言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論 最新号

2013年11月27日 08時33分51秒 | 告知

○時事評論の最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)

                 ●

    11月號が発刊された。

 

 一面の歴史通説にたいする論考が面白かつた。「時事評論」的ではなく、読み物としての面白さである。私も一つ目の大学では日本史を専攻してゐたから、学会の状況は(もちろん三十年以上前のことであるが)知つてゐる。私の先生が「大化の改新」批判を言ひ出した方だから、「通説」とそれにたいする異論がどのやうに展開されるのかを見てきた。今般、二十年ぶりに『岩波講座 日本歴史』が新たに出版されることになつたが、新たな知見が発表されるべく、今全国の大学の先生方が最新の史料を使ひ、細心の注意を払つて執筆されてゐるのだと思ふ。私の先生も、ちょうどその頃、東京大学出版から発行されることになつた『講座 日本史』に執筆されてゐて、その原稿をもとにした熱い講義を受けることができた。学会と大学の講義とが直結してゐる雰囲気を味はふことができて、とても興奮した記憶がある。もちろん、その先生は左翼の方であるが、豪快でありながら神経質で、よく怒る方でもあり、理知的てスマートでない分、親しみやすく魅力的であつた。

              ☆        ☆    ☆

歴史の「通説」を如何にして打ち破るか

        国士舘大学特別研究員   山本昌弘

● 

歌枕 松尾芭蕉と小林秀雄

      ㈱寺子屋モデル 講師頭  廣木 寧

教育隨想       

  韓国の歴史教科書騒動 (勝)

何もしなかった保守系議員

『橋本維新』で大阪の教育は良くなったのか

    元大阪府立高校教諭  南木隆治

この世が舞臺

     『太夫格子に立名の男』井原西鶴                              

                            圭書房主宰    留守晴夫

コラム

     朱建栄氏拘束と『中央公論』  (菊)

     自然災害と外敵 (石壁)

     福田恆存を知る人(星)

     資本家憎悪の野蛮(騎士)   

   ●      

  問ひ合せ

電話076-264-1119     ファックス  076-231-7009

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福田恆存の命日

2013年11月20日 18時12分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

 平成六年の今日、福田先生が亡くなられた。夜のテレビで聞いたのか、翌日の新聞で見たのか、覚えてゐない。後日の、青山葬儀場での告別式は、とても厳かなものだつた。

 
 最前列の中央に、亡くなつた小渕恵三が座つてゐた。それで、この政治家は、福田恆存を読むのだなと思つたのが懐かしい。また、その折に御次男の逸氏が挨拶をされたが、病床の最期に「劇団のことについて父と話したことがある」と内容を話さずに語つてゐたことがあつたが、それがこの度の現代演劇協会創立五十周年を機とした解散といふことなのだらうかと今は想像される。

 まもなく先生が亡くなられて二十年が経つ。福田恆存について若手の評論が出てきてはゐるが、文学史の一大事件として、福田恆存誕生以前と以後といふ視点で書かれたものはない。これではいけないのではないか。私はさう思ふ。

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本阿弥光悦と俵谷宗達

2013年11月10日 21時42分06秒 | 日記・エッセイ・コラム

 告知してあつたNHKの番組を見た。

 五十を過ぎて陶芸を始めたといふことにも驚いたが、桃山時代から江戸時代にかけて日本の藝術家の到達点を垣間見るやうな印象があつた。二人の天才が出会ひ、作品に結実するといふ幸福な造形を見て、ありがたく思つた。

 ところで、番組のなかであう陶藝家があの「不二山」を直に見(私たちはガラス越しでしか見られない)、素手で触り(私たちはそんなことはできない)、「これは偶然が造り出したものですが、不二山(あるいは富士山か)としか名付けられない色合ひである」と言つた言葉には納得させられた。その方が名工であるかどうかは私には分からないが、やはり土を直に触り焼き壊してきた人には分かる感慨といふものはあるだらうからである。

 果たしてあの茶碗で茶が飲めるのかどうか、光悦の娘は飲んだのかどうか、それは分からない。茶器は茶器であるべきかもしれないが、そのままにして保存しておきたいといふほどの美を所有してしまつた器が、藝術品として鑑賞されるやうになるといふのも自然であらう。

 そのほか、硯箱も見事であつた。蒔絵に鉛の板を張り、なほかつドーム状に造形するといふ趣向は、時代を超えた才を感じてしまつたのである。五島美術館に行つてみたくなつた。

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国宝 白楽茶碗 銘 「不二山」  本阿弥光悦作

2013年11月02日 21時09分40秒 | 告知

 先日、知人に会ひに長野県の諏訪市に出かけた。その知人から「サンリツ服部美術館」には、日本人の作つた二つの国宝茶碗の内の一つが収蔵されてゐることをうかがひ、急遽出かけることにした。

 その茶碗「銘 不二山」のことが、11月10日(日)朝9時からNHK Eテレで「日曜美術館」が放映される(予定)。 不二山は桃山から江戸にかけ活躍したマルチアーティスト・本阿弥光悦が、雪を頂いた富士山の佇まひと、「二つとない」名碗といふ意味を掛け合はせて自ら命名した茶碗。 開催中の企画展「名物裂を探る」にて、12月20日まで展示中されてゐる。

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【「日曜美術館」 放送時間】

2013年11月10日(日)朝9:00~10:00

2013年11月17日(日)夜8:00~9:00 (再放送)

 以上は、美術館のホームページの記事を改変。

光悦が、嫁に行く娘に贈つた物だと言ふ。箱書きも自筆で書かれてゐる。「二つとないもの」といふ意味の銘には、その自信がうかがへる。

私には、骨董の趣味はないけれども、いいものであると言はれていいなとは感じた。写真とは違ひ、上部はもう少し白つぽいと思ふ。

 

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