『解つてたまるか!』の初演は、昭和四十三年である。今から四十年前のことである。それから二年後、昭和四十五年は、大阪で万博が開かれたが、その年に三島由紀夫が自刃した。エリオットの「寺院の殺人」の演出中だつた福田恆存は、その死を新聞社からの電話で知り、そのコメントとして「わからない、わからない、わからない」と答へたといふことになつてゐる。その真意は、よく考へたが「わからない」のではなく、所詮自殺者の気持ちなど「わからない」といふことなのである。正確に言へば、「わかりつこない」である。
この言葉、存外におもしろい。自ら死を選んだライフル魔・村木は「解つてたまるか!」と言ひ、自ら死んでいつた三島由紀夫には「わかりつこない」である。以前『解つてたまるか!』を観たときには、あの自殺がどうにも腑に落ちなかった。なぜ死ななければならないのか、村木のせりふを読み返しては理解しようと試みた。しかし、これは喜劇である。つまりは、自殺といふ事件を、人はどうにか理解しようと試みるが、その試みほど滑稽なことはないと言つてゐるのである。福田恆存は死の意味づけなど決してしようとはしてゐないのだ。三島の死といふ現実の事件に対しても、氏が「わかりつこない」と言つたところにその明確な思考が示されてゐる。自己の理解のうちに、他者を閉じ込める、これほどの誤解はあるまい。
三島は、この芝居を観たであらうか。それを知る術は今のところないが、この辺りは評伝執筆中の金子光彦氏にうかがひたいところだ。もちろん、三島が『解つてたまるか!』を観てゐたとしてもその作品に自死の刺戟をうけたなどといふことはなからう。が、福田恆存が人の死をどう受け取るかといふことは、この昭和四十三年と四十五年の二つの言葉からは知ることができる。さうであれば、孤独に死んだ三島由紀夫の心情を正確にとらへると、「解つてたまるか!」といふことになるだらう。
それにしても、今年は三島由紀夫のことが気になつた一年であつた。
一年の御愛読に感謝いたします。
前田嘉則