母親の孤独には一切立ち入る意識も技量もないのは、この小説の不満なところであるが、若い小説家の見た「現実」は素直に表現されてゐる。介護社会のこれはとても貴重な一面である。私もさういふ状況にあるので、それはとてもよく分かるが、小説にするならもつと違ふ扱ひもあるだらうにと思つたが、かういふ軽いタッチで描いた「現実」が今の現実でもあるのだらうと少しづつ感じ始めてゐる。
昨年の今頃は有吉佐和子の『恍惚の人』を讀んでゐたので、その差を感じたが、両作を比較することが両者に対して非礼であるといふのが今の感想である。
かういふところで、二十代の若者は生き、話し、思考してゐるのであるか、そんなことを考へた。
この作者が病院でとらへた患者である老婆と看護師との会話である。
老婆が大声でわめく。(中略)
「殺してくれっ!」
「もう少し待っててねぇ」
「はぁい」
「声も大きいのは肺や横隔膜周りの筋肉もしっかりしている証拠」と記すのも、主人公が筋肉通(痛ではない)であるゆゑだ。この場面を讀んで私は思はず笑つてしまつたが、介護といふ言葉の持つイメージと「現実」との乖離をユーモアでとらへたこの作者の力はさすがだと感じた。
この作品は、私の待つてゐる文學とは別の物であるが、讀んで良かつたと思つた。