言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論 平成30年10月号

2018年10月20日 23時34分54秒 | 告知

「時事評論石川」10月号のお知らせ。

 今月号の内容は次の通り。 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。
 1部200圓、年間では2000圓です。
(いちばん下に、問合はせ先があります。)

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我々は安倍首相に日本を託したがトランプ大統領に託した覚えはない

        韓国語翻訳家 荒木信子

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今、なぜ新たな第二次世界大戦史か?

    国士舘大学特別研究員 山本昌弘

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教育隨想

 横田早紀江さんの言葉(勝)

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吉田茂という反省

    日本近現代史研究家 杉原誠四郎

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「この世が舞台」

 『魚服記』太宰治

       早稲田大学元教授 留守晴夫

 

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コラム

  南の大統領、北の労働党本部へ行く (紫)

  「防災省」は必要か(石壁)

  何が混乱を招くのか(星)

  性的少数者の政治利用(白刃)

   
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問ひ合せ

電話076-264-1119
ファックス 076-231-7009

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『批評の魂』――いいな、かういふ本をずつと讀んでゐたい。

2018年10月09日 20時16分21秒 | 評論・評伝
批評の魂
前田 英樹
新潮社

 『批評の魂』をついに読み終はつてしまつた。かういふ本をずつと讀んでゐたい。忘れてゐたことを思ひ出させてくれる、さういふ経験ができる本には滅多に出会はないが、久しぶりに邂逅できた。

 言ひたいことは、次の言葉に尽きていようか。

「遠い昔に学問と呼ばれたものは、どうなっているのであろうか。人は何を信じ、いかに生きるべきかを、わが身を賭けて問い詰める分業の役割、宣長の言う『道の事』は、近代日本の一体どこに在るのか。大学の言わば官製の学問制度のなかに、そういうものがないこと、あり得ないことを、白鳥も、小林も、河上も、はっきりと知っていた。彼らを『独身批評家』に育てたものは、まずはこの自覚の深さなのだと言ってもいい。近代ジャーナリズムは、どうであろうか。そこに群がり生じた大そうな数の自称批評家たちはどうであろうか。昭和十七年に、小林は書いていた。『西洋の文学が輸入され、批評家が氾濫し、批評文の精緻を競ふ有様となつたが、彼等の性根を見れば、皆お目出度いのである。『万事頼むべからず』、そんなことがしつかりと言へてゐる人がない。批評家は批評家らしい偶像を作るのに忙しい』(「徒然草」)」

 全くこの通りであらう。批評など必要としてゐない人が西洋の真似をするために批評をし、批評など求めてゐない人が批評を生き方にしてゐるやうに振る舞ふ。それは偶像批評家と偶像読者である。さういふ偶像は今も量産されてゐるし、それが偶像であることさへ分からなくなつてゐる。本当は、かういふ時代にこそ本物と偽物とを分ける批評家=「独身批評家」が必要なのであるが、それは現代に生きる者の目には分からないのだらう。

 ただありがたいのは、かういふ書が現にあることである。『批評の魂』、もつと讀まれていい。

 

 

 

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内田樹『ローカリズム宣言』を読む。

2018年10月07日 11時39分05秒 | 本と雑誌

  久しく更新してゐなかつた。それでも毎日のやうにこのブログをのぞいてくれる方がゐるのはありがたい。感謝してゐます。

  公私ともに大変な時期に入つてゐて、距離を取るのが非常に難しい。そんな時に以前なら福田恆存やら山崎正和やらがとても良い安定剤になつてゐた。が、今は彼らの問題意識よりももつと浅いところで起きてゐる瑣末な(少なくとも私には瑣末にしか思へないことで、私と私の周囲が真剣にならざるを得ない)事態に対処しなければならない時代であるやうだ。さういふ時代には内田樹さんのやうなおしゃべりな感じの文章が心地よい。10年後にはもしかしたら外れてゐるかもしれないが、今読むのはとても心地よい。人は愚痴を言ふとスッキリするらしく、それは猿が毛づくろひするのと同じ効果があることらしい。本を読むことが愚痴を言ふことと同じとは変な言ひ方だが、私にはさう感じられる。

  この本もとても面白かつた。行き過ぎた市場経済への批判には全く同意するし、地方で生活する人が都市社会へのオルタナティブを無意識に提示してゐるのではないかといふ指摘も納得である。

  まあ気楽に読める本である。

ローカリズム宣言―「成長」から「定常」へ
内田 樹
デコ

 

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