言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論石川 2月号(789・790合併号)

2020年02月24日 22時03分48秒 | 告知

「時事評論石川」2月号のお知らせ。
 世の中、「武漢肺炎」一色である(この名称を使ふべきといふ浅野氏の論考はその通り。四日市ぜんそく、水俣病など、地名で病名をつけることはをかしくないはず)。何が嫌つて、下手なサッカーチームよろしくボールがあるところに人が集まるが如く、ニュースがこの話題に集中することである。

 大事なことは、いくらでもある。中国の南シナ海の支配や日本の土地の購入問題も、それから習近平の国賓待遇問題もある(二面の吉田先生の論考を参照)。児童虐待防止法の改正も、ロシアのスパイの問題も、大学入試改革だつてまだ終はつてゐないし、消費税の引き下げだつてこれからでも検討すべきである。さういふいろいろな大問題が吹つ飛んで、公衆衛生に電波ジャックされてゐる事態は、愚かとしか言ひやうがない。 国会は国会で、まだ桜を見る会のことをやつてゐる。いい加減にせい。これほどまでに時間と経費を無駄にしてゐるのは、何か大きな問題を隠すためにわざと些末なことに国会の審議日程を費やしてゐると勘繰りたくなる。

 『南京事件』については、この書を以て確定としてはどうか。何か異論があるのなら、左翼陣営は批判本を出すべきである。教科書も何十万人説をさつさと引き下げて、「真実」を書け。文科省の検定といふ制度は果たして機能してゐるのかしらん。
 「この世が舞台」は、ソフォクレスの『コロノスのオイディプス』。「人間は誰しも未來が摑めぬ『穢れの住み家』でしかない」といふ言葉が重い。それなのに、一部の政治家や教育者やテレビのコメンテーターは、言へば何とかなると思つてゐるやうで、人間を軽信してゐる。その意味では人間音痴である。聖書は「曲がつた矢」と人を譬へてゐたと思ふが、どんな弓の名手も矢が曲がつてゐれば、その矢を的に当てることは難しい。だからこそ技術が磨かれ、文化が洗練されていくのである。矢は真直ぐであるはずといふ観念が、人間を駄目にしていく。ソフォクレスがこの作品を書いたのは90歳。アテナイの市民に遺言として書いたのだらうが、ソフォクレスの死の翌年、アテナイはペロポネソス戦争に敗北したと言ふ。かう書いてゐる留守氏の筆も重いやうに感じた。
 
 今月号の内容は次の通り。
 
 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
                     ●    
中国共産党独裁体制の限界を露呈した「武漢肺炎」
  平成国際大学教授 浅野和生

            ●
同じ轍を踏むのか
 習近平の国賓待遇を巡る高原東大教授と安倍首相の不見識
   宮崎大学准教授 吉田好克
            ●
教育隨想  教科書のデタラメさは日韓両国共通だ(勝)
             ●
一次資料が明かす

『南京事件の真実』――アメリカ宣教師史観の呪縛を解く
       南京事件研究家 阿羅健一
            ●
「この世が舞台」
 『コロノスのオイディプス』 ソポクレス
       早稲田大学元教授 留守晴夫
 
            ●
コラム
  配慮を尊重する割には冷たい(紫)
  模範的“謀殺”とは?(石壁)
  批評家失格の憂国説(星)
  中村哲氏の言葉を考へる(白刃)
                ● 問ひ合せ 電話076-264-1119 ファックス 076-231-7009

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ読書会始めました。

2020年02月11日 08時48分32秒 | 本と雑誌

 だいぶん以前に、生徒向けに読書会をするといふことを書いた。そしてメンバーも決まり、本の選定を生徒としてゐたが、結局開催できなかつた。夕方の時間ならいつでも取れると思つたのだが、案外メンバー全員が揃ふ時間が取れず、長期休みが入り、学年が変はり、といふ変化の中で消えてしまつた。

 それでといふ訳ではないが、昨年の後半に教員同士での読書会をやることを決めた。本は『科学の社会史』で、それはすぐに読み終はつた。

 

 年末に同僚と話をしてゐると、「あの本で読書会をしてもあまり盛り上がらないと思ふので、別の本にしませう」といふことになり、年始に決めたのが『教育の理念を象るー教育の知識論序説』だ。

 

 

 筆者は、早稲田大学出身で東京大学大学院教授の田中智志氏。哲学的な知識論で、私にはすこぶる面白かつた。本書は「越境ブックレットシリーズ」の0巻で、言はばこのシリーズの方向性を決める緒論である。「越境」とはこのシリーズのキーワードであつた。

