永遠の0 (講談社文庫) 価格:¥ 920(税込) 発売日:2009-07-15 |
その操縦士の孫たちが、祖父のことを調べるために戦友たちを訪ねる話である。批判的に思ひ出を語る人。命の恩人のやうに思ひ出を語る人。さまざまである。一人の人物を訪ねてゆく物語の展開のなかで、あの戦争とはどういふものであつたのかを、作者は記してゐる。
私の父の従兄は鹿児島の知覧から特攻隊として飛び立つた。もちろん、帰還することはなかつた。その方がどういふ思ひで飛び立つたのかは、訊いてみたいことのうちの一つである。したがつて、この小説を読みながら、それを片一方で想像しながら読んでゐた。さういふ意味では、この作家の書いてゐることには、肯ぜないこともある。例へば、天皇陛下万歳と思つて死んだ人はゐないと断言してゐたが、さてさう言へるかどうか疑問である。父母や愛する妻や子のために死ぬといふことはあつただらう。そして、それが多かつたといふことまでは否定はしないが、家族への思ひだけで死ねるほど、私たちは強いだらうかといふ疑問がある。大義なくしては死ねない私たちではないか、さう思ふ。
祖父は海軍に殺されたと孫の言葉として作者は記してゐる。さうだらうと思ふ。日露戦争以後三十年が経ち、戦争を経験してゐない軍人が年功序列的に組織の長に立つてゐた時代では、軍隊と言へども身体性を失ひ、頭でつかちの官僚軍人が支配し、硬直化してゐたはずだ。事実、特攻隊のやうな兵隊には安易に死を求めたが、命令を下す立場の者が死ぬかもしれない場面では及び腰になるといふことが幾度もあつた。あの戦争に負けたのは、決して物量ではなく、幹部の腐敗ゆゑである。
そしてそれは今もまた同じである。読んでゐて、切なくなるのは今も身につまされるからであらう。とは言へ私たちは殺されることはない。必ず死ぬといふやうな命令を下されることはない。少なくともさういふ時代を築くために、あの先人達が死んでくださつたといふことを知ることは無駄ではない。
いい小説であつた。屹立した精神の賜物、さういふ人物に出会へた気がした。