言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

LOOP と LOOPY

2010年06月30日 17時52分34秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、西部邁氏が、鳩山首相のことをニューヨークタイムズ紙が「LOOPY」と呼んでゐることを取り上げて、語源は「LOOP」と同じと言つてゐた。「LOOP」とは、ループ橋などのように円形のことなのださうだが、思考が堂堂巡りになつてゐることを指して、「LOOPY」と言ふのではないかと考察してゐた。

 某芸人が以前「クルクルパー」といふ言葉を使つてゐたが、それは案外うまいことを言つてゐたといふことになるらしい。

 外国の首相に「LOOPY」と名附けるのもどうかしてゐるが、それを批判しないで語源遊びをするといふのもどうかしてゐる。私は、鳩山氏をまつたく評価しないが、それは「LOOPY」であるからではなく、そもそも資格を欠いてゐる人物であるからである。菅直人氏が果たして的確であるかどうか、それも心許ない。機を見るに敏であるのはよく分かるが、時を知り果敢に断行する見識を持つてはゐまい。それが証拠に、もう消費税の議論が後退してゐる。唐突に言つたのは、機を狙つてゐただけで、時を知つてゐたわけではなかつた。

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時事評論石川――6月號

2010年06月23日 22時11分40秒 | 告知

○時事評論石川の6月号の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。

 何と言つても、今月號の一押しは、吉田好克先生の文章である。言葉の輕視は道徳的犯罪とはまつたくその通りである。言葉が、自己辯護や自己保身の道具と化し、ばれなければ何をしてもいいといふ倫理的墮落を隱蔽するために使はれるとすれば、それはまさに人間であることを放棄した行ひである。人間の顏をした惡魔である。知識のお化けが跋扈してゐる平成の御世である。

廣がり續ける『中國の海』

    ―「安全保障」と「防衞」戰略なき日本の周圍―

             平成國際大學教授 淺野和生

哲學は何の役に立つのか

      ―言葉の輕視は道徳的犯罪であり墮落である―                                    

                           宮崎大學准教授  吉田好克

『東京裁判審理要目』を刊行して

      ―「あの戰爭とは何だつたのか」を納得したくて―                                    

                           前くらしき作陽大學教授 松元直歳

教育隨想       

上海萬博の日本館

―國旗掲揚問題は終はつてゐない―       (勝)

奔流            

菅新體制に驚異的支持

  ―小鳩ダブル辭任にだまされる愚―

              拓殖大學大學院教授 花岡信昭

コラム

        「中國中心の國際秩序」に耐へられるのか  (菊)

        冤罪と正義觀と報道 (柴田裕三)

          何も變はつてゐないのに(星)

        鳩山首相は退陣したが(蝶)            

  問ひ合せ

電話076-264-1119    ファックス  076-231-7009

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石舞臺古墳を訪ねて

2010年06月21日 10時27分49秒 | 日記・エッセイ・コラム

   昨日の日曜日、天理に行く用事があつたので、少し足を伸ばして明日香村に行つてきた。曇天で時時雨の降る一日ではあつたが、自動車での移動はすこぶる快適で懷かしい時間を過ごすことができた。

   

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 懷かしいといふのは、古代のロマンを思つてといふほどのものではない。私の大學の指導教官は古代史が御專門で、ちゃうどこの石舞臺古墳に埋葬されたであらう蘇我馬子が活躍した時代を熱心に教へてくださつた。大化改新は後世の作り事で、クーデターはあつたものの特にあの「改新の詔」は大寶律令を作る段になつてその原型として作られたものであるといふことを強く主張されてゐた。門脇禎二、井上光貞など歴史の大家の論文もずゐぶん讀んだ。が、それで懷かしいといふのではない。はつきりと言へば、私はあまり眞面目な歴史學徒ではなかつた。かういふと謙遜と思はれるかもしれないが、事情があつて授業以外には大學にゐることがなかつたし(授業も皆勤といふのでもない)、研究室での同級生や先輩との附合ひも必要最低限にせざるをえなかつた。何より、歴史といふものに興味を失ひつつあつた。續日本紀や令義解の購讀は豫習をしていかねばならなかつたが、あれで良かつたのかと思はれるほど不十分であつた。私の番が何度か廻つて來て解釋をしたが、そのことについては怒られた記憶がない。恩師とは今も手紙のやり取りをしてゐるが、歴史のことは話題に上らない。唯物史觀ばりばりの先生で、退官後故郷の市長選に市民派として出馬されたぐらゐだから、私とは思想的にはまつたく合はない。が、いつも眞劍でカンシャクモチだからすぐに怒られるが、好きなタイプの先生であつた。ある冬の日に、研究室に入るときコートを着たまま入つたら、「コートを着たまま、部屋に入るバカがあるか」と一喝された。常識を何も知らない二十一歳の私は、憮然としてコートを脱ぐしかなかつた。今となれば、かういふ大學教授は珍しいだらう。それから、卒論の口頭試問のときには、當時は原稿用紙に手書きで書いたのだが、私の書いた論文で「芥川龍之介」が「芥川襲之介」になつてゐたやうで、それを笑ひながら指摘された。そして最後に君の文章は論文といふよりエッセイで、近代史をやる連中には多く見られるものだが、リアリティがあつて良い、と言はれた。評價は「優」ではなかつたと思ふが、嬉しかつた。テーマは、内村鑑三であつた。下宿では内村鑑三と聖書とを自己流で讀んでゐた。

