言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語285

2008年07月31日 12時34分45秒 | 福田恆存

(承前)

よく知られてゐるやうに、敬語は天皇を中心とした待遇表現から發達したものである。それと同じやうに、言葉の表記の仕方である假名遣ひも宮中の中で使はれ發達したものである。なぜならば、文字を書いたり讀んだりする必要があるのは、多くは皇族貴族あるいは中央・地方の役人にゐないからである。さうであれば、彼らの中心には天皇がゐたのは歴史的事實であり、假名遣ひは敬語と同じく天皇を中心とした人間關係のなかで築かれたと言つて間違ひはないだらう。

もちろん、かうした出自と歴史的假名遣ひの性格とがそのままイコールの關係であるといふのではない。日本といふものが生まれた時から今日まで、言葉を移し出す方法として生み出されて來たのが、この歴史的假名遣ひであり、それをさう簡單に捨てるわけにはいかないといふことを言ひたいのである。また、近代以降の民主化する社會のなかで、假名遣ひの改變といふことが、何度も何度も行はれてきた背景には、この假名遣ひの出自への潛在的な反撥があつたといふことを完全に否定するのも困難だらうと思ふ。もちろん、直ちに假名遣ひの法則と古代の貴族社會との關係を示すことは不可能だ。だが、潛在的にはさういふ氣分もあつたやうに思ふ。特に、戰後社會にあつて、それを指導した米國も、當時の日本國の指導者も、そして何より當時の國民も、あれほどに假名遣ひを蔑ろにしたといふ事實は、傳統への叛逆といふ側面を考慮しなければ理解が出來ない。確かに昭和天皇の御人柄やマッカーサー元帥との逸話によつて、國民の陛下に對する氣持ちは不變であつた。しかしながら、その一方で「象徴」などといふ、きはめて人間蔑視の表現をすることを厭はなかつた國民の意識といふものも、相當に侮蔑的である。この際はつきり書いて置くが、「象徴」とは人間に對して使ふものではない。非禮の極みである。そのことを米國は知つてゐたはずであるし、當時の日本人は故意に忘れた。そして、今の私たちは、その感性を失つてしまつた。

假名遣ひとは、言葉の使ひ方である。たとへ日本國憲法が歴史的假名遣ひで書かれてゐようと(そのことを果たしてどれぐらゐの人が知つてゐるだらうか)、それが不敬に通じてゐれば、言葉の使ひ方として間違つてゐる。假名遣ひを正すことは、言葉遣ひを正すことに通じてゐなければならないし、言葉遣ひの正常化を意識しないで假名遣ひだけを論じても致し方ないのである。だから、私は歴史的假名遣ひで文章を書くが、現憲法を「達意の文章」として評價する作家の丸谷才一氏を評價しない、そのことは以前に書いた。

私たちの近代社會が失つたものを明確にするために、私は假名遣ひを取り上げてきたが、それが單に假名遣ひの次元でとらへられてしまはないやうに、今ここにきて改めてこんなことを附言してゐる。假名遣ひが生まれた時代に歸れなどといふことが言ひたいのではない。假名遣ひを生み出した精神に還れといふことが言ひたいのである。言葉を意識し、一筋の道を見つけようとした、古代の人人の言葉への畏敬の念を取り戻さうと念じてゐるのである。

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言葉の救はれ――宿命の國語284

2008年07月28日 10時52分55秒 | 福田恆存

(承前)

日本國とは何か――かういふ自明とも思へる問ひに答へることは、私たちはあまりなれてゐない。この島國に生まれ育ち、ほぼ單一の文化の中で暮らしてきた私たちには、「あるもの」はおのづから「あるもの」であり、奪はれることも無くなることもないと信じ切つてゐる。したがつて、「日本國とは何か」などといふ問ひを發することが馬鹿げてゐるのであり、この問ひに直ちに答へられる人はゐない。むしろそんなことを考へてゐる人の方が、どうかしてゐると思はれるのである。試みにどうであらうか。あなた自身に問ひ、周りにゐる人に問うてみてはどうだらうか。おそらく嫌な顏をされるだらう(もちろん、かういふ問ひを發することが日本的ではないが)。

