言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語188

2007年08月31日 21時41分38秒 | 福田恆存

(承前)

 歴史的假名遣ひの文字のやうに發音をしてゐないのだから、例へば「帽子」を「ばうし」と書く必要はなく「ぼうし」で良い、これが「発音が歴史的に区別が無くなって来たら、それに応じて区別無しに書くべきだ」といふことである。ただし、この邊りの金田一の論旨は、大變に讀み取りにくい。現在の散文のスタイルから言へば惡文と言へるほどで、理解しにくいことは確かである。

  そこで私なりに要約すれば、現代の發音通りに書けといふことである。しかし、金田一が擧げてゐる例は、字音假名遣ひ(漢字の讀みの表記)ばかりである。ここに誤魔化しがある。字音の根據は、支那のそれも移入當時の發音に根據をおくもので、現在まで墨守することに意味があるとは思へない。そもそもが異國の發音なので、それを現代の發音に合せて表記しても、これまでの國語の體系が崩れることがない。かうしたことについては、丸谷才一氏の『桜もさよならも日本語』に收められた「言葉と文字と精神と」に完結に述べられてゐる。今も新潮文庫に入つてゐるだらうから、御一讀を御薦めする。そして、この點においては福田恆存ほどの保守性を私は持つてゐない。福田は字音についても歴史的假名遣ひを主張してゐるからである。

  金田一はどうして字音を例に、自身の「現代仮名遣い」論を展開したのであらうか、疑問である。そもそも金田一が批判した小泉信三は、字音假名遣いについて言つたのではなく、歴史的假名遣ひについて言つたものなのにである。「論點ずらし」としてもどうにも稚拙で、論爭にならない。

  今日から見ると、どちらが「国語の歴史的観念」を持つてゐたのかは明らかである。國語の傳統にどちらが則つてゐたのかは、あらうことか京助の息子である金田一春彦が、福田恆存の追悼文で次のやうに記してゐる。

「福田君は、漢字制限も新仮名遣いも反対だった。それをはっきり書いたのは『私の國語教室』という著書だった。私は賛成できなかったので、いつかは『読売新聞』紙上で対決をしたことがあった。当時は福田君がいくら叫んでも仮名遣いがもとに戻ったり、漢字が無制限に増えることはなさそうだと思っていた。(中略)が、戦後三十余年たってみると、驚いた。ワープロという機械が発明され、普及し、机の上でチョコチョコと指を動かすと、活字の三千や四千は簡単に打ち出してくれる。そうした普及につれて値段も安くなり、性能がよくなった。新聞ぐらいは、机の上のワープロ一つで簡単に印刷できる。これなら当用漢字の制限はしなくてもよかったし、字体でも仮名遣いでも昔のままでもよかったのだ」

(『This is 読売』平成七年十二月号)

  福田恆存が亡くなつてから、かうした「反省」をそれも隨想欄で書いて事足れりとする感覺は、肯んずることができないが、それでもあつさり過ちを認めるのだから潔い。父君とはまつたく違ふ精神性の持ち主である。

  が、やはりその言語觀は淺薄である。ワープロといふ便利な機械が發明されたから、漢字の制限も假名遣ひも字體の變更もしなくて良いといふ考へは、まつたく「国語の歴史的観念」を持つてゐない證據である。この點は血は爭えない。

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言葉の救はれ――宿命の國語187

2007年08月30日 23時46分21秒 | 福田恆存

(承前)

  したがつて、發音通りなどといふことは原則になり得ないどころか、國語の秩序そのものを根本的にゆがめることになるのである。

「思う」がワア行五段活用などいふ説明は、活用がそれぞれ一つの行(アイウエオなどを指す)で行はれてきた二千年以上の歴史を破壞してゐることになるのに、それを何とも思はない。わづかに言葉に敏感な作家や批評家が一筋の燈明をともすのみである。丸谷才一氏は、かうした傾向を進めれば、「オモアナイ/オモイマス/オモー/オモートキ/オメーバ/オメー」(「言葉と文字と精神と」)となつてしまふと書いてゐるが、まつたくその通りである。これはすでに活用とは呼べない。「マ行破壞活動」とでも呼ぶべき甘つたれた言葉のテロリズムである。

