言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論石川 2023年10月20日(第834)号

2023年10月18日 20時32分49秒 | 評論・評伝
今号の紹介です。
 
 何と言つても圧倒的に面白いのが2面の照屋氏の論考。英国の詩人マシュー・アーノルドから引いて、アナーキーへの漂流への危機から「従属関係と慣習の考えを重視し、これを人間の道から排除していなかった英国の封建制を評価」すべしと述べるのに、刮目させられた。照屋氏は、近著にジョージ・オーウェルの翻訳があるが、英国文学者ならではの指摘である。マシューについては全く知らなつたが、調べると私が大学時代にお世話になつた英文学の先生が翻訳されてゐた。ラフカディオ・ハーンの研究者とばかり思つてゐたので先生のお宅にまで伺つてハーンの話はうかがつたが、今にして思へば先生の研究について調べてからうかがふべきだつたと反省するばかり。マシューについて関心を持つた。
 ただ照屋氏がかう書いてゐるについては正直疑問がある。
「デジタル化の影響をもろに受け、インターネットの世界に身を委ねるというまさにその故に、言動が粗暴、かつ尊大になっている生徒が増えているようである」
 これはどこかに典拠があるのだらうか。それを知りたい。相関関係と因果関係とを混同されてはゐないだらうか。
 3面のコラム「眼光」に書かれた「自覚なき宗教弾圧」は極めて重要な指摘である。岸田首相の不見識はもちろん、統一教会の信者から鈴木エイトの信者になつてゐる軽薄な「信仰」観も日本人の近代化論として書きたいと思ふ。

 ご関心がありましたら御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
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今こそ日本人が一丸となって歴史戦に臨め
「慰安婦問題」「南京事件」のウソを放置してはいけない
   歴史認識問題研究会事務局次長 長谷亮介
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コラム 北潮(現代政治家の不実)
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社会規範の消失
AIへの帰省を緩める岸田首相は間違っている
   早稲田大学名誉教授 照屋佳男
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教育隨想  民間に流布した明治天皇(睦仁親王)御製(勝)
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『日本左翼史』を好む昔〝心情左派〟
  一池上彰・佐藤優対談『日本左翼史』全四巻の問題点と疑問
   元産経記者・NPO法人アジア母子福祉協会副理事長 寺井融
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コラム 眼光
   自覚なき宗教弾圧(慶)
        
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コラム
  日韓関係は独仏関係と同じではない(紫)
  治し難き国家の悪癖(石壁)
  慰安婦問題の根源を忘れる勿れ(男性)
  内弁慶の宰相と我々(梓弓)
           
  ● 問ひ合せ     電   話 076-264-1119    ファックス   076-231-7009
   北国銀行金沢市役所普235247
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「沈黙の艦隊」を観る

2023年10月11日 20時02分17秒 | 評論・評伝
 
 
 
面白かつた。潜水艦とはどういふ船なのかの説明を台詞に織り交ぜながら、話を展開していくのは上手いと思つた。これ以上「説明」が長くなれば話が途切れてしまひさうだが、そのギリギリのところを絶妙に攻めてゐて、なるほどと思ひながら話の理解を深めてくれた。
 原作にはない話の挿入は、主人公の艦長(大沢たかお)とその下で副長をしてゐた別の艦の艦長(玉木宏)の対立を描くには必要不可欠なのだらう。ただ、独立国やまととしての活躍を描く時間が削がれてしまつたやうにも思ふ。これは少なくとも全3話の第1話といふ印象が強い。原作を換骨奪胎して2時間強で描いた手腕は素晴らしいと思ふが、やまとに翻弄される日本政府とそれと対抗する野党の戦ひが、いかにコップの中の争ひであるか。あるいはアメリカとやまととの駆け引きがリアルな国際情勢の戯画としていかに優れたものであるのかを、実写で期待してゐたものとしては物足りなく思へた。今回のところまででは、日本国総理は余りにも気の毒である。

 どうか2作目3作目をと思ふしだい。そのためには興行成績を上げてほしい。

 皆さん、観に出掛けてください。


 
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「本ってどこで買えるのですか」

2023年10月01日 11時29分49秒 | 評論・評伝
 ついにここまで来たか。そんなことを感じた。
 新潮社のPR雑誌『波』の2023年10月号に掲載された群ようこによる、沢木耕太郎『夢ノ町本通り ブック・エッセイ』の書評の一節である。
 ある記者が、高校生を取材をしてゐた折に、一人の男子高校生がした質問だと言ふ。
 本屋といふ存在を知らない、とはにはかには信じがたいが、まんざら嘘でもあるまいから、極めて特殊な例とは言へ、ついにさういふところまで来たのであらう。街の本屋は消え、ショッピングセンターの本屋は雑誌や漫画や売れ筋の文庫や新刊本のみ。専門書を扱ふのは、人口30万人以上の中核都市にあるかないかであらう。
 スマホのみを情報源とする「一人の男子高校生」には、本とは教科書や副教材や学校の図書館にある物、といふ認識なのだらう。
 私は別に憂いてはゐない。文化の格差もまた後期近代には訪れる現象なのである。一所懸命、経済的・政治的・文化的な平準化を目指してきた近代が壊れていく。そしてそれを多様性といふ美名で肯定する。それが近代の宿命であり、再帰性であるからだ。
 しかし、私は本屋で本を買ひ、懸命に働き、社会課題を見つけて改善を目指す「一人の男子高校生」を育てていきたい。
 近代を壊すのが近代だとすれば、それを修繕していくのも近代の恩恵を受けたものの使命だと思ふからである。

 
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