先日、なぜか知らないけれども、次のページのアクセスが伸びた。
改めて読んで、こんな言葉を噛みしめた。
「さほど希望を持たず、目下の情勢の成り行きを変えたいという野心も持たず、そして結果として何も起こらないように思われる時でも意気消沈したり挫けたりすることなく、ひたすら問題の核心を見抜くこと、真理に達しそれを説こうと努めることに専念する数少ない作家が必ずいなければならない」
かういふ作家がゐないことは嘆いても仕方ない。福田恆存がさういふ人であつた(さういふ人にならうとしてゐた)といふことも改めて感じた。西部邁がそこにとどまれなかつたといふのは残念なことである。
しかし、一番残念なのは、さういふ人がゐないといふことに絶望しない国民であるといふことである。
さういふ人がゐないといふこと。そして、その不在を悔しく思ふ人がゐないといふこと。この絶望感はかなり深いが、それに「意気消沈したりくじけたりすことなく、ひたすら問題の核心を見抜くこと」これに専念したいと思ふ。
希望のない時代、理想のない現実、それでもそれに耐えて生きていく、それのみが空疎で茫漠たる現在に生きる文筆家の仕事なのであらう。
改めて読んで、こんな言葉を噛みしめた。
「さほど希望を持たず、目下の情勢の成り行きを変えたいという野心も持たず、そして結果として何も起こらないように思われる時でも意気消沈したり挫けたりすることなく、ひたすら問題の核心を見抜くこと、真理に達しそれを説こうと努めることに専念する数少ない作家が必ずいなければならない」
かういふ作家がゐないことは嘆いても仕方ない。福田恆存がさういふ人であつた(さういふ人にならうとしてゐた)といふことも改めて感じた。西部邁がそこにとどまれなかつたといふのは残念なことである。
しかし、一番残念なのは、さういふ人がゐないといふことに絶望しない国民であるといふことである。
さういふ人がゐないといふこと。そして、その不在を悔しく思ふ人がゐないといふこと。この絶望感はかなり深いが、それに「意気消沈したりくじけたりすことなく、ひたすら問題の核心を見抜くこと」これに専念したいと思ふ。
希望のない時代、理想のない現実、それでもそれに耐えて生きていく、それのみが空疎で茫漠たる現在に生きる文筆家の仕事なのであらう。