言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

哀悼 吉田秀和

2012年05月28日 21時41分40秒 | 日記・エッセイ・コラム

 吉田秀和が亡くなつた。98歳の大往生である。

 福田恆存のエッセイの中に、一緒にニューヨークで「辛くないカレー(本当は辛いのだけれど、辛くないと意地を張つたといふ内容だつたやうな)」を食つたといふ内容があつたが、まさに小林秀雄、大岡昇平、中村光夫、そして福田恆存などの世代の大批評家である。その人が亡くなつたのであるから、「一つの時代」の本当の終はりである。寂しくないわけがない。

 ただ、私は吉田の良き読者でも良きリスナーでもなかつたので、大批評家の死ににじみ出てくる痛切さがない。毎週土曜日九時にやつてゐたNHKFMの「音楽の楽しみ」(さえき君の指摘で「名曲のたのしみ」に訂正いたします。)

もしばしば聴いてゐたし、少しの文章は読んだ。しかし、そのだらだらとした文章にどうにもなじみがなかつた。

 今、『音楽紀行』を取り出して讀まうとしたら、その冒頭に福田恆存の「吉田さんのこと」といふエッセイがあつた。讀んだ形跡があるが、まつたく覚えてゐない。それで讀んでみた。

吉田秀和全集〈8〉音楽と旅 吉田秀和全集〈8〉音楽と旅
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:1999-06

・・・・・(上の本には上記の「音楽紀行」は収録されてゐません

   ・・・・・・・

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「ひとりごと」を吉田さんはよくいふ。きつと、なにかに我慢して生きてゐるのであらう。いふまでもなく、かれの人生に、あるいは神罰をおそれぬ怪物に。

 と福田は書いてゐた。「なにかに我慢して生きてゐる」批評家に、大岡は「音楽坊主」と名付け、それを福田は「中世の僧侶のやうに、美神の前に礼拝し、勤行する」と書いた。近代を作り上げてきた一流の文学者たちには、「なにかに我慢して生きてゐる」ところがあつたのであらう。私は今少しずつ中村光夫の『二葉亭四迷』を讀んでゐるが、二葉亭にもさういふところがある。そして漱石や鷗外にもさういふところは大きい。

 それに引き替へ、現代の私たちはどうであらう。「私たち」とは言ふまい。私個人を見て、「なにかに我慢して生きてゐる」だらうか。現代の私は欲望を果たすことが人生であるとしか考へてゐない。成熟できないのはそれゆゑであらう。

  吉田が最期に聴いた曲はなんだつただらうか。今、私はモーツァルトのピアノソナタ第11番の第一楽章を聴いてゐる。長調である。

 御冥福をお祈りする。合掌。

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時事評論 最新號

2012年05月20日 07時15分03秒 | 告知

○時事評論の最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)

   五月號が発刊された。

 さて、今回の内容であるが。次の通りである。1面の「反原発」キャンペーンへの異論はまつたくその通りである。イデオロギーで解決できるほど、電力需給の問題は簡単ではないし、福島原発固有の問題と原発の問題とを同一のものとして主張する論稿は愚かとしか言ひやうがない。

 2面の「教育随想」には異論がある。5月15日の沖縄復帰にたいして本土のどこからも祝はうといふ声が聞こえてこないとあるが、沖縄自体からも聞こえてはこない。「復帰」と言ひながら米軍専用地が沖縄を東西に引き裂いてゐる現状は果たして「復帰」と言へるかどうか。祝へない苦渋があることにまで考察すべきである。また、4月28日を主権回復記念日と称する保守派の動きに違和を表明してゐるが、サンフランシスコ平和条約を結んで独立した日を自覚する意味では重要であらう。沖縄だけを置き去りにしてどうして主権回復記念日と言へるのかと書いてゐるが、それなら北方領土も竹島も奪はれたままである現在でも主権は回復してゐないとでも言ふのか。さういふ完璧主義の考へが、却つて沖縄県民が「本土復帰」を祝へないといふ一面を見えなくさせてゐる。

 また、留守晴夫氏のヘミングウェイ『僕の父』の解説はいつもながら味はひ深い。最後のところで引用された「自らの裡に悲しみよりも喜びを多く持つ人間は眞實ではあり得ない、もしくは未發達だ」とのメルヴィルの言葉にも共感する。さういふ悲しみから逃げるだけ逃げる、それが成熟社会の「大人」像なのだらう。4面のコラム「孤もまた徳ならず」に出てくるなだいなだ氏の愚論「逃げることはひきょうか」への「星」氏の評価のも同感である。卑怯に決まつてゐる。悲しみや苦しみから逃げて、喜びや楽しみだけ求めても成熟はありえない。当然の話だ。

 

             ☆        ☆    ☆

騙されるな 

マスメディアの狂った「反原発」キャンペーン

櫻も咲いたのにまだ放射能の恐怖を煽るのか

       ジャーナリスト 山際 澄夫

● 

素人の防衛大臣は殺人者なり

北のミサイル対処――野田内閣の危機管理を検証する

                拓殖大学客員教授 潮 匡人

教育隨想       

      祖国復帰40年を迎へた、沖縄の意外なルーツ (勝)

この世が舞臺

     『僕の父』 ヘミングウェイ                                

                     圭書房主宰   留守晴夫

コラム

        編集長失格  (菊)

        人間觀・現場感覺 (村永次郎)

        孤も德ならず(星)

        保守主義に哲學なし(騎士)   

