言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

葛西敬之 お別れの会

2022年08月29日 21時57分03秒 | 日記

 

 5月25日に81歳で亡くなられた葛西前理事長のお別れの会に出かけた。たまたま休みの日だつたので、名古屋まで出かけてきた。

 別に東京でも会は開かれてゐたが、名古屋会場はマリオットアソシアホテルの大ホール。たいへん大きな会場で、お別れの会と言ふから式典があるのかと思ひきや、献花をして展示パネルを巡つて氏の業績を回想して出ていくといふ形式であつた。少し拍子抜けであつた。これならもう少し最初の献花で時間を採れば良かつたと思つた。

 ただ、入り口のところで三年前の卒業生に出会ひ、帰りに喫茶店に寄つて少し話が出来たのが良かつた。文Ⅰから法学部に行き、今は司法試験を目指して勉強してゐると言ふ。東大の講義の様子を聴きながら、昨今の情勢について話をしつつ、間あいだに懐かしい高校時代のことを挟みながら、東大法学部出身の葛西理事長が引き合はせてくれたのだらうと思つた。

 二年ほど前、東大公共政策大学院の授業に葛西理事長が講演で来られたといふ。そこで話を聴いて、質問をしたと言ふ。自分の出身校を名乗つて質問したといふが、たいへん驚いてゐたとのことであつた。その折にも鼻には酸素チューブが付けられてゐたさうだが、こんなにも早く亡くなられるとは思はなかつたとのことだ。それは私も同じであつた。

 それにしても、たいへん多くの人が集つてゐた。パネルには、安倍元総理と並んで写る写真が数点あつた。それを見て、悔しい思ひがこみあげてきた。

 合掌

 

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狂乱メディアの思ふツボーーフィルターバブル

2022年08月21日 09時26分14秒 | 日記・エッセイ・コラム

 テレビやネットニュースは、定期的にあるテーマを流し続けてゐる。

 コロナ禍、ウクライナ戦争、統一教会、どれもこれも同じことばかりで、一向に真実に迫つてゐるやうには思へない。ウクライナ戦争だけは、専門家が分からないことは分からないと言つてくれるが、それ以外の場合には、「専門家」が真実めかして語つてゐる。その論法は「一事が万事」である。自分の診た患者や相談に来た被害者が言つてゐることが事の全てであるやうに語る。そして、次の段階では自分の直感に合致する内容だけを集めるから、その「万事」が真実となつていくのである。

   一事  →    万事   →  真実

 コロナの感染流行がが第七次だといふ。もはやインフルエンザと同じではないか? といふことで、諸外国は対応が変更してゐるが、私たちの国の施策は変はらない。といふより変へられない。

  フィルターバブルといふ言葉がある。メディアリテラシーを身につける際のキーワードである。自分に入つてくる情報には既にフィルターがかかつてゐるのではないか。そのフィルターにかけられた「居心地の良い」情報の中(バブル)にゐるのではないか。さう疑つてみよといふ戒めである。

 特に今やマスコミも大衆もネットから情報を得ることが多いから、この戒めが重要になつて来る。なぜなら、検索エンジンのA Iによつて、自分に都合の良い情報が寄つて来るやうになつてゐるからである。

 フィルターバブルを疑へ。

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レコーダーの死と安倍元総理終焉の地

2022年08月19日 10時14分54秒 | 日記

 昨日、夏休みを楽しんだ大阪の地を離れて愛知に戻つた。

 早めに出ようと思つてゐたが、朝食を摂らうとしてゐたらテレビの下のレコーダーが点滅してゐるのに気づいた。前夜に激しい雨でも降つて停電でもしたのかと思つた(前日の夕方、一瞬停電したことがあつたので、とつさにさう思つた)。それで、電源を落とさうとしてみたが、まつたく作動しない。コンセントを抜いてしばらく置いておくことにした。といふのは二年ほど前に調子が悪くてメーカーに問ひ合はせたところ、静電気が悪いことをしてゐるかもしれないので、コンセントを抜いてしばらくそのままにして置いてくださいと言はれたことがあつたからである。

 朝食後に再びコンセントを入れて挑戦してみたが、点滅してゐる状態は改善されなかつた。困つたことになつた。岡本太郎と太陽の塔関係の番組をたくさんハードディスクに録画してあつたが、すべてダメになつてしまつた(大阪では小さな枠でも特集されることが多く、こまめに録画しておいたのに残念だ)。

