(承前)
よく知られてゐるやうに、敬語は天皇を中心とした待遇表現から發達したものである。それと同じやうに、言葉の表記の仕方である假名遣ひも宮中の中で使はれ發達したものである。なぜならば、文字を書いたり讀んだりする必要があるのは、多くは皇族貴族あるいは中央・地方の役人にゐないからである。さうであれば、彼らの中心には天皇がゐたのは歴史的事實であり、假名遣ひは敬語と同じく天皇を中心とした人間關係のなかで築かれたと言つて間違ひはないだらう。
もちろん、かうした出自と歴史的假名遣ひの性格とがそのままイコールの關係であるといふのではない。日本といふものが生まれた時から今日まで、言葉を移し出す方法として生み出されて來たのが、この歴史的假名遣ひであり、それをさう簡單に捨てるわけにはいかないといふことを言ひたいのである。また、近代以降の民主化する社會のなかで、假名遣ひの改變といふことが、何度も何度も行はれてきた背景には、この假名遣ひの出自への潛在的な反撥があつたといふことを完全に否定するのも困難だらうと思ふ。もちろん、直ちに假名遣ひの法則と古代の貴族社會との關係を示すことは不可能だ。だが、潛在的にはさういふ氣分もあつたやうに思ふ。特に、戰後社會にあつて、それを指導した米國も、當時の日本國の指導者も、そして何より當時の國民も、あれほどに假名遣ひを蔑ろにしたといふ事實は、傳統への叛逆といふ側面を考慮しなければ理解が出來ない。確かに昭和天皇の御人柄やマッカーサー元帥との逸話によつて、國民の陛下に對する氣持ちは不變であつた。しかしながら、その一方で「象徴」などといふ、きはめて人間蔑視の表現をすることを厭はなかつた國民の意識といふものも、相當に侮蔑的である。この際はつきり書いて置くが、「象徴」とは人間に對して使ふものではない。非禮の極みである。そのことを米國は知つてゐたはずであるし、當時の日本人は故意に忘れた。そして、今の私たちは、その感性を失つてしまつた。
假名遣ひとは、言葉の使ひ方である。たとへ日本國憲法が歴史的假名遣ひで書かれてゐようと(そのことを果たしてどれぐらゐの人が知つてゐるだらうか)、それが不敬に通じてゐれば、言葉の使ひ方として間違つてゐる。假名遣ひを正すことは、言葉遣ひを正すことに通じてゐなければならないし、言葉遣ひの正常化を意識しないで假名遣ひだけを論じても致し方ないのである。だから、私は歴史的假名遣ひで文章を書くが、現憲法を「達意の文章」として評價する作家の丸谷才一氏を評價しない、そのことは以前に書いた。
私たちの近代社會が失つたものを明確にするために、私は假名遣ひを取り上げてきたが、それが單に假名遣ひの次元でとらへられてしまはないやうに、今ここにきて改めてこんなことを附言してゐる。假名遣ひが生まれた時代に歸れなどといふことが言ひたいのではない。假名遣ひを生み出した精神に還れといふことが言ひたいのである。言葉を意識し、一筋の道を見つけようとした、古代の人人の言葉への畏敬の念を取り戻さうと念じてゐるのである。