言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「早稻田文學」 第7號出來

2006年11月29日 20時26分46秒 | 告知

「早稻田文學」の最新號が出た。早いもので、もう7號である。

●川上未映子「感じる專門家 採用試驗」   編輯長も、そして私の知己の編輯者も、今號第一の作品と推すものであるが、どうでせうか。私には讀めませんでした。途中で投げてしまひました。小説の好き嫌ひははつきりしてゐるので、私ははつきり言つて○○です。S君御免。 せめて言葉をきれいに書いてほしい。文法的にといふことではなく、誠實な文章を讀みたい。

●今囘の「わせぶん」で一番面白かつたのは、重松清と坪内祐三の對談。これは拔群に面白かつた。中に次のやうな言葉があつた。小説において大事なことは、かういふことだらう。

「重松    情報が淘汰されたあと、雑誌に残るもの、残しておかなきゃならないものはなんでしょう?」

「坪内    『感情』じゃないかなって気がする。『感情』というと、すぐ『感動』に置き換えられちゃうけれど、『感動』は情報の一種だと思うんだ。単純だから。そうじゃない、『ざわつき』みたいなものが『感情』なんだよ。(中略)昔の村上春樹も、世間がイメージするような『爽やか小説』じゃなくて、なんかちょっと変な感情が刺戟されるモノだった・・・・・・ああいうのは、活字でしか味わえない世界なんだと思うな。」

 川上未映子といふ作家を私は知らない。ある種の人は、この作家の小説に「ざわつき」を感じるのかも知れないが、私には「退屈」としか感じられなかつた。それは村上春樹にたいしても同じことであらう。さういふ言を、私は何人もの批評家から聞いたし、松本道介さんは自著にも書いてゐる(『素朴なる疑問』所収、「『海辺のカフカ』に頭をかしげる」。これはじつに面白い評論でした)。

 したがつて、坪内祐三の評言は、もつと敷衍して説明しないと不十分ではあるけれども、確かに自分の「感情」が動いたものはいい小説といふ印象は、主觀的には正しいと思ふ。

●現代作家が選ぶ世界の名作 第7囘 星野智幸選  『ドン・キホーテ』  面白いやうです。

●齋藤美奈子「舊作異聞   7」 今囘は、永井荷風の『すみだ川』である。なんだか今囘ははつたりもなく、きはめて全うな紹介文になつてゐるので、かへつて拍子拔け。美奈子さんは、もつと「いいかげん」が面白いのにな。それにしても、どうして『墨東奇譚』ではないのでせうか。

  等等

編輯・發行  早稻田文學會  03-3200-7960    wbinfo@bungaku.net

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言葉の救はれ――宿命の國語120

2006年11月26日 12時02分56秒 | 福田恆存

  いつたいに「文明」とは廣い範圍に流通し、後にはどこが發祥地であつたのか、どこが中心地であるかといふことが分からなくなり問はれることすらなくなる性質をもつてゐる。文明とはしたがつて技術のことであると言ふこともできる。

たとへば、韓國において日本の樣々なアニメーションは、韓國で生まれたものだと人々には考へられてゐると韓國でアニメーションの仕事をしてゐる友人に聞いたことがあるし、我々日本人が浦安のディズニーランドに行くときに、そこがアメリカ出自の技術の移転先であるといふことを念頭に置きながら、スペースマウンテンやらジャングルクルーズやらに乘つて遊んでゐる者もゐないだらう。

もつと視野をひろげて考へてみれば、背廣や自動車や電力や學校制度といつたものは、どこで誕生したのかといふことは、クイズ番組のなかでは問題とされても、人々の日常生活のなかで意識にのぼることはありえない。それほどに馴染んでゐるからである。それが文明といふものである。

  これにたいして「文化(culture)」は、今さら言ふまでもないことであるが、土地を耕す、才能を養ふ、精神を陶冶するといふ意味の「cultivate」の派生語であり、自然に何らかの能動的な行爲を施すことを意味してゐる。もちろん、ここで言ふ「自然」とは抽象的な存在ではなく、故郷であり、風土であり、具體的な土地に結びついてあるものであり、さうであれば、「文化」とは「具體的な場所」を離れてはありえない性質を持つてゐると考へて良いだらう。

