言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論 最新號

2008年11月30日 11時34分50秒 | 告知

○最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。

 いま世界を不況に追込んでゐる米國初の金融危機ですが、存外に被害を受けるのは御隣のチャイナのやうです。經濟にはまつたく疎いので、ここに書かれてゐることを信じてゐるばかりですが、中國脅威論はその成長による威壓の面ばかりでなく、頓挫する危險性による「脅威」を併せて考へていく必要がありさうです。共産黨國家(全體主義國家)であるといふ視點なくしてチャイナを見ると見間違へるといふことだけは言へさうです。

文明史的に讀み説く

    ――金融危機――

                  早稻田大學教授 古賀勝次郎

混迷國會と總選擧の爭點

 自公か民主か、政權選擇の選擧に

                         ジャーナリスト   伊藤達美

共産黨は”貧しい人”の見方?

                         評論家             安藤  幹

奔流            

「田母神論文」が突つけたもの

  ―自虐史觀からの脱皮をはかれ―

                ジャーナリスト 花岡信昭

コラム

        「小澤一郎總理」の惡夢  (菊)

        國立國語研究所の錯覺 (柴田裕三)

          「解つてたまるか」(星)

        産・朝の愚劣な揃い踏み(蝶)            

  問ひ合せ

電話076-264-1119    ファックス  076-231-7009

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『批評家の手帖』より

2008年11月23日 12時01分43秒 | 福田恆存

 人間は生れると同時に、それぞれの國語が形造つてゐるそれぞれに異つた世界に登場する。私たち日本人は自然のなかに住む前に、日本語といふお伽話の世界の住人なのである。私たちは登場人物であつて、作者ではない。言葉を操るものではなくて、言葉に操られるものなのである。そして、言葉はつひに言葉だけのものでしかなく、實體のないものであるとすれば、また自然は言葉をもたぬものであるとすれば、私たちは終始言葉のなかにだけ住み、言葉が織りなす撃の登場人物に過ぎぬのであつて、この舞臺を去つて裸の自然の中に出て行くことは出來ぬのである。

 

福田恆存評論集〈第5巻〉批評家の手帖
価格:¥ 2,940(税込)
発売日:2008-11

 

 これは、今月配本された『福田恆存評論集』第五卷「批評家の手帖」の中の「批評家の手帖 六十九」の全文である。遠藤浩一氏の先日の講演の中でも引用されてゐたものである(遠藤先生は、この評論集の編輯にたづさはつてゐるのかしらん)が、十二分に味はふ言葉であると思ふ。

 今では、日本語といふ世界の住人であることの意識の缺如どころか、日本といふ國の住人であることの意識も持ち合せてゐない人が多い。曰く「私は日本人である前に私である。」曰く「日本人らしさよりも自分らしさを。」である。その言葉も日本語で話してゐるのにである。その恥知らずには恐れ入る。私がこれまで縷縷書いてきた「宿命としての國語」とはさういふ意味である。

 昨日、西日本の私學の先生方と大手豫備校講師の先生方と話す機會があり、このことを話題にした。日本人であるために國語教育があるといふあたりまへのことが、あたりまへに受け容れられた。正直意外でもあつたが、生徒の答案を日日見てゐる人人には共通した認識があつた。「字が薄い。」「字が雜である。」「文になつてゐない。」――總じて人に傳へようと言ふ意識がない。それでゐて「理解してほしいとだけは思つてゐる」。まつたくその通りである。彼らが日日使つてゐる携帶メールでも送信しなければ受信はできないのに、「手書き」にすれば「送信」ができないのである。和辻哲郎を引くまでもなく「關係としての存在である人間」は、まづ傳へることなしには生きていけない。その言葉は、日本語である。薄くて讀めない字は、日本語ではない。雜に書かれて判別できない字は日本語ではない。文の體をなしてゐなければ日本語ではない。「私たちは登場人物であつて、作者ではない」のである。自分を人間關係の作者であると思つてゐるからさういふことができるのだ。クレーマーの過剩な反應は、さういふことであらうし、子どもたちのいぢめもさういふことであらう。また、自然に對しても自分が作者であると思つてゐるから環境問題も起きてゐるのである。何度も書いてきたが、「地球にやさしい」などといふ言葉でエコロジーの意識を啓蒙してゐるやうでは、所詮「ごつこ」にすぎない。「先生にやさしい生徒」とは言はないやうに、「地球にやさしい人間」では、人間の理解が淺いのである。私たちは、地球の作者ではあるまい。

