言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『ヘンリ・ライクロフトの私記』

2013年06月14日 09時56分12秒 | 日記・エッセイ・コラム

ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫) ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫)
価格:¥ 756(税込)
発売日:1951-01

 南イングランドの片田舎に隠棲して一人古典と田園の世界に心豊かに生きる人物「ヘンリ・ライクロフト」の私記に仮託して書かれたギッシング(1857~1903)の作品である。

 その「春 二一」にかうある。全文である。

          今日は庭のまはり一帯に、鳥がさえずつてゐる。あたりの空いつぱい鳥の鳴き声でみたされてゐると形容したところで、ときとして意気高らかな斉唱となり、奔放な協和音となつて点に響く、あの絶え間ないさまざまなさえずり声の模様を正しく伝へることはできない。狂つたやうな喜びのあまり喉も張りさけんばかりにさえずり、ほかの鳥を歌ひ負かさうとしてゐる小柄の鳴鳥も一羽ゐるらしいのがときをり耳につく。地上の生ける者のうち、他のいかなる者の声も心も発することのできないやうな賛美のコーラスなのだ。私は聞いてゐるうちに、崇高な恍惚状態に襲はれるのである。私の存在は激しい喜びの情感に浸つて溶けてゆく。なんとも表現できない深いありがたい感じに私の目はうるんでゆく。

 やうやく取り戻した日常の豊かさにまさに恍惚としてゐる気分が時代と場所を越えて伝はつてくる。少々過剰にも感じるこの喜びの表現に、この主人公の心がかなり傷ついてゐることを感じ取るのはさして難しくないだらう。それはもちろん、ギッシングその人のものでもあるはずだ。事実、ギッシングは不幸な人生を生きた。

 しかし、次のやうな健全な精神を持ちあはせてゐるのを見ると、健全であるためには時に鳥のさえずりを聴きながら精神の安らぎを得る時間が必要なのかもしれない。社会はそれほどに不健全である、ことなのか。同じく「春」の十九である。

          もしイギリスが危地におひこまれたならば、イギリス人は必ず起つて戦ふであらう。そのやうな危急存亡の秋、他に選ぶべき手段はないからである。だがさし迫つた危険もないのに、国民皆兵の呪詛にわが国民が屈するとすれば、暗澹たる変化がわが国民の上にもたらされることは必至とみなければならないのだ。たとへ不謹慎のそしりを招いても、わが国民があくまでその人格の自由を守るであらうことを私は信じたい。

 
 この言葉を、今の私たちの世風の上に浮かべてみると果たしてどう解釈されるであらうか。右傾化する日本への警告と解釈する人もゐるだらう。「国のために戦ふ」など、なんと時代錯誤かと言はれるに違ひない。もちろん、私はさうは考へない。しかしながら、人格の自由を求める気概や努力もないままに、世論に耳をそばだててゐる憲法改正論者にも違和感がある。「個性の喪失は私には全くの恥辱と思へた」と書くヘンリ・ライクロフトであるが、私たちには、喪失することによつてそれが恥辱と感じるほどの個性があるだらうか、その欠落こそが問題なのである。

 

 

 

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江藤淳はこのまま消えるのか。

2013年06月09日 23時12分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

小谷野敦さんのブログ(猫を償うに猫をもってせよ)を讀んでゐたら、結構衝撃的な話が書かれてゐた。江藤淳がソ聯のスパイだつたといふのである。詳しくは、引用した文章を讀んでほしい。<o:p></o:p>

 

 それにしても江藤淳といふ人は、亡くなつて十四年經つが、全集が出るといふ話も聞かない。弟子の福田和也氏がわづかにちくま學藝文庫だつたか、コレクションを4册ほど出してゐるばかりである。文壇に睨みをきかし、政治家にも一定の發言權を有してゐたあの人にして、かうも奇麗に忘れさられてゐるのは不思議ではあるが、かういふ説があるとは思はなかつた。さて、眞相はどうだらうか。小谷野さんは評傳を書くおつもりだらうか。<o:p></o:p>

 

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(以下引用)<o:p></o:p>

 

