今号の紹介です。
今号で何より印象に残るのは、2面の荒木氏の言葉である。安倍晋三元総理の暗殺の後、マスコミはとんでもない方向に報道を導いてゐる。
「警察からすれば統一教会で騒いでくれることによって警備の決定的なミスで元総理の暗殺を許したというとてつもない責任から世論の目をそらすこともできる」。まさにこの通りである。あの暗殺事件は、警察の大失態であり、そのことにこそ批判の矢は放たれるべきである。そして、山上の動機は一体何だつたのか。あの手製の銃は殺傷能力があるのかである。
新聞もテレビもすべて山上に、そしてそれを利用する左翼弁護団にジャックされてしまつた。このことを正面切つて言ふジャーナリストはゐない。
3面の伊藤氏は「国民の心は立憲民主党から離れている」と書いてゐるが、果たして「離れている」のだらうか。もともと近くにゐなかつたのだから、何も変化はないといふのが私の見立てである。金輪際、彼らの発言が国民の心をとらへることはないだらう。「立憲民主」といふのであれば、国民を叱るぐらゐのことができなければならない。しかし、国民に寄り添ふといふのであれば、政治家は不要だ。つまりは、彼らの集団は政党ではない。「寄り添ふ」やうな存在とは、近くにゐない存在であるといふことの証明だ。
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ウクライナ戦争は世界大戦への序章か?〈下〉
独裁国家が「信頼性の罠」に陥る危険性
軍事史家 山本昌弘
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コラム 北潮(小林秀雄の言。進歩的知識人は不平を言ふ人間)
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あえて安倍元総理を批判する
「この政治家ならやってくれる」は捨てよ
拓殖大学海外事情研究所教授 荒木和博
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教育隨想 「秋篠宮バッシング」は何を狙つてゐるのか(勝)
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国民の心は立憲民主党から離れている
安倍元首相の国葬儀で露見したその幼児性
政治評論家 伊藤達美
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コラム 眼光
妄想に操られる社会(慶)
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コラム
切れ目のない歴史(紫)
美術品を売って貧困がなくなる?(石壁)
「往き」と「還り」(星)
マスメディアの頽廃(梓弓)
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発行所 北潮社
昭和45年の『歴史と人物』11月号に福田恆存は「乃木将軍は軍神か愚将か」(のちに「乃木将軍と旅順攻略戦」と改題)を載せた。もちろん、それは司馬遼太郎の『殉死』と福岡徹の『軍神』を批判したものである。
福田はかう書いてゐる。
「なるほど歴史には因果関係がある。が、人間がその因果の全貌を捉へる事は出来ない。歴史に附合へば附合ふほど、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には崩壊し去る。そして吾々の目の前に残されたのは点の連続であり、その間を結び附ける線を設定する事が不可能になる。しかも、点と点とは互ひに孤立し矛盾して相容れぬものとなるのであらう。が、歴史家はこの殆ど無意味な点の羅列にまで迫らなければならぬ。その時、時間はづしりと音を立てて流れ、運命の重味が吾々に感じられるであらう。合鍵を以て矛盾を解決した歴史といふものにほとほと愛想を尽かしてゐる私が、戦史には全くの素人の身でありながら、司馬、福岡両氏の餘りにも筋道だつた旅順攻略戦史に一言文句を附けざるを得なくなつた所以である。」
ここまで書いてゐた福田恆存が、実は翌年の『諸君!』1月号に、司馬遼太郎、林健太郎、そして山崎正和と座談会を行つてゐたのである。司馬遼太郎の度量の大きさも言ふべきことであり、当時の知識人といふものの質の高さを示すエピソードであらう。1月号とは12月中に発売されるものであるから、先の『歴史と人物』11月号の発売と座談会の時期とはほぼ同時期であつたに違ひない。
話題は、「日本人にとって天皇とは何か」である。鍔迫り合ひといふほどではないが、結構スリリングな議論である。
二つを別々に読んできたが、今日書棚の本を整理してゐて、この二つがこれほどに接近した時期に掲載されてゐることを知り、驚いてしまつた。
この一事をとつても、現代知識人の劣化は明確である。
イデオロギーの終焉とは、ダニエル・ベルの言葉だつたらうか。
脱工業化社会においては、個人の趣向(=これを価値観だと考へるからをかしなことになつたのだが。それはまた別の話)が重視されるやうになり、もはやイデオロギーの出る幕はないといふことになつた。
確かに学生運動は無くなつたし、経済学部や史学科からマルクス主義は一掃された。だが、共産党は国会議員を有してゐるし、革命の意思を明言してゐる(これは反社会的団体ではないのか?)。生協は市民社会に浸透してゐる(これつて関係を立たなくていいのか? 彼らの資金源になつてゐるのでは?)。立憲民主党は、護憲といふ名のイデオロギー政党であるし、その心は社会主義的全体主義である。
現代でもインテリは反体制派であることを存在根拠としてゐる。
一昨日もある雑誌編集者から電話をもらひ、1時間以上、現状について意見を求められたが、私も彼も一致したのは、7月8日以降、日本は左翼にいいやうにされてゐるといふ現状認識である。
ほぼ開店休業状態であつた被害者弁連の巧みな工作に見事にやられてしまつたのである。
そのことに気づかない岸田首相の体たらくに怒りを込めて語つてゐた。が、私は、行くところまで行くしかないと伝へた。それで良くなるかどうかは分からないが、弥縫策をこれ以上続けても仕方ないからである。悲しいが、それを引き受けるのが現代に生きる国民の義務であらう。
宗教2世宜しく、国民は政府の犠牲者だなどとは口が裂けても言ひたくはない。