言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

献血や薄着になりて風邪をひく

2018年12月31日 10時47分25秒 | 日記

  昨日は前々からの約束で知人に会ふために梅田に出た。雪が降るかもしれないといふ天候で、十分に警戒して行つたが、これも前から行かうと思つてゐた献血の場所でどうやら風邪をひいてしまつたらしい。

  献血前の検診で血圧を測ると「高いですね。深呼吸してもう一度」と言はれた。すると少し下がつたので血液検査をしてもらふ。「十分に濃いので、今日は400CCお願ひします」と順調。直ぐに移動してベッドに横になる。「10分ほどで終はります。」といふことでつまらない関口宏の報道番組を見てゐたら、無事終了。ところが、立つたら足元がおぼつかない。それで、看護師さんに強い調子で直ぐに横になつて!と言はれる。血圧を10分ごとに測る、医者は来る、お茶やらジュースやらは運ばれる。I時間ほど横になつてしまつた。

 知人との約束があつたので、不安ながら出た。「大丈夫です、大丈夫」とは言ひつつも何か寒気がする。寝不足もあるかなと思つたが、献血ぐらゐでこんなことになるとは、とそちらの方が悲しい。看護師さんに家に帰るのは何時ですか。決まりごとでご自宅に電話することになつてゐると言ふ。それで帰宅時間を伝へた。

  知人との面会もさうさうに切り上げて早目に帰宅。しばらく経つて約束の時間に連絡があつた。「お薬だと思つて水分をお取りください」とのこと。この対応に聞いてゐた家内も感動してゐた。献血ルームの方は色々な仕事を抱へてゐるのだなと感じた。

  どうやら風邪をひいてしまつたやうだ。昨日は早めに寝て、今朝は少し寝坊した。熱はなかつたが、久しぶりに長い時間寝た。眠りが浅い最近ではありがたいことでもあつた。外の冷たい風に当たつて年の瀬を過ごしたい気もするが、今日は諦めようか。

  一年の最後の日記がこんなことだとは切ないが、一年の罪滅ぼしとして甘受してゐる。

  皆さま、良いお年をお迎へになつてください。

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西部邁の自死を改めて

2018年12月28日 10時39分08秒 | 評論・評伝

 昨日、たまたま風呂上りにテレビをつけたら、NHKで西部邁の自死についての番組をやつてゐた。偶然とは思へない巡り合はせで、かういふことがあるから人生は不思議だ。まづそんなことが頭をよぎりながら視聴した。

 タイトルは、「事件の涙」である。

 今年の1月20日にそれは起きた。近著でもその予告はされてゐたが、衝撃だつた。家族ならさらにそれは強いものである。振り返るのに一年を要したといふことであるが、それにしてもよくぞ番組制作に協力したなといふ思ひもある。劇場的な死は、その死後にも語られ続けられるといふことなのか。違和感があつた。

 家族は自殺を拒んでゐた。しかし、いくら説得しても「父は聞かなかつた」と言ふ。きちんとお別れが出来なかつたことを悔やむ長女。二週間前に喧嘩別れした長男。いづれも晴れやかな顔ではない。しかし、テレビに出てくるほどには距離を持つてその死を見てゐるやうではあつた。

 最後に、自殺幇助をした人が顔を隠して出てきた。長男と食事をしながら、面接を受けてゐる受験生のやうな畏まつた姿が伝はつてきた。長男とではなく、NHKがきちんとインタビューすべきだと思つた。あれでは初めから両者に上下の格差がある。思想家の死を取り上げるなら、家族の視点だけでは分からないものがあるはずだからである。「事件の涙」は、家族以外の当事者も流してゐる。

 幇助を受けなければ実行できない自死はあるだらう。身体に障碍がある場合などで。しかし、「家族にすぐに見つけてもらふために体をロープで縛りその先を木に括り付けてもらふ」ために第三者が必要である自死とは何だらうか。「自分の最期は自分で決めたい」といふのであれば、別の方法がある。思想家の死はあまりに無惨である。やりきれない思ひを再び感じながらテレビを消した。

 火照つてゐた体が冷えるには丁度よい時間の経過であつたが、すぐに寝ることはできなかつた。

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『常識的で何か問題でも?』

2018年12月27日 18時17分55秒 | 本と雑誌

 内田樹がアエラに連載してゐたものをまとめたものである。

常識的で何か問題でも? 反文学的時代のマインドセット (朝日新書)
内田 樹
朝日新聞出版

 

 一項目、新書にして2頁ほどのものであるので極めて短い。しかし、分量が決められてゐるから余計なことは言はずに結論をストレートに書くから分かりやすい。その分かりやすさは、納得がいくといふことではない。政治的な内容については殊に偏りがひどく、論理的に書いてゐるやうで実は情念の告白だなといふことが多い。けれども、主旨は分かりやすい。

 内田といふ人は、話芸の達人だ。知的なおばさんがしゃべつてゐるやうに(これはセクハラかな)文章がよどみなく流れていく。これは蔑んでゐるのではもちろんない。頭の回転がよいといふことである。読んでためになるといふのではなく、自分の頭で考へることをしてゐる人を身近に感じられる知的刺戟がある。

 面白かつたのは、後書だつた。どうして政治的な見通しを外し続けたのかといふことへの自分の仮説が述べられてゐる。その答へをここで書いてしまふのはルール違反なので、本屋ででも読んでもらひたいが、なぜフランス文学学会が衰退したのかを考へることで、その解答を得ようとしてゐるのは内田樹の面目躍如であつた。

