言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

西尾幹二氏の新著

2023年08月20日 11時07分42秒 | 評論・評伝
 月刊『正論』8月号に西尾幹二氏の近況が載つてゐた。
 保守言論人の重鎮として、私としては今もその発言を聞きたい人の中の数少ない中のお一人である。西部邁、山崎正和、松原正、渡部昇一、石原慎太郎、江藤淳、野田宣雄、勝田吉太郎、かつては森のやうに密にして奥深い豊かさを、ささやかな私の読書生活にも十二分に感じさせてくれる方々が生きて存在してくれてゐたが、今はこの西尾幹二氏と加地信行氏、そして長谷川三千子氏のお三方のみである。もちろん、その他にも優れた批評家はゐるだらうが、もうかつての青年時代のやうには読むことはできない。
 その西尾氏が筆を執ることも随分少なくなつた。
 ブログの記事によれば、「ガン研究会有明病院で大手術が行われたのは2017年3月31日でした。あれから六年の歳月が流れました。ガンは克服されましたが、体重を17キロ落とし、脚力減退し、正常な歩行が出来なくなりました。今必死にリハビリに励んでいます。かたわら全集の完結と、新しい大著『日本と西欧の五〇〇年史』の仕上げにいそしんでいます。後者は「筑摩選書」として700枚を一巻本で出版される予定です。これから私の三大代表作は『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』『日本と西欧の五〇〇年史』の三作といわれるようになるでしょう。よろしくお願いします。」
 とのこと。今、筑摩書房のウェブサイトをみたが、この書についての案内はまだなかつた。西尾氏の代表作が何かと言はれれば、それは自身の判断とは別にならうが、ご自身としては日本の歴史に後半生をかけてゐたといふことであらう。ニーチェは自己の思索において遂に超人足りえなかつたが、ニーチェリアンたる西尾幹二は、歴史の中に自己を求め自己を超越しようとされたといふことだらうか。
 この思索の営みは、しかしながら驚異である。新著の出版を歓迎する所以である。
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2013年の終戦記念日

2023年08月15日 19時48分46秒 | 評論・評伝
 宮崎にゐる。義父の一周忌法要を無事終へて、ほつと一息。ただし、お盆と重なつたので、迎へ火、送り火をお墓と自宅前とで行ふ。それから家の前には新盆の家だけが提灯を灯しておくといふ習慣がある。
 すべてはお寺の指示で、A4用紙3枚にわたつて書かれた段取りにしたがつて行はれる。曹洞宗の檀家が全てこのやうに行つてゐるのか、あるいはこのお寺だけが行つてゐるのかは定かではない。しかし、もう何十年も、葬式を出した時にはかうしてゐるのだと言ふし、お盆の行事もまたこのやうにしてゐたと家内は言ふ。
 かういふ慣習が何によつて維持され信じられてゐるのか、私はひとへに住職の仏様への帰依にあると予感するが、残念ながらそれは感じられなかつた。ここでは書けないが、新盆の読経に来られた時に実に残念な言葉を残して次の檀家に行かれた時、本当に情けないと感じた。
 となれば、義父の信心こそが、この慣習を維持し、その娘に(つまり私の家内に)その必要性と意味とを伝へたのであらう。
 それにしても、かういふ一連の行事(例へば、迎へ火送り火)は、大都会では行はれまい。そもそもマンションでは不可能だ。お墓も近所にある訳ではない。つまりは、信仰の熱心さといふ点では、大都会では期待すべくもない。しかしながら、人は集まり街は栄へてゐる。逆に熱心にお祀りをする地域からは人が出て行き、街は沈んで行く。信仰の熱心さと経済的繁栄とは関係ないのはじじつであるが、何か解せないものがある。先祖を大事にせよとは誰もが言ふが、そのことに合理的説明を求められても、「慣習だから」といふ理由だけで人はいつまで実践するだらうか。
 お墓もいらない、葬式もいらない、といふ世代が増えてくるのは自然の流れであるが、それに対して在来仏教は何もしないのだらうか。
 末法といふ言葉がふつと浮かんで来た。
 そんな時に起きたのが、戦争と災害と飢饉とである。さういふ次元では信仰の熱心さと現実とは何か関係があるとも言へるやうな気がして来た。
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近況

2023年08月10日 08時15分04秒 | 評論・評伝
 母親の葬儀も無事に終はつた。家族で通夜を過ごした。父親の時と同じ葬儀場なので、勝手が分かり不安も和らいだ。祖父母の時には家で葬儀を行なつてゐたから、わづか一世代でこんなにも葬儀の有り様が変はつてしまふものかとの思ひもあつた。一世代の変化といふことを言へば、母方の祖父が亡くなつたのは50年も前である。一世代とは30年をいふのであらうが、祖父母と父母との世代間の差がいちばん大きいのであらう。戦後の高度経済成長が食料を豊かにし、衛生状態を向上させた。寿命の変化が最も著しい時期である。それに引き換へ、私と両親との間はせいぜい30年である。
 母の通夜はもつとしめやかにしたいと思つたが、誰もしんみりとした様子はなかつた。懐かしい話題には事欠かないが、どれも笑ひ声と共に語られるから深夜まで楽しい時間となつた。半分悔しい思ひもあつたが、母親がこれを望んでゐるとの思ひも打ち消せなかつた。私どもの母とはさういふ存在であつた。
 しかし、棺に横たはる母親を見るとやはり涙が出て来た。迷惑をかけたこと、文句ひとつ聞いたことのなく子育てに邁進してくれたこと、今もこれを書きながら涙が出て来る。有難い母であつた。
 大腿骨を骨折してから15年ほど、ベッドに横になる時間が増え、そのうち認知症にもなり、食ひ道楽だつた往時が嘘のやうに外出を嫌がるやうになつた。そこに来てコロナ禍である。施設に入つた当初は部屋の中で買つて来た物を一緒に食べたり話したりすることもできたが、この3年間は何も出来なかつた。3時間かけて施設に出向いても、玄関先のガラス越しで5分間顔を見てゐるだけになつた。
 通ひ続けてゐるうちに母親の表情も次第になくなり、最後はきつとこの人は誰だらうと思ひながら、こちらを眺めてゐたに違ひない。7月に入院した折には久しぶりに15分ほど個室で一緒に過ごすことができたが、酸素マスクをして寝てゐる姿だつた。目を開けてこちらを見てくれたが、会話はできなかつた。不思議に家内の声かけには反応してくれてゐた。「頑張つて」と親指を立てて声をかけると、母もまた親指を立ててくれた。嬉しかつた。男兄弟3人。娘が欲しかつたのかなとも思つた。
 母親と会ふのはこれが最後だつた。

