぶん感じることができた。

東京電力の廣報誌に「イリューム」といふ科學情報誌があるが、その最新號の卷頭言に山崎正和が、「完璧な學問世界の内と外」といふエッセイを書いてゐる。點は、位置のみあつて大きさのないものと定義したところで、それでは線はどう説明するのか。點の軌跡であるとすると、線は點の連續であるものの、線は無限に分割できるのであるから、その無限に分割された點を移動する連續運動はどう行はれるのか。これを「無限等比級數」といふ概念で數學者は解決するのださうだが、それでは肩透かしとも言へる、さう山崎氏は書いてゐる。

數學は、そもそも哲學の問題を内包してゐるやうであるが、その不思議さと美しさとが、私たちを長い歴史をかけて魅了してきたことは疑へない。現に私と數學との關係は、高校二年生の時に積分に出會つて「さよなら」を言つたきりであるが、その魅力には今も惹かれ續けてゐる。數學者の岡潔のエッセイはずゐぶん讀んだし、先の藤原氏の文章もよく讀んだ。そして、この小川洋子氏の小説である。魅力的であつた。賣れるのは、なるほどと思ふ。グロテスクな死もエロティックな愛もない。自我の葛藤も家族の不和もない。教養小説でもディレッタントでもない。さらりと甘い感じが殘る味はひがある。

だが、何か物足りないもの事實である。80分しか記憶がもたないといふことの必然性が最後まで感じられなかつたからだらうか。今生きてゐる私たちだつて、せいぜい一日ぐらゐの記憶しかないではないか。一昨日の晝に食べた食事のメニューを直ちに言へる人はゐないだらう。鐵道の脱線事故が何月何日にあつたのかの記憶は絶望的であらうし、ひよつとしたら結婚記念日だつて忘れてゐるかもしれない。更には戰前の記憶を全國民が消されてゐる私たちの戰後においては、等しく記憶喪失者なのではないか――さういふ批評性がまつたく感じられないから物足りなさを感じたのだらう。もちろんこれは望蜀の願ひといふものであらう。そんな野暮な小説を讀みたいのなら、別の作家を當たれば良いのである。ただ、期待が大きかつただけに不滿が殘つたことだけは書いておきたかつた。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

福田恆存の對談・鼎談

2005年12月23日 22時45分20秒 | 福田恆存

福田恆存全集未輯録作品

 

 順序は、蒐集順になつてをり、時系列にはなつてゐないことを御斷りしておく。また、以下のものがすべてではなく、感觸としては八九割は含んでゐると思ふが、繼續して發表したい。讀者の中に、これ以外のものの存在を御存じの方があれば、御知らせいただければ幸ひである。

 私としては、クリスマスプレゼントのつもりであるが、果たしてこれを喜ぶ讀者がどれぐらゐゐるのか、アクセス數の結果を樂しみに待ちたい。贅言。

●対談、鼎談、座談の類

  • 対談「現代的状況と知識人の責任」竹内好対談集『状況的』(昭和四五年・合同出版)

  • 鼎談「文学と人生」『小林秀雄対話集』(昭和四一年・講談社)

  • 座談『芸術と思想――シンポジウム――』(Ⅳ 戦後)(昭和四四年・講談社)

  • 座談『日本美は可能か 美意識と倫理』(昭和四十八年・日本文化会議)

  • 対談「日本人の喪失感をめぐって」山崎正和対談集『沈黙を誰が聞く』(昭和四七年・PHP研究所)

  • 対談「文武両道と死の哲学」「歌舞伎滅亡論是非」三島由紀夫対談集『源泉の感情』(昭和四五年・河出書房新社)

  • 対談「これからの五十年 文学はどうなるか」(三島由紀夫)『浪曼人三島由紀夫 その理想と行動』(昭和四八年・浪曼)

  • 座談「文学と演劇」(岸田國士・木下順二・三島由紀夫・小林秀雄・中村光夫・福田恆存)『展望』(昭和二五年十一月号)

  • 対談「芝居問答」(小林秀雄)『演劇』(昭和二六年十一月号)

  • 座談「藝術批評について」小林秀雄・吉川逸冶・吉田秀和・福田恆存『藝術新潮』(昭和二十七年九月号)

  • 対談「下町のつきあい感覚はキリスト教の愛の思想」『井上洋治対談集・ざっくばらん神父と13人』(昭和五四年・主婦の友社)