しかし、言葉への無關心を、その度し難いほどの無關心を感じるにつけ、かういふ問ひを、一般の人はともかく少なくとも知識人は持つべきであると思ふやうになつた。當り前のことを當り前に思はず、意識的に捉へ直すといふことは存外に大事なことなのである。そして、さうすることが、今「あるもの」を奪はれることも無くなることもないやうにするための唯一の方法なのである。

改めて日本國とは何か――三島由紀夫なら「日本文化の全體性と連續性を映し出すものとしての天皇を戴く國家」であると言ひ、松原正氏なら、更に進んで「さういふ天皇を戴く國民はしかしながらたかだか商人にすぎないのだ」と言ふだらう。

もちろん、文化の中心に天皇といふ存在があることは確かである。しかし、憲法の下にある天皇といふのは、果たして天皇といふ名に相應しいであらうか。近代國家とは何もかもが法の下の平等を貫いてゐるといふのであれば、基本的人權すらも認められてゐない天皇といふ存在は、そろそろ法律の埒外であると言ひ切つて良いのではないだらうか。天皇は、憲法の外にゐるのである。だから、私はもし今後憲法を改正するのなら、天皇の規定などいらないと思つてゐる。憲法は、國民が國家を制約するものであるにしろ、國家が國民を保護するための義務であるにしろ、天皇の生活が國民と異なる以上、憲法の主旨に合はないのである。ならば、除外すべきである。必要なのは、皇族への援助などの規定である。

近代國家は確かに國民國家である。したがつて國民として平等であるべきだ。しかしながら、平等に扱つてはいけない存在を文化的に保持して來た私たちの歴史において、たかだか百數十年の歴史しかもたない、あるいはもしかしたら幻想にすぎない憲法制度に收まる必要が果してあるのだらうか。このことをまづ考へておかなければならない。

日本とは何か、今見たやうに天皇がその定義の中心にある。そして、その周邊にあるのが、私たちの國語であり、その表記の仕方としての假名遣ひのありやうである。したがつて、假名遣ひもまた日本とは何かといふ問ひに答へる重要な要素である。

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言葉の救はれ――宿命の國語283

2008年07月24日 08時51分24秒 | 福田恆存

(承前)283

くだんの文藝評論家に、私は假名遣ひの正常化などできるだらうか、と率直にうかがつてみた。すると、

「それは簡單なことなのです。まづは法令で決めて官廳から率先して使へば良い。さうすれば、日本のマスコミは右へならへするから、新聞がさうなれば一般の人も使ふやうになる。」

  さう御答へになつた。

  だが、たぶん無理だらうと思ふ。かう述べたこの評論家も本音では無理だと思つてゐるはずである。そんなことが出來る國ならば、そもそも假名遣ひの變更などしてゐまいと知つてゐるからである。文學や文化における斷絶の根本にあるのが假名遣ひの改惡である。したがつて、傳統と斷絶してしまつた現代人に、その改善は無理だらう――さう思ふ。人人は何らの心配も感じてゐない、假名遣ひの問題などどうでもよいことだと思つてゐるのである。

決して諦めてゐるわけではないけれども、もう少し、人人が言葉の斷絶の問題を肌身で感じるやうにならなければどうにもなるまい。少なくとも言葉にたいして自覺的である國であつてほしい。

  そして、言葉の問題は一つの事象に留まるものではなく、私たち日本人が物事をどう考へるかといふことなのであつてみれば、私たちの近代は、特に戰後といふ時代は、何事にたいしても「どうでもよい」といふ氣分のなかで作られてしまつたのである。そしてなほも恐ろしいことに、さういふ大變な事態であるといふことにたいしても「どうでもよい」と感じてしまふのである。