 近くにあるヤマダ電機にオープンと同時に出かけ、症状を話すがたぶん駄目でせうといふことだつた。そこで仕方なく新しい物を購入することにした。

 店員さんも不思議がつてゐたが、名目上の録画可能時間と実際に画面に映し出された録画可能時間とは結構差があることだつた。概ね7割しか実際には録画できないやうであつた。こんなことつてあるのだらうか。若い定員さんだから理由が分からないのかもしれないが、これでは客に不親切である。メーカーはこのことを承知で販売してゐるのであれば悪質である。

 それはともかく自宅に持ち帰つてセッティング。これがなかなか難しい。たしか今あるものは、すべて業者に頼んだやうな気がする。10年前だからまつたく覚えてゐないが、今や電源とアンテナを接続すれば見られるといふ訳ではない。ケーブルテレビはあるし、ネットはあるし、もちろんテレビとの接続はあるし、レコーダーのリモコンでテレビの操作ができるやうにするのはこれまた一苦労であつた。かういふ仕事は大の苦手。いらいらして妻に迷惑をかけた。出がけにするものではないと知りながら、次に家内が来る時に使へない状態で置くわけにもいかず、悪戦苦闘。すべての操作が完璧といふ訳ではないが、一応これまでと同じ操作が可能なところまではできた、といふつもりである。

 さうかうしてゐるうちに昼食の時間になり、残り物を食べて、いざ出発。昨日の雨が噓のやうに快晴。暑い。しかし、車の運転には晴れがいい。雨の運転は年と共にきつくなつてきた。

 途中で、奈良に寄る。安倍元総理の衝撃的な事件(7・8事件)の現場への訪問のためである。思ひのほか狭い場所であつた。そして、こんなところで演説会をするものかといふ思ひもあつた。一ヶ月以上経つたが、今も手を合はせる人がゐた。それぞれの思ひを重ねていく場所でもある。そして何より、日本の痛恨事の場所である。改めて冥福を祈つた。

 つい先日、この場所から歩いて数分のところに住んでゐる友人と話をすることがあつた。彼が言ふには、事件直後ははるかかなたにまで献花する人が並んでゐたといふ。それはそれはびつくりするぐらゐの人であつたと言ふ。「奈良県以外の方も多かつたはずだが、奈良県民としては、本当に申し訳ないといふ思ひで列に並んでゐるのだと思ふ」と語つてゐた。さうだらうと私も思ふ。

 古代、奈良に多く住んでゐただらう渡来人は朝鮮半島出身者であつただらう。彼の国の言葉で「ナラ」とは「くに」といふ意味である。それが奈良の地名の由来になつたかどうかは分からない。しかし、新羅の国を追はれて大和の国にやつて来た技術者・専門家の彼らがさう名付けたとしたら、この地は「新しい国づくりの場所」といふ意味にもならう。奈良での絶望的な事件であるが、そこに意味を見出すとすれば、これを機に日本が少しでもよくなつてくれればといふ思ひである。

 合掌

 

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「島守の塔」を観る

2022年08月17日 16時21分22秒 | 映画

 

 

 沖縄決戦に臨む昭和20年(1945年)、当時の知事は官選であつた。前任者は、会議のために上京したまま帰らず、政府は島田叡(しまだ・あきら)に知事就任を要請し、その年の1月に着任する。43歳。「俺は死にとうないから、誰かに行って死ね、とはよう言わん」といふ言葉を語り、反対する家族を制したと言ふ。

 丁度同じ時期に、沖縄県警察部長を務めてゐたのが荒井退造であつた。彼もまた出張や病気療養を理由に沖縄を離れる官吏が多い中で、最期まで沖縄に留まり、沖縄県民の疎開に尽力した。享年44。

 二人は、沖縄本島の南端摩文仁の丘の壕から出て行つたまま、帰らぬ人となつた。

 映像は当然ながら戦闘の姿を映し出す。血が流れ、泥まみれになり、飢ゑや恐怖に苦しむ人々の姿を繰り返し描き出す。戦争とはさういふものだと知つてゐても改めてスクリーンに描き出されると恐ろしさが湧き上がつてくる。

 役者は決してうまくない。脚本もいろいろなものを盛り込み過ぎでまとまつてゐない。沖縄の人はこれをどう見るのだらうかといふ疑問もある。しかし、やはり観るべき映画であつた。

 山本七平を最近読んでゐるせいで、どうも日本の政府や軍司令部の無能振りが頭をよぎる。島田が沖縄県民の米を調達するために台湾に行くのだが、それは政府のすべきことである。同じく軍隊の補給線も寸断されてゐただらうから、沖縄に駐屯する軍は孤立して行つたのである。それは大本営の愚かさである。

