言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

或るフランス文化人の死

2013年05月27日 21時29分32秒 | 日記・エッセイ・コラム

 評論家の宮崎正弘氏のメールマガジンから転載する。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成25年(2013)5月28日(火曜日)弐
    通巻第3953号 
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 巴里でおきた「フランス版ミシマ事件」
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 竹本忠雄氏から緊急寄稿
                         
             ドミニック・ヴェネールの自決と三島由紀夫
       @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 去る5月21日、午後4時頃、パリのノートルダム大聖堂の中で、著名なフランス人作家、ドミニック・ヴェネール氏が、「同胞を惰眠から目覚ませんとして」ピストル自殺を遂げた。日本の新聞では単に「極右の作家が自殺した」の1行で片付けられたにすぎないが、その背景は文明論的に深い。誰よりも彼は「日本の三島」を尊敬していた。
そのことは彼の主宰するポピュラーな『新歴史評論』(NRH)誌をつうじて表明されたことがあったし、またそれは、たしか、この「早読み」ブログにも紹介されたように思われるので、われわれとはまったく無縁というわけではない。よって、以下、事件を略記して伝えたい。

 事は、1500人の参詣者の詰めかけた大聖堂内の祭壇前で起こった。78歳の老作家はベルギー製のピストルで口腔内を打ち抜いて果てた。祭壇前のテーブルに1通の遺書が見つかった。騒然とする群衆を退去させ、夕刻まで大聖堂を閉鎖するなか、大司祭が駆けつけて遺書を開くと、こうあった。
 「私は心身ともに健全、かつ妻子を愛する者だが、我が祖国ならびにヨーロッパの危機甚大なるを見て、一身を捧げて同胞を惰眠より覚醒せしめんと欲する。悠遠の昔より民族の至聖の場であったパリのノートルダム大聖堂を死に場所として選ぶ…」
 このような書き出しで、次に自決の理由が述べられているが、やや抽象的で一般には分かりづらい。最後に、詳しくは最近の拙著、並びに遺著を参照せられたいとして、この遺著の名を挙げている。『西洋のサムライ――反逆者血書』(Un Samurai d'Occident. Le breviaire des insoumis)とでも訳せようか。

 自決の前々夜、5月21日にヴェネール氏が自分のブログに発表した声明も公表された。
そこには死の理由について、「我らの抗議は、単に同性婚への反対に留まらず。フランスならびにヨーロッパの民族大置換という真の文明的危機に抗するものなり」と記されている。
「民族大置換」とは、「フランス国民を外国人によって大がかりに入れ替えること」を意味する。第三国人の大量移入、子沢山による生活保護増大、財政逼迫は、キリスト教信仰と文化的独自性の喪失とも結びつき、多年、フランス国民の危機感と憤懣をつのらせてきた。この5月18日に布告されたばかりの「同性結婚法」だけでも、いま、国論を両断し、沸騰させている。「第1回ゲイ・プライド」集会が5月25日以後、トゥール市、ディジョン市と広がりつつある一方、これに抗して26日には数十万規模の反対デモがパリを中心に展開されている最中なのである。

 日本の大新聞は、こうした事変の更に奧にある西洋文明の恥部について、まったく把握の努力がなされていない。ここでは、2001年5月に、「タウビア法」が施行され、アフリカ黒人に対する奴隷制を「対人類犯罪」として断罪したこと、それに悪乗りする形で「同性婚」も法制化されるに至ったことを記すに留める。
さらに云えば、ここに云う「対人類犯罪」は、東京裁判で日本を断罪したのと同じコンセプトであり、フランスではこれを事実無根の「南京大虐殺」にも当てはめようとした経緯のあることを喚起する必要があろう。現下のフランス社会の動乱は、「反日」の世界的現象とも見えないところで繋がっているのである。