 話がずれてしまつたか。私が私である前に日本人である。日本語の世界の住人として生れた私なのである。名前の前に苗字があるやうに、個人である前に日本人である。登場人物の役柄があつて初めて役者は舞臺に立つのである。役者の本名で舞臺に立つことはできない。役柄があつて、その俳優の力量が解るのである。日本語があつて、文才がなり立つのである。であれば、「日本語を學ぶ」は「日本語に學ぶ」に如かず。

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言葉の救はれ――宿命の國語300 最終囘

2008年11月17日 07時37分47秒 | 福田恆存

(承前)

  私の母親は昭和四年生まれである。時時は、歴史的仮名遣ひが混じることもあるが、松原正氏のやうに、母親が使つてゐる言語なのだから歴史的假名遣ひを使ふのは當然だといふふうに主張することもできないし、長谷川三千子氏のやうに、新假名遣ひを使ふ側がむしろ説明すべきで、歴史的假名遣ひを使ふ側には説明する義務はないと堂堂と主張することもできない。とは言へ、坪内祐三氏のやうに若者が歴史的假名遣ひを使ふのはコスプレだといふほど不遜でもない。私の年代の多くがさうであるやうに、福田恆存の『私の國語教室』を讀んだからであり、漱石の小説を原文で讀みたかつたからである。さらには、阿川弘之氏や丸谷才一氏の小説に親しく接してゐたといふこともある。このことの經緯そのものを話しても人は耳を貸してくれた。

  もちろん多くの人にとつては、假名遣ひなどどうでもよい問題である。さういふ人にどう傳へるか、逆説めくがそれを知らせるためには、本書のやうな本を薦めるのも良い(かなり專門的であるが)。

  この書が出た當時の書評にかうあつた。

「ときおり、出版されると同時にその分野の古典となる運命をになってしまう本というものがあるが、私の判断が狂っていないならば、彼(引用者註、「彼女」の間違ひ)のこの本はまさしくそういう評価を受けてしかるべき本である。<国語>について語るとき、近代日本の政治と文化と教育について考えるとき、この本を無視することは不可能である。」(「毎日新聞」平成九年二月十六日附け 富山太佳夫氏)

 果たして、これが書かれてから十年近くが経つが、今でも新刊書店で購入することができる。それほどにある種の國語學徒には評價を受けてゐる。それだけに、これを批判的にせよ讀むことは、「國語」が、「思想」の媒體になつてきた近代の状況を叮嚀に教へてくれる。

確かに本書は、それ自體が「思想」的なもので、「改革派」の都合の良い書き方になつてゐる。時枝誠記の評價にはかなり異論があるし、そもそも人工文字であるハングル文字で讀み書きを永年してきた著者に、私たちの國語の歴史性といふものがどこまで正確に認識できるのか、疑問を持たざるをえない。また、言葉の本質は音であるなどと輕信してゐるが、それには全く同意できない。

しかし、繰り返しになるが、私にはかなり收穫があつたのも事實である。それは近代化といふことが持つてゐる宿命を考慮に入れなければ、國語問題の根本的な解決は得られないといふ冷嚴な事實を突付けてくれたことである。保守派が、國語改惡(歴史的假名遣ひを排し、現代假名遣ひを通用せしめたこと)への批判から一歩前へ出るためには、近代化といふ問題をどう解決してゆくかといふ視點を示さなければなるまい。先に擧げた三つの「覺書」を御覽いただきたい。

たとへば、「標準語」といふ問題を考へてみよう。この問題は、近代國家において必ず問はれてくる問題である。私は六年間、九州の宮崎縣に住んでゐたが、そこでは方言(國語學では「俚言」が正確な表現であるが)が少なくなつたとは言へ健在であつた。「假名遣ひなどどうでもよい」といふことは、「かなづかひやらどんげでんいいちやが」と言ふ。これなどは歴史的假名遣ひで書くことはまだ可能であるが、「帚で掃いておけ」は、「帚ではわいちょけ」である。「掃く」は「はわく」であるが、これを「ははく」と書いたら「はわく」と他の土地の人が讀めるかどうか疑問である。この點では現代假名遣ひには及ばない。もちろん俚言もまた歴史性を持ち、奈良時代まで遡る資料があれば(これは絶望的である)、「歴史的地方語假名遣ひ」とでも呼ぶべきものを決定してゆくことが可能であらう。しかしながら、それが出來ない以上、標準語(中央語)における假名遣ひは歴史的假名遣ひを保守しつつも地方においては、現代假名遣ひを取入れた假名遣ひにしてゆかざるをえない。少なくとも、俚言と標準語との問題について、歴史的假名遣ひを主張する私たちはどうすればよいのかを提言する必要がある。