 大事なもののために命を懸ける。戦争に負けても国は残る。その時に残すべきは精神である。その通りだと思ふ。しかし、である。それに値する組織になつてゐるだらうか。戦争に勝つのは、国体を護るためである。それが嫌でも国民を守るためといふのであれば納得できるだらう。ところが現実は、戦争に勝つのは、軍隊を維持するためではなかつたか。あるいは軍の力を誇示するために。さういふ疑問がある。

 だから、同一作戦の失敗を何度繰り返しても変更しなかつたと言ふ。零戦の構造を戦争末期米軍が分解して驚いたと言ふ。空飛ぶ棺桶と言はれるほどの軽装備である。日本人の一級の操縦士たちは、その訓練の成果として零戦を自由自在に扱へたが、それは逆にその訓練を受けてゐない人には無防備な戦闘機でしかなかつた。戦争直後は名手たちが活躍してゐたが、戦闘が長引き彼らが亡くなると、今度は無防備の戦闘機に未熟な操縦士が乗ることになる。最終的には敵艦に体当たりできたのは5%だつたと言はれる。操縦士の能力が低いことも、戦闘機が無力であることも、軍部は正確に把握してゐる。なのに、「特攻」作戦を止めなかつた。これが私たちの国の組織が持つ欠陥である。

 そして、沖縄戦でも同じ愚を犯してゐたはずである。

 しかしながら、この種の戦争映画を観て反戦を声高に叫ぶ人を見ると、お目出たいなと思つてしまふのである。自分は、あるいは自分たちは、決して同じ過ちは繰り返さないと自信満々なのである。しかし、それは本当か。自分の言動を少しでも振り返つてみたらよい。誰かのせいにして物事を解決したり、解決できたと思つたりしてゐないだらうか。もし、さういふことに心当たりがあるのであれば(「ない」といふ人がゐれば、それは相当な認識不足である)、簡単には「反戦」は叫べまい。戦争とは調整能力の欠如に由来するのであるから、自己調整の不調を来たしがちな私たちの心は絶えず戦闘状態にあると言へるのだ。それはつまり戦争である。そんな自分に平和をもたらすことが難しいと分かれば、過去の戦争の悲惨さを見て、直ちに反戦平和に結びつける愚は犯すまい。

 この映画は、平和のためのプロパガンダに使はれてほしくない。日本人の病の剔抉(てつけつ・えぐつて掘り出すこと)にこそ相応しいものであると思ふから。

 

 

 

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『日本人と「日本病」について』を読む

2022年08月16日 09時51分40秒 | 本と雑誌

 

 

 昨今の世相を見てゐて、どうやら日本人は病んでゐるなといふ思ひを深くした。もちろん、その日本人に私も含まれてゐる。病んでゐる人が他人を病んでゐると判断できない理屈はないのであつて、むしろ自分も同じ症状を体験してゐるのであるから余計に正確に判断ができるといふこともある。

 そんなこともあり、「日本人といふ病」といふ小論を書いた。いろいろと文献を読まうと思つてゐたが、あれやこれやと思ひをめぐらしてゐるうちに、文献を引用するより現状を正確に描写した方がよいと思つて書き上げた。

 そして、ふと書棚を見るとこの本が眼に入つた。「日本病」、同じことを感じてゐるのかなとも思ふ。さう言へば河合隼雄にはタイトルも同じ『「日本人」という病』といふ書まである(こちらは病を困つたものだと見るよりは、こんな病ですから気をつけませうといふ感じで、河合らしい)。岸田秀も河合も同じく精神分析家である。立場は異なると思ふが。やはり日本人は精神分析の対象になるのであらう。

 さて、本書であるが、病のポイントは二つ。

1 日本の社会には神がゐない。したがつて、人と人との間の関係しかなく、契約(法)意識は薄く話し合ふことで解決できると考へてゐる。お化けが出るのは日本だけ。個人的な怨みを法で裁いて解決するのではなく、当事者間の「話し合ひ」で解決しようとする。「怨めしや」とは話し合ひの呼びかけである。

2 機能集団が共同体になつてしまつてゐる。儒教には組織と血族とに対してそれぞれ別々の態度を取れといふ考へがあるのに、日本人は組織をすぐに擬制家族に見立ててしまふので混同する。組織では「三度諫めて聞かざれば即ち去る」、父に対しては「三度諫めて聞かざれば号泣してもこれに従ふ」。しかし、組織においても後者を取るから組織が崩壊する。

 私の読んだ本(1996年 文春文庫版)は解説が小室直樹である。これがまた素晴らしい。二人の「素人談議」を社会学者として補助線を引き、議論の観点をクリアに引き出す。上の私の「ポイント」もその恩恵による。

 何度でも読むべき書である。

 

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