(承前)
私の母親は昭和四年生まれである。時時は、歴史的仮名遣ひが混じることもあるが、松原正氏のやうに、母親が使つてゐる言語なのだから歴史的假名遣ひを使ふのは當然だといふふうに主張することもできないし、長谷川三千子氏のやうに、新假名遣ひを使ふ側がむしろ説明すべきで、歴史的假名遣ひを使ふ側には説明する義務はないと堂堂と主張することもできない。とは言へ、坪内祐三氏のやうに若者が歴史的假名遣ひを使ふのはコスプレだといふほど不遜でもない。私の年代の多くがさうであるやうに、福田恆存の『私の國語教室』を讀んだからであり、漱石の小説を原文で讀みたかつたからである。さらには、阿川弘之氏や丸谷才一氏の小説に親しく接してゐたといふこともある。このことの經緯そのものを話しても人は耳を貸してくれた。
もちろん多くの人にとつては、假名遣ひなどどうでもよい問題である。さういふ人にどう傳へるか、逆説めくがそれを知らせるためには、本書のやうな本を薦めるのも良い(かなり專門的であるが)。
この書が出た當時の書評にかうあつた。
「ときおり、出版されると同時にその分野の古典となる運命をになってしまう本というものがあるが、私の判断が狂っていないならば、彼(引用者註、「彼女」の間違ひ)のこの本はまさしくそういう評価を受けてしかるべき本である。<国語>について語るとき、近代日本の政治と文化と教育について考えるとき、この本を無視することは不可能である。」(「毎日新聞」平成九年二月十六日附け 富山太佳夫氏)
果たして、これが書かれてから十年近くが経つが、今でも新刊書店で購入することができる。それほどにある種の國語學徒には評價を受けてゐる。それだけに、これを批判的にせよ讀むことは、「國語」が、「思想」の媒體になつてきた近代の状況を叮嚀に教へてくれる。
確かに本書は、それ自體が「思想」的なもので、「改革派」の都合の良い書き方になつてゐる。時枝誠記の評價にはかなり異論があるし、そもそも人工文字であるハングル文字で讀み書きを永年してきた著者に、私たちの國語の歴史性といふものがどこまで正確に認識できるのか、疑問を持たざるをえない。また、言葉の本質は音であるなどと輕信してゐるが、それには全く同意できない。
しかし、繰り返しになるが、私にはかなり收穫があつたのも事實である。それは近代化といふことが持つてゐる宿命を考慮に入れなければ、國語問題の根本的な解決は得られないといふ冷嚴な事實を突付けてくれたことである。保守派が、國語改惡(歴史的假名遣ひを排し、現代假名遣ひを通用せしめたこと)への批判から一歩前へ出るためには、近代化といふ問題をどう解決してゆくかといふ視點を示さなければなるまい。先に擧げた三つの「覺書」を御覽いただきたい。
たとへば、「標準語」といふ問題を考へてみよう。この問題は、近代國家において必ず問はれてくる問題である。私は六年間、九州の宮崎縣に住んでゐたが、そこでは方言(國語學では「俚言」が正確な表現であるが)が少なくなつたとは言へ健在であつた。「假名遣ひなどどうでもよい」といふことは、「かなづかひやらどんげでんいいちやが」と言ふ。これなどは歴史的假名遣ひで書くことはまだ可能であるが、「帚で掃いておけ」は、「帚ではわいちょけ」である。「掃く」は「はわく」であるが、これを「ははく」と書いたら「はわく」と他の土地の人が讀めるかどうか疑問である。この點では現代假名遣ひには及ばない。もちろん俚言もまた歴史性を持ち、奈良時代まで遡る資料があれば(これは絶望的である)、「歴史的地方語假名遣ひ」とでも呼ぶべきものを決定してゆくことが可能であらう。しかしながら、それが出來ない以上、標準語(中央語)における假名遣ひは歴史的假名遣ひを保守しつつも地方においては、現代假名遣ひを取入れた假名遣ひにしてゆかざるをえない。少なくとも、俚言と標準語との問題について、歴史的假名遣ひを主張する私たちはどうすればよいのかを提言する必要がある。
もちろん、今後、俚言は淘汰されてゆくであらう。テレビやインターネットの普及によつて、標準語の力は以前よりもまして強くなり、地方の言葉を壓倒してゐる。いづれも話し言葉が力を持ち始めてゐるといふことである。
話し言葉で書き言葉を表さうとして始つた言文一致運動であつたが、近代化が一渡りした今日、今度は書き言葉によつて話し言葉の變化の速度を抑制するといふ方向で新たな言文一致を摸索する時期に來てゐよう。そこでは、變はらない言葉としての書き言葉には、規範性がさらに求められる。その時に重要な役割を果たすのは、歴史的假名遣ひである。地方語の自由な展開を支へるためにも、中央語の歴史的假名遣ひの保守性が求められてくる。これこそが近代化が新たな段階を迎へた今日、私たちが強く求めるべきことである。
もちろん、妥協してはならないこともある。私たちの日本語は、本來書き言葉である。したがつて、その基本に返らなければならない。その點で、本書の著者も、明治期の上田萬年もその弟子保科孝一も根本的に間違つてゐる。そして、その理論の背景にあるソシュールの「過去を抹殺しないかぎり話手の意識のなかに入ることはできない。歴史の介入は、かれ(言語學者)の判斷を狂はすだけである」などといふ妄言は、今後「國語」を論じる際には封印すべきだ。この前提なしに近代化の問題の解決は不可能である。
著者が考へる、國語に與へられて來た三つの役割は、いづれも書き言葉を中心に考へるのが妥當であり、歐米言語への憧憬は、きつぱり捨てなければならない。
國語國字の正統表記が當り前と思つてゐる會の會報誌に、批判だけを書くのは簡單である。だが、そこに留まつてゐてはならなるまい。私たちもまた、近代日本の抱へた適應異常を越えてゆく「國語の思想」を提出する責任があるからだ。言葉は本來學ぶべき手本であるが、近代國家建設の道具になつてしまつた(それが「國語」の「思想」化といふことである。福田恆存が書いてゐたやうに「人體實驗以上の暴擧」である)以上、今しばらくは、言葉を救ふ手立てを講じる必要がある。