  小林秀雄はかう書いてゐた。

「思想の混亂といふことがいはれてゐるが、もつと恐ろしいことは、視覺や聽覺の混亂である。美しさがわかる感覺の衰えたことである。思想の混亂もただ思想によつて秩序づけようとする、安定させようとする。それは思想の上に思想を築く事で、いよいよ思想は混亂するだけだ。根本にある視覺や聽覺の混亂に氣づかなければ駄目な事です。」

(昭和二十七年「雜談」)

  福田恆存なら、審美眼とでも言ふであらう、美しいものを美しいと分かる眼を失つてしまつたのである。何もかもが「どうでもよい」のである。美しい言葉を話したい、書きたいと思ふのではなく、「通じればいいぢゃないか、言葉なんて」――さういふことである。

歴史的假名遣ひについて話すと、「歴史的假名遣ひつて『てふてふ』つて書くんでせう。何でそんな面倒臭いことするの。」と言はれることがある。殘念ながら、さういふ割り切り方は、「歴史的假名遣ひ」への無知と共に、自己と歴史との關係についての無關心をも示してゐるのだ。「歴史的」といふ言葉を、蝋燭と炭火で暮らすといふやうな「時代錯誤」の意味だと思つてゐる、それほどに歴史感覺が衰弱してゐるのである。實は、その誤解にこそ大きな問題が隱されてゐるといふことに一向に氣づかない。それに氣附くことなしには、近代のやり直しも戰後からの脱却も難しいだらう。

  考へてみれば、近代といふ時代は、一つ一つを再定義し、相互の意志に基づいて社會を作り出すといふ姿勢によつて築かれてゆく時代である。しかしながら、私たちの近代は外國の脅威に晒されて、ひきずられるやうにして始まつたものである。北村透谷が「革命にあらず移動なり」と難じ、夏目漱石が「内發的でなく外發的」と嘆じたゆゑんである。

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「太陽の塔」の初期デッサン

2008年07月20日 07時17分28秒 | 日記・エッセイ・コラム

 いささか舊聞に屬するが、今年になつて「太陽の塔」の初期デッサンが見つかつた。正面の中央にある顏の形、そしてその左右にある稻妻のやうな赤い線、最上部の黄金の顏、塔の腕、そして大屋根との接續の仕方、それらが萬博開催の三年前1967年から徐徐に出來上つていく樣子がうかゞへる。

岡本太郎と太陽の塔 (Shogakukan Creative Visual Book)

岡本太郎と太陽の塔 (Shogakukan Creative Visual Book)
価格:¥ 2,940(税込)
発売日:2008-06

 詳細は、先日小學館から發行された『岡本太郎と太陽の塔』に掲載されてゐるが、その本が出る前に實物が見たくてなつて五月の土日を使つて岡本太郎記念館に行つて來た。一つの用事だけで状況できるほど精神的にも金錢的にも餘裕があるわけではないので、詰込んだスケジュールの中、わづかに30分ほど歸りの新幹線にぎりぎり間に合ふやうに時間を設定して見てきた。高級ブランドが立ち竝ぶ表參道、青山通りを拔けて氣持はたかぶつていつた。

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 アトリエを改造して作られたこの小さな美術館は、入るだけで滿足する。太郎がいつでもアトリエから出て來さうな氣配だからである。收藏品の多さも規模の大きさも川崎の岡本太郎美術館とは比較すべくもないが、私にとつての魅力はこちらにまさるものではない。一階のカフェは滿席だつたが、二階のスケッチが置かれてゐる部屋には係の人がゐるだけだつた。一枚一枚についての感想は特にない。誕生の經緯を垣間見ることができたことが嬉しかつた。

 藝術は爆發だ――で有名になつた太郎であらうが、三年前からアイディアを次次と重ねてゆき、石膏模型を作る段になつてからもずゐぶんと手を入れてゐるといふ經緯を見れば、その言葉は少少誤解をうむかもしれない。やはり用意周到である。その言葉のもともとの發聲は「藝術は場數だ」であつたと言ふが、場數を踏んで少しづつ作品は出來上つてゆくといふことであり、自らの構想も試行錯誤を繰り返しながらだんだんと確實な形を得て行くといふことなのである。制作理念としてはしごく正統なものであらう。