 もう一つ、特に、内的な要因をも見過ごしならない。ドミニック・ヴェネールの遺書には、前記の6月刊行予定、『西洋のサムライ――反逆者血書』の出版社主としてP‐G・ルーの名が記されている。このルー氏が、著者自決後にAFP通信よりこう声明を発しているのだ。
 「ドミニック・ヴェネールは、武器研究の一人者であり、全11巻の『世界武器百科事典』の著者である。騎士道に強い憧憬を持ち、自決した作家、ドリユー・ラ・ロシェル、モンテルラン、三島由紀夫を尊敬していた。中でも、ノートルダム大聖堂を死に場所に選んだことは、その行為の意味を、1970年に自刃した日本の作家、三島に最も象徴的に近づけるものである」。
 武士の魂の宿る場として三島が選んだ自衛隊司令部と、祈りの中心、パリのノートルダム寺とでは、一見、まったく性質の相異なるものである。が、騎士の勇気と祈りがむすびついて騎士道が生まれた史実を考えるなら、自決者ヴェネールの心底が分からないでもない。
もちろん、「聖堂を穢した」との信徒の声も挙がってはいるが。大司教も、「彼は信徒ではない」と釘をさした。が、その日の夕祷において、「この死者の救霊のためにも祈りましょう」と述べているのが印象ふかかった。

 ドミニック・ヴェネールは、自らを「反逆者」として定義してきた男である。短い遺書にもこの語が4回も使われている。未成年の頃にアルジェリア戦争で、ドゴールの政府軍に敵対するOAS(秘密軍事組織)に加わって戦った。1962年、投獄中に著した『実践批評論』をもって、アルジェリア戦争後意気消沈した極右の指導原理を打ち立て、さらに「文化闘争」の旗幟を鮮明にして「新右翼」の創始者と仰がれた。
1970年、「三島事件」に接して発憤、運動を大躍進せしめて、2年後、フロン・ナシオナル(国民戦線)党の創設にあたってその党首候補に推された。実際に党首となったのはル・ペン氏だったが。現在はその娘、マリーヌ・ル・ペンが後を継いでいる。ちなみに、マリーヌは、ヴェネールの訃報に接して、「彼の自決はフランス国民を覚醒せしめようとした高度に政治的なもの」とのオマージュを呈している。
 
われわれ日本人にとっては、このような人物が如何にして日本の「ミシマ」に心酔するに至ったか、その内的プロセスは大いに興味ふかいところである。今度の事件にさいしてフランス中を出回っているブログの中には、ヴェネールが座右銘とした
 《死は、放射能となって、未来に対して働きつづける》
 という三島の言葉をエピグラフとして掲げたものが多い。
 実は、これは、彼が主幹である『新歴史評論』2007年7-8月号に載った彼と私の対話の中で私が伝えたものだった。彼は若い女性秘書をつれてパリ14区の拙宅にやってきた。そのとき、私は、ヴェネールに尋ねたものだった。
 「あなたがたフランス人は、なぜ、そんなにも三島に夢中になるのですか」と。
 「さあ、それは…」と彼は端正な顔を緊張させた。そして一言だけ、こう応じた。「それは、大問題だ…」
 私には、どうも、ドミニックの死が、行為をもってそのときの問いに答えようとしたもののように思えてならないのである。
                                                               竹本忠雄

 竹本忠雄氏は、筑波大学の名誉教授で、アンドレ・マルローの紹介者でもある。現在宮崎大学の准教授の吉田好克先生は、そのお弟子である。吉田先生が宮崎でやつてゐる勉強会を竹の会といふが、師匠竹本先生を慕つてのことであると、いつかうかがつたことがある。その竹本先生のフランス通信である。現代の、しかもフランスにドミニック氏のやうな人がゐるといふことは驚きである。軽軽にコメントは書けない。

 フランスの、ヨーロッパの現在と、日本を取り巻く「反日」の情勢とがどうつながるのか、以上の分析ではあまりよく分からない。また、ドミニック氏のフランス思想界における役割と位置とも私には分からない。しかし、本気でフランスをよくしようと考へ、行動した人物であることに間違ひはない。本気であることから遠ざかり、冷静に沈着に、熱くならずに距離をおいて、物事を見ることが知性の役割であることをあまりに強調しすぎてしまつた結果、人は賢しらに振る舞ひ、行動せずに、見物人となつてしまつてゐることが多くなつた。