  • 座談「自衛隊・憲法・天皇制」(香山健一・志水速雄・武藤光朗との座談会)『日本に政治はあるか』(第二章(恒文社・昭和四九年)

  • 対談「伝統と革命」(佐伯彰一とのもの。他に五つの対談がある)『伝統と革命』(経済往来社・昭和四五年)

  • 対談「腑抜けにされた日本の文化」(佐伯彰一)『文藝春秋』(昭和六二年三月号)

  • 鼎談「現代の文學と讀者を作家はどう考えるか」(野間宏・武田泰淳)『群像』(昭和三十年五月号)

  • 座談「名人藝への郷愁」(河上徹太郎・江藤 淳・斉藤隆介・杉村 恒)『潮』(昭和四二年十一月号)

  • 座談「新劇のウィーク・ポイント」(江藤 淳・浅利慶太・杉山 誠)『心』(昭和四三年十月号)

  • 対談「〝劇場〟を〝廃墟〟とする前に」(川口松太郎)『すばる』(昭和五五年十月号)

  • 対談「『細雪』と映畫」(竹井 諒氏と)『書物』(昭和二五年五月号・美松書房)

  • 対談「日本・その文化と人」ドナルド・キーン氏の対談集『日本の魅力』(昭和五四年・中央公論社)

  • 対談「日本文化を築くもの」(藤井丙午氏と)『浪曼』(昭和四七年三月号・浪曼)

  • 鼎談「小説家に何を望むか」(中村光夫・小田切秀雄)『文藝往来』(昭和二四年五月号・鎌倉文庫)

  • 対談「ギリシャ古典悲劇と現代」(小島信夫氏と)『新潮』(昭和五八年九月特大号)

  • 対談「二つの椅子」(高田保と)『週刊朝日』(昭和二四年十二月十八日号)

  • 対談「演劇放談」(千田是也と)『俳優座第二四回公演 現代の英雄パンフレット』(昭和二十七年・三越芸能部編集)
  • 座談「新文學樹立のために」(井上友一郎・伊藤整・江戸川乱歩・大林 清・木々高太郎・坂口安吾・平野 謙・山岡荘八・松本太郎)『新小説』(昭和二十二年・春陽堂)
  • 鼎談「文学・ロマン・人生」(桑原武夫・坂口安吾)『中央公論 文藝特集』第一号(昭和二十四年十月)
  • 座談「性は有罪か――チャタレイ裁判とサド裁判の意味」(伊藤整・大岡昇平・奥野健男・澁澤達彦・白井謙三郎・中島健蔵・埴谷雄高)『文藝』(昭和三七年四月号・河出書房)
  • 鼎談「新劇と伝統」(ベニト=オルトラーニ・浅利慶太)『世紀』(昭和三九年・イエズス会)

  • 座談「自衛権・憲法・天皇制」『日本に政治はあるか』(昭和四九年・恒文社)

  • 対談「日本の思想と文學」(清水幾太郎と)『人間』(昭和二六年・目黒書店)

  • 鼎談「松ヶ岡清談」(鈴木大拙・古田紹欽)『対話 人間いかに生くべきか』(社会思想社・教養文庫・昭和四八年)

  • 鼎談「明治九十年」(亀井勝一郎・和歌森太郎)『文藝春秋』(昭和三二年七月号)(『文藝春秋八十年傑作選』平成十五年三月)

  • 対談「チェーホフ」(神西清と)「悲劇喜劇」5、昭和二三年十一月号(未読)

  • 鼎談「『マクベス』への招待」(芥川比呂志・杉村春子)「婦人之友」五二―一二、昭和三三年十二月号

  • 座談「新劇縦横談」(武田泰淳・   )「劇作」一九、昭和二四年一月号(未読)

  • 座談「シェイクスピア劇の面白さ」(     )「婦人之友」五八―五、昭三九年五月号(未読)

  • 対談「情婦マノンと羅生門をみて」(三岸節子)「婦人画報」五五四、昭和二五年十一月号(未読)

  • 座談「批評家と作家の溝」(丹羽文雄・井上友一郎・中村光夫・河盛好蔵・今日出海)「文學界」昭和二四年十二月号(臼井吉見監修『戦後文学論争』上巻)
  • 対談「地域の開発と〝新しい日本の祭り〟」(志村栄一)『現代文明に発言する 創価学会員との対話』(仙石出版・昭和四六年)
  • 座談「『緊張緩和』という幻想」(H・エリクソン 勝田吉太郎 三好修 志水速雄)「諸君!」昭和四九年十月号