  しかし、この太陽の塔、ほんたうに孤獨である。他の太郎の作品とも違つてゐる。千里の丘に天から舞ひ降りて來た鳥のやうと言へば、きつと人は冷笑するであらうが、あの白い清清しい鳥のやうな塔は、羽を擴げたままであり、今もまた飛立たうとしてゐるやうにも見える。聖書の創世紀にあるオリーブの葉を咥へて戻つてゆく鳩のやうにも思へる。願はくは、もう飛立たずに、この地に留まらんことを。

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言葉の救はれ――宿命の國語282

2008年07月16日 08時59分00秒 | 福田恆存

十四「假名遣ひ」が日本なのである

これから、新しい章に入る。

しばらくの間、この欄の總括として自由に假名遣ひのことを論じたい。福田恆存からは離れるかもしれないが、お許し願ひたい。

これまで、ずゐぶんと長く書いてきたが、國語の問題を考へながら、私にはどうしても拭えない疑問があつた。それは、どうして私たちは、自國のことに關心がないのか、なかんづく國語についてである。別言すれば、どうしてこれほどに骨のある人物が少ないのかといふことである。もちろん、歴史の中には、覺悟の人物といふものはゐる。内村鑑三が書いた『代表的日本人』を讀めば、なるほどさういふ人物はゐたのである。しかしながら、文化の核たる言葉を巡つては、人はあまりに附和雷同、無關心、いい加減である。

國語問題など本來なくて良い問題であつた。といふのは、現代仮名遣ひを使へと言はれても使ひませんと言ひ切れば起きなかつた問題なのであり、現代仮名遣ひが一般になつたとしても、歴史的假名遣ひを人人が今日から使ひます、とすればそれで終はりになる問題である。それほどにたやすい問題である。なのに、それをしない。いやできない。ずゐぶん手前勝手な意見だと思はれるかも知れないが、假名遣ひとは、文化の根幹である。その自覺の乏しさに、參つてしまふ。

いつだつたか、高名なある文藝評論家と近代日本文學史についてじつくり話をする機會があつた。中で、大略こんなことを語つてくれた。

「今の小説は、まつたく讀むに値しない。純文學は完全に終つたな。だらだらと自分の生活を書くことに何の意味もない。せめて現代といふ時代にあつて小説を書くことの困難に自覺的であつてほしいが、それすらもない。そんなものを讀む必要がない。」 

さう言ひ切つてゐた。そこで、文學の斷絶とはいつ頃から始まつたと御考へかを尋ねてみた。

「太宰なんかの作品を見るとね、戰前も戰後も變はつてゐない。となれば、やはり高度經濟成長期だらうな。文士といふのが名士になつてしまつては駄目だ。金もない、仕事もない。それでも書かざるを得ないといふ所で書いた時にいい文章が出てくるのではないかな。」

  假名遣ひの改變についてはどう思はれるか、それが文學に與へる影響についてどう御考へか、續けて訊いてみると、

「それは決定的だね。川端の『山の音』を現代假名遣ひで書いたら、もはやそれは『山の音』ではない。正しい表記で書いてこそ、文學なのだ。考へてみれば、發音に表記を合はせるなんてとんでもないことだらう。フランス語では「h」を發音しないから、histoire(歴史)から「h」を取れなんて言ふことが言はれますか。聞いたこともない。それが日本では平氣で行はれた。全く怪しからぬことですよ。」

  文學の價値において、假名遣ひは決定的である――私は、この言葉を聞いて、しばし沈默してしまつた。それほどに大事な問題であるといふことを、果してどれぐらゐの人が感じてゐるだらうか、深いところからの疑念が沸き起つて來たからである。そして、かう御答へした。

――今から間に合ひますか。

このことへの御答へは、次囘に囘す。

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