   ●      

  問ひ合せ

電話076-264-1119     ファックス  076-231-7009

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孤独と協働

2012年05月14日 12時30分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

 「近代の藝術家は仕事の上で根本は孤独であるにしろ、自分と同じ志向の人間を(友にしろ敵にしろ)身近かに感じることが制作の大きな刺戟になり、思想展開の機縁になることも事実です。」(中村光夫『二葉亭四迷』)

  個人の文章は、自分で苦しみ自我の処理の仕方として現れるものだと信じてゐた二十代の私は、中世の藝術家、運慶や快慶、ミケランジェロやラファエロなどが工房で「制作」してゐた時代の藝術と近代のそれとは厳然たる違ひがあると考へてゐた。もちろん、今もさう考へてゐることに違ひはないが、以前のやうな確信ではなくなつてゐる。

  二十代のころ、たいへんお世話になつた人がゐた。短い期間であつたが、考へ方のフレームを持つてゐる人で、語らひが深夜にまで及んだことが何度もある。随分刺戟的な時間だつた。哲学者の廣松渉を愛読し、トマスアクィナスの研究を長らくしてをられた方で、体系的な学問を志してゐられたのであらうが、会話のなかでは絶えず相手の主張のなかに飛び込んで相手の言語を用ゐて「対話」をしていく産婆術が得意であつた。その方に私が「自分で苦しみ自我の処理」のために文章を書いてゐる姿を見て、「お前には誰か思想的な協働をしてくれる存在はゐないか。福田恆存にだつてさういふ存在はゐたのではないか」と言はれたことがある。今思へば、「さういふ存在に私がなつてあげようか」との誘ひであつたのかもしれないが、当時の私は「福田恆存は孤独に考へたはずです」と言ひ切り、それ以上その話を続けようとしなかつた。しかし、福田にとつての畏友中村光夫がかう書いてゐるのを見たり、その後いろいろな福田の交友歴を見ると、私が考へてゐた「孤独」とは違ふ、福田恆存の孤独が感じられるやうになつてきた。

  果たしてオリジナルなどといふものがあるのだらうか、とさへ思へるのである。イエスも旧約聖書を引用して新しい言葉を語り、仏陀もインドの古い諺や逸話を使つてその意味を語る。まつたく一人で絞り出すやうにして言葉をつぐむといふのは幻想なのかもしれない。さう考へてもいいのかもしれない。

  先の恩人が語つた言葉が「思想的な協働」といふ言葉であつたわけではなく、記憶があいまいであるがゆゑに私が勝手に要約したものであるが、その言葉が二十年以上経つても今も頭に残つて考へ続けてゐるといふことは、近代の孤独といふものの内実を少々観念的にとらへてしまつてゐるといふことであらう。

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『正論』6月号 中西輝政氏の論考など

2012年05月04日 08時18分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 四月から「正論」懇話会に入つた。それで『正論』が毎号送られてくるやうになつた。月刊誌を毎月購読するといふ習慣は、『発言者』が発刊された頃のことであるから、もう二十年ほど前にあつたきりで、しばらくない(出版社のPR誌である新潮社の『波』だけは唯一取つてゐる)。

 今月号の『正論』は面白い。中西輝政氏の「石原発言が問うものと憲法改正」は、なかでも讀ませる。この文章で知つたが、中西氏はこの春に京都大学を定年退職されたやうだ。「振り返ると、専門である国際政治学を戦後の日本で研究することの『不毛』を感じ続けた学究生活であった」とある。京都大学の学生を相手にしてこの感慨であるとすれば、日本の国際政治学の水準が分かる。この文章の後の方で、政治学者の北岡伸一氏への批判があるが、この政府のブレインでもある学者の政治論の体たらくは、それを証明してもゐるやうだ。

 国際政治学の学会の雰囲気は、「経済の相互依存や国際世論が国際政治に果たす役割の大きさをア・プリオリに強調するばかり」であると言ふ。これらなら政治家は付和雷同せよ、他国の顔色を見ながら政策を立案せよといふことになる。しかし、そんなはずはない。国際社会を動かすファクターは、それぞれの国の国益追求とそれを実現するための軍事力の保持が大前提である。さういふ当たり前のことが通用しない「国際政治学」といふものの不毛に堪えながら、学究生活を送つて来られたといふのである。

 したがつて、この文章は、さうした学会(引いては平和ボケした日本社会全体)への遺書でもあり、事実に基づいた冷静な分析でありながら哀愁を感じさへした。

 また、新保祐司氏と遠藤浩一氏との対談も面白かつた。「橋下ブームと『ヒツトラアと悪魔』」との題に表れてゐるやうに、さすが文学者でもあるお二人の対談だけに、小林秀雄の文章を踏まえての論であり、論の奥行きが広い。橋下ブームの背景に日本人の劣化があるとの指摘は、その通りであらう。国際政治の冷酷な現実を見ないやうにし、自分の劣情の解消だけを国内政治に求める精神性は「劣化」以外になからう。それを「民主主義の成熟」と言ひ、さらには「大事なことは国民投票で決めよう」などと放言するのであるから、その劣悪振りは尋常ではない。何となれば、自分たちが劣化してゐることを知らないほどの劣化はないからである。

 政治家が必要なのは、国民が決められないことを自分の判断で決めることをする人が必要だからある。

 さういふ政治家を私は見てゐない。政治ごつこをしたがる人は、橋下氏も含めて多く見てきたが。

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