言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

歴史と文學

2005年03月29日 21時09分26秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皇學館大學主催で、昭和44年10月12日に行はれた講演文を入手できた。わづか30頁の薄いパンフレットであるが、興味深い内容である。一部引用する。全集には、「田中卓の依頼により伊勢にて講演。暫くぶりで伊勢神宮に參詣。」とあり、その時の講演であると思はれる。全集未輯録。


 文學と歴史といふものが今ほどかけ離れてしまつた時代はない。これは、歴史の研究が皆、科學的になつてきたからだ。 つまり歴史が科學となつてしまつたところに大きな間違ひがある。今の歴史學者が書いたものは、いつかうに感動を覺えな い。私は記紀が好きだからこれを例に取るが、同じ時代のことを今の歴史學者が書いたのと日本書紀の文章とを比べても、書紀で讀んだ方がずつと感動する。實際の知識は、書紀の人たちよりも現在の學者の方がずつと持つてゐるだらう。今の學者は、書紀の或る場所は事實に合つてをり、ある場所は疑はしいといふことを指摘する知識を持つてゐるかも知れない。ところが、その人たちの書かれた物を見ても面白くない。なぜつまらないかといふと、文章に魅力がないからだ。文章、言葉に人を動かす力がない。


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言葉の救はれ――宿命の國語15

2005年03月28日 20時28分19秒 | 日記・エッセイ・コラム
二 國語への愛着
 言葉といふものは、自分で自在に操れるやうに思ひながら、さうはゆかないものである。内容と表現といふ問題の前に、文法を無視しては存在自體が成立たない性格のものだからである。言葉の規律たる文法と個性の表現である文體とは、一つの存在の兩側面であつて、一方だけが優先されれば、存在が危ぶまれるのだ。
 ところで、近年、思想の方面での話題は「身體」に及んでゐる。「自我」の尊重といふ近代の流れが、ここにきて行き止まり、自我のより所としてあまりにも自明であつた身體が、じつはそんなに基底的なものではないのかもしれないといふ疑問や、あるいは自我の擴張と言ひながら、じつは自分自身の身體すら私たちは自由に扱へないものであるといふ、これまた自明である筈の事實の確認、それらがその契機である。
 このことは、精神と肉體といふ二元論を改めて問ふ問題であるが、ここでは眞正面から立入ることはしない。ただ、それを文體と文法といふ關係を參考に考へたいのである。つまり、文體は文法によつて鍛へられるやうに、「精神」も「肉體」によつて鍛へられるのではといふことである。
 三島由紀夫に「踊り」といふエッセイがある。原稿用紙で五枚ほどの短いものであるが、この點、殊のほか興味深い内容が記されてゐる。
 
 格の正しい、しかも自由な踊りを見るたびに、私は踊りといふもののふしぎな性質に思ひ及ぶ。無音舞踏といふのもないではないが、踊りはたいがい、音樂と振り付けに制約されてでき上がつてゐる。いかにも自由に見える踊りであつても、その一こま一こまは、嚴重に音樂の時間的なワクと振り付けの空間的なワクに從つてゐる。その點では、自由に生きて動いて喋つてゐるやうに見える人物が、實はすべて臺本と演出の指定に從つてゐる他の舞臺藝術と同じことだが、踊りのその音樂への從屬はことさら嚴格であり、また踊りにおける肉體の動きの自由と流露感は、ことさら本質的なのである。(中略)
 なぜ、われわれの肉體の動きや形は、踊り手に比べて、美、自由、柔軟性、感情表現、いやすべての自己表現の能力を失つてしまつたのであらうか。なぜ、われわれは、踊り手のあらはす美と速度に比べて、かうも醜く、のろいのであらうか。
 これは多分、といふよりも明らかに、われわれの信奉する自由意思といふもののためなのである。自由意思が、われわれの肉體の本來持つてゐた律動を破壞し、その律動を忘却させたのだ。(中略)意思と目的意識の介入が、その瞬間に肉體の本源的な律動を破壞し、われわれの動きをぎくしゃくとしたものにしてしまふ。のみならず、何らかの制約のないところでは、無意識の力をいきいきとさせることができないのは、人間の宿命であつて、自由意思の無制約は、人間を意識でみたして、皮肉にも、その存在自體の自由を奪つてしまふのだ。(中略)
 踊りは人間の肉體に音樂のきびしい制約を課し、その自由意思をまつ殺して、人間を本來の「存在の律動」へと引き戻すものだといへるだらう。
 「踊り」(毎日新聞・昭和三八年一月四日)




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言葉の救はれ――宿命の國語14

2005年03月27日 17時21分42秒 | 日記・エッセイ・コラム
(承前)
 昭和十七年の「日本語普及の問題」については、いはゆる國語問題との關聯ではない。福田は日本語教育振興會に勤めてをり、外地の日本語教師のために雜誌「日本語」の編輯に携はつてゐた。このことについては、國語と日本語との關聯でいづれ觸れることにしたい。
 國語問題についてはじめて福田が書いたのは、同年の「漢字恐怖症を排す」である。そして、本格的な評論としては戰後、昭和二十一年の「國語問題と國民の熱意」である。後年の文章に、こんな述懷がある。