  金田一といふ學者は、ほんたうに國語についての感性が鈍い。言葉についての感覺がずれてゐると言つてもよい。先に引用した「国語の歴史的観念の欠如」の原因を「一つには日本は中國の意義文字を使っていたからです。初めから仮名のような音標文字を用いていたら、音の推移に敏感だったでしょうに、意義文字は、音に関係なく理解できますから、発音の歴史に無頓着であり得たのです」と書いてゐる。まつたく愚論である。

言葉の本質を音だとし、音を表す文字であれば、言葉の本質を正しく知ることができ、その結果、人人は音の推移に敏感になる。これが金田一の考へる「国語の歴史的観念」なのだ。これでは日本語とは言へないではないか、といふ子供にでも分かる理屈が、どうしても分からないのだ。西洋の音聲言語コンプレックスと言つたら良いのだらうか、自國の言語にあり得ない「歴史的観念」を妄想し、それがないことを嘆いてみせる。愚かとしか言ひやうがない。人間の目は青くあるべきなのに、日本人の目は黒い、そこれは人間の本質の缺如である、などといふことをある人が言つたら、人人はその人を相手にしないであらう。しかしながら、金田一の發言にはなるほどと思ふ人がゐるのである。それほどに、言語に對する人人の感覺は鈍い。皮肉なことであるが、金田一のかうした發言に違和感を抱かない日本人が多いといふことが、最も「国語」に對する「歴史的観念の欠如」を示す事例であらうと思はれる。

  まあこのことはこれぐらゐにして、結論的に言へば、金田一の言ふやうに時時刻刻變はるものを本質と考へることを、私たちは普通「歴史的觀念」とはいはないだらう。それは正しくは「時代迎合の意識」、あるいは相對主義としての「歴史主義」(それぞれの時代によつて價値は異り、時代を越えた價値はないといふ考へ方)と呼ぶのが適切だらう。「歴史とはつまるところ思ひ出だ」と言つた小林秀雄の言を引くまでもなく、歴史とは過去とのつながりを持たうとする意識なのであり、その意識によつて蘇る敍述のことである。金田一には、さういふ意識が微塵もないことは次の文章を見ても明らかである。

「発音が歴史的に区別が無くなって来たら、それに応じて区別無しに書くべきだ。これがすなわち現代仮名遣の出発点であります。また古典仮名遣を唯一のものとしていつまでもそれを守らす方こそ、歴史を無視し、歴史に眼を塞いで、事実を隠蔽する偽(ママ)瞞になります。恐ろしいことです。どうか諸先生、この事にお気づきになつて頂きたいのです。」

(「現代仮名遣論――小泉信三博士へ――」)

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言葉の救はれ――宿命の國語186

2007年08月29日 18時46分14秒 | 福田恆存

(承前)

  さてさうであれば、文字と音とはたへずずれてゐるわけで、そこに一定のルールを決めるのは發音などといふ曖昧なものであるはずはない。表記には表記のルールがあるのであつて、國語の體系は明確にあるのだから、言葉の規範は音に求めるのではなく、「語」に求めるのが正統である。私たちの國語の場合には、假名遣ひがその規範なのである。

  このことに、最も心をくだいたのが江戸時代の契冲である。人人が發音通りに表記することによつて混亂が生じたため、古代の文獻を調査して定めたのが歴史的假名遣ひであることは、これまでにも何度となく述べてきた所である。

  金田一は、あたかも言葉は古代、中世、近世ときれいに變はつてきたかのやうに言ふが、それなら混亂は起きない。混亂とは人人が本則を離れ勝手に使ひ出すから起きるのである。例へば、「顏」は表記には「かほ」「かを」「かお」といふ三種類が江戸時代になると生まれた。それは「を」が「オ」と發音されるやうになつたからである。しかし、「を」をさらにさかのぼれば、「ほ」であることが分かつたので、契冲は「かほ」を正しい表記として定めたのである。