 卑近な例で言へば、靴をぬぐとき、つまさきの方を外に向けて家に入るのは、私たち日本人であり、逆に内に向けて家に入るのは、韓國人である。韓國で、日本人のやうにつまさきを外側に向ければ、「早く歸れ」といふ意味になつてしまふと聞いた。歸るときに履きやすいやうに置くといふことは、早く歸れといふ意味になると彼らは考へるからである。ところが、つまさきを内に向けるといふことに私たち日本人は、格別の理由はないけれどもなにやら異樣な印象を受ける。靴を整理してゐるといふ感じはなく、むしろぬぎつぱなしといふ印象を感じてしまふのである。

 靴のぬぎ方ひとつをとつても、その土地によつて作法がある。それが文化である。敬語といふ待遇表現でも親に尊敬語を私たちは使はない。しかし、韓國語では使はなければならない。立てひざをついて食事をすれば、私たちにはマナー違反と映るが、韓國では女性の正式な座り方である。ことほどさやうに同じ言動であつても國が違へば失禮にあたるといふことさへあるのだ。

  では、漢字といふものは、文化に屬するものか文明に屬するものであらうか。支配的な力をもち、廣大な面積を統一することのできたといふ意味で、文明(技術)であらう。

しかし、それは始皇帝が支配した秦の時代を祖とする中國古代や、大和朝廷が漢字を基に萬葉集を編纂した日本の古代においては權力的な「文明」ではあつても、いつまでもそれが絶對的な權威として力を有し、中國と日本との關係が支配・被支配の關係であると考へるのは、間違つてゐる。

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言葉の救はれ――宿命の國語119

2006年11月24日 21時28分41秒 | 福田恆存

川端康成の『雪國』の冒頭にある「夜の底が白くなつた」はまぎれもなく文體であつて、「夜が底の白くなつた」は文體はおろかもはや言葉ですらない。「が」と「の」といふ「語彙」の選擇は、文體がもたらすのではなく、文法がもたらすものである。

文法に從ひながら、そのなかで個人の趣向や言語感覺がかもしだすのが文體である。どこかの外國人が話すやうな「夜底白い」で意味が通じるのだから、「の」や「が」といふ助詞は重要ではないと石川氏が言ふのは言ひがかりである。それでも、この助詞の使ひ分け(つまり文法)が「二義的」なものであるといふのならば、もう少し精緻で説得力のある檢討が必要である。

斷言は、明確な根據がなければ單なる啖呵を切つてゐるに過ぎない(もちろん、私は文法といふものが演繹的にアプリオリに存在してゐるなどといふことを言つてゐるのではない。言葉の誕生つまり音聲と意味との聯合が少しづつ「言葉」を作り出していく過程のなかで、文法が生まれたのであり、そしてまたその文法が新たな言葉を作り出していくといふ相互作用を認めてゐるものである。ししかしながら、時代が下るにしたがつて、文法と言葉との關係は少しづつ變化し、前者が後者を壓倒する傾向が強まつてゐると言ひたいのである)。

  石川氏は、東アジアを書字中心言語地帶として位置付け(『二重言語』五二頁)、ヨーロッパの音聲中心言語の文化と對比する。このこと自體には何の問題も見出せないが、石川氏の念頭にある文字は、いつでも「漢字」である。より正確に言へば、秦始皇帝による文字のことである。それ以前は「象徴記号的古代宗教文字」(同書五一頁)であり、始皇帝による「政治的字画文字」こそ「書字中心言語地帯」として「東アジアの歴史と文化を形成しつづけ」たと見る。

たしかに現在、古代宗教文字はすべて滅び、いはゆる「漢字」が東アジアの文明を基礎づけてゐるやうに見える。しかし、先に津田の言でも触れたやうに、アジアは一つではない。漢字以前にそれぞれの文化を持ち、私たちの日本においても、漢字によつて記録は生まれたが、漢字によつて日本文化が生まれたといふ勇気ある結論は、石川九楊氏以外には見當らない。

それどころか、漢字と言つても、現支那で使用してゐるのは簡體字であるし、台灣では繁體字(正漢字)である。韓半島では、ハングル文字が主流であり、國民のほとんどは漢字を書けない。北の方では、あの有名な「主體思想」によつて外來文字である漢字は使用を禁じられてさへゐる。自文化中心主義(エスノセントリズム)の極致があの「主體思想」である。

日本はどうか。常用漢字なるものが流通し、畫數を減らすことを目的として意味のつながりを無視したまつたく異樣な漢字が使はれてゐる。「摸索」の「摸」が「常用漢字」にないから、「模索」にすると言つた類である。漢字の文明どころではない、宛字なのであるから。