もちろん、今後、俚言は淘汰されてゆくであらう。テレビやインターネットの普及によつて、標準語の力は以前よりもまして強くなり、地方の言葉を壓倒してゐる。いづれも話し言葉が力を持ち始めてゐるといふことである。

話し言葉で書き言葉を表さうとして始つた言文一致運動であつたが、近代化が一渡りした今日、今度は書き言葉によつて話し言葉の變化の速度を抑制するといふ方向で新たな言文一致を摸索する時期に來てゐよう。そこでは、變はらない言葉としての書き言葉には、規範性がさらに求められる。その時に重要な役割を果たすのは、歴史的假名遣ひである。地方語の自由な展開を支へるためにも、中央語の歴史的假名遣ひの保守性が求められてくる。これこそが近代化が新たな段階を迎へた今日、私たちが強く求めるべきことである。

もちろん、妥協してはならないこともある。私たちの日本語は、本來書き言葉である。したがつて、その基本に返らなければならない。その點で、本書の著者も、明治期の上田萬年もその弟子保科孝一も根本的に間違つてゐる。そして、その理論の背景にあるソシュールの「過去を抹殺しないかぎり話手の意識のなかに入ることはできない。歴史の介入は、かれ(言語學者)の判斷を狂はすだけである」などといふ妄言は、今後「國語」を論じる際には封印すべきだ。この前提なしに近代化の問題の解決は不可能である。

著者が考へる、國語に與へられて來た三つの役割は、いづれも書き言葉を中心に考へるのが妥當であり、歐米言語への憧憬は、きつぱり捨てなければならない。

  國語國字の正統表記が當り前と思つてゐる會の會報誌に、批判だけを書くのは簡單である。だが、そこに留まつてゐてはならなるまい。私たちもまた、近代日本の抱へた適應異常を越えてゆく「國語の思想」を提出する責任があるからだ。言葉は本來學ぶべき手本であるが、近代國家建設の道具になつてしまつた(それが「國語」の「思想」化といふことである。福田恆存が書いてゐたやうに「人體實驗以上の暴擧」である)以上、今しばらくは、言葉を救ふ手立てを講じる必要がある。

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アクセス8万越えました

2008年11月15日 10時18分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝カウンターを見ましたら、アクセス数が8万を越えてゐました。一日平均80件ぐらゐのアクセスで、私としては嬉しい数です。『言葉の救はれ』は、まもなく終了します。これを機にブログをやめてしまはうとも思ひますが、そのときに決めようと思ひます。福田恆存の漢字についての考へを残したままでの終了ですので、それをいつか書きたいとも思つてをります。

 昨日、夜、金聖響のブラームス交響曲1番2番を聴いてきました。カラヤンを聴きなれてゐたので少し速くて気持ちを載せられないのが残念でしたが、とても良かつたです。オーケストラ・アンサンブル金沢といふ岩城弘之が創設者のオーケストラですが、オーボエ・ホルンがとても良かつたです。室内楽が中心なのか小編成でブラームスにはもう少しボリュームがあつた方が・・・とも思ひます。今日は3番4番です。

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乃木希典・ルオー・仮名遣ひ

2008年11月10日 13時16分33秒 | 日記・エッセイ・コラム

  この土日、國語問題協議會の講演會に参加したのを機に上京して晩秋の東京を散策した。講演會は遠藤浩一氏の内容が面白かつた。保守思想が矮小化し、閉塞化してゐる。日本といふ足場を大事にしながらもグローバリズムにも対応しなければならないといふ当たり前のことであるが、今日の保守の思想は前者に傾きがちであるとのこと。その通りである。三島由紀夫と福田恆存の「戦後」を論じてゐる氏であるが、両者の違ひも端的に言つてそれに尽きてゐよう。高著『小澤征爾』(PHP新書)の主題もそこにあつた。福田の翻訳論から「翻訳とは、自國語によつて異文化を平和的文化的に掠奪する行為である」を引いて、さういふ自國と他國とを同時にとらへる複眼思考こそが保守思想に必要であると語つた。わづか一時間ほどの時間でこれだけのことを語られたので、多少急ぎ足であつたが納得のひと時だつた。蛇足ながらと言ひながら、「保守の生き方は抱擁を旨とするが、思想家は他者と違ふ主張をすることを生きがひとする。したがつて保守思想家とは矛盾したものなのだらうか」とつぶやきながら講演を終はられたが、一人の人間の生き方に思想をどう定着させるかを考へる思想家は十分に保守的であらうと感じた。

