今年一年を振り返つて昨日は個人的なことを書いたが、今日は大きな構へで書いてみる。
今年はなんと言つてもコロナ禍の一年であつた。欧米と比べればあまりの罹患者の少なさにも関はらず、その上を下への大騒ぎは極めて「日本的」で、それが印象に残る。あのアベノマスクはその象徴だらう。安倍総理だけがそれをしてゐた風景と記者会見でのあの不細工な姿とは、そのまま世界の中の日本の絵であり、日本人のありのままの鏡像である。
その連想で言へば、志村けんや岡江久美子は大東亜戦争の末期に海に散つた特攻の戦士の姿と重なる。もちろん、彼らの意思によるものではないが、その命の散り方には凡百の平民である私たちにはない覚悟のやうなものを感じる。死して警告を発する姿なのである。
かつて松原正先生が岸信介から聞いた話としてよく話されてゐたのが、「戦後の政治家はペンに弱くなつた」といふことである。「大衆に寄り添ふ」といふことを民主主義時代の政治家の理想像のやうに思ふ政治家が増えれば、それはさういふことにならう。なぜなら、ペンは大衆の武器だからである。
与野党を越えて、今日の政治家は大衆の声を代表する存在になつた。もちろん、これは皮肉である。大衆が正しくなければ、政治もまた不正になる。民主主義の定義である。もしそれが嫌だと言ふのであれば主権者たる国民が正しくなるにしくはない。国民主権を選んだ上で国民自身に浄化の仕組みがないならば、主権を相対化する権利を誰かに譲渡する必要がある。なぜそんな当たり前のことが分からないのか。ジョン・アクトン卿の言葉として頭では「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」といふことを知つてゐても、主権者である国民が「腐敗する」とは金輪際思はない。滑稽である。腐敗する国民を誰が質すのか。それが政治家の役割である。しかし、「大衆に寄り添ふ」政治家にそれは果たせない。つまり、「寄り添ふ」とは「迎合する」といふことであり、「次の選挙もよろしくね」といふゴマすりでしかない。さうなれば、民主主義は腐敗するのは当たり前である。
今年は、さういふ一連の経過を早送りで見せられたやうな感じがする。しかも、この船からは降りられない。漂流してゐるのを見続けるしかないのである。私もまた漂流してゐる当人である。
かういふ時代は、きつと今始まつたことではないのだらう。今年は、三島が自裁して50年である。彼の心境も同じであつた。そして、「言葉は空しい」と晩年もらした福田恆存もまたさうである。三島ほどに憂色は濃くはないが、絶望してゐた。日本人の語る言葉がどんどん弱くなつてゐる。明るくて軽い、その場だけに通用する、心地よい言葉が好まれる。暗くて重い、時代を超えた胸に突き刺さる言葉は嫌はれるのだ。さういふ言葉が、力のある言葉であることを忘れてしまつたかのやうにである。
文学の文章もまた同じである。文学の言葉には力がなくてはならない。今年の小説のベストセラーは凪良ゆう『流浪の月』であるといふ。果たしてこの作品を読んだ人がどれぐらゐゐるだらうか。本屋大賞受賞作品といふことなので、書店員が選んだ本として大衆の好む面白い本なのだらう。本の紹介には「せっかくの善意をわたしは捨てていく。そんなものでは、わたしはかけらも救われない。愛ではない。けれどそばにいたい。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説」とある。それで、この作品が50年後読まれるだらうか。いや5年後に読まれてゐるだらうか。言葉の力が弱いとはさういふことである。「私は淋しい人間です」と『こころ』に漱石が記したのは1914年、100年以上前である。今日の小説家がそれと同じ感慨を記すには深い精神の構へがなければなるまい。果たしてそれがあるのだらうか。言葉の力が弱くなつてゐる。このことはむしろ文学にこそ言へる。だから、私はある文藝評論家がひたすら安倍晋三を持ち上げてゐることを訝る。その営みは文学のものか。言葉を道具として使つてゐないか。彼もまた、相手を攻撃する力にばかり傾注し、その言葉に力がないことに気づいてゐない。曲がつた矢は相手に届かないのである。
政治家にも文学者にも、そして教育者にもその発する言葉に力がない。それを嫌といふほど感じた。議事堂に書籍に、そして教場に力のこもらない言葉がふわふわと浮いてゐる。それが私たちの國の現状である。さうであれば、自己の責任未完遂を責める以上には、他者のそれを責めてはならない、さういふところから始めるしかないのではないか。正しさを他者に向けて発するのではなく、自分に向けて発する。そして、その声の響く先には理想がなければならない。その理想の響きさへあれば言葉に力がこもるはずである。「国民に寄り添ふ、読者に寄り添ふ、生徒に寄り添ふ」と言つて自己保身に汲々とする人の声(言葉)には響きがない。共鳴のない劇場には感動がない。