  かうしてみると、東アジアの國國の人人同士では、筆談さへもほとんどかなはないといふのが、實態ではないだらうか。假想の「漢字文明圈」である。

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言葉の救はれ――宿命の國語118

2006年11月20日 12時13分50秒 | 福田恆存

また、支那と日本との文字についても、津田左右吉は、次のやうに明確にその差異を述べてゐる。

「全體として日本語から成立つ日本文であれば、支那の文字のもつ役割はさほど重いものではない。日本語化した支那語の如きは、カナで書いてもロオマ字で書いても差支へは無い。だから、支那の文字が日本で或る程度に用ゐられてゐるといふことから、二國は同文であるといふのは、大なる誤である。」

                                『支那思想と日本』一七二頁

文中の「同文」とは、「同じ文字を用ゐるといふこと」と津田は書いてゐる。つまり、日本語の中の漢字は、支那語ではなく、すでに日本語なのであり、漢字があるから日本語は支那の影響下にあるなどと考へる必要はないと言つてゐるのである。

さらに、別の處では、かうも記してゐる。

「東洋といふ呼稱のあてはめられる地域をどれだけのものとするにせよ、文化的意義に於いてはそれが一つの世界として昔から成立つてゐたことが無く、東洋史といふ一つの歴史も存在せず、從つて東洋文化といふ一つの文化があるといふことは、本來、考へられないことである、といふのである。」

                                     同右 一七八頁

 近代化は西洋化である。私たちは背廣を著、スカートを著、靴下をはき、靴をはいてゐる。しかし、私たちは西洋人ではない。英語を學び、大學の入學試驗で國語の科目がなくとも英語の試驗はあるやうな國であるが、私たちは一向に英語が巧くならない。紛れもなく日本語の國である。つまり、日本は西洋ではない。また、日本は支那でもない。かと言つて、東洋などといふ大雑把な理解の範疇に留めても、新しく見えてくるものはないのだ。

その意味で、津田の「支那の文字のもつ役割はさほど重いものではない」といふのは、本當だらう。日本語の文法を見ても、あの國の文法とは全く違ふ。

 石川九楊氏は『二重言語論』で「文字は発声・音韻や文法の構造にまで入り込むのであって、その考察を欠いた言語論は滑稽とさえ言える」(三一頁)と思ひきつた發言をしてゐるが、むしろ、その言の方が「滑稽」ではないだらうか。それは助詞のない支那語の側から、日本語を見た場合の幻想であり、虚像である。現実よりも大きく見えてしまふのがその特徴である。

 そして、同じ頁の中で、「言語にとって重要なのは語彙の質と量と、その語彙を引き出す力であると同時にその語彙を成立せしめる力である文体、つまり語彙と文体であり、文法は二義的なのである」と言ふのは、矛楯ではないだらうか。文體とは文法があつてはじめて成立するものであつて、文體が文法に優先するとなれば、それはもはや言語でなくなつてしまふ。

私は、個性と日本人らしさについて考へるとき、この文體と文法との關係を使ふが、私たちの道徳觀や生活習慣を否定して、自分勝手な振舞ひを「個性」とは言ふまい。醫者は醫者らしくあつた上に個性がある、それならば良い。しかし、目茶苦茶な醫療をして患者を殺してしまふやうではそれを醫者の個性とは言はないのと同じことである。福田恆存は、かうした「個性」を「野性」と言つた。言葉においても同樣である。文法があつて文體がある。

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時事評論石川――11月號

2006年11月17日 22時15分00秒 | 告知

○最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がおありでしたら、御購讀ください。1部200圓です。年間では2000圓です。

今、栗林忠道中將から何を學ぶか

    ――日本人として忘れてはならぬ事柄――

                       早稻田大學教授      留守晴夫

イラク戰爭  もう一つの背景

       世界を搖るがす「石油生産のピーク」

                       評論家                   植田  信

金正日獨裁體制崩壞のシナリオ

        ――核、拉致問題の究極の解決策――

         特定失踪者問題調査會常務理事 杉野正治

コラム

                米株式の調整は必至       (佐中明雄)

                度し難い不潔な新聞       (蝶)

                對インド外交はしたたかに (菊)

                集團の無責任                 (柴田裕三)

問ひ合せ

076-264-1119          ファックス  076-231-7009

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