  さういふ時代が呼び寄せるのは、一層の虚無と熱狂であるとは、歴史が教へるところではないか。

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時事評論 五月號

2013年05月21日 09時16分28秒 | 告知

○時事評論の最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)

                 ●

   5月號が発刊された。やうやく夏の気配を感じるやうな季節になつてきたが、今年の春は寒かつたやうに感じる。景気は好調だが、その一方で薄氷の春とも言ふべき危うさを内包してゐるやうにも思ふ。それが証拠に、テレビや新聞では連日、富士山の噴火やら東海、東南海トラフの地震、東京直下大地震などを特集してゐる。ひとたびさういふ惨事が起きれば、今日の好景気など吹つ飛んでしまふであらう。さう思ふ。もとより、素人の経済談義など意味のないことであるが、何だか自然の驚異は人為を蹴散らすものであるといふことが、骨身にしみてゐるのである。

 少しづつ書棚も整理がされてきた。他人事のやうに書くが、それぐらゐの距離感がちやうどいいやうだ。あの本がない、この本がないと気にしだしたら、やつてゐられなくなる。本をまとめて十箱分売つた。どれもこれも吟味しだしたら捨てられないものだが、目を瞑つて箱に入れた。

 

 橋下市長が叩かれてゐる。彼の政策にはいちいち反対であるが、今回の発言には同情する。まじめな人柄が出てしまつたと思ふ。皮肉ではない。性の処理など政治家が取り組むべきものではない。市民にまかせておけばいいのである。ところが、それをなんとか政治で解決してあげようといふ思ひが、ああいふ発言をもたらしたのである。戦時中にも政府が兵士や慰安婦の健康衛生を考慮して女衒を管理しようとしたことを軍隊が強制したと捉へられ、批判されたのと同じ構図である。それにつけても、きれいごとオンパレードのマスコミである。コメントを寄せる御仁がどれほどの聖人であるかは知らない。女性への蔑視であると声高に主張して橋下発言を否定する人がゐるが、何について言つてゐるのかが分からない。大東亜戦争当時の世界の情勢について言つてゐるのか、現在の沖縄について言つてゐるのか不明である。現実を直視しろとは、そこを曖昧にして発言する彼らにこそ言ふべきことである。

               ○

 1面の吉田先生の論考はまつたく同感である。今日の教育の要は、世界の中で日本を見ることである。日本の美点も欠点も、そのなかで語られなければ、人々の気持ちは単に愛国と売国とに引き裂かれるだけである。日本を否定することが知的な行為であると本気で思つてゐる知識人が多すぎる。2面に載せてもらつた拙稿もさういふ主旨である。歴史の中で日本を見るといふ見識を持てない知識人は、自己の感情を基にしてしか語れない自意識過剰の衒学者とならう。

 1面のコラムには異論がある。「近代と西洋化との違いをよく知っていた数少ない知識人の一人」として竹山道雄を挙げてゐるのはいいとしても、「近代と西洋化との違い」とは何だらうか(「近代化と西洋化との違い」ではないかとは思ひますが)。日本の近代化は西洋化であるのは必然であつて、竹山が何を考へてゐたのかは、このコラムだけでは分からない。キリスト教に違和感を持つてゐたといふだけであれば、西洋化とはあまり関係がない。竹山がキリスト教に懐疑的になつたといふところまでは異論がないのだが・・・・・・

 今月の「この世が舞臺」は旧約聖書の「ヨブ記」である。無情な、不条理な試練を受ける人物ヨブの話を、イエスはどのやうに讀んだであらう。私の関心はそこにある。これがわが身の行くべき道かと考へたイエスの心中はいかばかりか。自分の将来像を知つて生きる人間の苦渋が血となり十字架に滲んでゐると言へば、正統なキリスト教神学からは外れることになるのだらうが、ヨブの悲劇がなぜ聖書にあるのか、それを考へると、十字架の預言のやうに思へてならない。       

              ☆        ☆    ☆

売国議員と教育改革と

       宮崎大学准教授  吉田好克

● 

歴史を恐れぬウェブ住民

――ネットは自我の掃き溜め――

            文藝評論家  前田嘉則

教育隨想       

      日本は歴史認識問題にいかに対処すべきか? (勝)

アウンサンスーチーは「政治家」になった!?