「人が〈よりよく生きようとする〉ことは、何らかの価値判断を行うことである。たとえば、よりよい知識を創り選ぶことである。そうしたよりよい知識に向かう試みを、私たちは『越境』と呼んでいる。それが、さまざまな文化・社会の違いを深いところで『越える』ことだからである。」(はしがき)

 多様性社会と言はれ、個性の尊重と言はれ、それらを前提に教育にダイバーシティーが必要と言はれるが、それを拒否する多様性がないといふことに端的に表れてゐるやうに、多様性の裏には画一性の心性がぴつたり貼り付いてゐるのが現状である。それを「越える」にはやはり「人が〈よりよく生きようとする〉」といふ姿勢がなければならない。多様性も、有用性の尺度や目的合理的なカリキュラム作成にからめとられてゐる現状では、「越える」ことができないどころか、スローガンやプロパガンダにしかならない。

 本書で、田中氏は切実にその危惧を訴へてゐるやうに思はれた。

「社会(教育)の現実性を構成するこのような有用・公正指向は、たしかに人間や社会を〈よりよく作りかえる〉うえで必要であるが、それらは、人が〈よりよく生きようとする〉ことへの根本的な問いを隠蔽していないだろうか。「グローバルな生き残り競争」に勝ち抜くための有用・公正に傾く教育が追い求められる風潮のなかで、あえてそうした風潮に抗い、教育学者が語るべきことは、〈よりよく生きようとする〉力、すなわち社会の現実性を超える力ではないだろうか。」(107頁)

 本書において大事な結論の部分の文末は、疑問で終はることが多い。引用した文章も二つの疑問文で成り立つてゐる。私は、田中氏の主張に全面的に賛成であるが、「社会の現実性」の圧力を嫌といふほど味はつてゐるので、それに抗ふことの難しさを知つてゐる。したがつて、問題提起を出し続けることぐらゐしかできない無念さが滲み出てゐるのを感じ取つてしまふのである。日本の教育はいつも現実に追ひ込まれ、「有用性」に支配されてゐる。

身で読み解き翻訳し援用する。翻訳された文章を読んでみたいと思つたが、英語の原本しか見つからない。それはまことに孤独な作業であつたに違ひない。田中氏をはじめとしたこのシリーズの著者たちが日本の現状を危惧し、その問題意識を補強するために沈黙のうちに数十年に渡つて研究を深め、いよいよ刊行し始めることになつたのがこのシリーズなのだらう。その営みの尊さと潔さとが論文の形式ではあるが切々と伝はつてきた。愁訴にも似た筆者の心の疼きに、私は落涙しさうになつた。

 読書会でもそのことを話した。初回の本がこれだけの本であると、次がどうなるか心配である。私には、それだけ大事な本になつた。

 しばらくは教育の本を読みませうといふことで次回は私が選者となり、山崎正和の『文明としての教育』にした。

 参加者は、次回はもう少し増えさうである。そしてゆくゆくは、他校の先生も交へ、あるいは大阪でもかういふ読書会をして行ければと思つてゐる。「社会の現実性を超える力」が必要だと思ふからである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人の追悼

2020年02月05日 21時55分03秒 | 評論・評伝

 二人の人物が相次いで亡くなつた。

 かつてはよく読んでゐた二人であつたが、今は読まなくなつてしまつた。

 一人は、坪内祐三氏である。まだ若い。福田恆存の最後の門下生と言つてもよいだらう。ただ、根本的なところで福田とは違ふ考への持ち主であつた。福田恆存の没後のシンポジウムで「歴史的仮名遣ひはコスプレだ」と発言したとき、私はその場にゐた。ああ、かういふことを言ふ人であるか、と実に残念な気がした。軽みのある、私にはとてもまねのできない読みやすい文章を書かれる人であつたが、その軽みは重しを失つた軽さであつたか。早稲田大学の文学部には、かういふ人が多い。私の思ひこみをさらに強化してくれた人だつた。あの発言以来、読むことは少なくなつた。

 

 

 

 もう一人は、アメリカの文芸評論家のジョージ・スタイナーである。ニュークリティシズムといふのであらうか。何冊か読んだが、とても難しかつた。とても誠実な文章を書かれる人のやうに翻訳からも感じる。1929年生まれであるから、90歳である。大往生であるが、書かないままに構想だけを残した作品もあると思ふ。慶應義塾大学に招かれた時の発言が収められた『文学と人間の言語』は名著であるが、今日これを読めば、誰が偽物でだれが本物かが明確に分かる。前者が加藤周一で、後者はもちろんスタイナーだ。難解である。じつに難解であるが、彼の書は手放す気にはなれない。

 

 

お二人のご冥福を祈る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする