大阪に戻り、録画デッキに保存されてゐたドラマを観た。家内がどうしても観てほしいといふので観ることにしたが、渋滞にはまつて到着までに随分とかかつてしまつたので疲れてゐたせいで、途中で挫折。翌日、観ることができた。
「妻、小学生になる」である。堤真一が父親、母親役には石田ゆり子。最後の2回しか録画されてゐないので、内容的には間違つてゐるかもしれない。死んでしまつた母親が、あまりにその死に苦しみ、ゾンビのやうな生を生きてゐることを心配して、ある小学生の少女の体を借りて戻つて来るといふお話。原作は漫画だけに荒唐無稽ではあるが、生きるとは肉体がある無しに関係なく貫くものであること。そしてその貫く力の源泉は愛であること。さういふことが人々の会話や仕草から伝はつてきた。そして媒体となつた小学生の少女の家族も同じであつた。
その母親は病んでゐる。母親の暴力的な言葉が少女の心を引き裂き、少女から生きる力を奪はうとしてゐた。生まれて来るべきでなかつたと思つた少女の精神は分裂してゐる。その隙間こそ、他人が入り込むことを許す空間であつたのだらう。「妻」はその少女と巡り合ひ、愛を実践する体として借りることを可能にした。癒されたのは、ゾンビ化した父娘であり、少女自身である。一方は愛する行為を受ける対象として、他方は愛する行為の主体として、自分の生を噛みしめることができたからでる。
それにしても、その少女の演技が卓越してゐた。まさに憑依するかのやうに石田ゆり子と小学生とが同居してゐた。
そして、歌が良かつた。優河の「灯火」。これはいい。
それを聴きながらなぜか最果タヒを連想した。この詩人・小説家の「痛い」感じが、全く調べは違ふけれども、暴力的な歌の力を思はせたからだらうか。
17歳の時の日記帳にある。次の言葉は、優河の調べとは全く異なるが、明瞭な若い苦悩は同質である。
あー。青い春って言えば綺麗だけど。
あたしはただ辛いんだよ。
それだけなんだよ。
そう口にすると、悔しくて、悲しくなる。
ばかばかしい。
がんばるだけじゃないか。
私も「妻、小學生になる。」を樂しみました。全話視聽して録畫もしてゐますし、保存用にBlu-ray Discにダイビングもしたぐらゐです。こゝ數年では一番好きなドラマです。
小學生を演じたのは、毎田暖乃さんですね。御本人も小學生四年生(當時)だつたのに、石田ゆり子演ずる妻を演じてゐたのには、驚きました。朝ドラ「おちょやん」にて既にその演戲力は評判だつたとの事で、「おちょやん」を觀なかつた事を後悔しました。
天才子役と云ふよりも、最早、毎田さんは女優なのでは? とさへ私は思ひました。また、芦田愛菜さんは、毎田さんに就いて、どう思つてゐるのか、知りたいです。TBSの朝の番組で、香川照之さんは毎田さんを可也評價されてゐました。
歌手で言へば美空ひばりのやうな、早熟の役者といふことでせうか。今後も注目して行かうと思ひます。
荒唐無稽な趣向に現実感があり得たのは、彼女の演戯と台詞の良さとでせうか。愛を感じました。