「國語問題と國民の熱意」は「当用漢字」「現代かなづかい」が告示される數日前に書いたものであるが、その頃、私は至極呑氣に構へてゐた。そんなものはやがて忘れ去られてしまふだらうくらゐに高を括つてゐたのだが、その内閣訓令が告示されると、意外にも人ゝはそれを歡迎し、あたかもそれまでの用事用語法が全く無理なものであり、その無理を心ならずも強制されてゐたかのやうに進んで轉向しはじめた。
  『福田恆存全集』第三卷覺書三

 なるほど、當時の空氣がこれで分かる。それはまさに「轉向」といふ表現がぴたりくる状況であつたのだらう。きのふまで、何の問題もなく使つてゐたものが、空氣が變つたから變るのである。自ら進んで「歡迎」し、時代の先頭を歩いてゐるかのやうな錯覺に陶醉してゐたのであらう。福田をして「意外」と感じさせた「轉向」が、この問題にたいする危機意識を育て、以後、福田は國語問題を最大の課題とする。ただ、「國語問題では、平和論の時ほど私は孤立無援ではなかつた」(同右)といふのは救ひである。
 「現代かなづかい」は、「現代仮名遣い」となり、國語は正常化の道をたどりつつある(ただいつもながら、公文書はここでも横書きである。英語を縱書きにすることは決してないのに、國語を横書きして何とも感じないのは、どういふことだらうか)。
 
 内閣告示第一号
 一般の社会生活において現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを、次のように定める。なお、昭和二十一年内閣告示第三十三号は、廃止する。

   昭和六十一年七月一日
                       内閣総埋大臣 中曽根 康弘


            現代仮名遣い
 前書き
1 この仮名遣いは、語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし、一方、表記の慣習を尊重して一定の特例を設けるものである。
2 この仮名遺いは、法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどこ ろを示すものである。
3 この仮名遣いは、科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。
4 この仮名遣いは、主として現代文のうち口語体のものに適用する。原文の仮名遣いによる必要のあるもの、固有名詞などでこれによりがたいものは除く。
5 この仮名遣いは、擬声・擬態的描写や嘆声、特殊な方言音、外来語・外来音などの書き表し方を対象とするものではない。
6 この仮名遺いは、「ホオ・ホホ(頬)」「テキカク、テッカク(的確)」のような発音にゆれのある語について、その発音をどちらかに決めようとするものではない。
7 この仮名遺いは、点字、ローマ字などを用いて国語を書き表す場合のきまりとは必ずしも対応するものではない。
8 歴史的仮名遺いは、明治以降、「現代かなづかい」(昭和21年内閣告示第33号)の行われる以前には、社会一般の基準として行われていたものであり、今日においても、歴史的仮名遣いで書かれた文献などを読む機会は多い。歴史的仮名遺いが、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。また、この仮名遣いにも歴史的仮名遺いを受け継いでいるところがあり、この仮名遣いの理解を深める上で、歴史的仮名遺いを知ることは有用である。付表において、この仮名遺いと歴史的仮名遣いとの対照を示すのはそのためである。


内閣訓令第1号
                             各行政機関
  「現代仮名遣い」の実施について
 政府は、本日、内閣告示第1号をもつて、「現代仮名遣い」を告示した。
 今後、各行政機関においては、これを現代の国語を書き表すための仮名遺いのよりどころとするものとする。
 なお、昭和21年内閣訓令第8号は、廃止する。

  昭和61年7月1日
                     内閣総理大臣 中曽根 康弘


 かうして、昭和二十一年の内閣告示第三十三號すなわち「現代かなづかい」は廢止され、半ば強制的であつた「現代かなづかい」が、「科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」といふところまで、手を引いた形となつた。昭和二十一年の内閣訓令第八號には、かう書かれてゐた。「國語を書きあらわす上に、從來のかなづかいは、はなはだ複雜であって、使用上の困難が大きい。これを現代語音にもとづいて整理することは、教育の負擔を輕くするばかりでなく、國民生活能率をあげ、文化水準を高める上に、資するところが大きい」と。こんなものがまかり通つてゐたことが今では驚きであるが、それが四十年後に廢止されたのである。このことは戰後日本の良心のかすかな所在を示してゐると言つておきたい。もちろん、手放しの慶びではない。
 といふのも、内閣告示は漢數字を使つてゐるが、内閣訓令では算用數字を使つてゐる。このちぐはぐはどういふことなのか、當局はそのことにいつかうに氣附いてゐないのである。同じ時に出されたものが、かうも矛楯してゐるといふことに、どうして行政擔當者は氣附かないのか。これでは慶べるはずもない。この慶賀は、思想的な脈絡もなくただ偶然の成しえたことであるのかといふ疑問を持つてしまふのである。
 が事實としての常識の復權を、今は記しておく。


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言葉の救はれ――宿命の國語13

2005年03月13日 16時00分01秒 | 日記・エッセイ・コラム
 言葉は自他への「かかはり」によつて磨かれていくものであるし、倫理は自他への「つながり」において築かれていくものであるし、平和は國家同士の「せめぎあい」の過程でもたらされるものである。そこには軋轢もあれば安堵もあるが、關係を拒否することからは「危機」しか訪れない。危機のないところからは「思考力、表現力」も生まれてくるはずはなく、甘つたれた不平と 不滿と自己辯護としか生まれてくることはないのである。
 かうした「誤解」時代のなかで、福田恆存の論考をみていかう。「正解」「正義」と言ひたくなる正常な感覺が、少なくとも一人の文學者のなかにあることが分かる。國語はかういふ人物によつて守られてきたのである(表題は原題)。

昭和十七年四月 「日本語普及の問題――政治と文化の立場」
八月   「漢字恐怖症を排す」
昭和二一年十一月 「國語問題と國民の熱意」
昭和三十年十月 「國語改良論に再考をうながす」
昭和三一年二月 「再び國語改良論についての私の意見」
   七八月 「金田一老のかなづかひ論を憐れむ」
       九月十八日「當用漢字」(「きのふけふ」)
       十一月二十日「便利と不合理」(「きのふけふ」)
昭和三三年四月 「國語國字の問題點」
  五月 「表音文字と表音化」
  九月 「國語よ、どこへ行く」
      十二月   「新『送りがな』への疑問」
昭和三五年一月   「國語政策と國語問題」(坐談會) 
       三月 「漢字は必要である」
    八月 「正しい國語について」
    十二月 「國語表記法の原則」
    『私の國語教室』
昭和三六年四月 「審議會の愚民政策」
       五月 「表音主義の誤り――漢字とカナ」
  七月 「陪審員に訴ふ」
  十月 「新國語審議會採點」
       十二月 「國語問題早解り・上」
昭和三七年一月 「國語問題早解り・下」
    十二月 『國語問題論爭史』
昭和三八年八月九日「第六期國語審議會」(「きのふけふ」)
         十六日「國語論爭の場に」(「きのふけふ」)
       九月六日 「仔鼠に解る話」(「きのふけふ」)
       十月 「國語問題は大病である」
       十二月二十日「私の假名遣」(「きのふけふ」)
           二七日「古典の假名遣」(「きのふけふ」)
昭和四〇年七月十四日「言葉の『搖れ』」(「東風西風」)
       九月十五日「中國の新字體」(「東風西風」)
       十二月一日「中村文相殿」(「東風西風」)  
昭和四一年二月「建白書その一 國語審議會に關し文相に訴ふ」
           「外來語の氾濫」
       五月十八日「文相の英斷」(「東風西風」)
       六月八日「文相に直言する」(「東風西風」)   
昭和五十年四月 「國語問題早解り」「陪審員に訴ふ」
             「言葉と文字」
             「日本語は病んでゐないか」
             「後書に藉りて改めて論ず」を増補し、
             『増補版 私の國語教室』(新潮社版)
       八月   『崩れゆく日本語』(編著)
昭和五一年四月  『死にかけた日本語』(編著)
昭和五二年四 月 「國語政策に關し總理に訴ふ」
   十二月 「混亂の極にある國語」
昭和五三年六月  『なぜ日本語を破壞するのか』(編著)
昭和五五年二月 「和語なるが故に尊からず」
昭和五八年三月 「『常用漢字』を論ず」を加筆し
            『増補版 私の國語教室』(中公文庫版)
昭和五九年八月 「考へる いま日本語は」(談話)



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加地伸行氏との對話

2005年03月10日 15時50分37秒 | 日記・エッセイ・コラム
 先日、支那思想史が御專門の大阪大學名譽教授の加地伸行氏と御話する機會があつた。文章からは想像もできないほど氣さくな方で、上機嫌なせいか陽氣に御話をうかがつた。
 加地氏と言へば、かつて『月曜評論』で松原正氏を批判し、私たちは面白く讀んだが、あの「論爭」は御二人の資質の違ひであるなといふことが諒解された。「難波の好好爺」と「粹な江戸つ子」との違ひといふのだらうか、合ふ筈がない。論壇村で仲よくしようなどといふ氣は金輪際持たない松原氏が、言論とは何かを考へた末に書く文章と、保守派は保守派で聯合し世論を正しく誘導しようとする所から書く文章とは、自づから異る。保守とは何かといふことに對する考へ方も對局的なものであらう。
 假名遣ひについても、新かなで良いといふ御立場だつた。戰後のかなづかいが駄目で、明治政府のかなづかひが良いといふのはなぜか。あるいは漢字もどの書體を「正漢字」とするのか疑問だと言つてをられた。さらには、毛澤東の漢字改革も、あれは漢字を破壞したのではなく、昔から使はれてゐた庶民の略式漢字を表舞臺に出しただけだとのことであつた。
 わたしは反論をしたが、十分に説得はできなかつた。ただ、白川靜氏の漢字についての考へは先生とは違ひますよと言ふと、何か考へてゐるやうではあつた。
 保守とは、何を守るのか。現状か傳統か。私は後者の方であるが、保守派の大半は、「現状」保守といふのが通り相場なのかもしれない。

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