今回の試験では、従来「~字以内で書け」と出題してゐたところを、「~字で書け」といふやうにした。正直に言へば、印刷した段階では「~字以内で書け」のままであつたが、試験の前日に訂正用紙を作成し、「~字で書け」といふことにしたのである。
そのことの意味を「考へる」前に、私の授業で実践してゐる。具体化記述の7段階をお示しする。
1 主語を明らかにする。
2 傍線部を要素に分解する。
3 それぞれを具体化する。
4 具体化が難しい場合には、理由を考へる。
5 以上をまとめる。
6 字数を解答に合はせる。
7 自分で納得できるかどうかを確認する。
代々木ゼミナールにゐたときに、笹井先生の授業から示唆を受けたもので、その慧眼に驚き、体が震へるほどの感動があつた。
授業では、1~5を中心に取り組む。そして、6はほとんどやらない。生徒に書かせた文章を2,3人指名して白板に書かせて添削するといふことをした後に、「模範解答」を書くといふことを繰り返してゐる(今は、添付した写真のやうにノートをカメラで写し、プロジェクターで映し出してゐる)。
これまでずつとさうしてきた。しかし、内心では「6」が重要なのにと思つてゐた。そこで、今回、試験でそれを試してみようと思ひ、「~字で書け」とした。
試験が終はると、外で待機してゐた私に血相を変へて「文句」を言ひにきた生徒がゐた。「あんなことをして意味があるのですか。入試に出るんですか」。実にいい質問である。嬉しくなつた。さういふ「文句」が出てくるとは、真剣な証拠である。怒りながら50分の試験を受けてゐたのだらう。それに我慢ができず、終はるや否や発言してきたのである。
私はかう答へた。「もちろん、出ないよ。でもね、意味があるとは思はないか。事実、下書きを入念にしただらう。そこに既に意味があるぢやないか」。
納得しない表情であつたが、「こいつには何を言つても分かるまい」といふ不満顔で終礼の教室に入つて行つた。その後ろ姿に「根拠となる論文があるから、それを今度見せるよ」と声をかけたが、果たして聞いてゐたかどうか。次に引くのが、その「論文」である。私の印象とはだいぶんニュアンスが違つてゐるが、参考にはなるだらう。
「一字詰めるためには、『しかし』を『だが』に変えるとか、『・・・・・・なければならない』を『・・・・・・べきだ』に変えるとかいう工夫が必要になってくる。その反復練習によって、文章には、けっこう贅肉があること、姿勢を引きしめて書くと意外に簡潔的確にいえること、書き手が言い換えのさまざまの型を心得ることの必要性が分かるようになるでしょう。」(大野晋『日本語練習帳』)
最後の一文は、とても大事なことである。それが分かれば、記述力は鍛へられていく。
いつもならプロの作家のやうにいきなりマス目に書き出す生徒たちが、何度も書き直す姿が試験中に見られた。嬉しかつた。「さうだ。さうだ。さういふ過程が大事なのだ。その時間こそ、自分の頭を作動させ、言葉を磨いてゐる時間なのだ」。
さて、採点はたいへんだ。明日から「採点天国」が始まる。