「かほ」は「カフォ」と發音されてゐたから、その「フォ」がワ行(ワヰウヱヲ)の「ヲ」と混同されるやうになり、「ヲ」がやがて「オ」になり、「カオ」と言はれるやうになつたのである。しかし、この變化は人人によつてまちまちであるから、「かほ」「かを」「かお」といふ表記が三立に使用されてゐたのである。これが混亂である。

  したがつて、金田一の「發音は時代によつて變はる」といふ俗耳に入りやすい言は、じつは一層混亂を招くことになるのである。「發音にしたがふ」といふ原則は、じつは表記と音との關係を全く無視した暴論であると言へるのだ。

  私たちの國語は、殊に五十音圖にしたがつて動く體系を持つてゐるもので、動詞はその典型である。文法に關心のない方のために例を一つだけ擧げれば、「動く」といふ動詞は「動カない」「動カう」「動キます」「動ク。」「動ク時」「動ケば」「動ケ!」といふやうに、カタカナで書いた部分は「カキクケ」と五十音圖のカ行音で變化する。これをカ行四段活用と言ふといふのは、どこかで聞いたことがあるだらう。

  あるいは、名詞でも同じやうな變化をする。例へば、雨(あメ)―雨脚(あマあし)、白(しロ)―白雪(しラゆき)などは、それぞれマ行音、ラ行音で變化してゐる。

  ところが、「思ふ」などの四段活用の動詞は、「現代仮名遣い」では「思わない」「思います」「思う」「思う時」「思えば」「思え」「思おう」といふやうに、ワ行とア行にまたがつて活用してゐることになる。それで、學校文法ではこれを「ワア行」などと言つてゐるが、こんな不細工で醜惡な變化は文法の本則になり得ない。歴史的假名遣ひが言ふやうに「はひふへ」で活用する「思ふ」の方が整然として合理的である。これが私たちの國語の姿なのであつて、生きてゐる言語といふのはかういふことを言ふのである。

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言葉の救はれ――宿命の國語185

2007年08月28日 20時46分36秒 | 福田恆存

(承前)

 この種の文章に「!」を使ふ文章感覺を私は持たないから、これだけで閉口するが、最後の一文の意味するところは何なのか、さつぱり分からない。「これがために」に「これ」とは何なのか。そして「目を見張って驚かれます」とは、「現代仮名遣い」の優越性に驚嘆するといふことなのだらうか。金田一は「チョウチョウ」と書くことがそれほどに素晴しいと考へてゐるのである。しかし、チョウチョウと「ウ」をはつきり發音してゐる人などゐますかね、まづは皮肉を言つておく。

「国語の歴史的観念の欠如」とあるが、「国語」には「歴史的観念の欠如」どころかそもそも「歴史的観念」そのものなどあるはずもない。日本語としてそもそも意味が通らないやうな文で書かれては反論も何もあつたものではない。「欠如」といふのなら、達意の文章を書かうといふ意志であり、「歴史的観念の欠如」といふのならば、それは「国語」にあるのではなくそれを使ふ側の頭の中なのである。

時代によつて表記が變はることを金田一は「今さら目を見張って驚かれ」るかもしれないが、歴史的假名遣ひを愛用する者は、何も驚かない。表記は歴史と共に變はるのである。以前も述べたが、「變はる」と「變へる」とは違ふのである。「部屋はどうせ汚れるのだから汚そう」と言ふ人はゐないだらう。變はるのだから變へようといふのはその類の愚論である。自然に變はるのは仕方ないとしても、無理やり變へるのは良くない。それが歴史的假名遣ひの立場である。部屋は汚れるからと言つて無理やり汚すのではなく、掃除をするではないか。きれいに使つて、汚れれば掃除をする。それでも月日が經てば汚れてしまふ。そのときに變へれば良いのである。

  ただ、ここでは金田一の假名使ひ觀を一瞥しよう。

  古代、中世、近世と日本の歴史を三分して「時代と共に發音は變はる」と見榮を切る。今は「チョウチョウ」と發音するのだから、現代表記は「チョウチョウ」で良いといふことである。しかし、「チョオ」が「チョウ」に變はつても、「魚(ウオ)」は「ウウ」にも、「香(カオリ)」は「カウリ」にも、「十(トオ)」は「トウ」にはなりはしない。

