言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「歴史的かなづかひ」ではだめなのか

2009年10月27日 21時23分11秒 | 福田恆存

 だいぶん以前に友人の土井義士さんから、福田恆存と大江健三郎との對談のコピーをいただいた。その話を最初聞いたとき、かなり意外な感じがしたが、讀んでみるとさすがに大江である。權威主義者よろしく福田恆存にすりよるやうな姿勢で終始話を聞いてゐるのが分かる。

  最後の會話はかうである。

大江 いわゆる進歩派の人たちが新かな使いを支持し、いわゆる保守派の人たちが旧かな使いを支持するのは、論理的な理由があるのでしょうか。

 自分は進歩派であることをすつかり忘れてゐるあたりは、自己欺瞞の王者だけある。自分は福田先生の考へを否定などしてゐませんよ、とさへ言ひたげである。それはともなく「かな使い」といふ書き方は、その無知振りを露呈してゐる。当然ここは「かな遣い」である。

 福田恆存は、かう答へてゐる。全文は引かない。最後のところだけ。

福田 僕が旧かな合理論をもちだすと、もうすぐ旧かなに戻せ、と受けとられてしまうので残念です。そして僕の意見は逆コースだとか反動だとかいわれますが、そのようなことをいう気分も大事だからと認めた上で、現状のままで、とにかくもういっぺん考え直してくれ、というだけなんです。ところが審議会のほうでは、それすらいやがっている。僕はそれが困る、と主張するのです。

  歴史的假名遣ひを使ふ人はとても少ない。それは仕方のないことである。そして、福田恆存が言ひ續けた「人體實驗以上の暴擧」であつた假名遣ひの變更を今とやかくいふ人はもつと少ない。そんなことを言へば、好事家かオタクかよほどの變人かといふ目で見られる。福田恆存が、言葉を蔑ろにすれば人を蔑ろにし、精神を蔑ろにし、結果的に社會が蔑ろにされることになるのだといつた警告が警告にならない時代になつてしまつた。

   古來の自然が失はれたやうに、言葉の傳統も失はれる。それはあるいは自然な事のなりゆきなのかもしれない。しかし、ほんたうにこれでよいのだらうか。「とにかくもういっぺん考え直してくれ」と言ふ機會がないものだらうか。新しくすること、變革すること、それが價値であると思ひ續けて來た近代がもう終はらうとしてゐる。この際、言葉の問題について考へてみるのが得策であらう。それにしても、保守派の集會に參加しても、政治的な發言は喧しいが、言葉の問題について語られることが少ないのは、殘念である。言葉こそ守るべきものであらうにである。

  最近、私の文章は、陰翳が濃いといふ御指摘を受けた。それが何によるのかは自分でも定かではない。が、何かが終りかけてゐるといふ豫感が強くするからかもしれない。やつてくるものの足音は微かであまり聞こえはしないのであるが、「終はり始めてゐる」といふ變な言葉遣ひが正確な描寫であるやうな時の景色が見えるのである。

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「無常といふ事」を讀んで

2009年10月18日 14時18分42秒 | 日記・エッセイ・コラム

  小林秀雄の「無常といふ事」を事情があつて精讀することになつた。もう何度讀んだか分からないが、今囘讀み直してみて改めて感じるところがあつた。

   私の高校時代は、大學受驗用の問題集に小林秀雄はよく出てゐた。今ではめつきり少なくなつたが、出てゐないわけでもない。三年前だつたか大阪大學の文學部の問題に出てゐたやうに思ふ。「考へるヒント」だつたか。小林秀雄の文章との出會ひはたとへ入試であつてもないよりはましであるといふのが私の率直な感想である。丸谷才一、山崎正和兩氏はなんだか鬼の首をとつたかのやうに、死後に「非論理的で啖呵を切つてゐるだけ」「種本がある」と揶揄したが、文章の味はひは、文體にあるのであつて、何を書いてあるかに注目しすぎると、學者の書くやうなものがいちばん良いといふことになつてしまふ。何を書いてゐるかよりは如何に書いてゐるかに力を注ぐべきなのが、文學であらう。その意味で、小林秀雄は最良の文章家である。

   一言芳談抄との美しい出會ひ、そしてそれがどうして起きたのかを探る展開。何を書くのか判然としないと言ひながら、歴史を巧く思ひ出したからではないかと悟つていく。私たち現代人は、どうして巧く歴史を思ひ出せなくなり、新しい解釋や見方に捉はれてしまふのか。どうしやうもない人間の宿命、無常といふ事を感じなくなつたからであらう。さらに言へば、常なるものを失つたから、無常の切なさを感じる心を失つたのであらうといふのである。