  閑話休題。「懷かしい」から大學時代の話になつてしまつた。

  石舞臺古墳に出かけたのは三度目である。一度目は、私自身が中學三年生のときである。飛鳥寺や龜石などあの邊りを一日中散策した。今から三十年ほど前である。二度目は、今から十年ほど前、九州にゐた頃、中學生の修學旅行の引率で行つたときである。早朝、フェリーが大阪南港に着き、そのままバスに乘込んで最初の目的地がこの石舞臺古墳であつた。どの觀光客よりも早く到着した中學生の一群は、受付の人から見たら、なんと熱心な學生さんだらうと思はれたに違ひないが、何のことはない。眠氣眼で仕方なくバスから降ろされた少年少女たちである。「見たことある」と大きな聲で(感動なのか)叫んだ生徒がゐたが、寫眞を撮つてぐるりと一周したら興味は盡きて、足早にバスに歸つていく、そんな生徒たちであつた。次は法隆寺、そして藥師寺だつた。それも懷かしい思ひ出である。

   今囘車で出かけたが、ずゐぶん山の奧の方にあるのだなといふのが感想である。當時の日本の中心がこの邊りにあつたのかと思ふと、不思議な思ひにかられる。當り前のことであるが、一度都でなくなつた場所は二度と都にはならない。この飛鳥の里は6世紀後半の時代の遺物であるが、今は農村である。今囘抱いた懷かしいといふ感情は、古代都市への郷愁なのか、農村への郷愁なのか峻別するのが難しいものであつた。

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家族が壊れてゐる

2010年06月19日 07時55分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 いろいろな場面で私自身が育つた頃の「常識」が通用しないことを感じる。エジプトの遺跡からも「今の若い者は・・・・・・」といふ愚痴めいた言葉が発見されたといふ嘘か本当か分からない話を聞いたことがあるが、さういふ種類の「危惧」であるならばいいのだが、どうもさうではないやうに思ふ。

 あるいは、これは地域性によるのであらうか。東京、宮崎、大阪と場所を移して教育に従事したが、その状況があまりに違つてゐる。

バラバラ殺人の文明論 バラバラ殺人の文明論
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2008-12-20

「家ではできないので、学校でお願ひします」と言ふことをよく聞くやうになつた。果たして学校で躾、学習意欲、などの涵養が可能だらうか。

 佐藤健志の『バラバラ殺人の文明論』を読んでゐる。2006年12月30日に起きた、東京の歯科医師一家で起きた、兄の妹に対する殺人事件を文明論的に論じたものであるが、少々、結論とそれを導くために俎上にあげた内容(上記の殺人事件)とがバランスを欠いてゐるやうにも思ふが、いかにも「家族が壊れてゐる」時代であるとは思ふ。

 もちろんこれは他人事ではない。どうすればいいのか。心理学のアプローチは、個人にしかない。政治の解決策からは、どこにもあてはまらない「家族」しか見えない。教育は、その基盤を失つてゐる。歴史や言葉の復権は、保守思想家の主張するところであるが、それは可能だらうか。言葉遣ひを正すことからしか始まらないと言へば、何をトンチンカンなことをと思はれるかもしれない、が、それしかないだらう。もちろん、それがすべてではない。家庭を救ふ手だてにはなりやうがない。

 どうすればいいのか。家族は儒教によつてしか救はれないか。道徳次元を超えた儒教の宗教性に手がかりがあるのか。分からない。分からない。分からない。

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「否定の精神」と「肯定の感情」

2010年06月16日 09時51分29秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今出てゐる麗澤大学出版会版の『福田恆存評論集』の最新巻に、全集では収録されなかつた「否定の精神」が載つてゐる。たまに古本屋の目録には載つてゐたし、今はインターネットで古書が手に入りやすくなつたから、コアな福田恆存の読者なら、すでに読んではゐただらうが、かういふ形で廉価なスタイルの出版がなされることは慶賀すべきことである。

 私も改めて読み返してゐる。ほとんど忘れてしまつてゐて新鮮だが、今回はなぜ全集に載せなかつたのかといふことを考へながら読んでしまつてゐる。感想がなにかあれば、書かうと思ふ。

 昨日は、勤務校で人権担当をしてゐる関係で新任の教師の引率で人権研修を受けにいつた。「人権とは人が幸福になるといふことである」といふテーマで、同和教育の弊害にまで突つ込んだ結構刺戟的な内容であつたが、やはり「自己肯定感が大事」といふことは同じであつた。もちろん、否定の精神と自己肯定感とは次元の違ふ話であらうが、この自己肯定感といふ言葉のニュアンスがどうも好きになれない。否定すべきものは否定し、肯定すべきものは肯定するといふ両義的な自己理解を示すには、何か別の言葉を用意すべきであらう。

  個といふものが気分の造型でしかないとしたら、自己肯定感といふものでもなんでもいい、ただし、それなら近代社会はつくらないといふ断念を明言しなければならない。しかし、近代社会を築いていかう、いやもう既に十二分に近代社会ではないかと言ふのであれば、個は精神の自律を前提にすべきである。その時には、自己肯定感などといふ腑抜けた自己確立など自ら拒否し、「自己否定に基づく自己肯定こそ求めるのだ」と潔く自覚すべきである。

 好き勝手にしてゐて、自己肯定感はないだらう。もちろん、身体的虐待やネグレクトなどによる被害については対処が必要だ。しかし、人間関係全体を見回して自己肯定感といふのには疑問がある。近代といふ時代をいい加減にしてゐるつけは、きつともつと大きい形で回つて来てゐるはずである。

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