言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

保守主義者の生き方

2018年01月30日 21時41分27秒 | 日記
 先日、なぜか知らないけれども、次のページのアクセスが伸びた。

 改めて読んで、こんな言葉を噛みしめた。

「さほど希望を持たず、目下の情勢の成り行きを変えたいという野心も持たず、そして結果として何も起こらないように思われる時でも意気消沈したり挫けたりすることなく、ひたすら問題の核心を見抜くこと、真理に達しそれを説こうと努めることに専念する数少ない作家が必ずいなければならない」

 かういふ作家がゐないことは嘆いても仕方ない。福田恆存がさういふ人であつた(さういふ人にならうとしてゐた)といふことも改めて感じた。西部邁がそこにとどまれなかつたといふのは残念なことである。
 しかし、一番残念なのは、さういふ人がゐないといふことに絶望しない国民であるといふことである。
 さういふ人がゐないといふこと。そして、その不在を悔しく思ふ人がゐないといふこと。この絶望感はかなり深いが、それに「意気消沈したりくじけたりすことなく、ひたすら問題の核心を見抜くこと」これに専念したいと思ふ。

 希望のない時代、理想のない現実、それでもそれに耐えて生きていく、それのみが空疎で茫漠たる現在に生きる文筆家の仕事なのであらう。

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内田樹『直感はわりと正しい』

2018年01月29日 11時23分26秒 | 日記
直感はわりと正しい 内田樹の大市民講座 (朝日文庫)
内田 樹
朝日新聞出版


 内田樹は、とても文章がうまい。読みやすいのだ。思考のリズムと書き方のリズムが軽快で、一読して理解される。何度も読み返すといふことは難解な文章にはよくあることだが、ただ難解といふだけでは困る。難解でありながら味はひがあるといふのは、読書にとつては幸福な体験である。しかしながら、そんな体験は滅多にあることはなく、だいたいはただ難解なだけ。だから、軽快な文章が好まれるやうになる。今日の文章家のなかでは内田樹はその代表だと私は思つてゐる。

 「直感はわりと正しい」と書いてゐるが、ご本人も認めてゐるやうに、政治についてはほとんど間違つてゐる。

「この時評の中で僕が書いた政治についての未来予測は『これから日本の政治プロセスはますます劣化するだろう』ということ以外はほとんど外れました。政治についての未来予測のむずかしさが改めて身にしみます」

 そして、本書はいろいろな分類がされてゐるが、中身はほとんど政治談議である。時の政権や関西人らしく橋下市長についての評論である。私怨があるのかどうか分からないが、自分の直感を雑誌アエラに書いたものである。
 つい最近のこの欄にも書いたが、内田の政治論は読むにたえない。笑つて読みとばすこれが作法である。でも所どころに気の利いた台詞が出てくる。それがいいのだ。

 フランスのホテルやファストフードでの接客について。

「無償の笑顔は文字通り無償であり、彼らにさして良きことをもたらさない。それよりは、権限の範囲内で『いけず』をして、観光客に屈辱感を味わわせる方がまだしも気分が晴れると考える人々が少なくないのであろう。」

 かういふことは事実なのかどうか確かめようもないが、その直感は私には当つてゐるやうに感じた。

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ヴァレリイ『精神の政治学』

2018年01月28日 09時25分45秒 | 日記
精神の政治学 (中公文庫プレミアム)
吉田 健一
中央公論新社


 昨年末に、中公文庫からヴァレリーの『精神の政治学』が出た。ながらく待望してゐた書が、手に入りやすい文庫といふ形で復刊されたことを、長年この書を大事にしてきた(いつもいつも愛読してきたわけではないが、「精神の政治学」といふことをいつも考へてきたといふこと)者として、慶賀したい。
 翻訳は、もちろん吉田健一である。戦前の創元選書に入つてゐたもので、もはや手に入れることは難しい。今、書庫を捜したがすぐには見つからなかつた。紙の質もよくなく活字も印刷されてゐない文字があつたやうに記憶してゐる。それがとてもきれいな新刊本として手に入るのだからありがたい。
 精神の政治学は、精神の危機の時に発揮される。精神の危機に気づかずに、人間関係の調整法として政治を行ふ者、他者との交はりを避けるために精神に逃げる者、さうした行動主義者と精神主義者とに二分される現代日本にこそ、精神の政治学が必要ではないか、そんなことを思つた記憶がある。
 未来について語ることは、変革=混乱の時代である現代ならなほさらのこと慎重であるべきだ。世の中は平均化を目指すが、その結果訪れるのは悪貨が良貨を駆逐する社会である。かういふ時代であるからこそ、精神の政治学が必要である。「我々は未来に後退りしながら進んでいく」べきだとヴァレリーは本書で書いてゐるのは、さういふ意味であらう。
 とても大切なことだと思ふ。

 高校生では、難しいだらうか。それなら大学生ではどうか。それが無理なら20代で。是非とも読んでおいてもらひたい。かういふことを前提に、日本の現在を語れる若者と出会ひたい。そして語り合ふ時を持ちたい。

 解説を、四方田犬彦氏が書いてゐる。吉田健一の翻訳は、原典をかなり省略してゐるといふ。それは知らなかつた。そして、なぜその部分を吉田が削つたのかを分析してゐる。単なる解説とは違つてゐて読みこたへがあつた。
 願はくは、四方田訳の『精神の政治学』が読みたい。
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『海難1890』

2018年01月26日 16時29分06秒 | 日記
海難1890 [DVD]
内野聖陽,ケナン・エジェ,忽那汐里,アリジャン・ユジェソイ
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)


 この冬休み、久しぶりにお会ひした知人から薦められた映画である。1890年陛下に謁見するために来たトルコの使節団の帆船エルトゥールル号が、帰途和歌山県沖で台風のために座礁した。その事態に気づいた村人が命がけで救出をするといふのが前半の話、後半は1985年サダム・フセインがイラン(テヘラン)を空爆した時、日本政府は救出のために飛行機を送らなかつた。その時にトルコ機が邦人を救出してくれたという話。
 いづれも感動的な仕立てで、人の真心が言葉によつて啓発されていく様が非常にうまく伝はつてきた。人情話は好きではないが、かういふ至誠が歴史を動かしていくといふ話は心底が揺り動かされる。
 先祖がどう生きてきたか、それが今の私たちの生きる指針になる。そのことが日常の会話として成立してゐた時代の史実であるが、だいぶ薄まつたとは言へ、さういふ伝統は今も生きてゐると信じたい。



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なぜ世界は存在しないのか。

2018年01月24日 23時14分47秒 | 日記
なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)
清水 一浩
講談社


かういふ思弁をありがたがる連中を、ポストモダニズムと云ふのではないか。彼ら自身はポストモダニズム批判として書いてゐるのだらうが、いやいやこれこそポストモダニズムなのです。

人間がゐるから世界があるのであつて、ゐなければ世界は存在しない。関はつて感動して記憶するところに世界は現象するのである。
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