                             ジャーナリスト     寺井 融

この世が舞臺

     「ヨブ記」(『旧約聖書』)                              

                     圭書房主宰   留守晴夫

コラム

        憲法の論点  (菊)

        「護憲」とは(二) (石壁)

        子供は大人の真似をする(星)

        金融暴走の犯人(騎士)   

   ●      

  問ひ合せ

電話076-264-1119     ファックス  076-231-7009

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東海道は日本橋から?

2013年05月17日 18時50分54秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今、家の前を東海道新幹線が通つてゐる。前と言つてもずゐぶん離れてゐるから、騒音はない。視界を邪魔するものがない田舎なので、前と言つてもいいやうな。

 
 
  その東海道であるが、確か小学校で「五街道の一つ。江戸の日本橋を起点とする~」と習つたやうな気がする。静岡や愛知を東海地方と現在でも言ふし、そのことを何の不思議もなく、今日の今日まで思つてゐたが、「東?」つて言ふのは、どこから見てのことかとふと考へた。もちろん、江戸ではない。
  
  なるほど、やはり京都から見て江戸にいく道が東海道なのかといふことに気が付いた。もちろん、江戸の街道は日本橋起点である。しかし、東海とはそもそも京の都から見て東の海である。その東海地方を通る道だから東海道にした、といふことなのでせうね。

 何と言ふこともないことであるが、何か一つ賢くなつたやうな気がした。

 終はり。

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『無地のネクタイ』

2013年05月15日 22時22分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

無地のネクタイ 無地のネクタイ
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2013-02-23

 讀書から遠ざかつてゐる。毎日ちまちまと讀んでゐたのが、丸谷才一のエッセイ一冊である。新聞を讀み、雑誌を讀み、教科書を讀み、先日のやうに讀書會で専門書を讀みと、活字から離れることはないものの、集中して讀むといふことがない。お恥づかしい限りである。

 一項目5ページほどのエッセイを集めたもの。題材は私好みである。文學論あり、社會批評ありでたいへんに面白かつた。

 二つだけ取り上げる。

 

一つ。

「一国の言語は、歴史によつて然るべく裏打ちされなければ安定を欠き、現在に生き未来に生きつづける力を失ふ。そして言語生活が伝統との縁を回復したとき、言葉の花はまづ引用といふ形で咲き乱れるだらう。」

 古典の引用をどんどんすべきであるといふ主旨である。しごく当然のことであるが、恐らくは出版業界の方を含めて、あるいは學問、教育の世界の方を含めても、主流の考へではないやうに思ふ。

もう一つ。

「われわれは、無慚で冷酷な殺人事件の犠牲者たちに対して、果たして然るべき礼を盡してゐるだらうか。もちろんわたしは国民めいめいが加害者に対して暴力をふるへと挑発してゐるのではない。被害者の肉親による復讐を復活しようなどと時代錯誤なことを提案するつもりはない。しかしわれわれが現代日本人が仏壇を捨て、菩提寺と縁を切り、神社は初詣とおみくじのためのものと化すにつれて、死者たちに対する敬虔さを失つたことは認めなければならない。殺人事件の報に接しても、たいていは無辜の被害者だつた人々の霊に対し、われわれはどれだけ哀悼の思ひを献げてゐるか。われわれは彼らの供養を、死刑といふ形で国家に任せることで、怠けてゐる。」

 犠牲者と被害者との言葉の定義の曖昧さが気になるが、それでも戦後社會が忘れてきた、死者たちへの慰霊といふことへの指摘は重要である。死刑廃止論の是非は別として、生者の闊歩する社會は自由かもしれないが、薄つぺらい。

