言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』を読む

2023年11月19日 12時23分04秒 | 評論・評伝
 
 臨床心理学者と脳科学者との対談のやうであるが、実際には後者による前者へのインタビューといふ形式である。
 脳についての実践家と科学者と言つてもいいだらうか。ただ、注意が必要なのは、共に分からないことを巡つてのアプローチの仕方が異なつてゐるといふだけで、実践と科学とが相容れないものであるといふわけではないといふことだ。むしろ「分からない」といふことを大切にしてゐるといふ点で2人は共通してゐる。

 河合の言葉を拾ふ。
「全体をアプリシェイト(味わう)することが大事であって、インタープリット(解釈)する必要はない」
「ここで大事なのは、『ここまで行った』『あそこまで行った』というのは科学的、論理的にうまいこといったんやない。それは、先生とその子との関係性で行われていた、ということなんです。」
「話の内容と、こっちの疲れの度合いの乖離がひどい場合は、相手の症状は深い」
「それが、僕がいまいっている、僕がやりたがってることなんですよ。その人を本当に動かしている根本の『魂』ーーこれと僕は勝負している。」

 対象を分析しない。関係性を尊重する。河合隼雄が大切にしてきたことはこの2つではないか。もつと言えば、関係性の尊重のみであらう。ただそれはかなり難しいことだ。分析して、説明して、それで解決したと思つてしまひやすい。外科医の治療モデルで心を扱つてはいけないといふことである。

 ところで、私はいま何度目かの『こころ』(漱石)の授業をやつてゐる。先日、ある生徒から「なんで『こころ』つていふタイトルなんですか」といふ質問を受けた。そんなもん分かるか、といふのが正直なところだけれども、登場人物、先生とKとお嬢さんと、彼らの織りなす出来事を聞いてゐる(実際には読んでゐる)青年とを動かしてゐるのは、関係性である。それぞれが自分の意志で行動してゐるやうに書かれてゐるが、読む私たちは彼らの関係性に注目していく。それらを表象する言葉としては「こころ」なんではないか、私はさう思つてゐる。

 河合隼雄は、漱石の『こころ』について書いてゐるのだらうか。どなたかご存じであればお聞かせ願ひたい。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポケットに一年前のマスクあり | トップ | 時事評論石川 2023年11月20... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (青野眞由実)
2023-11-21 21:49:00
いつも興味深く拝読いたしてをります。
河合隼雄は、漱石が大好き、とのことで、「中年クライシス」と題した書評集では、「門」と「道草」を取り上げ、また「こころ」については、「大人の友情」の中の、「裏切り」「友情と同性愛」の項で、触れてをられます。臨床家の愛情とドライさが、書評の独特の味はひとなってゐると感じます。
返信する
Unknown (logos6516)
2023-11-22 14:38:59
青野様 コメントありがたうございました。さすがですね。河合隼雄と漱石とですぐに文章が思ひ浮かぶのは。
読んでみます。
返信する
Unknown (logos6516)
2023-11-29 18:01:43
青野様
 『大人の友情』読みました。Kが先生に「同一視」することで、先生が愛する存在を愛してしまつたといふ指摘は、なるほどといふしかありませんでした。「お嬢さん」に人格性が描かれてゐないのも、Kにとつて彼女が大切なのはその人格的魅力ではなく、先生との関係性においてであるからといふのも納得です。
 小林秀雄と中原中也との女性をめぐる騒動も、この「同一視」ですね。
 
 また「友情と同性愛」の方にも気づきがありました。男女同権が行き届き、ジェンダーが意識されすぎて、男女関係に男らしさ女らしさがなくなり、かへつて同性愛の中にそれがあり、安らぎを感じやすいといふのは皮肉な事態。これも近代の逆説ですね。ドラマや映画で最近はよく登場して来ますが、潜在意識がその安らぎを求めているからなのかもしれません。
返信する
Unknown (青野眞由実)
2023-12-02 20:33:01
河合隼雄「とりかへばや、男と女」に、深い論考がありますが・・・・人の心は、元来、両性具有なのでは、と感じてをります。
返信する

コメントを投稿