 年末の忙しいなかで、移動の車中で読むにはもつてこいであつた。ぜひお勧めする。

 ただ、内田樹が「常識的」かと言へば、さうではあるまい。彼が常識的であれば、彼の批評はつまらないものであるはずだ。しかし、面白いのであるから、それは非常識なのである。それはちやうど福田恆存が「常識に還れ」と言つたのと同じである。ついでに言へば、河上徹太郎が日本の正統はアウトサイダーの中にあると言つたのとも通じてゐよう。もちろん、そのお二人と内田とが同じ水準にゐるかと言へば、率直に言つて否ではある。しかし、現代の批評界の、底を打つたやうな状況の中で読むべき人の一人であることは間違ひない。

 来年も新著を期待してゐる。

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今年讀んだ本

2018年12月25日 21時42分47秒 | 文學(文学)

 1 『リズムの哲学ノート』山崎正和 中央公論新社

リズムの哲学ノート (単行本)
山崎 正和
中央公論新社

 2 『批評の魂』前田英樹 新潮社

批評の魂
前田 英樹
新潮社

 

 3 『学級の歴史学』柳 治男 講談社

の歴史学 (講談社選書メチエ)
柳 治男
講談社

 

 山崎は、今年文化勲章をもらつた。「この章をいただいたのは国民からで、国民に感謝する」などといふことをどうして言ふのか、授章した嬉しさに動転したのかもしれないが、あまりに不似合ひな言葉に絶句した。日本の現代文学においてほとんど無視され続けた氏の文業であるが、私は氏の労作を愛読し続けてきた。これから新著が出るのかどうかは分からないが、何度でも読み直したいと思ふ。時評については、その主張がどれぐらゐ現実とずれてゐたのかを知ることも再読する意味の一つである。それは揶揄するためではなく、論理的に考へるといふことがじつは真偽とはほとんど関係ないことであるといふことを知ることは、論理性だとか合理性だとかをとかく強調する時代であるが現代は、さういふことの過ちを極めて博学ですぐれて論理的に考へるのに、山崎の作品はとても貴重である。これもまた非難してゐるのではない。さういふ人物は滅多にゐないといふことである。

 2は、少々古めかしい文藝評論である。小林秀雄を論じることは現代の若手の批評家には興味の対象ではない。したがつて、小林を論じることも古めかしいことである。しかし、批評理論だか現代思想だかの影響を受けて、作品そのものの生命を殺して自分の主張を論ふやうな現代の批評の文章は面白くない。有体に言へば、文學ではなくなつてゐるのである。さういふなかにあつて、前田の文章は文學のそれである。讀み進めるのが惜しくなるやうな、とても幸せな時間だつた。またかういふ作品が出てくることを期待してゐる。

 3は、古いものである。今年、学校が壊れていくとはかういふことかといふことを知ることとなり、学校とは何かを考へることが多かつた。そこでたいへん有益であつたのが本書である。教へるためには教師や制度や組織はどうあるべきか、その単純な目標を実現するために学校の有り様は考へられるべきで、さういふところから出発しない施策は理想主義であり、観念論であり、現実無視である。平和主義が戦争を呼び込むやうに、理想主義は現実を破壊する。不快な一年であつた。

 番外。これも古いものである。森鴎外の「木精」である。少年が成長する上でコダマは必要であつたが、自立するにはコダマによつて突き放されなければならない。そのコダマがいつたい何を意味するのか、そのメタファーは明らかではないが、少年は確かに自立した。極めて短い小説であるが、とてもよいものだつた。

木精
森 鴎外
メーカー情報なし

 

 

 

 

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「時事評論石川」平成30年12月号

2018年12月16日 22時19分41秒 | 告知

「時事評論石川」12月号のお知らせ。

 今月号の内容は次の通り。

 今月号では久しぶりに書かせていただいた。内容はゴーン氏逮捕の意味するものである。マスコミは、いつも悪者を特定し、それを懲らしめるやうな報道をし続ける。権力を批判するポーズを表向きはしてゐながら、実は権力に寄り添ふのが日本のジャーナリズムであらう。今回の一件もまつたく何も知らされてゐないうちから、日産の西川社長の記者会見の内容をベースにして「物語」を作りださうとしてゐる。実に「いやな感じ」である。

 ゴーン氏の何が問題だつたのか、今の時点では何も分かてゐない。ならば、報道する側は憶測で悪者らしき者を叩くのではなく、日本の大企業がグローバリズムにどう向き合つてゐるのか、そしてそこに勝算はあるのかこそ論ずべきである。さういふ真つ当なジャーナリズムは今回も見られなかつた。

 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。
 1部200圓、年間では2000圓です。
(いちばん下に、問合はせ先があります。)

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「Ghosn has gone?」 やつちまつた日産

       文藝評論家  前田嘉則

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日本にはボルトンがいない

  人事に現れた日米危機感の落差

      福井県立大学教授  島田洋一


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教育隨想

 「二重権威」より祭祀の存続が優先する(勝)

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日本の西洋哲学研究は徒花(あだばな)か

    レーヴィットの嘆きが聞こえる

     宮崎大学准教授 吉田好克

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「この世が舞台」

 『ヴェローナの貴婦人』 アナトール・フランス

       早稲田大学元教授 留守晴夫

 

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コラム

  外国人材 (紫)

  司法の越権・濫用(石壁)

  思考が単純化してゐる(星)

  自己教育は自己責任である(白刃)

   
            ●

問ひ合せ

電話076-264-1119
ファックス 076-231-7009

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