 それにしても解説が池澤夏樹とは玉に傷である。この人は、丸谷才一にぞっこんだが、果たして解説の任にあるかどうか。評論家としても小説家としてもまつたく評価できない。先日も朝日新聞で、自民党の憲法改正案を揶揄してゐたが、どんな見識があつて言つてゐるのかと思へば現憲法を礼賛してゐる始末、それで自分の論文のタイトルを「揶揄せず原則に返ろう」とするのは、何かの冗談かと思つてしまつた。現憲法にどんな原則があるといふのか。周囲の善意に期待するといふ主旨のもとにできた憲法が、国の指針になりうるのか。憲法について論じるのは勝手だが、自分の姿を鏡に映して、この顔はひどいと言つてゐるやうな代物である。そんな自虐ネタに付き合はされてはたまらない。関心のある方は、夕刊5月9日(愛知版なので、悪しからず)の文化欄を讀んでみてほしい。笑へますよ。

 丸谷才一にもかういふ日本国批判、体制批判はある。さういふところに横恋慕してゐるのが、池澤なのだらう。それでも、丸谷の小説は讀まれても、池澤の小説は讀まれまい。

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アナロギアといふこと

2013年05月14日 09時51分27秒 | 日記・エッセイ・コラム

またまた更新が遅れてゐる。お許しください。

先日、久しぶりに読書会に参加した。先月までで西田幾多郎『善の研究』が終はつたやうで、今月からアダム・スミスの『道徳感情論』である。

道徳感情論〈上〉 (岩波文庫) 道徳感情論〈上〉 (岩波文庫)
価格:¥ 1,071(税込)
発売日:2003-02-14
道徳感情論〈下〉 (岩波文庫 白 105-7) 道徳感情論〈下〉 (岩波文庫 白 105-7)
価格:¥ 1,092(税込)
発売日:2003-04-16

水田洋氏の訳の岩波文庫の下巻の解説を読んだことがあるくらゐで、ついて行けるかといふ不安はあつたが、一回目は様子見もかねて行かねばと思ひ、車を走らせて行つてみた。

近況報告から始まるのはいつもの調子で、遅刻した私は、ちょうどその最後に当たり、簡単に報告をして、いさ読み出す。どこを読むかでまづは議論。次回までに主宰者の濱下先生がお決めになるといふことで決着。その日はとりあへず前書にあたる「読者へ」を読む。もちろん、英語であつた。予想通りといふべきか、恐れてゐた通りといふべきか、まつたく英語ができないので、岩波文庫を片手に持つて、英語の文章を机上に置いて、話される英語を聞きながら日本語の訳を追つていくといふ感じである。三時間かけて、わづか一段落のみ。いつもの調子であるが、その日は特に議論が多岐にわたる。大学の哲学の先生たちの薀蓄が冴え渡り、さまざまに刺激的であつた。

なかでも印象に残つたのが、アナロギアといふことである。英語で言へば、analogy(<o:p></o:p>アナロジー)であるが、類推といふ意味とは少々かけ離れている。

「アクィナスはアナロギアを頻繁に用いている。特に被造物が創造者に語り掛けようとするとき、また創造者について語ろうとするときに、この方法を多く用いている。アクィナスの活動に先立つ1世紀間に、聖書の表現様式についての綿密な研究が進み、多様な言語現象の一つ一つを分析する方法が開発されていた。アクィナスはその成果を最大限に利用することができ、神学の領域でアナロギアを繊細を極めた方法で用いたのであった。その後、スコラ学者たちはこの問題についてのアクィナスの業績を分析整理してアナロギアの理論を構築しようとした。その際、アクィナスがアリストテレスに倣って『比例的アナロギア』と『帰属的アナロギア』とを明瞭に区別していたこともあって、この区別が特に強調された。しかしアクィナス自身は両者を時と場合に応じて使い分けていただけであって、特に理論というようなものは持っていなかった。アクィナスの著作からアナロギアに関する『教説』を引き出すようなことをすると、アナロギアの用法についてアクィナスが持っていた器用さを見失ってしまうことになるであろう。カエタヌス(1469-1543)に対する批判の要点もそこにあった。」(D. BURRELL、「アナロギア」、キリスト教神学事典、教文館、1995年、28-29頁)

  この言葉が、今の私にはとても興味深い。地から天へと向かふ思ひをあらはす言葉として。

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