  • 座談「楽観的なあまりに楽観的な」(林健太郎・加藤寛・久住忠男)「文藝春秋」昭和四八年三月号

  • 鼎談「日本におけるシェイクスピア」(福原麟太郎・吉田健一)「英語青年」昭和三九年五月号

  • 対談「チェーホフ」(神西清)「悲劇喜劇」昭和二三年十一月号

  • 対談「歴史小説の出發」(佐藤春夫・司会は今東光)「歴史小説」昭和二三年十二月号(創刊号)

  • 座談「新劇縱横談」(青山光二・武田泰淳・中村真一郎、司会は梅田晴夫)「劇作」昭和二四年一月号

  • 鼎談「創作合評」(伊藤整・神西清)「群像」昭和二四年一月号

  • 鼎談「創作合評」(伊藤整・神西清)「群像」昭和二四年二月号

  • 鼎談「創作合評」(伊藤整・神西清)「群像」昭和二四年三月号

  • 対談「現代文學の轉換」(中村光夫)「文學界」昭和二四年四月号

  • 対談「映畫藝術における表現の限界」(梅崎春生)「シナリオ文藝」昭和二四年五月号

  • 対談「思想と風俗」(井上友一郎)「新小説」昭和二四年七月号

  • 座談「勝利の世界をのぞく――影なき人と文學」(高田市太郎・並河 亮・中橋一夫)「世界文學」昭和二四年八月号

  • 鼎談「現代文學の缺陷を衝く」(中村光夫・龜井勝一郎)「風雪」昭和二五年三月号(六興出版社)

  • 鼎談「批評宣言」(今泉篤男・吉田秀和)「群像」昭和二五年四月号

  • 座談「新しき文學への道――文學の立體化」(武田泰淳・加藤道夫・三島由紀夫)「文藝」昭和二五年十月号

  • 鼎談「笑いと喜劇と現代風俗と」(獅子文六・辰野隆)「人間」昭和二五年十一月号

  • 鼎談「貞操問答」(大岡昇平・木々高太郎)「婦人画報」昭和二六年五月号

  • 対談「文藝批評家の美術批評家訪問」(今泉篤男)「美術手帖」昭和二六年五月号

  • 対談「大岡昇平」(亀井勝一郎)「文學界」昭和二七年七月号

  • 座談「恋愛をめぐって」(三島由紀夫・堀田善衛・木下順二)「婦人公論」昭和二七年十月号

  • 対談「劇作家と社会」(木下順二)「悲劇喜劇」昭和二七年十一月号

  • 対談「新しい文化・古い文化」(吉田秀和)「知性」昭和三十年一月号

  • 座談「新劇の演技術を衝く――『ハムレット』を中心に――」(山本修二・北岸佑吉・辻部政太郎・菅 泰男・武智鐵二)「演劇評論」昭和三十年七月号

  • 鼎談「荷風文學を裁斷する」(三島由紀夫・中村光夫)「文藝臨時増刊・永井荷風読本」(昭和三一年十月)

  • 鼎談「世界文學に何を求めるか――先づ自己が何を必要とするかを考えよ!」(埴谷雄高・加藤周一)「文學界」昭和三三年八月号

  • 座談「新人の文学――文藝賞長篇選考経過」(埴谷雄高・野間 宏・中村真一郎・寺田透)「文藝」昭和三七年十一月号

  • 対談「新劇と近代文化」(田中千禾夫)「新劇」昭和三八年六月号

  • 鼎談「危険な思想家」(桶谷繁雄・藤田一暁)「自由」昭和四十年四月号

  • 座談「戦後教育への疑問」上中下(司会は福田恆存。鈴木重信・村松 剛・大島康正・林 健太郎・池田 進・時実利彦・山下静一・グスタフ=フォス・大森賢三)「自由」昭和四十年六月七月八月号