 講演會には、劇団四季の方にも来ていただいた。福田の本を読み始めたばかりのその若い担当者は、いろいろと考へてゐる人でもあつた。偶然にも御尊父が私の奉職する学校の卒業生であると知り、話題が広がつた。『私の幸福論』が面白かつたと言はれた。「顔の醜い人は不幸だ」といふことからはじまるこのエッセイは、その文字面を見て反発する人もゐる(夏休みに読んだといふ生徒が、提出してきた読書ノートに書いてゐた)が、その人は面白いと感じたといふ。かういう若い人がゐるかぎり、福田恆存も読まれるだらう。そして芝居の宣伝をしてもらつた。國語問題協議會の事務局長の谷田貝氏は、福田恆存の弟子である。少しく、初演の話を聞いた。それにしても、浅利慶太氏は、どうして今また『解つてたまるか!』を上演する気になられたのであらうか。

 翌日、冷たい小雨降る六本木を通つて乃木神社を訪ねた。東京に十年以上住んでゐたが、不覚にも行つたことがなかつた。家内はなぜだか、友達と来たことがあると言ふ。昨年だつたか、文庫化した福田和也著『乃木希典』を読んで、行きたくなつた。中は光の関係かまつたく見えなかつたが、曇天の重さが胸を締め付けた。帰りに乃木夫妻の血のついたものを埋めた場所に建てられた石碑の前を偶然通つて、その思ひは一層強くなつた。雨の日曜日ながら神社では結婚式が行はれてゐて、雅楽が響く中、乃木の覚悟を考へるのはずゐぶん複雑な思考であるが、このちぐはぐさは嫌ではなかつた。もとより乃木は神ではないし、ああした庶民の日常があるから、この神社が廃れることがなかつたのも事実である。司馬遼太郎がどう書かうと、乃木は私たちの英霊である。

 帰阪する前に、出光美術館に立ち寄つた。出光に勤める友人から券をいただいたので予定を変更して行つてみた。景徳鎮やらマイセンやら、柿右衛門、古伊万里やらには、まつたく知識をもたないので、説明書きを読みながら一巡するばかりだつた(「写し」を通じて東西の交流を目の当たりにすると、近世といふ時代の広がりをあらためて感じた)が、最後の展示室にある出光の世界的コレクションであるルオーにはしばし立ち止まつた。近年は、毎年三点づつムンクも展示するやうになつたと知つてそれも収穫だつたが、やはり感性はルオーに向いてゐるやうだ。キリストの絵を見て強いまなざしを感じた。額縁にも装飾が施され、色は落ちかけてゐたが、ルオーの職人魂がよく表れてゐると思つた。出光美術館がなぜルオーを求めたのか、ルオーの黒い縁取りをする描き方が日本画と通じてゐるやうに創立者が直観で感じたからだといふ。散逸しかけたルオーの絵を日本人が救つたといふこの一事は、特筆すべき事件だと思ふ。昭和の精神史の一コマであると思ふ。

 國語問題協議會は、仮名遣ひを復活させようといふ団体である。しかし、その構成員は超高齢化が進んでゐる。あと十年も経てば、鬼籍に入られる人が多いだらう。さういふ状況のなかで、仮名遣ひの練習をさせることが大事なのか、文語文の文章を書かせることが有効なのか、もつと議論が必要であらう。「現代かなづかい」が思想問題であつた以上、思想問題を語らずに済ますわけにもいくまい。もちろん、協議會の存続と仮名遣ひの存続とはまつたく無関係である。協議會の始まる前から仮名遣ひはあつたのである。しかしながら、交流會や親睦會にとどまつてゐるのもどうかなと思ふ。伝統と近代、ここでも複眼思考が必要である。

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