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岳父・三浦直彦の「関東州局長」という元職を江藤が書いたのは、一九七五年十一月の『國文學 解釈と教材の研究』の夏目漱石・江藤淳特集における自筆年譜においてであろう。こういう、妻の父を自慢するような記述に不快感を漏らす者はいたが、いったい、そのような地位にいて、ソ連に抑留もされず、漢奸として処刑もされなかったのはどういうことか、考えた者はいたろうが、書いた者はほとんどない。<o:p></o:p>

 

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 江藤はのち、『昭和の文人』(八五年から『新潮』に断続掲載)で、平野謙が自身の父親の仕事を隠していたと、異様な執拗さで批判することになる。一方で江藤は、『一族再会』で、祖父たちを顕彰し、母について語るのだが、父について、また岳父について、ほとんど論及しなかった。そして私はずっとこの「関東州長官」について考えてきたのである。<o:p></o:p>

 

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 江藤が、これまた執拗に、占領軍の検閲を調べ、また憲法に疑念を呈し始めるのは、七八年以降のことである。一般的に、江藤はこれを、戦時中の検閲よりも占領軍の検閲のほうがひどかったと主張するためにやっていたと解されている。だが私には、江藤が「ソ連」から目を逸らすため、つまり岳父がスパイであった国に触れることを避けるために、過剰防衛的に米国を攻撃したもののように感じられてならないのである。<o:p></o:p>

 

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 確かに江藤は、八四年の、中野孝次らの「反核アピール」を、柄谷行人、吉本隆明らとともに、「ソ連の紐つき」だとして批判したし、日本ペンクラブでの反核声明にも理事として反対している。<o:p></o:p>

 

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 そのくせ、江藤は米国を攻撃し続けた。占領軍の検閲の研究のあとも、『日米戦争は終わっていない』(一九八六)を刊行している。石原慎太郎らの『「NO」といえる日本』(一九八九)もあったが、石原の場合は、改憲してソ連‐ロシヤ、中共、北朝鮮の脅威に備えるということが大前提としてあった。西部邁の反米は、あたかも安保闘争の闘士であった過去の感情を引きずっているおもむきがある。<o:p></o:p>

 

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 仮に、江藤をソ連‐ロシヤのスパイとして考えてみると、不思議なことに平仄は合うのであって、保守派のふりをしつつ、ひたすら国内に反米感情をあおろうとしているというかたちである。むしろ親米保守とも言うべき、山崎正和、中嶋嶺雄らに突如として攻撃をしかけたのも、そのためではないか。<o:p></o:p>

 

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良心といふもの

2013年06月08日 10時21分48秒 | 日記・エッセイ・コラム

 時代が激しく動いてゐる。何も景気の動向の話をしてゐるのではない。親と子との世代の考へ方が違ふばかりでなく、同じ年代の人であつても、「生き方」において、「ああ、さういふ生き方もありますね」で済まされてしまふほど「価値の多様化」といふ何ともふざけた言葉が流通してゐるのである。あるいは、本を一つ子供に与へようにも、「そんなものは今の子供は讀みませんよ」と言はれてしまふ。これまた不見識で、讀むべき本を教へることから逃避したオタメゴカシが蔓延してゐる。

 さういふ訳知り顔の言説が、いよいよ時代を分からなくし、生き方を失はせてしまつてゐる。かつて山崎正和は、かういふ時代を「透明な停滞」と言つたが、それほどに先が見えてゐるだらうか。やはり「不透明な頽廃」と言つた方がよかつたのではないか、さう思ふ。

  そんな中で、私たちの生き方の手掛かりは何か。やはり良心以外にないと思ふ。

「純粋なる個人的自己が強烈な意識を以て感じ取つてゐる『自己を超えたもの』とは、良心であり、歴史、及び自然との源泉との繫りである。」

  福田恆存が清水幾太郎を批判して書いた文章からの引用であるが、そのことに引き付けて言へば、今世の中が清水幾太郎化してゐるといふことである(「清水幾太郎」とは何者かや福田恆存が何を批判したのかが分からないと分からないと思ふが)。

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