  國語は一つの體系をもつて存在してゐるもので、發音にしたがつて、いつの時代も變はつてゐるのではない。發音といふことを唯一の基準にしたら、極端に言へば、人によつて違つてゐたら表記も人それぞれで良いといふことになつてしまふ。その混亂を防ぐルールは、そこからは生まれて來ない。それでは言語ではない。國語ではない。

 ましてや、金田一の擧げた例は、「てふてふ」を古代人が現代人の發音通りに發音してゐたかのやうに言つてゐるが、そんなことはない。「フ」は「フュ」であつたことはあきらかである。つまり現代音で言へば「テフュテフュ」を「てふてふ」と表記してゐたのである。「テフテフ」と發音してゐたかのやうに書くのは、明らかに誤謬である。

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言葉の救はれ――宿命の國語184

2007年08月27日 21時15分34秒 | 福田恆存

  小泉信三は、かうも書いてゐる。

「吾々は考えたことを言語で表わすのであるが、また言語に頼って始めて考える。『子供と犬が走るのを見よ』とか『猫が鼠を追いかける』とかいう程度のことなら、漢字を借らずとも、表現も、考えることも出来ようが、少し複雑な、抽象的なことを、もしも一切漢字を捨て去って、片仮名または平仮名をもって、これに代えるとしたら、どうして考えることが出来ようか。ちょっと想像も出来ないのである。」

「重ねていうと、私は感じ制限の理由を認めている。ただ右に段々説いて来た理由により、制限が狭く窮屈であればあるほど好いというものではないことを言いたい。制限が或る程度を越せば、表現の自由は不当の拘束を受けるであろう。」

「これは漢字に限らないが、何でも骨が折れるといえば、直ぐやめ、或いは改めるという傾向があり過ぎるように思う。むずかしいことを改めるのも好いが、同時に、少し勉強して見給え、存外易しいから、と力づける法を加味することも、必要と思う。」(以上の三つは、「漢字の制限の原理」)

 以上の小泉信三の主張に對して、金田一京助はかう言つてゐる。引用は、「現代仮名遣論――小泉信三博士へ――」からである。

「私どもの平素崇敬措かない先生の高説――文芸春秋所載の『日本語』は、最大の期待と熱望をかけて再読・三読しました。溢れる憂国のまこと、漲る国語愛、その一言一言には、慈父の訓戒のように胸にせまる響があって、深く深く心を打たれました」と始まる文章は、讀者はどう思はれるだらうか。私には氣持ちよくは感じられなかつた。慇懃さはかへつて禮を失つてゐるやうで、底意が別にあるやうな不愉快なものである。

その上「まえがき」には、「先生の前には、吹けば飛ぶような存在でしかありませんけれども」と書いたり、「むすび」には「野人、礼にならわず、朴直、所信に盲進して、はからざる失言の、あるいは虎威をおかすなきかを恐れます」と書いたりするについては、「現代仮名遣」を論じる以前に「文章の書き方」を論じたくなるやうな氣さへしてくる。

今は、これを讀んだ小泉の感想がどうであつたのかを訊くことはできないが、これを讀んで何とも不潔な文章であると感じたのではないかと想像する。小泉の諸々の論は、當時の國語學者から見れば俗論なのかもしれない。しかし、眞摯である。門外漢ながら、いや門外漢であるからこそ、國語への誠實な意見表明となつてゐる。

ところが、金田一のこれから引く文章は、全く誠實さといふものがなく、自尊心の塊のやうな學者のひけらかしとしか見えない。そして一般の人人への蔑視の思ひが行間から滲み出てくるやうに思へる。

「蝶々は古代日本語てふてふ、中世日本語テウテウ、近世日本語チョオチョオですのに、日本だけは今まで古代の綴り、てふてふのみが認められて、中世・近世は全く無視されて来ました。国語の歴史的観念の欠如! ああ、これがために、諸人、現代仮名遣に今さら目を見張って驚かれます。」

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