  • 対談「鴎外と藤村のことなど」(サイデンステッカー)「自由」昭和四二年九月号

  • 対談「現代文学への不満」(中村光夫)「潮」昭和四三年八月号

  • 座談「日本人の価値観について」(泉 靖一・土居健郎・西 義之)「批評」昭和四三年十月号

  • 対談「強いことはいいことだ」(村松 剛)「日本及日本人」昭和四四年五月号

  • 座談「日本のシェイクスピア・翻訳と上演――福田恆存氏をかこんで――」(ミルワード・安西徹雄)「世紀」昭和四六年九月号

  • 対談「亡国の新聞報道――連合赤軍・中共その他について」『言論の自由といふ事』に所収(新村正史)「潮」昭和四七年五月号

  • 対談「米中接近をどう受けとめるか」『言論の自由といふ事』に所収(神谷不二)掲載紙不明

  • 対談「条約が破られるとき」『言論の自由といふ事』に所収(高坂正尭)「諸君!」昭和四七年十二月号

  • 対談「〝ライシャワー神話〟を越えて」(矢野暢)「自由」昭和四九年十一月号

  • 対談「〝インドシナ情勢〟は何を教えるのか」(神谷不二)「自由」昭和五十年六月号

  • 対談「戦後民主主義の〝本質〟」(会田雄次)「月刊自由民主」昭和五一年七月号

  • 鼎談「日本の教育七つの不思議」(鈴木重信・グスタフ=フォス)「中央公論」昭和五四年三月号

  • 対談「われわれも国語審議会を憂ふ」(山田俊雄)「国文学解釈と鑑賞」昭和三六年六月号

  • 座談「一九五一年の藝術界」(今 日出海・三島由紀夫・河盛好蔵)「藝術新潮」昭和二六年十二月号

  • 鼎談「日本民族国家の形成と天皇御存在の意義」(村松 剛・戸田義雄)『昭和史の天皇・日本』(日本教文社・昭和五十年十一月)

  • 対談「『罪と罰』について」(芥川比呂志)「文芸」(昭和四〇年十二月号)

コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

言葉の救はれ――宿命の國語43

2005年12月17日 22時06分35秒 | 福田恆存
 戰後の私たちの生活ぶりを振り返つてみれば、「崇高な理想」などかけらもないことが分からう。なるほど、貧しくなつたからこそ、あるいは悲慘な状態になつたからこそ人間の最も大事なものはお金ではないといふことに氣附いたといふ人もゐるであらう。しかし、おほかたは「貧すれば鈍す」であつた。生命力は横溢してゐたかもしれないが、欲と惡知惠とが渦卷いてゐた。「闇」とは何も市場の隱喩だけではない。精神の領域も闇であつた。「言葉が存在のすみかである」といふことをここで思ひ出せば、戰後の國語改革があれほどいい加減だつたといふことは、そのすみかに住んでゐる「存在」たちもまたいい加減であつたといふことにほかならない。
 戰後の復興とは精神的なものであるよりも經濟的なものであつた、有體に言へば、言葉より金を、國語より飯をといふことであつた。このことには何の説明もゐるまい。
 そんな國がいくら「深い自覺」をしたところで、大人の國々が振り向くはずはない。ひとりよがりの、ひとりごとである。戰後憲法とは、理想主義がつくりだした世迷ひ言でしかない。もちろん、私たち國民は、そんなものどうでも良かつたのである。戰爭が終はつた。これからは、戰爭はしないのだ。さうと考へてゐるだけである。はじめから「深い自覺」などあるわけでもない。深く自覺してゐれば、さう簡單に「平和」など信じられるはずがない。
 大人が「友情」などといふ言葉を、思春期の子どものやうに簡單に使へないのは、それが簡單ではなく滅多に味はへないものであることを知つてゐるからである。だから、大作家は友情などといふものを書かない。書いてもそれは孤獨の暗示である。戀愛の前に、出世の前に、自然の前に、もろくも崩れる友情のはかなさは、ひとの孤獨を示す道具立てである。遠方よりの友の來訪を喜ぶのは、古來よりそれが日常では得難い貴重な經驗であることを、みな承知してゐるからである。
 さうであれば、「平和」などといふのも同じである。「戰爭放棄」などといつて、何のてらいもないのは、やはり子どもの所行であらう。始業式の決意發表ほどにむなしい。それが本當に子どものものであれば笑みもこぼれようが、まじめに憲法になど書かされて、それでゐて喜んで發表するのは、どうにもやりきれない。
 平和はつくりだすものであつて、ただ待つてできるものではない。私が武器を捨てればみなも捨てるなどと考へるのは、どう控へ目に言つても思考怠惰である。平和を愛するなら、平和を壞すものを憎まなければならない。「公正と信義」を信頼する前には、それを確認しなければならない。それなしに信頼するのは、愚行である。「日本人を十二歳のままで」と言つたのはアメリカの御老兵であつたが、十二歳にふさはしい、見事なせりふである。
 こんな文章を「世界に通用し得る、捨てるには惜しい」といふのは、生徒に媚びる愚かな教師にも似た、迎合主義の主張である。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加