   歴史はつまるところ思ひ出だ、これは小林の思想の根本である。さういふ思ひ出し方を私たちは忘れてしまつたのである。

   しかし、案の定、かういふ思想は人氣がない。學問になりえないし、實用的ではない。更には、かういふ無常といふ次元で人生を捉へる感覺を失つてゐる人が現代人の大半であるといふことが原因であらう。無常を知らないから、希望といふ言葉を安易に持出す。未來は明るいはず、夢を持たうと氣樂に言へる精神は、案外脆弱な心から發するものではあるまいか。今、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を讀んでゐるが、この作家にも無常といふものはあまり感じない。個人の内奧に測沿を垂らすやうな内省はあるが、個人の文脈にからめとられてしまつてゐるやうで、歴史の水脈にたどり着かない。この作品は歴史の問題を取擧げてゐるが、三卷目の途中までの讀後感では、何とも不滿が殘る。

   批評家の小谷野敦氏が、自身のブログで、『1Q84』のやうな小説を書いてしまひ、これが英譯されたら、もう彼のノーベル賞受賞はあり得ないと書いてゐたが、その評價はともかくとして、「常なるものを失つた現代人」といふことを見ない内省は、心理學のケーススタディになつてしまふだらう。作品ごとの深まりといふことを斷念し、ストーリーの新しさを滑走するばかりであつた『1Q84』への不滿は私も共有してゐる。

  「上手に思ひ出すことは非常に難しい。だが、それが、過去から未來に向つて飴のやうに延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代における最大の妄想と思はれるが)から逃れる唯一の本當に有效なやり方のやうに思へる。」

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暴風一過 心は晴れず

2009年10月08日 22時00分31秒 | 日記・エッセイ・コラム

 颱風18號が昨夜大阪をかすめた。九州での颱風體驗もすごかつたが、この度の颱風の猛威は生涯で一の恐怖であつた。昨夜はまんじりともせずに、いつ破れるとも知れない窓ガラスを見つめるばかりであつた。

   エアコンの室外機がベランダを滑つていく。明け方三時のことである。テレビから聞こえてくる音に耳を傾ければ、この状況はあと三時間は續くやうである。あれはあんなに輕いものであつたのかと思ふほど輕やかに滑つていく姿は、恐怖とは全く違ふ滑稽ささへ含んだ非日常的な感情だつた。豪音が響くベランダとはガラス一枚があるばかり、その隔たりがほんたうにありがたく感じられた。小さな植木鉢は部屋のなかにしまつておいたが、その姿は妙に心細さうにも安堵してゐるやうにも見えたが、その一方でベランダには中に入れられなかつた大きな鉢植が暴風と鬪つてゐる。葉はみるみる落されていく。濟まない氣持が込み上げてきた。勝手なものである。

   颱風は晝には去つて行つた。空は明るくなつたが、この體驗のしこりは澱のやうに殘つてゐる。夕方、テレビをみると中川昭一氏の通夜の樣子が映し出されてゐた。聯想する理由などないのだらうが、心の淋しさでは通じてゐた。ほんたうに何かを持つていかれたやうな氣がする。置いてけぼりにされた迷子の子供の氣持と言へば、ナイーブに過ぎやうがそんな氣分である。

   じつは今日は、私が教へてゐる子らの體育祭の日でもあつた。もちろん流れてしまつた。卒業する年の體育祭がなくなるといふのは、存外に淋しいものだと夕方になつてひときは強く感じ出した。それがじわじわと響いてゐる。

   晴れなかつた一日であつた。

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中川昭一先生の逝去を悼む

2009年10月04日 18時21分40秒 | 日記・エッセイ・コラム

 中川昭一氏が亡くなられた。傷心の死かもしれないが、憤死でもあらう。保守の黨首が何も保守すべきものを語らないがゆゑに選擧で敗れた。その中の一人が中川昭一氏であつた。敗戰の弁はあまり潔いものではなかつたが、それだけ忸怩たる思ひが深かつたのだらう。京都の伊吹文明氏の敗戰の弁は見事だつたが、深夜に比例區で復活してゐた。政治家とはかういふしたたかさが必要なのであらう。中川氏にはそれを感じなかつた。

  酒癖が惡かつたやうだ。しかし、そんな人はいくらでもゐる。酒を飮まない無能な政治家よりは百倍良い、そんな分かりきつたことを分からない選擧民には、中川氏の當選といふ選擇はなかつたのだらう。愚かである。

  保守の敗北、これがこの選擧の總括である。中川氏の死が病死であるのなら、それは象徴死である。有難い政治家を失つた。大損失である。さう思ふ。

   御冥福を御祈り申上げる。合掌

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