今年の京大の現代文の1番は、福田恆存の『藝術とはなにか』からの出題だつた。試験が終はつた直後の昼休みに「先生、見ますか?」と受験生に言はれたが、試験は振り返つちやダメだと常日頃言つてゐた手前、「やめとく」と伝へて話題を切り替へたが、内心は見たくてたまらなかつた。
そして、今朝やうやく予備校のウェブサイトで確かめた。
なんと福田先生の文章だつた。昨日それを知つてしまつたら思はず解説してしまつてゐたかもしれないので、見ないことにして正解だつた。
さて、文章に引かれた傍線部は次の通り。
(1)ドラマは《為されるもの》であります
(2)この呼吸は映画では不可能です
(3)そのくらいなら、見せられるより見せる側にまわったほうがよっぽどおもしろい
(4)教養とはそういう自我の堆積にほかなりません
(5)現代では、藝術の創造や鑑賞のいとなみにおいてさえ、だれもかれも孤独におちいっている
(4)だけが文系に出された問題で、なるほどこれは文系には答へて欲しい。「自我の堆積」をどう説明するか、生徒の答案を見てみたい。
かういふ文章を受験生に読ませて2日間の入学試験を始める。いいですね。京大さん、粋です。
受験とはまさに孤独な闘ひの場だけれども、それを受け身でとらへるのではなく、主体的に演じるといふ意識の転換をすることで人生に手応へを感じて欲しいとのメッセージであらうか。
二日目も間もなく開始。
受験生諸君、演じてみよう!