 葬儀は、時宗のしきたりで執り行はれた。山梨から来てくださり、本当にありがたいお経であつた。終はつた後に「少しお話をいたします」と言はれ、時宗の由来(六時礼讃と時衆)とその日読誦された阿弥陀経の意味について語つて下さつた。不勉強の身にはまことにありがたく感じた。
 終はつた後に住職から聞いたところによると、今はかうした葬儀を行ふ意味も分からない人が多くゐるやうで、仏教の教へを分かりやすく説明する必要があるとのことだつた。末法とは仏法が廃れる時代のことだが、今もまたさういふ時代である。それを打破するには、生と死との真実が明らかにされなければならないと思ふ。

 一転、今度は家内の父親の新盆で宮崎に来た。折悪しく台風6号の接近により、予定してゐた便が欠航となつた。その連絡は愛知から大阪に移動中の車の中で受けた。豪雨と言えばこれ以上ないほどの豪雨で、ワイパーが最高速で動いてゐても前がほとんど見えない。仕方なく名阪国道の伊賀の道の駅で休憩を取つた。台風の影響だから欠航はやむを得ない。問題は次はいつ飛ぶかである。旅行会社と電話でやり取りしてゐるうちに、ふと今日なら飛ぶのではとの思ひになり、予約をしようと伝へると、それは空港に行つてカウンターで直接飛行機会社に依頼してくれとのことであつた。
 さうとなれば、早く大阪に帰らなければならない。急遽、進路を新名神高速道路に進めて一刻も早く伊丹空港に行くしかない。初めて通る道に不安を抱へながら、ナビの言ふままに向かつた。

 最終便に間に合ひ席を確保したが、見渡せば満席状態。ギリギリであつた。出発時間になつても荷物が積み終はらず、それが終はつても滑走路上には離陸を待つ飛行機が渋滞。結局1時間ほど遅れて出発。関空に戻ることもあるとの条件で離陸、飛行機は揺れたが無事着いた。が、ここでも宮崎空港駅最終便が出るまでには15分しかない。預かり荷物が出てくる時間によつては、電車に間に合はない。気が気でないが、運良く直ぐに出て来てくれた。走りに走つて、電車が見えるところまで来たが、ドアは閉まつてゐた。ドアの前で女の人が何かを言つてゐたのだらう。ワンマン列車の運転手が外に出て来て、何かを叫んだが、ドアを開けてくれた。その瞬間に私たちも乗り込んだ。同じ状況の人が10人ほどゐた。既にドアが閉まり、出発するものと思つてゐた先客は驚いて我々を見てゐた。
 これで帰れると思つて安心したが、明日は台風で列車が動かない可能性があるとJR九州のウェブサイトで見て、またまた大慌て。空港でレンタカーを予約してゐるので明日もう一度ここに戻つてくる必要があるが、列車が動かなくてはそれも難しい。ならば宮崎市内で一泊するしかない。空港から宮崎駅までの10分間でホテルを予約して、降りた。
 雨も降つてをらず、風もそんなでもない。しかし、飛行機は飛ばず、列車は止まる。安全第一ではあるが、自然の力には驚かされる。

 翌日、日向市に着く。

 しばらくはこちらで過ごす。義父の新盆。打ち合はせと準備と、親戚回りと。これはこれでおほわらは。


 
 
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白石一文『不自由な心』を読む。

2023年08月05日 08時33分30秒 | 評論・評伝
 
 
 久しぶりに白石の小説を読んだ。
 中年男性の家族の心理風景、会社内の人間関係、いつもながらの展開ながら、その渦中にある主人公の思考の道筋はいつも異なる。哲学的、宗教的と言つてもよい。そのことば、言葉、コトバが私には得難い時間の訪れのやうに感じられる。
 そこに予想外の分析があるから、知的な刺戟を受けるのだ。

「人というのは集団となって、その集団にために働き貢献するような理屈を構築しながら、集団の中にあってこそ限りなく利己的に振る舞えるのだ。」

 なるほどと思ふ。
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母亡くなりぬ今朝の蝉静か

2023年08月04日 03時54分09秒 | 評論・評伝
 昭和4年生。享年95。
 ありがたし。合掌。

 母逝きて伏しながら聞く蝉の声
 枕頭の電話よ震へる八月四日
 コロナ禍に母ひとり逝く夏の朝
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